2020/08/29(土) - 18:20
ニースでの開幕にこぎつけたツール・ド・フランスだが、フランス全土のcovid-19感染拡大が止まらず、危機に直面しながらのスタートになる。チームプレゼンテーションと全チームのオンライン記者会見を実施しグランデパールを待つばかり。不安定な様子を現地からお伝えする。
まずこのツール・ド・フランス取材のための渡仏の行程から記したいと思う。新型コロナウィルスによるパンデミック下において、ツール・ド・フランス主催者A.S.Oは、最大限の感染拡大対策を施した上で、元の6月下旬開催から延期した8月29日にスタートする新日程でのツールの開催に踏み切った。
フランスは4月にロックダウンを経験。いったん収束する気配を見せたが、ここへ来て再び感染拡大が起こっている。私がこのツールの現地での取材、つまり渡仏を最終的に決めたのが10日ほど前。不要不急の渡航の自粛が呼びかけられるもフランスへの旅行自体は禁止されておらず、入国に際してのPCR検査の必要はなかった。しかしツール主催者側からの提示条件として、ツールへの到着5日前以内に受けたPCR検査の結果「陰性証明証」の提示が、現地でのプレス登録受理の必須条件とされた。
日本ではPCR検査を受けること自体に障壁が多く、今だに何時でも誰でも自由に検査が受けられる状況ではない。しかし仕事などで渡航する人のための検査と診断証明書の発行を行ってくれる病院はあり、需要に対して対応できる機関数が少ないために混んではいたものの、自費(約45,000円)での検査を受けて期限内の日に陰性証明証も発行してもらうことができ、渡仏に際して持参することができた。
ちなみにこの都内の民間クリニックは新城幸也(バーレーン・マクラーレン)もレース再開にあたって欧州に戻る際に同目的で受診したクリニックとのことで、偶然ではなく、それだけ数が限られているということ。私が居住する埼玉県の居住地近隣では、日数等の条件によって受診できる病院が見つからなかった。
渡航における旅の模様も記すと、成田空港北ウイングからフランスに出発。フライト案内の電光掲示板を見れば並ぶのは「キャンセル」の赤字表示ばかりで、なんとその日は一日5便しか飛ばないという状況だった。搭乗したのはアムステルダム経由・パリ行きのエールフランスとKLMの共同運行便。機内はガラガラで、乗客は20人ほどしか乗っていなかった。そんな状況でもジャンボ機が飛ぶことに驚かされた。機内では常時マスク着用。
アムステルダム〜パリ経由でニースに到着。入国自体に何も難しいことはなかった。市内のペルマナンス(大会本部)でのプレス登録も、PCR陰性証明書の提示ですんなりとできた。
しかし、事前に提示されていた取材時の制約は多くて厳しい。チームパドック(スタート前後のチームバスエリア)への立入禁止、一部(5人ほど)のフォトグラファーを除いてスタート&フィニッシュの撮影不可。レース終了後の選手はTVミックスゾーンでのインタビュー対応に限られ、それ以外は原則としてオンラインでの接触無しのビデオ記者会見、チーム宿泊ホテルの訪問規制もあり、今回のツール取材の難易度はかつてない高さ。日本人の私の場合は帰国後の公共交通機関での移動禁止・自宅やホテルなどで2週間の待機という条件もハードルを上げる。ちなみにメディア関係者の人数は例年の30%減とのこと。
ASOからの今年の特別な取材規定では、取材時の行動の制限や禁則が事細かに記されている。選手、チーム関係者、主催関係者を「レースバブル(泡)」と呼び、近づかないことで守ることを最優先するという通達。チーム関係者はコンパクトに30名以内に制限され、期間中は家族などと接触しないこともルール。メディアなどツールに従事する関係者はあくまでその外に位置する。レースバブルから感染者を出さないことがツールの存続を可能にするのだ。
開幕前の2日間、8月27、28日にかけてタイムテーブルに沿って順次行われたチームの記者会見は、すべて感染防止のためオンライン形式に。チームのホテルに設置されたブースとプレスセンターをビデオカメラでつないで行われた。チームによってはビデオの向こうでも周囲に配慮し、マスクを外さない念の入れよう。何とも不思議な感覚だったが、今までの取材陣がそれぞれお目当ての選手に殺到しての「押し合いへし合いのタックル取材」より、しっかりと話が聞けて良い面も。しかし対応選手はおのずと限られた。
27日の夜、ニース中心部のマセナ公園で開催されたチームプレゼンテーションは、当初は「オンラインで閲覧を」と案内されていたが、会場入りして撮影することは出来た。この日のパドック立入禁止のルールはなかったためパレード拠点の選手エリアに近づいてみるが、やはりエリア制限の警備は行き届いており、メディアの行動範囲はしっかりと制限されていると感じた。
