2021/01/07(木) - 12:08
昨年10月に発表された中根英登のEFエデュケーション・NIPPOへの加入は、何もかもが異例ずくめで暗いニュースの多かった2020年にあって数少ない明るい話題だった。下位カテゴリーからステップアップしてワールドチームにたどり着いた中根にオンンラインで話を聞いた。(インタビュー日時:2020年12月28日)
12月、中根英登は日本国内で2021年に向けてのスタートを切った。
「EF(エデュケーション・NIPPO)のコーチと練習メニューをやり取りしていますけれど、まだ実感がないですね。通常なら年内に2回はチームキャンプで集まって寝食を共にするので」
例年なら日本にいない時期だが、チームキャンプの予定は全くなく、1月にフランスのレースに出場するメンバーがミニキャンプをする予定のみ。チームの全員が集まる予定は今のところなく、顔合わせが無いまま2021年シーズンを迎えそうだという。
「もしかしたら、一度も顔を合わせることがないチームメイトやスタッフがいるかもしれません。新たに使う自転車は送られてきたんですが、今年は異例ですね」
コロナ禍の影響はオフシーズンも直撃している。
ワールドツアーのレースでポイント獲得し、成長を実感
中根に前回インタビューしたのは、一時帰国中の2020年5月。世界中のレースカレンダーがストップし、日本でも緊急事態宣言が出されている最中だった。その後、UCI(国際自転車競技連合)は、7月からのレース再開を宣言。NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスの拠点のあるフランスの入国制限が7月1日から緩和されるタイミングに合わせ、中根はチームメイトの岡篤志や石上優大と共にフランスに渡った。
「渡航後は隔離期間を取らずに済んだので、すぐにトレーニングキャンプ地に移動してクライマー系とスプリンター系に分かれて練習していました。その時にレーススケジュールを決めたのですが、予定されていたレースが無くなったりしてコロコロ変わっていました」
コロナ禍の影響が続く中、中根は7月下旬にルーマニアのステージレース「シブ・サイクリングツアー(UCI2.1)」で2020年シーズンを再開。8月初頭にはフランスのステージレース「ツール・ド・ラン(UCI2.1)」に出場。ワールドチームも多数出場したレースで自信を深めた。
「ツール・ド・フランス直前のレースで、ユンボ・ヴィズマとかイネオスとか、ほぼ1軍が来てました。初日のステージはアンドレア・バジオーリ(ドゥクーニンク・クイックステップ)が優勝して、プリモシュ・ログリッチ(ユンボ・ヴィズマ)が2位になったレースだったのですが、そこで40人くらいに割れたレースで22位に入りました。ツール前の最後の調整として仕上がった状態で来ていたワールドチームの選手達の中で、上位に入れたことは自信になりましたね」
8月下旬には、ワールドツアーのブルターニュ・クラシック(UCI1.UWT)に出場。終盤にメカトラなどで遅れてしまったものの、55位に入ってUCIポイントを獲得した。このレースにはバーレーン・メリダの新城幸也も出場していて、トップから5秒遅れの集団で30位フィニッシュしている。トラブルがなければ中根も同じくらいに行けたのではないかと思わずにいられない結果だ。
「『たら・れば』になってしまいますが、トラブルがなければもっと上の順位になったかもしれないし、同じような順位だったかもしれません。僕の大嫌いな低温でレース前半雨だったというのもありましたけれど、なんとか耐え凌げていました。新城選手と同じくらいでフィニッシュ出来ていれば良かったんですが。
でも、ブルターニュもヨーロッパ選手権直前のレースで、トップコンディションの選手がたくさんいる中でポイントを獲得出来ましたから、自分自身ちゃんと成長してるなという実感がありましたね」
2020年初頭のツール・ド・ランカウィでステージ優勝し、幸先の良さを感じていた中根。レースが中断され、トレーニングするにも制限があった期間を経ても、好調は変わらなかった。
「日本はヨーロッパのような強制力のあるロックダウンではなかったからまだマシでしたね。最低限の練習は出来ていたので、レース再開後も調子が落ちたりギャップを感じることはありませんでした。家族と過ごせて充電出来たことも良かったのかもしれません」
経験に裏付けられた自信「トップコンディションに持ってきてうまくハマれば勝負できる」
