2020/02/23(日) - 18:41
スイス、デューベンドルフ空軍基地で開催となった2020年のシクロクロス世界選手権。今年も観客たちを熱狂の渦に巻き込んだ、世界一を決めた舞台を、フォトグラファーの田辺信彦さんが現地で感じたことなどを交えて2回に渡って振り返ります。まずは前編から。
会場となるデューベンドルフ空軍基地へ到着したのがレース前日の金曜午前だった。チューリッヒからほど近く、会場目の前には駅もあってアクセスは非常に良い場所だ。雪を冠するアルプスを望むロケーションに、"スイスに来たのだな"という実感が湧く。
まずは選手たちの試走を確認しながらコースチェック。始まる前こそ超フラットでつまらないコースなのでは?と言われていたが、実際に現地に足を運ぶと全く異なる感想を抱いた。
空港の滑走路脇ということもあり、芝生や土手は踏み固められていない柔らかい土。そして週初めから降り続いた雨と、繰り返される試走で耕された路面はとにかく重く、深くなる。いつだかの、雨の野辺山シクロクロスの泥に覆われた芝ゾーンをさらに柔らかくぬかるませたような感じに近いと言えようか。歩くのですらなかなかに疲れるほどだ。ただし、天気自体は朝から晴れで暖かく、翌土曜日も晴れ予報。粘土を増した泥によって一層スピードとパワーが求められるだろうと感じた。
土手を使ったキャンバー区間は2箇所。昨年のボーゲンセ(デンマーク)ほどの落差は無いものの、急な登り返しが多くテクニックを必要とする。試走をしていた織田聖選手に話を聞いたところ、ラインさえ間違えなければすべて乗車でいける。ただし少しでも轍を外すと登れないほどシビアと言う。
驚くべきは5つも設置されたフライオーバーだ。メディアや観客としてもコース内を行き来しやすくなる嬉しい配慮だったが、選手にとっては嬉しいものではなかった。フライオーバーそのものは今まで見たことのないほど巨大で、斜度もキツく、かなり体力が奪われる。事実、女子エリートレースではこの巨大フライオーバーが勝負を分けることになる。
「ピットから洗車場までが遠く、洗車機の台数も限られるためトップチームのように一人に4台〜5台も揃えている選手には大きくアドバンテージがある」と言うのは毎年日本代表チームのメカニックを買って出てくれるランジット氏。「2台しかバイクのない選手のメカニックは息をつく暇もないだろう」とも。重く深い泥、芝生、巨大フライオーバー、そして刻々と変わる天気。フィジカル、テクニック、そして機材面など全てが問われる難コースであり、世界一を決めるにふさわしいものだと感じた。
翌日、初日の朝の天気は晴れ。予報では午後から雨になるというものだった。踏み固められたトラックは超ハイスピードで、深い芝生区間はヘビー。素晴らしいドラマが生まれるのを朝の時点で感じていた。
まず世界選手権の最初のレースとなるのは女子ジュニアだ。今年から新設されたカテゴリーで、世界初の女子ジュニアチャンピオンとなるべく選手の士気はかなり高い。そして朝早くから多くの観客が集まっているのだが、例年よりもオランダ人サポーターが多いように思う。おそらく今年は全カテゴリーに世界王者の可能性が高い選手が散らばっているからだろう。そして蓋を開けてみれば、その女子ジュニアでは優勝候補筆頭のシリン・ファンアンローイ(オランダ)が、ホールショットから圧倒的な力を見せて優勝。ワールドカップなどでもその力を見せる彼女らしい強い走りだった。そして同じくオランダのパック・ピーテルスが2位に入り、オランダ人サポーターは第1レースから大きく湧き上がることとなった。
続くのは男子U23だ。今回のレースでもっとも選手のレベルが拮抗しており、誰が勝ってもおかしくないこのレース。オランダのライアン・カンプやピム・ロンハール、フランスのアントワン・ブノワ、スイスのケヴィン・クーンとロリス・ルイエ、イギリスのベン・トゥレットなど強豪が揃う。