プレゼン会場には観客のために1,000席が用意されたが、前後左右に間隔を取り、密を避けるための配慮がされていた。しかし隣り合って座る観客は多く、行き帰りのトラムの利用時にも混雑した状況が見受けられ、うまく人混みを抑制できているとは言い難かった面も感じた。
状況が良くないのは、今がフランスでの感染者数が最多だった4月に迫り、超える勢いだということ。なかでもパリとマルセイユが高感染リスク地域となり、ロックダウン(都市封鎖)措置のさなかだった4月20日以降で2,000人を超えたのが8月16日のこと。以降は倍々の勢いで、25日で3,304人、26日は5,429人、27日は6,111人、そして28日はなんと7,379人と、感染拡大が止まらない。
ツール第17ステージのプロフィールマップに似ていた感染者数の増減推移カーブは、そのピークを高めつつある。そしてプレゼンが開催された日、ニースを含むアルプ=マリティム県がコロナ感染拡大の「レッドゾーン」に指定されたのだ。これにより新たな県令が出され、第1、第2ステージは沿道での観戦を制限するため、山岳一帯への観客の自動車に乗っての侵入が禁止になり、徒歩か自転車で、マスクを着けている人のみが観戦できることになった。
レッドゾーンに入ったことで対応はさらに厳しくなる気配だが、第1ステージからのレース現場の制限がどう変化するかは当日にならないと分からないことが多いようだ。しかしスタートやフィニッシュエリアへの観客の流入も大きく制限されるのは必至だ。大会側から観客には、2020をもじって、「2=2m以上距離を取る」「0=選手にサインを求めない」「2=ジェルとマスクの2つで自衛を」「0=セルフィーゼロ」を呼びかけている。
しかし、クリテリウムドーフィネなど他のレースの様子から推し量ると、おそらくは沿道で観戦したいという人はそれなりに多いことが容易に想像できる。ペテル・サガン(ボーラ・ハンスグローエ)はファンに対し、沿道ではなくテレビで観戦することを呼びかけるメッセージを発した。サガンらボーラ・ハンスグローエの選手と関係者は「Bonjour Bonjour Le Tour(こんにちは、ツール)」とメッセージを書いたマスクを装着して、フランスのファンたちに声をかけることの代わりとしている。
このツールには特別医療班による「モバイルラボ」が帯同する。「レースバブル」内の選手、スタッフ、大会関係者のPCR検査を随時行うことができ、体調不良など感染が疑われる人が出た場合、遠隔地の病院を頼ることなくその場で検査し、結果を得ることができる。当初、クリテリウムドーフィネ以降のUCIからの内々のお達しによりチーム関係者から7日間で2名の陽性の疑いがある人が出るとチームはレースから除外されるというルールが出来たが、チーム側が厳しすぎるとこれに反発。UCIとの調整の末「選手から2名の〜」と変更された。
PCR検査は結果が出ることに時間がかかることや、偽陽性や再検査の問題もつきまとうが、モバイルラボがあることで迅速な対応が可能。しかし再検査の結果が翌日のスタート前までに間に合わないと言った場合は出走が認められないという断固たる姿勢を崩さない。
開幕前日夜のフォトグラファーミーティングも、撮り方やレースのセーフティ面の話以上に感染拡大防止に対する注意喚起に重点が置かれたものになった。著しく撮影機会が制限され、選手との接触も制限、距離をとったうえでの行動を遵守するように求められた。スタートしたとしても、3週間後にパリに到達することが疑問視されている状況。選手やチーム関係者同様、帯同中の家族との接触や外部の人との会食なども制限するように求められた。
「2m以上の十分な距離を取ること。スタート前に選手を引き止めたり、近づいて撮影しないこと。数人のフォトグラファーでもローテーションによって譲り合うこと。限られた一人であっても、守れない人は即刻除外する。選手、スタッフ、関係者すべてがそれぞれの仕事を果たすため、今はパーティのときじゃないことを肝に銘じてほしい。ツールを途中で終わらせないために」と、レースディレクターのティエリー・グブヌー氏はお願いするように呼びかけた。
「ツール・ド・フランスがスタートするのは奇跡だ。そしてもしパリに到着したらそれも奇跡だ」とUCI会長ラパルティアン氏は言う。政府からストップがかかれない限り、主催側が途中でツールを止める積極的な選択肢は無い。