中根の話を聞いていると、裏づけのある自信をひしひしと感じる。それはこれまで積み重ねてきた経験からくるものだろう。
「2019年はアルゼンチンのレース(ブエルタ・ア・サン・ユアン・インターナショナル UCI2.1)で、ジュリアン・アラフィリップ(ドゥクーニンク・クイックステップ)が優勝してペーター・サガン(ボーラ・ハンスグローエ)が3位のステージで10位に入れたし、コロンビア(UCI2.1)ではステージ5位に入っていたので、トップコンディションに持ってきてうまくハマれば勝負できる実感はありました。事故や食中毒でシーズン中盤に発揮できなかったのは残念でしたが、ジャパンカップでそれを出せたので、良い感触は掴めていました」
レースによってはエースを任されることもあるが、ヨーロッパでのレースは基本的にアシストとしてチームオーダーをこなす。
「近年はレースを追うごとにアシストとして重要な役割もこなせるようになったし、ボトル運びで終わることの方が少なくなりました。もちろん、ボトル運びも重要な仕事ですけれど」
ヨーロッパでトップ10に入り、UCIポイントを獲得すること...それは中根が掲げてきた目標だ。しかしそれは、チームから与えられた仕事をこなした上でのこと。2020年は例年以上に厳しいレースが多かったが、その中でも自信を深めることが出来たという。
「どのカテゴリーもレースが無かった分、みんな早く結果を出して翌年の契約を勝ち取らねばならない状態だったので、どのレースも激しかったですね。1クラスのレースにワールドチームはいても1チームだったのが、2020年は5、6チームいるのは普通で、多い時には8チームもいました。チームメイトとはクラスなんて関係無いな、と話していましたね」
「五輪よりも、ワールドツアーでポイントを取れたことにホッとした」
ブルターニュクラシックでUCIポイントを獲得したことで、東京五輪代表選考ランキング2位に浮上した中根。五輪に出たいという気持ちはずっと持っていたが、ヨーロッパのレースで結果を出せばそれはおのずとついてくる...そうでなければ「五輪でも結果は出せない」と考えている。
「ブルターニュでポイントを取れた時は、五輪に出られるというよりも、純粋にヨーロッパのワールドツアーでポイントを取れたことにホッとしました。2019年はワールドツアーのツアー・オブ・ターキー(UCI2.UWT)でポイントを取ったけれど、ワールドチームが少なかったし、今年のようにトップコンディションの選手が揃ったレースでポイントを取れたことは、五輪どうこうよりも成長できたなとまず思いましたね」
中根は9月中旬に開催される「ジロ・デッラ・トスカーナ(UCI1.1)」と、その前後に連続して開催されるイタリアでのワンデーレースに出場するつもりでいた。ジロ・デッラ・トスカーナでは、2018年、2019年と連続してUCIポイントを獲得している。
「だから、2020年もポイントを取るつもりで、『エースで走らせてくれ』ぐらいの勢いでチームに話していたんです。コーチと話し合って、その9月のイタリア連戦でも結果を出すためにトレーニングをしていて、調子はものすごく良いタイミングでした。でもどれも出走は出来ず、最終的に五輪代表も逃してしまったのはとても残念でしたね」
「自分の人生に必要なことを選んで、そこでしっかり頑張れば結果がついてくる」
10月、スペインでの最終戦を終えてすぐに帰国した中根。自主隔離期間中の17日、デジタルジャパンカップの日の朝に、2021年EFプロサイクリング(後にEFエデュケーション・NIPPOとなる)への加入が発表された。
近年のカテゴリー分けになってから、コンチネンタルチーム、プロコンチネンタルチーム(プロチーム)と、段階を踏んでワールドチームにたどり着いた日本人選手の例はまだ少ない。中根自身「ゆっくりではあるけれど、ステップアップ出来た」ことを自負する。
自転車ロードレースの本場であるヨーロッパで選手として活躍するには、若いうちからヨーロッパに行くべきというのは、もう何十年も言われていること。中根のように大学を出てからでは遅いとも言われてきたが、「それは、その人の適性にもよると思います」と話す。
「トレーニングに関しては必ずしも早くからヨーロッパに行く必要はなくて、良いコーチの指導を受けて日本で練習することも出来ます。でもレース経験を積むならヨーロッパに行かねばならない。残念だけれど、日本だけでやっていたら世界の上のレベルにいくことは無理で、それは日本とヨーロッパの両方のレースを走って肌で感じています」
