2010/05/20(木) - 16:16
近くで雷が落ちた。90km地点で選手たちを待っていると、急に空が暗くなってくる。目の前に現れたのは50名ほどの集団。「あれ?逃げ決まってないの?メイン集団の人数はこれだけ?」とアタマの中はクエッションマークの渦。まさかこんな大逃げが決まるとは思ってなかった。
降りしきる雨の中、まさかの56名逃げ
第11ステージは今大会最長の262km。「雨が降りそうなので厳しいステージになりそうです」と、新城幸也(Bboxブイグテレコム)も前日から警戒していた。
Bboxブイグテレコムは前日のゴール地点近くのホテルに宿泊。「ブイグはハズレくじを引いたんですよ」とユキヤは残念がる。第11ステージのスタート地点までは130kmあり、しかもコース距離の長さからスタート時間がかなり早め。逆算して、選手たちのホテル出発は7時半だと言う。
選手たちが宿泊するホテルはチームによってまちまちで、翌日のスタート地点近くに宿泊するチームもあれば、ブイグのように翌日の朝に長距離移動を強いられるチームもある。今年のジロは前日のゴール地点が翌日にスタート地点になるのが稀。選手たちは移動の繰り返しだ。
この日のコースは、主に山岳地帯を真っすぐに貫く幹線道路。長丁場なので撮影チャンスがいっぱいあると思いきや、先回りに有効な迂回路が乏しい。
前夜に1時間、コースマップとタイムテーブル、Googleマップ、そしてミシュランの地図とにらめっこしたが「スタートの15分前に出発して先行し、70〜90km地点で撮影。高速道路で大きく迂回してゴールへ」という答えしか出てこなかった。
早々に逃げグループが形成され、展開的には落ち着いているだろうと予想して90km地点で選手を待つ。クルマを飛ばし気味で先行したので時間に余裕があると思いきや、落ち着くまもなく選手たちはやってきた。
やってきたのは、メイン集団と見間違うほど大きな逃げグループ。カルロス・サストレ(スペイン、サーヴェロ・テストチーム)とブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)の姿はファインダー越しに確認出来たが、まさか総合6位のリッチー・ポルト(オーストラリア、サクソバンク)まで入っているとは夢にも思わなかった。
有力選手が入っているにも関わらず、後ろの大集団がなかなかやってこない。5分、10分と時間は過ぎ、15分経ってようやくメイン集団が通過。しかし集団をコントロールしているチームのアシストの面々が少し頼りない。この瞬間、第11ステージが今年のジロに激震を起こすことは目に見えて明らかだった。
いくつもの雷雲を抜けて、ゴール地点に急ぐ。ザザッと降っては晴れ、晴れたと思ったら大雨のインターバル。選手たちに聞いたところ、レース中盤には雹まで降ったらしい。本当に今年のジロはどうなってるんだ??レース展開、天候ともにすごくおかしい。
大地震から復興中のラクイラにゴール
ゴール地点は山間に位置するアブルッツォ州の州都ラクイラ。昨年4月6日にマグニチュード6.3のラクイラ地震(イタリア中部地震)が襲い、308人の死者を出した被災地だ。今でも街には半壊した建物が残り、急ピッチで復興活動が続けられている。
イタリアはヨーロッパでも指折りの地震国。特にラクイラ周辺は地殻的に不安定な地域で、すぐ近くにそびえ立つアペニン山脈の一辺、グラン・サッソも激しい地殻変動の証。切り立ったその姿はアルプス山脈と見間違うほど立派なものだ。
地元アブルッツォのアックア・エ・サポーネは、「フォルツァ・ラクイラ(ラクイラ頑張れ!)」とデザインされたホワイトジャージを着て出走。地元チームだけに、沿道の歓声を独占していた。
ちなみに昨年レース会場で販売され、多くの観客が身につけていたピンクバンドは今年も健在。アブルッツォ地震の被災者救済の募金活動として販売されていた例のリストバンド。今年もまだ売っているのかと思って良く見ると、デザインは同じで、「ハイチに支援を」と書かれていた。もちろんこれは今年1月12日に発生したハイチ地震の募金活動の一環だ。
迂回路を約300km走ってゴール地点に到着。本当に、クルマの運転が好きじゃないと成り立たない仕事だと痛感する。
プレスセンターのモニターは、相変わらず大きなタイム差を付けて逃げる集団を映し出す。最大17分50秒あっらタイム差はまだ12分以上。ジャーナリストたちは手を止めて、少し呆然としながらモニターの映像を遠い目で見る。誰がこんな展開を予想していただろうか??