レース帯同関係者に配布されるロードブックにはチームの宿泊ホテルが記されているものだが、今年のロードブックにはそれが無い。メディアが取材しに行かないため。そして宿泊先を知ったファンが集まらないため。接触することが無いのだからその記載の必要も無いということ。
私は1998年のツールを襲った衝撃的なドーピングスキャンダルから、オペラシオンプエルト等の薬物問題騒動の「ツールが無くなるかも」という年々を経験しているけれど、それらに匹敵する奇妙なツールになることがすでに決まっているというのはなんとも複雑な気分だ。選手やチームに近づけない決まりがあるなかで、撮影や取材活動としてはいったいなにができるのか、分からないというのが正直なところだ。
ネガティブな要素が多いツールだが、選手たちの精神状態は陽性とは違う意味でポジティブだと感じる。長いロックダウンのはてのレース再開。そして11月までの3ヶ月の短い間にレースが続く集中したシーズン。その序盤に最高峰のイベントであるツールを走れる、選ばれた選手たちが集まった。
そのいっぽう、ここまでのレースで落車が頻発し、優勝候補を含む多くの選手が負傷し、出場できなかったり、怪我を負ったままの参戦となった有力選手たち。プリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボヴィズマ)はクリテリウムドーフィネの落車の負傷でツールを走るかどうか不明とも言われた。エガン・ベルナル(コロンビア、イネオス・グレナディアーズ)も背中の痛みでドーフィネの最終ステージを前にリタイアし、休んでからツールに来たが、記者会見での発言でもまだその痛みがあることを隠さない。いつもと違うツールへの調整は誰にとっても難しかっただろうが、誰もが蓄積疲労の無いであろうフレッシュな状態、そして高い意欲をもって臨む選手ばかりだ。
誰にでもマイヨジョーヌのチャンスがある第1ステージ、そしていきなり難しい登りと危険な細い道のハイスピードダウンヒルを含む山中のルートが登場する第2ステージ。その第2ステージはプロフィール上も総合争いにおいても重要なタイム差が生まれると言われている。記者会見でも「このステージでツールの総合優勝を決めることはできないが、総合優勝争いから脱落する敗者は何人も出るだろう」という選手の声が多く、南仏での開幕を楽観視している選手は誰も居なかった。第1、第2ステージはcovid-19対策をとっての大会運営としてもレースの性質においても、神経質なグランデパールとなりそうだ。
text&photo:Makoto AYANO in NICE FRANCE
まずこのツール・ド・フランス取材のための渡仏の行程から記したいと思う。新型コロナウィルスによるパンデミック下において、ツール・ド・フランス主催者A.S.Oは、最大限の感染拡大対策を施した上で、元の6月下旬開催から延期した8月29日にスタートする新日程でのツールの開催に踏み切った。
フランスは4月にロックダウンを経験。いったん収束する気配を見せたが、ここへ来て再び感染拡大が起こっている。私がこのツールの現地での取材、つまり渡仏を最終的に決めたのが10日ほど前。不要不急の渡航の自粛が呼びかけられるもフランスへの旅行自体は禁止されておらず、入国に際してのPCR検査の必要はなかった。しかしツール主催者側からの提示条件として、ツールへの到着5日前以内に受けたPCR検査の結果「陰性証明証」の提示が、現地でのプレス登録受理の必須条件とされた。
日本ではPCR検査を受けること自体に障壁が多く、今だに何時でも誰でも自由に検査が受けられる状況ではない。しかし仕事などで渡航する人のための検査と診断証明書の発行を行ってくれる病院はあり、需要に対して対応できる機関数が少ないために混んではいたものの、自費(約45,000円)での検査を受けて期限内の日に陰性証明証も発行してもらうことができ、渡仏に際して持参することができた。
ちなみにこの都内の民間クリニックは新城幸也(バーレーン・マクラーレン)もレース再開にあたって欧州に戻る際に同目的で受診したクリニックとのことで、偶然ではなく、それだけ数が限られているということ。私が居住する埼玉県の居住地近隣では、日数等の条件によって受診できる病院が見つからなかった。
渡航における旅の模様も記すと、成田空港北ウイングからフランスに出発。フライト案内の電光掲示板を見れば並ぶのは「キャンセル」の赤字表示ばかりで、なんとその日は一日5便しか飛ばないという状況だった。搭乗したのはアムステルダム経由・パリ行きのエールフランスとKLMの共同運行便。機内はガラガラで、乗客は20人ほどしか乗っていなかった。そんな状況でもジャンボ機が飛ぶことに驚かされた。機内では常時マスク着用。
