2010/06/03(木) - 14:15
いま、この原稿にようやく取りかかることができた。時間は23時50分。何かをしていたわけではないが、ようやくネット環境が整った場所で、自分のラップトップと向き合うことができている。
ここ数日、インドネシアで過ごしてきて、この土地をとても魅力的に感じている。現地の人はみんなフレンドリーで、すでに何度助けられたかわからないくらい。しかし、オンタイムの仕事をするのが、こんなにも難しいとは、渡航前に予想していなかった。
日本をはじめ、ヨーロッパのレース会場では、必ずと言っていいほど、プレスにはインターネット回線が用意される。それが当たり前だと思っていた私の認識が甘かったわけだけど、写真を送信できる“そこそこ”速い回線が、インドネシアにはまだ浸透していないのだ。
さらに私を困らせているのが、プレスの“集団行動”。会社のような組織に馴染めないフリーランスの私にとって、集団行動ほど苦手なものはない。ここでは4〜5人のプレスに対して、運転手、プレスオフィサー付きのクルマが用意されているわけだけど、レース会場に行く時間も自分で決められないし、レース後にチームのホテルに行きたい、インターネットの使えるホテルに行きたい、というときは、必ず誰かを巻き込まないと動けない……こんなにも窮屈な取材は今まで経験したことがない。そんな環境に翻弄されていると、あっという間に時間が過ぎ去っていく。
そもそも、今日はカメラバイクを交渉することから始まった。カメラバイクは台数に制限があるため、主催者が誰がいつバイクに乗るかというスケジュールを組み、第2ステージの前にリストが私の元にやってきた。それを見ると地元のメディアは毎日カメラバイクに乗れて、外からのメディアは大会中1回か2回という状況。
それ以外はクルマで動くわけだが、自分で運転出来ないし、GPSもコースマップすら積んでいないクルマに乗っても、写真を撮ることは不可能に近い。つまり、写真を撮るにはバイクに乗るしか方法はない。この状況をどうにか変えられないかと主催者に交渉しても「NO!」の一点張り。どうしようかと、現地のメディアに相談すると「心配いらないよ! だって、このリストにあるメディアのほとんどがいまここにいないからね」。一気に、拍子抜けしてしまった。
前置きがとても長くなってしまったけど、こうして無事に迎えた第2ステージ。定刻の9時を10分くらい過ぎたところで、スタートフラッグが振られた。今日は、午前中の2Aステージと午後の2Bステージ、どちらもロードレースだが、100km弱のレースを2回走るスケジュールになっている。
まずは平坦基調のステージだ。チームは午後のレースに備えながらも、集団の前方に位置し、危険なアタックにはすぐさま反応する。何度も集団からアタックがかかるが、決定的な逃げは最後まで決まらず集団のままゴールを迎えた。
ここでのトラブルは、ゴール手前での道幅が狭すぎたこと。2車線の道路で、道幅は5m程度しかない。「最後は砂埃もあったし、カーブも多かった。コースがまともに見えない状況のうえ、狭い道では危なくてスプリントをしかけることができませんでした。この順位は、スプリントをしないでそのまま先頭からゴールしたって感じですね」と、愛三工業レーシングチームの選手たちは振り返る。
昼食を兼ねた3時間程度の空き時間を思い思いにのんびり過ごし、迎えた2Bステージは、上りゴールが設定された山岳コースで、午前中で脚を貯めていた選手たちの力が一気に爆発する。そしてトップでゴールにやってきたのは、下馬評どおりイランの2チームの選手たちだった。
愛三チームにとっては、最後の標高差約500mの坂が、予想していたものよりも緩かったことが心残り。坂の手前で、愛三チームが集団の先頭で列車を組んで、集団をコントロールし、スピードを上げて、坂で勝負する人数をふるい落とそうとした。しかし結果的に緩い登坂だったため、後ろに回って最後までアシスト選手を残したほうがよかったのかもしれない、と田中監督は話す。
エースの鈴木謙一は、トップから42秒遅れの8位でフィニッシュ。イランがかけたアタックに反応したが、4〜5人のイラン人選手は平地でアタックをかけるようなものすごいスピードで加速していく。それには無理についていかず、マイペースで上っていくと、前をいくイランとの距離がしだいに近づいてくる。しかし、イランはそこで再加速。脚の差を痛感する結果となった。好調の別府匠は鈴木から送れること2秒、10位でフィニッシュした。
現段階での総合成績は、鈴木が1分48秒差の13位、別府が1分55秒差の15位。宿泊先に向かう途中で明日のコースを下見した選手たち。20%はあろうかという急傾斜のカーブが44つも続く厳しい山岳コースに、驚きを隠せないが、タイム差が広がった分、マークされにくいという意見もある。厳しい山岳では地脚が問われる勝負となる。このタイム差をどこまで挽回できるか……愛三チームの走りを追っていこう。
