2024/12/28(土) - 16:30
2024年に小山智也が獲得したUCIポイントはゼロ。それどころか全日本選手権の完走経験もない。そんな26歳が、なぜブルゴスBHに加入できたのか。「コネ」を武器に、ヨーロッパで実践した驚くべき方法とは。
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ブルゴスBHの加入が発表された小山智也 photo:Kako Suzuki
ブルゴスBHへの加入が決まった小山智也に、大きな喜びはなかった。ヨーロッパに渡って3年。ようやくたどり着いたプロの世界は、今後も続くであろう長い選手生活のスタートラインでしかないからだ。
UCI(国際自転車競技連合)が定義するプロ選手とは18のワールドツアーと17のプロチームに所属する選手のことを指す。そのため日本人プロ選手は小山の他に、留目夕陽(EFエデュケーション・イージーポスト)と新城幸也(来季トスカーナファクトリー・ヴィーニファンティーニ)の2名しかいない。
その狭き門をくぐり抜けた方法を聞くと、「コネで入れました」と小山はあけすけに語った。
アジア人という特徴を武器に
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2025年から使用するBHの軽量オールラウンダー ULTRALIGHT photo:Kako Suzuki
「2019年に所属していたチームにダミアン・ガルシアという監督がいて、彼がブルゴスBHに移ってからもずっと連絡を取り合う仲でした。昨年末チームに入れてくれるよう頼みました。だけど当時の僕には目立ったリザルトがなく、『もう1年見ているからレースで完走し続けてくれ』と言われました」
2023年にプロシリーズであるツアー・オブ・ブリテンに出場した小山だったが、ステージレースで途中棄権することも多かった。しかしその助言が、小山の戦略を大きく変えることになる。
「誰もやりたがらないボトル運びを率先してやり、自らレース中継に映りに行きました。プロトンの中でも珍しいアジア人という特徴を活かし、それがSNSに上がるとダミアンにURLを送りつけました。『これだけ働いてもトップから数分しか遅れずフィニッシュしたぞ!』というメッセージと共に(笑)」と小山は振り返る。
レース機会を求めチームを移籍
転機は2024年の夏に訪れる。オーストリア籍のプロチーム、フォアアルベルクでは出場機会に恵まれず、自らチームに退団を申し出た小山は、拠点とするアンドラに戻る決断を下す。そして6月、ルーマニアのコンチネンタルチーム、ヴィーニ・モンゾン・サヴィーニデュエOMZへの移籍を決めた。
新チームでの初戦となったのは、レッドブル・ボーラ・ハンスグローエなどトップチームが多数出場したルーマニアのシビウ・サイクリングツアー(UCI2.1)。「トップ選手もいたこのレースで、プロトンで走れる手応えを掴みました。アンドラで練習を共にする他チームの選手も多く、お互いに助け合いながら勝負所も話し合っていました」
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バイクの特徴を聞くと「年々機材に鈍感になってきているのですが、良いバイクです」と答えてくれた photo:Kako Suzuki
「その後のレースはどれも2クラスだったので『シビウよりは辛くないだろう』とポジティブなマインドで走ることができました」と語る小山は、その後も複数のステージレースに出場。完走を重ねていく。
ツアー・オブ・ルーマニアでは落車し、一時離脱を余儀なくされたものの、わずか1週間後にはツアー・オブ・ブルガリアに強行出場。「そのまま日本へ帰る予定をキャンセルし、身体も機材もボロボロのなか完走しました。プロへの手がかかった状態だったので、痛みのなかアドレナリンが出ていたのだと思います」
欧州だからこそ得られたチャンス
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「コネでもプロチームに入れる」と強調した小山 photo:Kako Suzuki
今シーズン、小山がマークした最高位は2クラスのレースでの15位。際立った成績ではないものの、ヨーロッパで役割をこなせる実力を示した。
しかし疑問は残る。より優れた成績を残すコンチネンタルチーム所属の選手が多くいるなか、なぜ小山がプロ契約を掴むことができたのか。小山はこう答える。
「ヨーロッパで走り続けたからだと思います。日本のレースや全日本選手権での成績よりも、ヨーロッパでレースを重ねることがプロチームからの評価につながります。僕はUCIポイントはゼロですし、全日本で完走したことすらありません。それが何よりの証拠です」
拠点としたアンドラでの人脈作りも重要な要因となった。「世界のトップ選手たちと共に練習する機会も増え、プロトン内外での知り合いが広がっていきました。『知り合いの知り合い』というつながりでプロ入りする選手を何人も見てきましたから、僕も行けるだろうという思いがありました」
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日本人3人目となるプロ選手となった小山智也 photo:Kako Suzuki
国際化という時流が味方に
スペインのプロチームが国際化を進めている時流も、小山の追い風となった。ブルゴスBHは今年、モンゴル人やギリシャ人など非スペイン語圏の選手を獲得。来年に向けてはエリトリア出身のメルハウィ・クドスの加入も決定し、その動きは加速している。
とはいえ、今回の契約は小山自身の実力が評価されてこその結果だ。小山は言う。「チームが求める最低限の(能力的な)数値には達していると思います。決して『実力でプロ契約を掴んだ』とは言えませんが、『こいつは大丈夫だな』という基準は満たしている。山岳で勝負はできなくても、エースをそこまで連れて行くことはできる。スプリントを命じられればそこまで粘り、もがくことはできる。その手応えはあります」
「10年後もヨーロッパで走り続けていたい」
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10月の帰国時から、既にBHのバイクでトレーニングに励んでいる photo:Kako Suzuki
来年1月のトレーニング合宿で新しいチームメイトやスタッフと顔をあわせ、月末からシーズンが始まる。その先にある目標を尋ねると「特に走りたいレースはありません」と意外な答えが返ってきた。