まずホールショットを奪ったのはフランスのブノワだ。そこに続くのはオランダ勢とスイスのクーン。母国開催の世界選手権でクーンが先頭グループに加わり、アタックを繰り出すと会場は大きく湧いた。
あらゆるところではためくスイス国旗が大きく彼を後押ししたが、後半にかけてはカンプが本当に強い走りを見せた。さすが今シーズンでは他を寄せ付けぬ強さを見せてきただけあり、独走へ持ち込み勝利。2位は観客を味方をつけて素晴らしい走りを披露したクーンだ。この結果に多くのスイス人サポーターが歓喜し大騒ぎ。オランダはこの日2人の世界チャンピオンを生み、同国サポーターの熱狂ぶりも半端ではない。そして、これから始まる女子エリートに向けて期待とテンションが最高潮に達した。
女子エリートも男子U23レースと並ぶほどの強豪揃い。オランダのセイリン・デルカルメンアルバラード、ルシンダ・ブラント、アンヌマリー・ワースト、ヤラ・カステリン、4連覇を目指すサンヌ・カント(ベルギー)、アメリカのケイティー・コンプトンなど、こちらも誰が勝ってもおかしくない。前日試走でブラントはシクロクロスレジェンドであり彼女のチームの監督であるスヴェン・ネイスによるライン取りなどアドバイスを熱心に受けていた。ワーストは男子エリート選手とともに笑顔を見せながら楽しそうに試走しておりその調子の良さが伺えた。この二人が大きなカギを握ると感じた。
15時、予想された天気予報とは異なり、雨は降らずどんよりとした曇り空。ライン上はこれまでの2レースによって踏み固められ、この日一番のハイスピードコースへと姿を変えた。ホールショットを奪ったのはアルバラードだ。初めてのエリートでの世界選手権に挑戦する彼女だが、今年のオランダナショナルエリートタイトルも取り、ワールドカップでも一際目立った強さを見せている。そして続くのはワーストとブラント。ここからの近年最も白熱した、記憶に残るレースが始まった。
後続を突き放したオランダ3名による、めまぐるしいアタックの応酬。オランダ人サポーターはもちろん、その場にいる全観客が戦いに魅せられ熱狂する。撮影する僕もその興奮に撮影を忘れてしまいそうになるほどだ。
ミスがなく完璧なレース運びをするのはワーストとアルバラード。だが決定的な差は生まれず一進一退。続くブラントはメカトラで少し後退するも、持ち前のパワーでトップ合流。後半にもミスで後退するも、最終周回にまたトップへ合流するという熱い走りを繰り広げる。
3人によるスプリント決着かと思われたその矢先、最後のフライオーバーでは2人よりも脚を使っていたブラントが遂に遅れ、ワーストとアルバラードの一騎打ちに持ち込まれた。
先行したワーストがゴールに向けて加速したが、その後ろにぴったりとついたアルバラードが力強いスプリントを見せゴール直前で抜きさり、悲願の世界チャンピオンへと輝いた。
全身全霊を全て出し切ってレース、そしてスプリントをした2人は共に倒れこみ、共に涙をこぼす。これこそがレース。本当の戦いなのだと心を打たれ、感動した。勝者のアルバラードは激しいスプリントを見せた直後両足を攣り、泣きながら母親の肩を借りてポディウムへ向かった。この素晴らしいレースを目の当たりにした、会場にいる全ての人がその戦いに歓喜したのだった。
この日は全レースでオランダが世界チャンピオンを獲得するという快挙。オランダサポーターたちは夜遅くまでDJのいるテントで大盛り上がりしていたのは言うまでもない。一方、それをよそに日が落ちた時間からコースフェンスが吹き飛ぶほどの強風が吹き、一気に天気は悪くなって雨も降り始めた。
この雨は明日いっぱい続く予報だ。コースコンディションは一変してマッドコンディションでタフなものになるだろう。激しくドラマティックなレースになるはずと確信したのだった。
田辺信彦aka”NB”プロフィール
フリーランスフォトグラファー。自転車を中心としたあらゆるスポーツや、音楽などの中心に宿るカルチャーを、写真を通じて美しく切り取る。ヨーロッパのシクロクロスに魅せられ、それを切り取った写真集プロジェクト「CROSS IS HERE」を進行中。
