2024/11/21(木) - 18:15
オランダ籍のプロ自転車選手、ゴセ・ファンデルメールが今年も日本にやってきた。約1ヶ月の滞在にとどまった昨年に対し、今シーズンはなんと3ヶ月も日本で活動をする。シクロクロス3大シリーズを転戦し、オランダ選手権でも上位入賞を果たした本場のプロ選手が日本で走る理由とは。本人への直接取材から、彼の独立独歩なプロ選手生活や、独特な仕事術を紐解いてみたいと思う。
シクロクロスの本場オランダ出身のゴセ・ファンデルメールは、1995年生まれの29歳。彼の出身地であるフリースランド州は北海に面した地域で、フリジア語と呼ばれる少数言語が公用語として用いられている。独自の伝統が色濃く残った、都市部から離れたのどかな地域だ。15歳で地元のクラブチームに所属してからはシクロクロスを中心にその頭角を徐々に表していく。
過去のリザルトを覗くと、U23初年度18歳でヨーロッパ内の転戦をスタート、19歳で3大シリーズ(ワールドカップ、スーパープレステージ、X2Oシリーズ)へ参戦。U23の国内選手権は11位→6位→3位→6位と好成績を残し、エリートでは2年目の初参加で7位、優勝は同い年のマチュー・ファンデルプールだった。この頃から海外遠征が目立ち、織田聖らが参加した中国の千森杯で優勝したのも同じ2018年のことだった。(https://www.cyclowired.jp/news/node/275625)
日本滞在を見守る限り本人はかなり旅慣れをしていて、時差ぼけの解消から食事や文化などへの適応能力は高い。どこへ行っても自分のトレーニングがこなせるルートをマップアプリで探し、サイクルコンピューターへ放り込んでサクッとライドをこなしている。旅に持ち込んでいる工具セットはかなりコンパクトだが、必要なものが的確にまとまっていた。
他方、われわれ日本人が想像する本場のプロ選手像と照らし合わせたとき、なぜ彼が2度も日本に長期滞在しているのかという点にも関心が湧いた。今回直接本人から話を聞き、その理由に迫った。
「元々は大きなレースを走り、ポイントを稼ぐことや総合ランキングの順位を上げることに全力を注いでいました。何年間かをそのように過ごし様々な国や地域でレースを走る中で、異文化との交流や人々との出会いがいかに重要か、それこそ成績はいずれ忘れられてしまったとしても人との出会いはずっと記憶に残る、という大事なことに気がつきました。そして自分がやりたいことは世界中いろんな地域でレースを走ることだと感じるようになっていきました。日本については治安が良く、礼儀正しい人々に囲まれた居心地の良い国だと多く聞いていて、特に訪れてみたいと考えていました」
「もちろんそのためには活動を支援してくれるスポンサーたちに納得してもらう必要があります。僕の場合、個人チームとして同じスポンサー企業と長年付き合っていて、信頼関係が築けています。自分がやりたいことをしっかりプレゼンして、今の活動スタイルに対しても応援をしてもらっています」
確かに、所属先としてベルギー国籍のUCIコンチネンタルチームなどでロードレースを走る一方、22歳になった2018年に個人チームを立ち上げている。バイクはBOMBTRACK(ボムトラック)、ホイールはHunt(ハント)Bike Wheelsをそれぞれメインスポンサーに迎えたチームで、まもなく立ち上げから8年目を迎える。その他にも自転車競技に直接関わりのない企業からのサポートなどもあり、彼らとはかなり頻繁にやりとりをしている様子だ。
「自分がやりたいことを実現するためには、まずそれを言葉にして相手に伝えることが大切です。実際応援してもらえると決まればきっちり準備をして、遠征期間中のコンタクトも欠かしません。例えばレースの後、一斉送信ですが彼らにレースを無事終えたことを連絡し、レースの写真や情報をシェアするようにしています。それ以外でも頻繁にこちらから連絡を取るように心がけていて、メールを送ったり、季節に応じたメッセージカードを手書きで郵送したりしています。それこそ『日本は寿司がおいしいよ』などたわいもないことを送る場合もあります。内容はともかく、連絡を取るということに重きを置いています」
滋賀県でのレースを終えた後も、その日の夕食後にはSNSやメール対応を始め、全ての作業を終えたのは夜中の1時だったという。
「もし僕の活動を応援してくれる企業が現れたとして、常に彼らとどういう関係性を継続できるかということを考えています。言葉巧みに支援を了承してもらいその場の利益だけを得ることも可能かも知れませんが、僕はそこには興味がありません。企業といってもマーケティングの担当者がいたりと、必ず人が介在しています。彼らとどういう関係を築き続けられるかを考えれば、自ずとやれることは見つかるはずです」