ゴール写真はリカルドに任せ、ゴール地点から600mほど下った最終コーナーにスタンバイ。逃げグループの通過後、沿道の観客をかきわけてゴールラインまでダッシュすれば、マリアローザのゴールも撮影出来るだろうという作戦だ。
警察車両やバイクがけたたましいサイレンを鳴らし、中継ヘリが突然轟音とともに背後から現れる。レースが遠くから近づいてくる感覚は、いつになっても、たとえそれが仕事だとしても、大きな興奮を覚える。ロードレースの展開を把握するにはライブ映像に尽きるが、やはりこの実際の興奮は堪らない。
目の前で競り合う姿を想像したが、目の前に現れたのはエフゲニー・ペトロフ(ロシア、カチューシャ)単独。遅れた選手たちは「260km以上走って最後に上りかよ」という表情で、目を細めながら上りを進む。気温も低く、選手たちはずぶ濡れ。本当にタフなステージだ。
表彰後、トップの選手のゴールから40分が経つまでユキヤを待とうと心に決め、ゴール地点で雨に濡れる。ゴール地点で待ち構えるBboxブイグテレコムのスタッフ曰く、ユキヤは問題なくグルペットで走っているとのこと。
しかし40分経ってもユキヤを含むグルペットは帰ってこず、ぐったりしてプレスルームに戻ると、46分遅れでゴールするグルペットの映像がモニターに。インタビューする機会を逃してしまった。日本のファンのみなさんごめんなさい。
この日の結果で総合争いはリセット?間違いないのは、サストレとウィギンズが総合争いに復活したこと。復活したばかりでなく、エヴァンスやヴィノクロフから数分のリードを得ている。
テルミニッロの頂上ゴールでサストレより38秒早く(ウィギンズと同タイム)ゴールしたリッチー・ポルト(オーストラリア、サクソバンク)がこのままマリアローザを守り切る?いや、最終週の山岳はそんな生易しいものじゃない。ヴィノクロフvsエヴァンスの様相を呈していたジロは、ここにきて急展開。もう何が起こっても驚かない。
text&photo:Kei Tsuji
降りしきる雨の中、まさかの56名逃げ
第11ステージは今大会最長の262km。「雨が降りそうなので厳しいステージになりそうです」と、新城幸也(Bboxブイグテレコム)も前日から警戒していた。
Bboxブイグテレコムは前日のゴール地点近くのホテルに宿泊。「ブイグはハズレくじを引いたんですよ」とユキヤは残念がる。第11ステージのスタート地点までは130kmあり、しかもコース距離の長さからスタート時間がかなり早め。逆算して、選手たちのホテル出発は7時半だと言う。
選手たちが宿泊するホテルはチームによってまちまちで、翌日のスタート地点近くに宿泊するチームもあれば、ブイグのように翌日の朝に長距離移動を強いられるチームもある。今年のジロは前日のゴール地点が翌日にスタート地点になるのが稀。選手たちは移動の繰り返しだ。
この日のコースは、主に山岳地帯を真っすぐに貫く幹線道路。長丁場なので撮影チャンスがいっぱいあると思いきや、先回りに有効な迂回路が乏しい。
前夜に1時間、コースマップとタイムテーブル、Googleマップ、そしてミシュランの地図とにらめっこしたが「スタートの15分前に出発して先行し、70〜90km地点で撮影。高速道路で大きく迂回してゴールへ」という答えしか出てこなかった。
早々に逃げグループが形成され、展開的には落ち着いているだろうと予想して90km地点で選手を待つ。クルマを飛ばし気味で先行したので時間に余裕があると思いきや、落ち着くまもなく選手たちはやってきた。
やってきたのは、メイン集団と見間違うほど大きな逃げグループ。カルロス・サストレ(スペイン、サーヴェロ・テストチーム)とブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)の姿はファインダー越しに確認出来たが、まさか総合6位のリッチー・ポルト(オーストラリア、サクソバンク)まで入っているとは夢にも思わなかった。
有力選手が入っているにも関わらず、後ろの大集団がなかなかやってこない。5分、10分と時間は過ぎ、15分経ってようやくメイン集団が通過。しかし集団をコントロールしているチームのアシストの面々が少し頼りない。この瞬間、第11ステージが今年のジロに激震を起こすことは目に見えて明らかだった。
