2010/04/14(水) - 13:13
今年リクイガスでプロデビューし、怒濤の活躍を見せているペーター・サガン(スロバキア)がパリ〜ルーベに戻って来た。2年前のジュニアレースで、ソロアタックを成功させながらもゴール直前で惜しくもチャンスを失った苦い経験をもつサガン。初出場の“異次元の”エリートレースはリタイアに終わった。
2008年、当時18歳のサガンは、エリートと同じパヴェコースで行なわれるパリ〜ルーベのジュニアレースで、終盤の80kmに渡って独走した。後続のアンドリュー・フェン(イギリス)が追いつき、サガンをパスしたのはラスト1km。ルーベ名物のヴェロドロームに入る一歩手前だった。
「その時のことは今でもよく覚えている。イギリス人にラスト1kmで追い抜かれた苦い思い出は一生忘れないと思う」。サガンはそう回想する。
サガンが苦汁を舐めた3時間後に行なわれたエリートレースで、トム・ボーネン(ベルギー)はファビアン・カンチェラーラ(スイス)とアレッサンドロ・バッラン(イタリア)を下して勝利した。
当時エリートレースで2位だったカンチェラーラが、今年、圧倒的な独走力を発揮してパリ〜ルーベ2勝目を収めた。エリートレースに初出場したサガンは190km地点でリタイア。「2008年に走ったジュニアレースとは比べ物にならないぐらい、違う次元のレースだった。良い経験になったよ。幸い雨も降らなかったので『地獄の日曜日』にはならなかった」。
今年イタリアのプロツアーチーム・リクイガスでプロ入りしたサガンは、1月のツアー・ダウンアンダーでセンセーショナルなデビューを飾った。
まずは開幕2日前に行なわれたクリテリウムレースでランス・アームストロング(アメリカ)とエスケープ。17針縫う大怪我を負った直後のステージでは上位に絡み、更にカデル・エヴァンス(オーストラリア)やアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)と対等に渡り合った。その2ヶ月後、フランスのパリ〜ニースでステージ2勝を飾ることになる。
シーズン序盤からの活躍は、サガンにパリ〜ルーベ出場をもたらした。しかもマヌエル・クインツィアート(イタリア)やダニエル・オス(イタリア)のアシスト義務に縛られない自由な身での出場だった。
だが、現実はそうも優しくはない。「2度のパンクとホイールの破損が相次いで発生して、集団から大きく遅れてしまった。2つ目の補給ポイントでバイクを降りたよ。ちょうど『アランベールの森』の手前で他の選手のペダルが僕のスポークに絡み、そこでホイールが壊れてしまったんだ。集団復帰を目指したけど、その時点でレースは終わってしまった」。
リクイガスのステファノ・ザナッタ監督がサガンに目を付けたのは、2008年にイタリア・トレヴェーゾで行なわれたMTB世界選手権。サガンはクロスカントリーのジュニアレースで見事優勝した。チームがサガンに3年契約(2010年〜2012年)を持ちかけたのはそのシーズン終盤のこと。
「正体不明の若者がパリ〜ニースでステージ2勝。こんなに素晴らしい結果は他に無い。無線の指示がトラブルを招く例はよくあるけど、この青年(サガン)はチームカーの指示を待たずに、自分の感覚を頼りに、自分の力で活路を開いた。彼は誰の指示にも耳を貸さなかった。ただ自分の力でステージ2勝したんだ」。
「まだ20歳。これから幾つものミスをして、それらを改善しながら成長していくだろう。バイクに跨がった時、彼はその真価を発揮する。(パリ〜ニース後)1ヶ月に渡ってレースに出場していなかったので、パリ〜ルーベのリタイアは仕方が無いと思っている」。
ザナッタ監督によると、サガンはこれからジロ・デラッペニーノ、ツール・ド・ロマンディ、ツアー・オブ・カリフォルニアに出場する予定。
リタイア後、サガンはバスの車内でテレビ中継に釘付けになった。そこに映し出されていたのは、ボーネンを始めとするライバルたちを背に、カンチェラーラが加速して行く姿。ライバルたちを一気に引き離したカンチェラーラは、徐々にタイム差を広げて行く。独走している姿は、まさに昨年9月のロード世界選手権タイムトライアルで3度目のタイトルを獲得したときのそれだった。
「ミサイルのような走りだった!他の選手を一瞬にして黙らせるあの走り。カンチェラーラの強さは本物だと思う」。サガンは王者の走りに感嘆した。
「いつの日か、このパリ〜ルーベで優勝を狙いたい。2011年?たぶんそれは早すぎると思う。パリ〜ニースでステージ2勝したけど、ここ(パリ〜ルーベ)は本当に別世界。パヴェの連続で、しかも距離は260km。滅茶苦茶タフなレースだ」。
「パリ〜ニースの後、地元スロバキアで1週間の休養を取ったんだ。充実した時間を経て、トレーニングに復帰した。長くて辛いトレーニングを積んだけど、パリ〜ルーベで結果を残すためには、それまでのクラシックレースを走る必要がある。そう、ロンド・ファン・フラーンデレンのような」。
