2010/08/15(日) - 16:56
リカルド・リッコ(イタリア)がトップレベルのレーシングシーンに戻ってくる。リッコはベルギーのプロツアーチーム、クイックステップとの契約にサインし、現在所属するチェラミカ・フラミニアとの契約を正式に解消したことを発表した。
リッコはドーピング陽性により2008年のツール・ド・フランスから追い出され、20ヶ月間の出場停止処分を受けた。
処分が明けてからはチェラミカ・フラミニアと契約して走っていた。リッコはフラミニアとの契約を破棄し、クイックステップと契約を結んだと声明を出した。イタリアからグレゴーブラウンが伝える。
「我々はサインを済ませた。ここまではとても困難だった。でもとうとう僕はトップ・サイクリング界に戻ることができる」。リッコはイタリアのガゼッタ紙に語った。
「クイックステップとは2011年までの契約にサインをした。(パトリック)ルフェーブルのチームは世界で3、4番目のチーム。僕は正しい選択をしたと思う。これでトップレベルのレースに戻ることができる」。
リッコは第2ディヴィジョンのプロコンチネンタルチーム チェラミカ・フラミニアから、第1ディヴィジョンのプロツアーチーム クイックステップへとジャンプする。リッコはフラミニアとの契約を1年早めて終えるために、75000ユーロを支払うことに合意した。そしてフラミニアのジャージを着ての最後のレース、GPカマイオーレを先の土曜日に走り終えた。
今シーズン、リッコはセッティマナ・ロンバルダの勝利と、ジロ・デル・トレンティーノのステージ優勝、ツアー・オブ・オーストリアのステージ2勝と総合優勝を挙げている。
リッコがチェラミカ・フラミニアを離れる決心をしたのは、チームがジロ・デ・イタリアの招待を受けられなかったからだ。フラミニアは2011年のジロを走れるかもしれない。しかしブエルタ・ア・エスパーニャを走れる可能性は非常に小さい。ツール・ド・フランスを走れる可能性はほぼゼロに等しい。
リッコが最後にプロツアーレベルで走ったのは2006年から2008年。サウニエルデュバルのウェアで走ったリッコは、2008年ジロ・デ・イタリアでステージ3勝を挙げ、アルベルト・コンタドールに次いで総合2位になった。
しかし、リッコは続くツール・ド・フランスでドーピング陽性が発覚した。シューペル・ベスとバニョーレ・デ・ルションでステージし優勝を挙げた後、ツールを追い出される。
後にフランス・アンチドーピング機関は、それが新型のEPOの一種、CERAであることを特定した。リッコのステージ優勝は剥奪され、20ヶ月間の出場停止処分を受ける。
クイックステップでなら、リッコはグランツールに復帰するチャンスがある。2011年のツール・ド・フランスはもちろん、早ければ2週間後に始まるブエルタ・ア・エスパーニャ出場の可能性がある。
リッコは言う。「ブエルタには本当に出たいんだ。僕にとっても、チームにとってもいいことだ。総合を狙いに行くわけじゃないけれど、いくつかのステージでいい走りができると思う」。
リッコは「ドーピングからトップチームに復帰したビッグネーム」に名を連ねることになる。リクイガスのイヴァン・バッソとアスタナのアレクサンドル・ヴィノクロフの2人は今年、いずれもブランクを経てツール・ド・フランスに戻ってきた。バッソは2006年にオペラシオン・プエルトの関与が疑われてツール・ド・フランス開幕前夜に出走を認められず、追い出された。ヴィノクロフは2007年ツールで血液ドーピングが発覚し、追い出された。
クイックステップのゼネラルマネジャーであるパトリック・ルフェーブル氏は、今週の初めに、「リッコとサインすることは、バッソとサインするのと違いはないと思う」と話している。ルフェーブル氏はかつてステファン・シューマッハー(ドイツ)と2009年シーズンの契約にサインしようとしたが、2008年ツールで発覚したドーピング陽性の検査が進むにつれ、それを取りやめざるをえなかった過去がある。
イタリアのトップチームであるリクイガス・ドイモとランプレ・ファルネーゼ・ヴィニはともにリッコとサインすることに対して大きな興味を示してきた。しかしオランダのヴァカンソレイユとスペインのケースデパーニュもリッコとの交渉を続けてきた。
クイックステップはまだリッコとの契約を正式には発表していない。リッコはブエルタ・ア・エスパーニャに出場できるのだろうか?