今回2度目となる日本遠征にあたって、日本企業である前田製菓株式会社からの支援を受けることになったファンデルメール。偶然にも昨年の来日で、ふと彼がスーパーで購入したお菓子が「あたり前田のクリケット」だったのだ。オランダでクリスマスに必ず食べるお菓子のひとつ、ペッパーノーテンに似ていたので、なにげなく手に取ったそう。與那嶺恵理選手へのスポンサードや地元関西のシクロクロスレースへ協賛している点など、自転車文化に深く関わる企業だと知って話はどんどん広がっていった。
「僕が企業から協賛をいただく際、まずは自分がなにをしたいか、そして相手に対してどんな活動ができるかをはっきりと伝えます。またどんなメディア露出の仕方ができるかも提案しますし、ウェアを作ったり情報サイトに掲載されることなどその具体的な方法もあらかじめ案内しています。特に金銭の受渡しがある場合、初めからその一定部分をPRやツアーの具体的な資金として利用することを自分の中で決めており、今回もそうさせてもらいました」
日本でのレースでは前田製菓のロゴと企業名が大きく刻まれたキットを着用していて、レース中やポディウムの上でも大変目立っていることは言うまでもない。しかしよく見れば、そのほかにキャップやレース外でのウェア、ズボンなどの普段着にも前田製菓のロゴが入っている。
「自分が着用するロゴ入りウェアのほか、ホームステイ先の家族へのプレゼントとして小さめのジャケットを用意したり、日本に着いてからもアイロンプリントできるようなシートを準備しました。手間暇はかかるかも知れませんが、アイディア次第ではコストを抑えて多くの方が目にする機会を作ることができると思います。実際にウェアがとても目立つのか、関西の峠道をひとりで走っていたときに車の中から声をかけてくれた方もいました。僕のことを知ってくれていて、写真を撮ってSNSでタグ付けまでしてくれました(笑)。こういうことが起きるのも、何かしら自分ができるアクションを起こしてきたからだと信じています」
レース直後でも、自分と前田製菓を繋げてくれたクリケットを子供たちへ配って回ったファンデルメールの姿は、厳しいヨーロッパのレースシーンで生き抜く術を映し出していた。
今後、彼は東海シクロクロス、関西シクロクロスを1戦ずつ走った後、一旦ヨーロッパに戻り修士課程の修了に向けたカリキュラムをこなすという。また年が明けた1月に日本に戻り、2ヶ月間に多くのレースへの参加を予定している。いずれの会場でも、彼はプロとしてのあり方を周囲に示し続けてくれることと思う。
text:Masahiro Koshiyama
シクロクロスの本場オランダ出身のゴセ・ファンデルメールは、1995年生まれの29歳。彼の出身地であるフリースランド州は北海に面した地域で、フリジア語と呼ばれる少数言語が公用語として用いられている。独自の伝統が色濃く残った、都市部から離れたのどかな地域だ。15歳で地元のクラブチームに所属してからはシクロクロスを中心にその頭角を徐々に表していく。
過去のリザルトを覗くと、U23初年度18歳でヨーロッパ内の転戦をスタート、19歳で3大シリーズ(ワールドカップ、スーパープレステージ、X2Oシリーズ)へ参戦。U23の国内選手権は11位→6位→3位→6位と好成績を残し、エリートでは2年目の初参加で7位、優勝は同い年のマチュー・ファンデルプールだった。この頃から海外遠征が目立ち、織田聖らが参加した中国の千森杯で優勝したのも同じ2018年のことだった。(https://www.cyclowired.jp/news/node/275625)
日本滞在を見守る限り本人はかなり旅慣れをしていて、時差ぼけの解消から食事や文化などへの適応能力は高い。どこへ行っても自分のトレーニングがこなせるルートをマップアプリで探し、サイクルコンピューターへ放り込んでサクッとライドをこなしている。旅に持ち込んでいる工具セットはかなりコンパクトだが、必要なものが的確にまとまっていた。
他方、われわれ日本人が想像する本場のプロ選手像と照らし合わせたとき、なぜ彼が2度も日本に長期滞在しているのかという点にも関心が湧いた。今回直接本人から話を聞き、その理由に迫った。
「元々は大きなレースを走り、ポイントを稼ぐことや総合ランキングの順位を上げることに全力を注いでいました。何年間かをそのように過ごし様々な国や地域でレースを走る中で、異文化との交流や人々との出会いがいかに重要か、それこそ成績はいずれ忘れられてしまったとしても人との出会いはずっと記憶に残る、という大事なことに気がつきました。そして自分がやりたいことは世界中いろんな地域でレースを走ることだと感じるようになっていきました。日本については治安が良く、礼儀正しい人々に囲まれた居心地の良い国だと多く聞いていて、特に訪れてみたいと考えていました」