https://nobuhikotanabe.com/
会場となるデューベンドルフ空軍基地へ到着したのがレース前日の金曜午前だった。チューリッヒからほど近く、会場目の前には駅もあってアクセスは非常に良い場所だ。雪を冠するアルプスを望むロケーションに、"スイスに来たのだな"という実感が湧く。
まずは選手たちの試走を確認しながらコースチェック。始まる前こそ超フラットでつまらないコースなのでは?と言われていたが、実際に現地に足を運ぶと全く異なる感想を抱いた。
空港の滑走路脇ということもあり、芝生や土手は踏み固められていない柔らかい土。そして週初めから降り続いた雨と、繰り返される試走で耕された路面はとにかく重く、深くなる。いつだかの、雨の野辺山シクロクロスの泥に覆われた芝ゾーンをさらに柔らかくぬかるませたような感じに近いと言えようか。歩くのですらなかなかに疲れるほどだ。ただし、天気自体は朝から晴れで暖かく、翌土曜日も晴れ予報。粘土を増した泥によって一層スピードとパワーが求められるだろうと感じた。
土手を使ったキャンバー区間は2箇所。昨年のボーゲンセ(デンマーク)ほどの落差は無いものの、急な登り返しが多くテクニックを必要とする。試走をしていた織田聖選手に話を聞いたところ、ラインさえ間違えなければすべて乗車でいける。ただし少しでも轍を外すと登れないほどシビアと言う。
驚くべきは5つも設置されたフライオーバーだ。メディアや観客としてもコース内を行き来しやすくなる嬉しい配慮だったが、選手にとっては嬉しいものではなかった。フライオーバーそのものは今まで見たことのないほど巨大で、斜度もキツく、かなり体力が奪われる。事実、女子エリートレースではこの巨大フライオーバーが勝負を分けることになる。
「ピットから洗車場までが遠く、洗車機の台数も限られるためトップチームのように一人に4台〜5台も揃えている選手には大きくアドバンテージがある」と言うのは毎年日本代表チームのメカニックを買って出てくれるランジット氏。「2台しかバイクのない選手のメカニックは息をつく暇もないだろう」とも。重く深い泥、芝生、巨大フライオーバー、そして刻々と変わる天気。フィジカル、テクニック、そして機材面など全てが問われる難コースであり、世界一を決めるにふさわしいものだと感じた。
翌日、初日の朝の天気は晴れ。予報では午後から雨になるというものだった。踏み固められたトラックは超ハイスピードで、深い芝生区間はヘビー。素晴らしいドラマが生まれるのを朝の時点で感じていた。
まず世界選手権の最初のレースとなるのは女子ジュニアだ。今年から新設されたカテゴリーで、世界初の女子ジュニアチャンピオンとなるべく選手の士気はかなり高い。そして朝早くから多くの観客が集まっているのだが、例年よりもオランダ人サポーターが多いように思う。おそらく今年は全カテゴリーに世界王者の可能性が高い選手が散らばっているからだろう。そして蓋を開けてみれば、その女子ジュニアでは優勝候補筆頭のシリン・ファンアンローイ(オランダ)が、ホールショットから圧倒的な力を見せて優勝。ワールドカップなどでもその力を見せる彼女らしい強い走りだった。そして同じくオランダのパック・ピーテルスが2位に入り、オランダ人サポーターは第1レースから大きく湧き上がることとなった。
続くのは男子U23だ。今回のレースでもっとも選手のレベルが拮抗しており、誰が勝ってもおかしくないこのレース。オランダのライアン・カンプやピム・ロンハール、フランスのアントワン・ブノワ、スイスのケヴィン・クーンとロリス・ルイエ、イギリスのベン・トゥレットなど強豪が揃う。
まずホールショットを奪ったのはフランスのブノワだ。そこに続くのはオランダ勢とスイスのクーン。母国開催の世界選手権でクーンが先頭グループに加わり、アタックを繰り出すと会場は大きく湧いた。