text:GregorBrown
tlanslation:Makoto.AYANO
リッコはドーピング陽性により2008年のツール・ド・フランスから追い出され、20ヶ月間の出場停止処分を受けた。
処分が明けてからはチェラミカ・フラミニアと契約して走っていた。リッコはフラミニアとの契約を破棄し、クイックステップと契約を結んだと声明を出した。イタリアからグレゴーブラウンが伝える。
「我々はサインを済ませた。ここまではとても困難だった。でもとうとう僕はトップ・サイクリング界に戻ることができる」。リッコはイタリアのガゼッタ紙に語った。
「クイックステップとは2011年までの契約にサインをした。(パトリック)ルフェーブルのチームは世界で3、4番目のチーム。僕は正しい選択をしたと思う。これでトップレベルのレースに戻ることができる」。
リッコは第2ディヴィジョンのプロコンチネンタルチーム チェラミカ・フラミニアから、第1ディヴィジョンのプロツアーチーム クイックステップへとジャンプする。リッコはフラミニアとの契約を1年早めて終えるために、75000ユーロを支払うことに合意した。そしてフラミニアのジャージを着ての最後のレース、GPカマイオーレを先の土曜日に走り終えた。
今シーズン、リッコはセッティマナ・ロンバルダの勝利と、ジロ・デル・トレンティーノのステージ優勝、ツアー・オブ・オーストリアのステージ2勝と総合優勝を挙げている。
リッコがチェラミカ・フラミニアを離れる決心をしたのは、チームがジロ・デ・イタリアの招待を受けられなかったからだ。フラミニアは2011年のジロを走れるかもしれない。しかしブエルタ・ア・エスパーニャを走れる可能性は非常に小さい。ツール・ド・フランスを走れる可能性はほぼゼロに等しい。
リッコが最後にプロツアーレベルで走ったのは2006年から2008年。サウニエルデュバルのウェアで走ったリッコは、2008年ジロ・デ・イタリアでステージ3勝を挙げ、アルベルト・コンタドールに次いで総合2位になった。
しかし、リッコは続くツール・ド・フランスでドーピング陽性が発覚した。シューペル・ベスとバニョーレ・デ・ルションでステージし優勝を挙げた後、ツールを追い出される。
後にフランス・アンチドーピング機関は、それが新型のEPOの一種、CERAであることを特定した。リッコのステージ優勝は剥奪され、20ヶ月間の出場停止処分を受ける。
クイックステップでなら、リッコはグランツールに復帰するチャンスがある。2011年のツール・ド・フランスはもちろん、早ければ2週間後に始まるブエルタ・ア・エスパーニャ出場の可能性がある。
リッコは言う。「ブエルタには本当に出たいんだ。僕にとっても、チームにとってもいいことだ。総合を狙いに行くわけじゃないけれど、いくつかのステージでいい走りができると思う」。
リッコは「ドーピングからトップチームに復帰したビッグネーム」に名を連ねることになる。リクイガスのイヴァン・バッソとアスタナのアレクサンドル・ヴィノクロフの2人は今年、いずれもブランクを経てツール・ド・フランスに戻ってきた。バッソは2006年にオペラシオン・プエルトの関与が疑われてツール・ド・フランス開幕前夜に出走を認められず、追い出された。ヴィノクロフは2007年ツールで血液ドーピングが発覚し、追い出された。
クイックステップのゼネラルマネジャーであるパトリック・ルフェーブル氏は、今週の初めに、「リッコとサインすることは、バッソとサインするのと違いはないと思う」と話している。ルフェーブル氏はかつてステファン・シューマッハー(ドイツ)と2009年シーズンの契約にサインしようとしたが、2008年ツールで発覚したドーピング陽性の検査が進むにつれ、それを取りやめざるをえなかった過去がある。
イタリアのトップチームであるリクイガス・ドイモとランプレ・ファルネーゼ・ヴィニはともにリッコとサインすることに対して大きな興味を示してきた。しかしオランダのヴァカンソレイユとスペインのケースデパーニュもリッコとの交渉を続けてきた。
クイックステップはまだリッコとの契約を正式には発表していない。リッコはブエルタ・ア・エスパーニャに出場できるのだろうか?
text:GregorBrown
tlanslation:Makoto.AYANO
Amazon.co.jp