「僕自身、大学時代にコンチネンタルチーム時代のNIPPOでヨーロッパのレースを経験して、まったく違う世界だと感じました。でも愛三工業レーシングチームに移籍してアジアツアーを転戦させてもらって自信を取り戻し、ヨーロッパに再挑戦しました。だから、わからないですよね。ヨーロッパに行って成功するかってのはまた別の話だと思うし」
ヨーロッパで走るにはいくつかの手段があるが、その中でも日本企業のNIPPOがサポートするチームは中根にとって最良の環境だったと言う。
「ヨーロッパで長期滞在してレースに参戦するのは、私生活もふくめかなりハードルが高いことです。今でも大変だと感じることは多々ありますし、それを乗り越えていかねばならない。そこはNIPPOのサポートがあったことで僕の成長の後押しになったと思います」
NIPPOのチームは選手だけでなく、日本人スタッフの育成も積極的だ。それも中根にとっては良かった。
「レースによってはスタッフも含め日本人は僕1人ということは多々あるし、僕1人では何も出来ないということは無いけれど、たまにレースやキャンプで一緒になって母国語が使えるというのは精神的に救われていた気がします。長いシーズンの中でリラックスすることが出来ていたのかなと今思うことはありますね」と、振り返る。
その上で、これからチャレンジしようとする若者にはこうアドバイスする。
「頑張れば誰にでもチャンスはあることを、若い子には知っていてもらいたいです。高校を卒業してすぐにヨーロッパに行く子もいるけど、大学に行ったらその先は無いというわけではない。自分の今後の人生にとって必要なことを自分で選んで、そこでしっかり頑張れば結果がついてくると思います」
「これまでと変わらずに」
中根は渡欧後の拠点をスペインのジローナにする予定だ。ジローナにはチームの拠点がある。
「これまでと変わらずに、チームにしっかり認めてもらえるように、与えられた仕事をやり切りたい。自分にチャンスが回ってきた時にちゃんと掴めるような準備も常にしていきたいです」と、2021年の目標を語る中根に「出たいレースはある?」と聞くと、自信に満ちた答えが返ってきた。
「特に無いと言うと、もの凄く冷めている感じに聞こえてしまうかもしれませんが、レースカテゴリーに関係無く選んでもらったレースでしっかり仕事をしていきたいです」
text:Satoru Kato
12月、中根英登は日本国内で2021年に向けてのスタートを切った。
「EF(エデュケーション・NIPPO)のコーチと練習メニューをやり取りしていますけれど、まだ実感がないですね。通常なら年内に2回はチームキャンプで集まって寝食を共にするので」
例年なら日本にいない時期だが、チームキャンプの予定は全くなく、1月にフランスのレースに出場するメンバーがミニキャンプをする予定のみ。チームの全員が集まる予定は今のところなく、顔合わせが無いまま2021年シーズンを迎えそうだという。
「もしかしたら、一度も顔を合わせることがないチームメイトやスタッフがいるかもしれません。新たに使う自転車は送られてきたんですが、今年は異例ですね」
コロナ禍の影響はオフシーズンも直撃している。
ワールドツアーのレースでポイント獲得し、成長を実感
中根に前回インタビューしたのは、一時帰国中の2020年5月。世界中のレースカレンダーがストップし、日本でも緊急事態宣言が出されている最中だった。その後、UCI(国際自転車競技連合)は、7月からのレース再開を宣言。NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスの拠点のあるフランスの入国制限が7月1日から緩和されるタイミングに合わせ、中根はチームメイトの岡篤志や石上優大と共にフランスに渡った。
「渡航後は隔離期間を取らずに済んだので、すぐにトレーニングキャンプ地に移動してクライマー系とスプリンター系に分かれて練習していました。その時にレーススケジュールを決めたのですが、予定されていたレースが無くなったりしてコロコロ変わっていました」
コロナ禍の影響が続く中、中根は7月下旬にルーマニアのステージレース「シブ・サイクリングツアー(UCI2.1)」で2020年シーズンを再開。8月初頭にはフランスのステージレース「ツール・ド・ラン(UCI2.1)」に出場。ワールドチームも多数出場したレースで自信を深めた。
