「パリ五輪で2つのメダルを狙い、共に金メダルを得たなんて信じられない」とは、パリ五輪ロードレースを制したレムコ・エヴェネプール(ベルギー)の言葉。母国フランスに銀&銅メダルをもたらしたマドゥアスとラポルト、4度目の五輪を終えた新城など選手たちのコメントを紹介します。



優勝 レムコ・エヴェネプール(ベルギー)

マドゥアスを振り切り、得意の独走に持ち込んだレムコ・エヴェネプール(ベルギー) photo:CorVos

最後の数mは特別な気持ちで走ることができた。背後に"なんてことない建造物(エッフェル塔)”が立っていると知っていたので、フィニッシュする瞬間を楽しみたかった。フィニッシュラインでの写真は僕の人生で最も美しい一枚となるだろう。

このオリンピックでは2つのメダルを狙い、いずれかが金だったら最高だと思っていた。それが2つとも金メダルだなんて夢にも思っていなかったこと。またパリを舞台にした今年の五輪であったことに、特別な何かを感じている。

チームとして強さを見せることができた。ティシュ(ベノート)がレースをコントロールし、ヤスペル(ストゥイヴェン)が常に重要な動きを追っていた。そしてワウト(ファンアールト)はモンマルトルでマチュー(ファンデルプール)のアタックに追従するという自らの走りをした。僕らは昨晩話し合ったプラン通りの走りができた。皆が10点中11点の走りを見せたんだ。

エッフェル塔の眼前のフィニッシュラインにたどり着いたレムコ・エヴェネプール(ベルギー) photo:CorVos

個人タイムトライアルに続き、男子では五輪史上初となる2冠を達成したレムコ・エヴェネプール(ベルギー) photo:CorVos

パンクする1km手前で隣を走るモトバイクからリードが25秒だと伝えられたんだ。だからこそパンクした瞬間は、すぐにヴァランタン(マドゥアス)や後続集団に抜かれると思い焦った。可能な限りスムーズにバイク交換して、それが勝利にスパイスを与えてくれた。

これでインスタグラムに投稿する良い写真を手に入れた。(首に掛けた2つの金メダルは)沢山のメダルを掛けたマイケル・フェルプス(アメリカの元水泳選手)を思い出させてくれるね。最高の気分だよ。

2位 ヴァランタン・マドゥアス(フランス)

銀メダルを喜ぶヴァランタン・マドゥアス(フランス) photo:CorVos

パリを舞台にしたオリンピックで2位だなんて言葉がない。個人的に苦しいシーズンで、ツール・ド・フランスでも良い結果が得られなかった。このメダルを得たことによって、肩の荷が降りた気持ちだよ。素晴らしいし夢のようだ。

ツールでは人生で最も調子が良かった。だが結果には繋がらず、勝負できる機会を逃し続けていた。だからオリンピックに気持ちを切り替え、チームが僕に自信を与えてくれた。今日、僕は2位に入り、大切な友人(ラポルト)が3位だなんて信じられないよ。僕らは今夜、素晴らしい夜を過ごすことになりそうだ。

3位 クリストフ・ラポルト(フランス)

銀と銅メダル獲得を喜ぶラポルトやアラフィリップらフランス人選手たち photo:CorVos

まるで夢のようだ。ナショナルチームとして勝利を目指していたが、銀と銅メダルは素晴らしい結果。パリで開催されたオリンピックの表彰台に立てるなんて夢にも思わなかった。それもエッフェル塔の近くなんて最高だよ。

正直、あまりにレースが混沌としていたので銅メダルを争っていたことを知らなかった。フィニッシュ後にヴァランタン(マドゥアス)が銀メダルを獲得し、僕が銅メダルに輝いたことを教えてくれた。妻や子どもたちや友人の前で手に入れたメダルなので、その価値が一層高まった。フランスを代表して手に入れたこの結果を誇りに思うよ。

12位 マチュー・ファンデルプール(オランダ)

2度に渡るマチュー・ファンデルプール(オランダ)のアタックはワウト・ファンアールト(ベルギー)がマーク photo:CorVos

最善は尽くしたが、とても難しい展開となった。モンマルトルでのアタックが決まらなかった時点でレースは終わったと思った。レムコが飛び出し、とても危険なアタックであるということは分かっていた。また同時に彼を引き戻すことが難しいということも。勝利した彼を祝福したい。

13位 トーマス・ピドコック(イギリス)

アタックする力は残っておらず、調子が悪かったのでまともなレースができなかった。マウンテンバイクの後は大勢の人が僕に誕生日ケーキ(7月30日)を持ってきてくれたので、あまり眠れていなかったんだ。脚をリフレッシュしようと努めたのだが、精神的に疲れ果てていた。

56位で完走を果たした新城幸也

4度目の五輪を終えた新城幸也 photo:CorVos

最初のアタックを容認して10分以上空いた時点で今日のレースは厳しくなると思いました。モンマルトルの丘が勝負どころになるのは分かっていたので、そこで力を出すべく準備をしていましたが、今の自分の力では及ばなかったです。

日の丸を背負って、何回も走らせてもらって、恐らく最後のオリンピックになるであろう今回は準備できることは全てやりましたし、2003年にパリに来て、21年経ってこうして日本代表としてパリでのオリンピックを走るなんて思ってもいなかったので今日は感慨深く良い1日になりました。

日本の皆さんは、もっと良い順位を期待したと思いますが、自分としては最後まで悔いなく走れたので良かったと思います。本当に応援、ありがとうございました。最後に、自転車競技を志す若い人に。覚悟を持って取り組めば、叶うことがあるので頑張りましょう、と伝えたいです

text:Sotaro.Arakawa
photo:CorVos