2010/07/05(月) - 22:59
4日間限定で急遽取材することが決まった今年のツール・ド・フランス。ほんの2ヶ月前にジロ・デ・イタリアが通過したコースをまた走るとは思っていなかった。海に面した堤防に詰めかけた観客たち。カルフールのキャラバンが配ったマイヨアポワのキャップが太陽に映える。
ジロでステージ優勝を飾ったジェローム・ピノー(フランス、クイックステップ)と新城幸也(Bboxブイグテレコム)が握手 photo:Kei Tsuji今年はコースを走れるステッカーをゲット出来なかったので、クルマでコース外を走って撮影しなければならない。これがまた苦労の連続で、スタート&ゴール地点の駐車場を使用出来ること以外、一般の観客と条件は変わらない。
グランデパールのロッテルダムの街を抜け出すようにクルマを走らせ、高速道路に飛び乗って南を目指す。この日はオランダ南部に広がる東スヘルデ地方を駆け抜け、ベルギーのフランドル地方を経由して同国の首都ブリュッセルにゴールする。
堤防の上に敷かれた真っ平らな直線路 photo:Kei Tsuji中間の撮影ポイントとして予定していた場所まで、細い農道を駆使して分け入って行く。自転車大国オランダだけに、シティバイクに乗った観客が民族大移動のごとく同じ方向に向かっている。向かい風区間ではシティバイクも先頭交代していた。
この日、北海と内海と分つ長い長い堤防を撮影ポイントに選んだ。今年のジロ・デ・イタリア第3ステージでも通過した場所で、大きな風車が立ち並んでいる風景が好きだったから。
アスタナがコントロールするメイン集団が横風のきつい海沿いの堤防道路を進む photo:Kei Tsuji当時は横風によって集団分裂が発生し、早速総合争いから脱落する選手が出た。今年はゴールまで距離があるため成績には直接関係なさそうだが、それでも落車のリスクは高い。
空は晴れ渡り、湿度は低い。風は海から真っ平らな平原に向かって吹いている。シュレク兄弟の応援フラッグが音を立ててはためき、頭上では風力発電の巨大なプロペラが低音を響かせながら回り続けている。
強い風に巨大なオランダ国旗もたなびく photo:Makoto Ayano2ヶ月前のジロ通過時と風の強さや向きは変わらない。しかし何かが明らかに違う。そう、観客の多さが全然違うのだ。ジロでは観客が“点在”していたが、ここでは“鈴なり”の人垣ができている。恐るべしツール・ド・フランス。しかもキャラバン隊が配ったグッズがジロよりも色とりどりで豪華なので見ていて飽きない。ま、中にはジロの時に買ったピンクのTシャツを着ている観客もいるわけですが。
オランダチーム所属のオランダ人選手、ラース・ボーム(オランダ、ラボバンク)の逃げに観客は興奮を隠せない。結果的に吸収されてしまうが、ボームはオランダのビール消費量増加に少なからず貢献したはずだ。
ちなみにサッカーワールドカップで準決勝まで勝ち進んでいるオランダ。国内の盛り上がりはもちろんツールよりサッカーの方が上なのが歯がゆい。初戦の相手であり、ともに1次リーグを勝ち進んだ日本に対しては好意的。観客に会う度に「ホンダ!」と呼ばれる。そんな男前じゃありません。そして、ブブゼラを耳元で鳴らさないで。
レース通過後、帰路につく観客たち photo:Kei Tsuji
サクソバンクがコントロールするメイン集団 photo:Kei Tsuji
上り基調の最終ストレートに選手たちがやってきた photo:Kei Tsuji
国土の1/4が海抜0m以下と言われるオランダには、至る所に堤防が作られている。首都アムステルダムやこの日のスタート地点ロッテルダムの名前についている「ダム」は堤防の意味。オランダと堤防の間には切っても切れない関係がある。
1953年、北海沿岸を大洪水が襲った。被害に遭ったのはイギリスやベルギー、そしてオランダ。中でも「低地の国」オランダは2000人近くの死者を出す未曾有の大惨事に見舞われた。オランダ政府はその大洪水を期に、大規模な堤防建設による洪水防止に取り組むことになる。
そこで作られたのが、北海と内海を完全に仕切る大規模な堤防だ。スヘルデ川の三角州を取り囲むようにして水をせき止め、外海から進入する水量を調整することによって洪水を防いでいる。現に、堤防完成後は大きな洪水が発生していないと言う。選手たちが通ったのは、そんなオランダを守る重要な堤防なのだ。
レース展開的に、堤防で大きな事件は起こらなかった。今大会最初のトラップをクリアした選手たちは胸を撫で下ろしていることだろう。オランダの歴史を詳しく、情熱的に話してくれた観客たちの波に飲まれるようにして、ブリュッセルのゴール地点に向かった。
text&photo:Kei Tsuji
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グランデパールのロッテルダムの街を抜け出すようにクルマを走らせ、高速道路に飛び乗って南を目指す。この日はオランダ南部に広がる東スヘルデ地方を駆け抜け、ベルギーのフランドル地方を経由して同国の首都ブリュッセルにゴールする。
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この日、北海と内海と分つ長い長い堤防を撮影ポイントに選んだ。今年のジロ・デ・イタリア第3ステージでも通過した場所で、大きな風車が立ち並んでいる風景が好きだったから。
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空は晴れ渡り、湿度は低い。風は海から真っ平らな平原に向かって吹いている。シュレク兄弟の応援フラッグが音を立ててはためき、頭上では風力発電の巨大なプロペラが低音を響かせながら回り続けている。
オランダチーム所属のオランダ人選手、ラース・ボーム(オランダ、ラボバンク)の逃げに観客は興奮を隠せない。結果的に吸収されてしまうが、ボームはオランダのビール消費量増加に少なからず貢献したはずだ。
ちなみにサッカーワールドカップで準決勝まで勝ち進んでいるオランダ。国内の盛り上がりはもちろんツールよりサッカーの方が上なのが歯がゆい。初戦の相手であり、ともに1次リーグを勝ち進んだ日本に対しては好意的。観客に会う度に「ホンダ!」と呼ばれる。そんな男前じゃありません。そして、ブブゼラを耳元で鳴らさないで。
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国土の1/4が海抜0m以下と言われるオランダには、至る所に堤防が作られている。首都アムステルダムやこの日のスタート地点ロッテルダムの名前についている「ダム」は堤防の意味。オランダと堤防の間には切っても切れない関係がある。
1953年、北海沿岸を大洪水が襲った。被害に遭ったのはイギリスやベルギー、そしてオランダ。中でも「低地の国」オランダは2000人近くの死者を出す未曾有の大惨事に見舞われた。オランダ政府はその大洪水を期に、大規模な堤防建設による洪水防止に取り組むことになる。
そこで作られたのが、北海と内海を完全に仕切る大規模な堤防だ。スヘルデ川の三角州を取り囲むようにして水をせき止め、外海から進入する水量を調整することによって洪水を防いでいる。現に、堤防完成後は大きな洪水が発生していないと言う。選手たちが通ったのは、そんなオランダを守る重要な堤防なのだ。
レース展開的に、堤防で大きな事件は起こらなかった。今大会最初のトラップをクリアした選手たちは胸を撫で下ろしていることだろう。オランダの歴史を詳しく、情熱的に話してくれた観客たちの波に飲まれるようにして、ブリュッセルのゴール地点に向かった。
text&photo:Kei Tsuji
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