「ツール・ド・フランス直前のレースで、ユンボ・ヴィズマとかイネオスとか、ほぼ1軍が来てました。初日のステージはアンドレア・バジオーリ(ドゥクーニンク・クイックステップ)が優勝して、プリモシュ・ログリッチ(ユンボ・ヴィズマ)が2位になったレースだったのですが、そこで40人くらいに割れたレースで22位に入りました。ツール前の最後の調整として仕上がった状態で来ていたワールドチームの選手達の中で、上位に入れたことは自信になりましたね」
8月下旬には、ワールドツアーのブルターニュ・クラシック(UCI1.UWT)に出場。終盤にメカトラなどで遅れてしまったものの、55位に入ってUCIポイントを獲得した。このレースにはバーレーン・メリダの新城幸也も出場していて、トップから5秒遅れの集団で30位フィニッシュしている。トラブルがなければ中根も同じくらいに行けたのではないかと思わずにいられない結果だ。
「『たら・れば』になってしまいますが、トラブルがなければもっと上の順位になったかもしれないし、同じような順位だったかもしれません。僕の大嫌いな低温でレース前半雨だったというのもありましたけれど、なんとか耐え凌げていました。新城選手と同じくらいでフィニッシュ出来ていれば良かったんですが。
でも、ブルターニュもヨーロッパ選手権直前のレースで、トップコンディションの選手がたくさんいる中でポイントを獲得出来ましたから、自分自身ちゃんと成長してるなという実感がありましたね」
2020年初頭のツール・ド・ランカウィでステージ優勝し、幸先の良さを感じていた中根。レースが中断され、トレーニングするにも制限があった期間を経ても、好調は変わらなかった。
「日本はヨーロッパのような強制力のあるロックダウンではなかったからまだマシでしたね。最低限の練習は出来ていたので、レース再開後も調子が落ちたりギャップを感じることはありませんでした。家族と過ごせて充電出来たことも良かったのかもしれません」
経験に裏付けられた自信「トップコンディションに持ってきてうまくハマれば勝負できる」
中根の話を聞いていると、裏づけのある自信をひしひしと感じる。それはこれまで積み重ねてきた経験からくるものだろう。
「2019年はアルゼンチンのレース(ブエルタ・ア・サン・ユアン・インターナショナル UCI2.1)で、ジュリアン・アラフィリップ(ドゥクーニンク・クイックステップ)が優勝してペーター・サガン(ボーラ・ハンスグローエ)が3位のステージで10位に入れたし、コロンビア(UCI2.1)ではステージ5位に入っていたので、トップコンディションに持ってきてうまくハマれば勝負できる実感はありました。事故や食中毒でシーズン中盤に発揮できなかったのは残念でしたが、ジャパンカップでそれを出せたので、良い感触は掴めていました」
レースによってはエースを任されることもあるが、ヨーロッパでのレースは基本的にアシストとしてチームオーダーをこなす。
「近年はレースを追うごとにアシストとして重要な役割もこなせるようになったし、ボトル運びで終わることの方が少なくなりました。もちろん、ボトル運びも重要な仕事ですけれど」
ヨーロッパでトップ10に入り、UCIポイントを獲得すること...それは中根が掲げてきた目標だ。しかしそれは、チームから与えられた仕事をこなした上でのこと。2020年は例年以上に厳しいレースが多かったが、その中でも自信を深めることが出来たという。
「どのカテゴリーもレースが無かった分、みんな早く結果を出して翌年の契約を勝ち取らねばならない状態だったので、どのレースも激しかったですね。1クラスのレースにワールドチームはいても1チームだったのが、2020年は5、6チームいるのは普通で、多い時には8チームもいました。チームメイトとはクラスなんて関係無いな、と話していましたね」
「五輪よりも、ワールドツアーでポイントを取れたことにホッとした」
ブルターニュクラシックでUCIポイントを獲得したことで、東京五輪代表選考ランキング2位に浮上した中根。五輪に出たいという気持ちはずっと持っていたが、ヨーロッパのレースで結果を出せばそれはおのずとついてくる...そうでなければ「五輪でも結果は出せない」と考えている。
「ブルターニュでポイントを取れた時は、五輪に出られるというよりも、純粋にヨーロッパのワールドツアーでポイントを取れたことにホッとしました。2019年はワールドツアーのツアー・オブ・ターキー(UCI2.UWT)でポイントを取ったけれど、ワールドチームが少なかったし、今年のようにトップコンディションの選手が揃ったレースでポイントを取れたことは、五輪どうこうよりも成長できたなとまず思いましたね」