text&photo:Sonoko Tanaka
ここ数日、インドネシアで過ごしてきて、この土地をとても魅力的に感じている。現地の人はみんなフレンドリーで、すでに何度助けられたかわからないくらい。しかし、オンタイムの仕事をするのが、こんなにも難しいとは、渡航前に予想していなかった。
日本をはじめ、ヨーロッパのレース会場では、必ずと言っていいほど、プレスにはインターネット回線が用意される。それが当たり前だと思っていた私の認識が甘かったわけだけど、写真を送信できる“そこそこ”速い回線が、インドネシアにはまだ浸透していないのだ。
さらに私を困らせているのが、プレスの“集団行動”。会社のような組織に馴染めないフリーランスの私にとって、集団行動ほど苦手なものはない。ここでは4〜5人のプレスに対して、運転手、プレスオフィサー付きのクルマが用意されているわけだけど、レース会場に行く時間も自分で決められないし、レース後にチームのホテルに行きたい、インターネットの使えるホテルに行きたい、というときは、必ず誰かを巻き込まないと動けない……こんなにも窮屈な取材は今まで経験したことがない。そんな環境に翻弄されていると、あっという間に時間が過ぎ去っていく。
そもそも、今日はカメラバイクを交渉することから始まった。カメラバイクは台数に制限があるため、主催者が誰がいつバイクに乗るかというスケジュールを組み、第2ステージの前にリストが私の元にやってきた。それを見ると地元のメディアは毎日カメラバイクに乗れて、外からのメディアは大会中1回か2回という状況。
それ以外はクルマで動くわけだが、自分で運転出来ないし、GPSもコースマップすら積んでいないクルマに乗っても、写真を撮ることは不可能に近い。つまり、写真を撮るにはバイクに乗るしか方法はない。この状況をどうにか変えられないかと主催者に交渉しても「NO!」の一点張り。どうしようかと、現地のメディアに相談すると「心配いらないよ! だって、このリストにあるメディアのほとんどがいまここにいないからね」。一気に、拍子抜けしてしまった。
前置きがとても長くなってしまったけど、こうして無事に迎えた第2ステージ。定刻の9時を10分くらい過ぎたところで、スタートフラッグが振られた。今日は、午前中の2Aステージと午後の2Bステージ、どちらもロードレースだが、100km弱のレースを2回走るスケジュールになっている。
まずは平坦基調のステージだ。チームは午後のレースに備えながらも、集団の前方に位置し、危険なアタックにはすぐさま反応する。何度も集団からアタックがかかるが、決定的な逃げは最後まで決まらず集団のままゴールを迎えた。
ここでのトラブルは、ゴール手前での道幅が狭すぎたこと。2車線の道路で、道幅は5m程度しかない。「最後は砂埃もあったし、カーブも多かった。コースがまともに見えない状況のうえ、狭い道では危なくてスプリントをしかけることができませんでした。この順位は、スプリントをしないでそのまま先頭からゴールしたって感じですね」と、愛三工業レーシングチームの選手たちは振り返る。
昼食を兼ねた3時間程度の空き時間を思い思いにのんびり過ごし、迎えた2Bステージは、上りゴールが設定された山岳コースで、午前中で脚を貯めていた選手たちの力が一気に爆発する。そしてトップでゴールにやってきたのは、下馬評どおりイランの2チームの選手たちだった。
愛三チームにとっては、最後の標高差約500mの坂が、予想していたものよりも緩かったことが心残り。坂の手前で、愛三チームが集団の先頭で列車を組んで、集団をコントロールし、スピードを上げて、坂で勝負する人数をふるい落とそうとした。しかし結果的に緩い登坂だったため、後ろに回って最後までアシスト選手を残したほうがよかったのかもしれない、と田中監督は話す。
エースの鈴木謙一は、トップから42秒遅れの8位でフィニッシュ。イランがかけたアタックに反応したが、4〜5人のイラン人選手は平地でアタックをかけるようなものすごいスピードで加速していく。それには無理についていかず、マイペースで上っていくと、前をいくイランとの距離がしだいに近づいてくる。しかし、イランはそこで再加速。脚の差を痛感する結果となった。好調の別府匠は鈴木から送れること2秒、10位でフィニッシュした。
現段階での総合成績は、鈴木が1分48秒差の13位、別府が1分55秒差の15位。宿泊先に向かう途中で明日のコースを下見した選手たち。20%はあろうかという急傾斜のカーブが44つも続く厳しい山岳コースに、驚きを隠せないが、タイム差が広がった分、マークされにくいという意見もある。厳しい山岳では地脚が問われる勝負となる。このタイム差をどこまで挽回できるか……愛三チームの走りを追っていこう。
text&photo:Sonoko Tanaka
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