アムステルダム〜パリ経由でニースに到着。入国自体に何も難しいことはなかった。市内のペルマナンス(大会本部)でのプレス登録も、PCR陰性証明書の提示ですんなりとできた。
しかし、事前に提示されていた取材時の制約は多くて厳しい。チームパドック(スタート前後のチームバスエリア)への立入禁止、一部(5人ほど)のフォトグラファーを除いてスタート&フィニッシュの撮影不可。レース終了後の選手はTVミックスゾーンでのインタビュー対応に限られ、それ以外は原則としてオンラインでの接触無しのビデオ記者会見、チーム宿泊ホテルの訪問規制もあり、今回のツール取材の難易度はかつてない高さ。日本人の私の場合は帰国後の公共交通機関での移動禁止・自宅やホテルなどで2週間の待機という条件もハードルを上げる。ちなみにメディア関係者の人数は例年の30%減とのこと。
ASOからの今年の特別な取材規定では、取材時の行動の制限や禁則が事細かに記されている。選手、チーム関係者、主催関係者を「レースバブル(泡)」と呼び、近づかないことで守ることを最優先するという通達。チーム関係者はコンパクトに30名以内に制限され、期間中は家族などと接触しないこともルール。メディアなどツールに従事する関係者はあくまでその外に位置する。レースバブルから感染者を出さないことがツールの存続を可能にするのだ。
開幕前の2日間、8月27、28日にかけてタイムテーブルに沿って順次行われたチームの記者会見は、すべて感染防止のためオンライン形式に。チームのホテルに設置されたブースとプレスセンターをビデオカメラでつないで行われた。チームによってはビデオの向こうでも周囲に配慮し、マスクを外さない念の入れよう。何とも不思議な感覚だったが、今までの取材陣がそれぞれお目当ての選手に殺到しての「押し合いへし合いのタックル取材」より、しっかりと話が聞けて良い面も。しかし対応選手はおのずと限られた。
27日の夜、ニース中心部のマセナ公園で開催されたチームプレゼンテーションは、当初は「オンラインで閲覧を」と案内されていたが、会場入りして撮影することは出来た。この日のパドック立入禁止のルールはなかったためパレード拠点の選手エリアに近づいてみるが、やはりエリア制限の警備は行き届いており、メディアの行動範囲はしっかりと制限されていると感じた。
プレゼン会場には観客のために1,000席が用意されたが、前後左右に間隔を取り、密を避けるための配慮がされていた。しかし隣り合って座る観客は多く、行き帰りのトラムの利用時にも混雑した状況が見受けられ、うまく人混みを抑制できているとは言い難かった面も感じた。
状況が良くないのは、今がフランスでの感染者数が最多だった4月に迫り、超える勢いだということ。なかでもパリとマルセイユが高感染リスク地域となり、ロックダウン(都市封鎖)措置のさなかだった4月20日以降で2,000人を超えたのが8月16日のこと。以降は倍々の勢いで、25日で3,304人、26日は5,429人、27日は6,111人、そして28日はなんと7,379人と、感染拡大が止まらない。
ツール第17ステージのプロフィールマップに似ていた感染者数の増減推移カーブは、そのピークを高めつつある。そしてプレゼンが開催された日、ニースを含むアルプ=マリティム県がコロナ感染拡大の「レッドゾーン」に指定されたのだ。これにより新たな県令が出され、第1、第2ステージは沿道での観戦を制限するため、山岳一帯への観客の自動車に乗っての侵入が禁止になり、徒歩か自転車で、マスクを着けている人のみが観戦できることになった。
レッドゾーンに入ったことで対応はさらに厳しくなる気配だが、第1ステージからのレース現場の制限がどう変化するかは当日にならないと分からないことが多いようだ。しかしスタートやフィニッシュエリアへの観客の流入も大きく制限されるのは必至だ。大会側から観客には、2020をもじって、「2=2m以上距離を取る」「0=選手にサインを求めない」「2=ジェルとマスクの2つで自衛を」「0=セルフィーゼロ」を呼びかけている。
しかし、クリテリウムドーフィネなど他のレースの様子から推し量ると、おそらくは沿道で観戦したいという人はそれなりに多いことが容易に想像できる。ペテル・サガン(ボーラ・ハンスグローエ)はファンに対し、沿道ではなくテレビで観戦することを呼びかけるメッセージを発した。サガンらボーラ・ハンスグローエの選手と関係者は「Bonjour Bonjour Le Tour(こんにちは、ツール)」とメッセージを書いたマスクを装着して、フランスのファンたちに声をかけることの代わりとしている。