「もちろんそのためには活動を支援してくれるスポンサーたちに納得してもらう必要があります。僕の場合、個人チームとして同じスポンサー企業と長年付き合っていて、信頼関係が築けています。自分がやりたいことをしっかりプレゼンして、今の活動スタイルに対しても応援をしてもらっています」
確かに、所属先としてベルギー国籍のUCIコンチネンタルチームなどでロードレースを走る一方、22歳になった2018年に個人チームを立ち上げている。バイクはBOMBTRACK(ボムトラック)、ホイールはHunt(ハント)Bike Wheelsをそれぞれメインスポンサーに迎えたチームで、まもなく立ち上げから8年目を迎える。その他にも自転車競技に直接関わりのない企業からのサポートなどもあり、彼らとはかなり頻繁にやりとりをしている様子だ。
「自分がやりたいことを実現するためには、まずそれを言葉にして相手に伝えることが大切です。実際応援してもらえると決まればきっちり準備をして、遠征期間中のコンタクトも欠かしません。例えばレースの後、一斉送信ですが彼らにレースを無事終えたことを連絡し、レースの写真や情報をシェアするようにしています。それ以外でも頻繁にこちらから連絡を取るように心がけていて、メールを送ったり、季節に応じたメッセージカードを手書きで郵送したりしています。それこそ『日本は寿司がおいしいよ』などたわいもないことを送る場合もあります。内容はともかく、連絡を取るということに重きを置いています」
滋賀県でのレースを終えた後も、その日の夕食後にはSNSやメール対応を始め、全ての作業を終えたのは夜中の1時だったという。
「もし僕の活動を応援してくれる企業が現れたとして、常に彼らとどういう関係性を継続できるかということを考えています。言葉巧みに支援を了承してもらいその場の利益だけを得ることも可能かも知れませんが、僕はそこには興味がありません。企業といってもマーケティングの担当者がいたりと、必ず人が介在しています。彼らとどういう関係を築き続けられるかを考えれば、自ずとやれることは見つかるはずです」
今回2度目となる日本遠征にあたって、日本企業である前田製菓株式会社からの支援を受けることになったファンデルメール。偶然にも昨年の来日で、ふと彼がスーパーで購入したお菓子が「あたり前田のクリケット」だったのだ。オランダでクリスマスに必ず食べるお菓子のひとつ、ペッパーノーテンに似ていたので、なにげなく手に取ったそう。與那嶺恵理選手へのスポンサードや地元関西のシクロクロスレースへ協賛している点など、自転車文化に深く関わる企業だと知って話はどんどん広がっていった。
「僕が企業から協賛をいただく際、まずは自分がなにをしたいか、そして相手に対してどんな活動ができるかをはっきりと伝えます。またどんなメディア露出の仕方ができるかも提案しますし、ウェアを作ったり情報サイトに掲載されることなどその具体的な方法もあらかじめ案内しています。特に金銭の受渡しがある場合、初めからその一定部分をPRやツアーの具体的な資金として利用することを自分の中で決めており、今回もそうさせてもらいました」
日本でのレースでは前田製菓のロゴと企業名が大きく刻まれたキットを着用していて、レース中やポディウムの上でも大変目立っていることは言うまでもない。しかしよく見れば、そのほかにキャップやレース外でのウェア、ズボンなどの普段着にも前田製菓のロゴが入っている。
「自分が着用するロゴ入りウェアのほか、ホームステイ先の家族へのプレゼントとして小さめのジャケットを用意したり、日本に着いてからもアイロンプリントできるようなシートを準備しました。手間暇はかかるかも知れませんが、アイディア次第ではコストを抑えて多くの方が目にする機会を作ることができると思います。実際にウェアがとても目立つのか、関西の峠道をひとりで走っていたときに車の中から声をかけてくれた方もいました。僕のことを知ってくれていて、写真を撮ってSNSでタグ付けまでしてくれました(笑)。こういうことが起きるのも、何かしら自分ができるアクションを起こしてきたからだと信じています」
レース直後でも、自分と前田製菓を繋げてくれたクリケットを子供たちへ配って回ったファンデルメールの姿は、厳しいヨーロッパのレースシーンで生き抜く術を映し出していた。
今後、彼は東海シクロクロス、関西シクロクロスを1戦ずつ走った後、一旦ヨーロッパに戻り修士課程の修了に向けたカリキュラムをこなすという。また年が明けた1月に日本に戻り、2ヶ月間に多くのレースへの参加を予定している。いずれの会場でも、彼はプロとしてのあり方を周囲に示し続けてくれることと思う。
text:Masahiro Koshiyama
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