いくつもの雷雲を抜けて、ゴール地点に急ぐ。ザザッと降っては晴れ、晴れたと思ったら大雨のインターバル。選手たちに聞いたところ、レース中盤には雹まで降ったらしい。本当に今年のジロはどうなってるんだ??レース展開、天候ともにすごくおかしい。
大地震から復興中のラクイラにゴール
ゴール地点は山間に位置するアブルッツォ州の州都ラクイラ。昨年4月6日にマグニチュード6.3のラクイラ地震(イタリア中部地震)が襲い、308人の死者を出した被災地だ。今でも街には半壊した建物が残り、急ピッチで復興活動が続けられている。
イタリアはヨーロッパでも指折りの地震国。特にラクイラ周辺は地殻的に不安定な地域で、すぐ近くにそびえ立つアペニン山脈の一辺、グラン・サッソも激しい地殻変動の証。切り立ったその姿はアルプス山脈と見間違うほど立派なものだ。
地元アブルッツォのアックア・エ・サポーネは、「フォルツァ・ラクイラ(ラクイラ頑張れ!)」とデザインされたホワイトジャージを着て出走。地元チームだけに、沿道の歓声を独占していた。
ちなみに昨年レース会場で販売され、多くの観客が身につけていたピンクバンドは今年も健在。アブルッツォ地震の被災者救済の募金活動として販売されていた例のリストバンド。今年もまだ売っているのかと思って良く見ると、デザインは同じで、「ハイチに支援を」と書かれていた。もちろんこれは今年1月12日に発生したハイチ地震の募金活動の一環だ。
迂回路を約300km走ってゴール地点に到着。本当に、クルマの運転が好きじゃないと成り立たない仕事だと痛感する。
プレスセンターのモニターは、相変わらず大きなタイム差を付けて逃げる集団を映し出す。最大17分50秒あっらタイム差はまだ12分以上。ジャーナリストたちは手を止めて、少し呆然としながらモニターの映像を遠い目で見る。誰がこんな展開を予想していただろうか??
ゴール写真はリカルドに任せ、ゴール地点から600mほど下った最終コーナーにスタンバイ。逃げグループの通過後、沿道の観客をかきわけてゴールラインまでダッシュすれば、マリアローザのゴールも撮影出来るだろうという作戦だ。
警察車両やバイクがけたたましいサイレンを鳴らし、中継ヘリが突然轟音とともに背後から現れる。レースが遠くから近づいてくる感覚は、いつになっても、たとえそれが仕事だとしても、大きな興奮を覚える。ロードレースの展開を把握するにはライブ映像に尽きるが、やはりこの実際の興奮は堪らない。
目の前で競り合う姿を想像したが、目の前に現れたのはエフゲニー・ペトロフ(ロシア、カチューシャ)単独。遅れた選手たちは「260km以上走って最後に上りかよ」という表情で、目を細めながら上りを進む。気温も低く、選手たちはずぶ濡れ。本当にタフなステージだ。
表彰後、トップの選手のゴールから40分が経つまでユキヤを待とうと心に決め、ゴール地点で雨に濡れる。ゴール地点で待ち構えるBboxブイグテレコムのスタッフ曰く、ユキヤは問題なくグルペットで走っているとのこと。
しかし40分経ってもユキヤを含むグルペットは帰ってこず、ぐったりしてプレスルームに戻ると、46分遅れでゴールするグルペットの映像がモニターに。インタビューする機会を逃してしまった。日本のファンのみなさんごめんなさい。
この日の結果で総合争いはリセット?間違いないのは、サストレとウィギンズが総合争いに復活したこと。復活したばかりでなく、エヴァンスやヴィノクロフから数分のリードを得ている。
テルミニッロの頂上ゴールでサストレより38秒早く(ウィギンズと同タイム)ゴールしたリッチー・ポルト(オーストラリア、サクソバンク)がこのままマリアローザを守り切る?いや、最終週の山岳はそんな生易しいものじゃない。ヴィノクロフvsエヴァンスの様相を呈していたジロは、ここにきて急展開。もう何が起こっても驚かない。
text&photo:Kei Tsuji
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