中根は9月中旬に開催される「ジロ・デッラ・トスカーナ(UCI1.1)」と、その前後に連続して開催されるイタリアでのワンデーレースに出場するつもりでいた。ジロ・デッラ・トスカーナでは、2018年、2019年と連続してUCIポイントを獲得している。
「だから、2020年もポイントを取るつもりで、『エースで走らせてくれ』ぐらいの勢いでチームに話していたんです。コーチと話し合って、その9月のイタリア連戦でも結果を出すためにトレーニングをしていて、調子はものすごく良いタイミングでした。でもどれも出走は出来ず、最終的に五輪代表も逃してしまったのはとても残念でしたね」
「自分の人生に必要なことを選んで、そこでしっかり頑張れば結果がついてくる」
10月、スペインでの最終戦を終えてすぐに帰国した中根。自主隔離期間中の17日、デジタルジャパンカップの日の朝に、2021年EFプロサイクリング(後にEFエデュケーション・NIPPOとなる)への加入が発表された。
近年のカテゴリー分けになってから、コンチネンタルチーム、プロコンチネンタルチーム(プロチーム)と、段階を踏んでワールドチームにたどり着いた日本人選手の例はまだ少ない。中根自身「ゆっくりではあるけれど、ステップアップ出来た」ことを自負する。
自転車ロードレースの本場であるヨーロッパで選手として活躍するには、若いうちからヨーロッパに行くべきというのは、もう何十年も言われていること。中根のように大学を出てからでは遅いとも言われてきたが、「それは、その人の適性にもよると思います」と話す。
「トレーニングに関しては必ずしも早くからヨーロッパに行く必要はなくて、良いコーチの指導を受けて日本で練習することも出来ます。でもレース経験を積むならヨーロッパに行かねばならない。残念だけれど、日本だけでやっていたら世界の上のレベルにいくことは無理で、それは日本とヨーロッパの両方のレースを走って肌で感じています」
「僕自身、大学時代にコンチネンタルチーム時代のNIPPOでヨーロッパのレースを経験して、まったく違う世界だと感じました。でも愛三工業レーシングチームに移籍してアジアツアーを転戦させてもらって自信を取り戻し、ヨーロッパに再挑戦しました。だから、わからないですよね。ヨーロッパに行って成功するかってのはまた別の話だと思うし」
ヨーロッパで走るにはいくつかの手段があるが、その中でも日本企業のNIPPOがサポートするチームは中根にとって最良の環境だったと言う。
「ヨーロッパで長期滞在してレースに参戦するのは、私生活もふくめかなりハードルが高いことです。今でも大変だと感じることは多々ありますし、それを乗り越えていかねばならない。そこはNIPPOのサポートがあったことで僕の成長の後押しになったと思います」
NIPPOのチームは選手だけでなく、日本人スタッフの育成も積極的だ。それも中根にとっては良かった。
「レースによってはスタッフも含め日本人は僕1人ということは多々あるし、僕1人では何も出来ないということは無いけれど、たまにレースやキャンプで一緒になって母国語が使えるというのは精神的に救われていた気がします。長いシーズンの中でリラックスすることが出来ていたのかなと今思うことはありますね」と、振り返る。
その上で、これからチャレンジしようとする若者にはこうアドバイスする。
「頑張れば誰にでもチャンスはあることを、若い子には知っていてもらいたいです。高校を卒業してすぐにヨーロッパに行く子もいるけど、大学に行ったらその先は無いというわけではない。自分の今後の人生にとって必要なことを自分で選んで、そこでしっかり頑張れば結果がついてくると思います」
「これまでと変わらずに」
中根は渡欧後の拠点をスペインのジローナにする予定だ。ジローナにはチームの拠点がある。
「これまでと変わらずに、チームにしっかり認めてもらえるように、与えられた仕事をやり切りたい。自分にチャンスが回ってきた時にちゃんと掴めるような準備も常にしていきたいです」と、2021年の目標を語る中根に「出たいレースはある?」と聞くと、自信に満ちた答えが返ってきた。
「特に無いと言うと、もの凄く冷めている感じに聞こえてしまうかもしれませんが、レースカテゴリーに関係無く選んでもらったレースでしっかり仕事をしていきたいです」
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