あらゆるところではためくスイス国旗が大きく彼を後押ししたが、後半にかけてはカンプが本当に強い走りを見せた。さすが今シーズンでは他を寄せ付けぬ強さを見せてきただけあり、独走へ持ち込み勝利。2位は観客を味方をつけて素晴らしい走りを披露したクーンだ。この結果に多くのスイス人サポーターが歓喜し大騒ぎ。オランダはこの日2人の世界チャンピオンを生み、同国サポーターの熱狂ぶりも半端ではない。そして、これから始まる女子エリートに向けて期待とテンションが最高潮に達した。
女子エリートも男子U23レースと並ぶほどの強豪揃い。オランダのセイリン・デルカルメンアルバラード、ルシンダ・ブラント、アンヌマリー・ワースト、ヤラ・カステリン、4連覇を目指すサンヌ・カント(ベルギー)、アメリカのケイティー・コンプトンなど、こちらも誰が勝ってもおかしくない。前日試走でブラントはシクロクロスレジェンドであり彼女のチームの監督であるスヴェン・ネイスによるライン取りなどアドバイスを熱心に受けていた。ワーストは男子エリート選手とともに笑顔を見せながら楽しそうに試走しておりその調子の良さが伺えた。この二人が大きなカギを握ると感じた。
15時、予想された天気予報とは異なり、雨は降らずどんよりとした曇り空。ライン上はこれまでの2レースによって踏み固められ、この日一番のハイスピードコースへと姿を変えた。ホールショットを奪ったのはアルバラードだ。初めてのエリートでの世界選手権に挑戦する彼女だが、今年のオランダナショナルエリートタイトルも取り、ワールドカップでも一際目立った強さを見せている。そして続くのはワーストとブラント。ここからの近年最も白熱した、記憶に残るレースが始まった。
後続を突き放したオランダ3名による、めまぐるしいアタックの応酬。オランダ人サポーターはもちろん、その場にいる全観客が戦いに魅せられ熱狂する。撮影する僕もその興奮に撮影を忘れてしまいそうになるほどだ。
ミスがなく完璧なレース運びをするのはワーストとアルバラード。だが決定的な差は生まれず一進一退。続くブラントはメカトラで少し後退するも、持ち前のパワーでトップ合流。後半にもミスで後退するも、最終周回にまたトップへ合流するという熱い走りを繰り広げる。
3人によるスプリント決着かと思われたその矢先、最後のフライオーバーでは2人よりも脚を使っていたブラントが遂に遅れ、ワーストとアルバラードの一騎打ちに持ち込まれた。
先行したワーストがゴールに向けて加速したが、その後ろにぴったりとついたアルバラードが力強いスプリントを見せゴール直前で抜きさり、悲願の世界チャンピオンへと輝いた。
全身全霊を全て出し切ってレース、そしてスプリントをした2人は共に倒れこみ、共に涙をこぼす。これこそがレース。本当の戦いなのだと心を打たれ、感動した。勝者のアルバラードは激しいスプリントを見せた直後両足を攣り、泣きながら母親の肩を借りてポディウムへ向かった。この素晴らしいレースを目の当たりにした、会場にいる全ての人がその戦いに歓喜したのだった。
この日は全レースでオランダが世界チャンピオンを獲得するという快挙。オランダサポーターたちは夜遅くまでDJのいるテントで大盛り上がりしていたのは言うまでもない。一方、それをよそに日が落ちた時間からコースフェンスが吹き飛ぶほどの強風が吹き、一気に天気は悪くなって雨も降り始めた。
この雨は明日いっぱい続く予報だ。コースコンディションは一変してマッドコンディションでタフなものになるだろう。激しくドラマティックなレースになるはずと確信したのだった。
田辺信彦aka”NB”プロフィール
フリーランスフォトグラファー。自転車を中心としたあらゆるスポーツや、音楽などの中心に宿るカルチャーを、写真を通じて美しく切り取る。ヨーロッパのシクロクロスに魅せられ、それを切り取った写真集プロジェクト「CROSS IS HERE」を進行中。
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