このツールには特別医療班による「モバイルラボ」が帯同する。「レースバブル」内の選手、スタッフ、大会関係者のPCR検査を随時行うことができ、体調不良など感染が疑われる人が出た場合、遠隔地の病院を頼ることなくその場で検査し、結果を得ることができる。当初、クリテリウムドーフィネ以降のUCIからの内々のお達しによりチーム関係者から7日間で2名の陽性の疑いがある人が出るとチームはレースから除外されるというルールが出来たが、チーム側が厳しすぎるとこれに反発。UCIとの調整の末「選手から2名の〜」と変更された。
PCR検査は結果が出ることに時間がかかることや、偽陽性や再検査の問題もつきまとうが、モバイルラボがあることで迅速な対応が可能。しかし再検査の結果が翌日のスタート前までに間に合わないと言った場合は出走が認められないという断固たる姿勢を崩さない。
開幕前日夜のフォトグラファーミーティングも、撮り方やレースのセーフティ面の話以上に感染拡大防止に対する注意喚起に重点が置かれたものになった。著しく撮影機会が制限され、選手との接触も制限、距離をとったうえでの行動を遵守するように求められた。スタートしたとしても、3週間後にパリに到達することが疑問視されている状況。選手やチーム関係者同様、帯同中の家族との接触や外部の人との会食なども制限するように求められた。
「2m以上の十分な距離を取ること。スタート前に選手を引き止めたり、近づいて撮影しないこと。数人のフォトグラファーでもローテーションによって譲り合うこと。限られた一人であっても、守れない人は即刻除外する。選手、スタッフ、関係者すべてがそれぞれの仕事を果たすため、今はパーティのときじゃないことを肝に銘じてほしい。ツールを途中で終わらせないために」と、レースディレクターのティエリー・グブヌー氏はお願いするように呼びかけた。
「ツール・ド・フランスがスタートするのは奇跡だ。そしてもしパリに到着したらそれも奇跡だ」とUCI会長ラパルティアン氏は言う。政府からストップがかかれない限り、主催側が途中でツールを止める積極的な選択肢は無い。
レース帯同関係者に配布されるロードブックにはチームの宿泊ホテルが記されているものだが、今年のロードブックにはそれが無い。メディアが取材しに行かないため。そして宿泊先を知ったファンが集まらないため。接触することが無いのだからその記載の必要も無いということ。
私は1998年のツールを襲った衝撃的なドーピングスキャンダルから、オペラシオンプエルト等の薬物問題騒動の「ツールが無くなるかも」という年々を経験しているけれど、それらに匹敵する奇妙なツールになることがすでに決まっているというのはなんとも複雑な気分だ。選手やチームに近づけない決まりがあるなかで、撮影や取材活動としてはいったいなにができるのか、分からないというのが正直なところだ。
ネガティブな要素が多いツールだが、選手たちの精神状態は陽性とは違う意味でポジティブだと感じる。長いロックダウンのはてのレース再開。そして11月までの3ヶ月の短い間にレースが続く集中したシーズン。その序盤に最高峰のイベントであるツールを走れる、選ばれた選手たちが集まった。
そのいっぽう、ここまでのレースで落車が頻発し、優勝候補を含む多くの選手が負傷し、出場できなかったり、怪我を負ったままの参戦となった有力選手たち。プリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボヴィズマ)はクリテリウムドーフィネの落車の負傷でツールを走るかどうか不明とも言われた。エガン・ベルナル(コロンビア、イネオス・グレナディアーズ)も背中の痛みでドーフィネの最終ステージを前にリタイアし、休んでからツールに来たが、記者会見での発言でもまだその痛みがあることを隠さない。いつもと違うツールへの調整は誰にとっても難しかっただろうが、誰もが蓄積疲労の無いであろうフレッシュな状態、そして高い意欲をもって臨む選手ばかりだ。
誰にでもマイヨジョーヌのチャンスがある第1ステージ、そしていきなり難しい登りと危険な細い道のハイスピードダウンヒルを含む山中のルートが登場する第2ステージ。その第2ステージはプロフィール上も総合争いにおいても重要なタイム差が生まれると言われている。記者会見でも「このステージでツールの総合優勝を決めることはできないが、総合優勝争いから脱落する敗者は何人も出るだろう」という選手の声が多く、南仏での開幕を楽観視している選手は誰も居なかった。第1、第2ステージはcovid-19対策をとっての大会運営としてもレースの性質においても、神経質なグランデパールとなりそうだ。
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