「もちろんグランツールに出場できれば最高ですが、とにかくヨーロッパのレースを走りたい。ヴィスマ・リースアバイクですら数日前にツール・ド・フランス出場が決まる世界です。高望みするのではなく、1つでも多くレースを走り、1年でも長くヨーロッパで走り続けたい。それが僕の目標です」
人脈作りや個人スポンサーを募るなど、独自の戦略で掴んだプロ契約。これからの走りで、その価値を証明する日々が始まる。
text:Sotaro.Arakawa
photo:Kako Suzuki
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ブルゴスBHへの加入が決まった小山智也に、大きな喜びはなかった。ヨーロッパに渡って3年。ようやくたどり着いたプロの世界は、今後も続くであろう長い選手生活のスタートラインでしかないからだ。
UCI(国際自転車競技連合)が定義するプロ選手とは18のワールドツアーと17のプロチームに所属する選手のことを指す。そのため日本人プロ選手は小山の他に、留目夕陽(EFエデュケーション・イージーポスト)と新城幸也(来季トスカーナファクトリー・ヴィーニファンティーニ)の2名しかいない。
その狭き門をくぐり抜けた方法を聞くと、「コネで入れました」と小山はあけすけに語った。
アジア人という特徴を武器に
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2023年にプロシリーズであるツアー・オブ・ブリテンに出場した小山だったが、ステージレースで途中棄権することも多かった。しかしその助言が、小山の戦略を大きく変えることになる。
「誰もやりたがらないボトル運びを率先してやり、自らレース中継に映りに行きました。プロトンの中でも珍しいアジア人という特徴を活かし、それがSNSに上がるとダミアンにURLを送りつけました。『これだけ働いてもトップから数分しか遅れずフィニッシュしたぞ!』というメッセージと共に(笑)」と小山は振り返る。
レース機会を求めチームを移籍
転機は2024年の夏に訪れる。オーストリア籍のプロチーム、フォアアルベルクでは出場機会に恵まれず、自らチームに退団を申し出た小山は、拠点とするアンドラに戻る決断を下す。そして6月、ルーマニアのコンチネンタルチーム、ヴィーニ・モンゾン・サヴィーニデュエOMZへの移籍を決めた。
新チームでの初戦となったのは、レッドブル・ボーラ・ハンスグローエなどトップチームが多数出場したルーマニアのシビウ・サイクリングツアー(UCI2.1)。「トップ選手もいたこのレースで、プロトンで走れる手応えを掴みました。アンドラで練習を共にする他チームの選手も多く、お互いに助け合いながら勝負所も話し合っていました」
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「その後のレースはどれも2クラスだったので『シビウよりは辛くないだろう』とポジティブなマインドで走ることができました」と語る小山は、その後も複数のステージレースに出場。完走を重ねていく。
ツアー・オブ・ルーマニアでは落車し、一時離脱を余儀なくされたものの、わずか1週間後にはツアー・オブ・ブルガリアに強行出場。「そのまま日本へ帰る予定をキャンセルし、身体も機材もボロボロのなか完走しました。プロへの手がかかった状態だったので、痛みのなかアドレナリンが出ていたのだと思います」
欧州だからこそ得られたチャンス
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今シーズン、小山がマークした最高位は2クラスのレースでの15位。際立った成績ではないものの、ヨーロッパで役割をこなせる実力を示した。
しかし疑問は残る。より優れた成績を残すコンチネンタルチーム所属の選手が多くいるなか、なぜ小山がプロ契約を掴むことができたのか。小山はこう答える。
「ヨーロッパで走り続けたからだと思います。日本のレースや全日本選手権での成績よりも、ヨーロッパでレースを重ねることがプロチームからの評価につながります。僕はUCIポイントはゼロですし、全日本で完走したことすらありません。それが何よりの証拠です」
拠点としたアンドラでの人脈作りも重要な要因となった。「世界のトップ選手たちと共に練習する機会も増え、プロトン内外での知り合いが広がっていきました。『知り合いの知り合い』というつながりでプロ入りする選手を何人も見てきましたから、僕も行けるだろうという思いがありました」
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国際化という時流が味方に
スペインのプロチームが国際化を進めている時流も、小山の追い風となった。ブルゴスBHは今年、モンゴル人やギリシャ人など非スペイン語圏の選手を獲得。来年に向けてはエリトリア出身のメルハウィ・クドスの加入も決定し、その動きは加速している。
とはいえ、今回の契約は小山自身の実力が評価されてこその結果だ。小山は言う。「チームが求める最低限の(能力的な)数値には達していると思います。決して『実力でプロ契約を掴んだ』とは言えませんが、『こいつは大丈夫だな』という基準は満たしている。山岳で勝負はできなくても、エースをそこまで連れて行くことはできる。スプリントを命じられればそこまで粘り、もがくことはできる。その手応えはあります」
「10年後もヨーロッパで走り続けていたい」
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来年1月のトレーニング合宿で新しいチームメイトやスタッフと顔をあわせ、月末からシーズンが始まる。その先にある目標を尋ねると「特に走りたいレースはありません」と意外な答えが返ってきた。
「もちろんグランツールに出場できれば最高ですが、とにかくヨーロッパのレースを走りたい。ヴィスマ・リースアバイクですら数日前にツール・ド・フランス出場が決まる世界です。高望みするのではなく、1つでも多くレースを走り、1年でも長くヨーロッパで走り続けたい。それが僕の目標です」
人脈作りや個人スポンサーを募るなど、独自の戦略で掴んだプロ契約。これからの走りで、その価値を証明する日々が始まる。
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photo:Kako Suzuki
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