破天荒と呼ぶに相応しい活躍を見せるサガンだが、ただ闇雲にペダルを踏みつけているわけではない。経験豊かなチームスタッフに支えられ、しっかりとしたプログラム通りに沿って成長を続ける。その成長スピードは、ときにスタッフの予想を大きく上回る。この先、果たしてサガンはどんな活躍を見せてくれるのだろう。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos, Kei Tsuji
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
2008年、当時18歳のサガンは、エリートと同じパヴェコースで行なわれるパリ〜ルーベのジュニアレースで、終盤の80kmに渡って独走した。後続のアンドリュー・フェン(イギリス)が追いつき、サガンをパスしたのはラスト1km。ルーベ名物のヴェロドロームに入る一歩手前だった。
「その時のことは今でもよく覚えている。イギリス人にラスト1kmで追い抜かれた苦い思い出は一生忘れないと思う」。サガンはそう回想する。
サガンが苦汁を舐めた3時間後に行なわれたエリートレースで、トム・ボーネン(ベルギー)はファビアン・カンチェラーラ(スイス)とアレッサンドロ・バッラン(イタリア)を下して勝利した。
当時エリートレースで2位だったカンチェラーラが、今年、圧倒的な独走力を発揮してパリ〜ルーベ2勝目を収めた。エリートレースに初出場したサガンは190km地点でリタイア。「2008年に走ったジュニアレースとは比べ物にならないぐらい、違う次元のレースだった。良い経験になったよ。幸い雨も降らなかったので『地獄の日曜日』にはならなかった」。
今年イタリアのプロツアーチーム・リクイガスでプロ入りしたサガンは、1月のツアー・ダウンアンダーでセンセーショナルなデビューを飾った。
まずは開幕2日前に行なわれたクリテリウムレースでランス・アームストロング(アメリカ)とエスケープ。17針縫う大怪我を負った直後のステージでは上位に絡み、更にカデル・エヴァンス(オーストラリア)やアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)と対等に渡り合った。その2ヶ月後、フランスのパリ〜ニースでステージ2勝を飾ることになる。
シーズン序盤からの活躍は、サガンにパリ〜ルーベ出場をもたらした。しかもマヌエル・クインツィアート(イタリア)やダニエル・オス(イタリア)のアシスト義務に縛られない自由な身での出場だった。
だが、現実はそうも優しくはない。「2度のパンクとホイールの破損が相次いで発生して、集団から大きく遅れてしまった。2つ目の補給ポイントでバイクを降りたよ。ちょうど『アランベールの森』の手前で他の選手のペダルが僕のスポークに絡み、そこでホイールが壊れてしまったんだ。集団復帰を目指したけど、その時点でレースは終わってしまった」。
リクイガスのステファノ・ザナッタ監督がサガンに目を付けたのは、2008年にイタリア・トレヴェーゾで行なわれたMTB世界選手権。サガンはクロスカントリーのジュニアレースで見事優勝した。チームがサガンに3年契約(2010年〜2012年)を持ちかけたのはそのシーズン終盤のこと。
「正体不明の若者がパリ〜ニースでステージ2勝。こんなに素晴らしい結果は他に無い。無線の指示がトラブルを招く例はよくあるけど、この青年(サガン)はチームカーの指示を待たずに、自分の感覚を頼りに、自分の力で活路を開いた。彼は誰の指示にも耳を貸さなかった。ただ自分の力でステージ2勝したんだ」。
「まだ20歳。これから幾つものミスをして、それらを改善しながら成長していくだろう。バイクに跨がった時、彼はその真価を発揮する。(パリ〜ニース後)1ヶ月に渡ってレースに出場していなかったので、パリ〜ルーベのリタイアは仕方が無いと思っている」。
ザナッタ監督によると、サガンはこれからジロ・デラッペニーノ、ツール・ド・ロマンディ、ツアー・オブ・カリフォルニアに出場する予定。
リタイア後、サガンはバスの車内でテレビ中継に釘付けになった。そこに映し出されていたのは、ボーネンを始めとするライバルたちを背に、カンチェラーラが加速して行く姿。ライバルたちを一気に引き離したカンチェラーラは、徐々にタイム差を広げて行く。独走している姿は、まさに昨年9月のロード世界選手権タイムトライアルで3度目のタイトルを獲得したときのそれだった。
「ミサイルのような走りだった!他の選手を一瞬にして黙らせるあの走り。カンチェラーラの強さは本物だと思う」。サガンは王者の走りに感嘆した。
「いつの日か、このパリ〜ルーベで優勝を狙いたい。2011年?たぶんそれは早すぎると思う。パリ〜ニースでステージ2勝したけど、ここ(パリ〜ルーベ)は本当に別世界。パヴェの連続で、しかも距離は260km。滅茶苦茶タフなレースだ」。
「パリ〜ニースの後、地元スロバキアで1週間の休養を取ったんだ。充実した時間を経て、トレーニングに復帰した。長くて辛いトレーニングを積んだけど、パリ〜ルーベで結果を残すためには、それまでのクラシックレースを走る必要がある。そう、ロンド・ファン・フラーンデレンのような」。
破天荒と呼ぶに相応しい活躍を見せるサガンだが、ただ闇雲にペダルを踏みつけているわけではない。経験豊かなチームスタッフに支えられ、しっかりとしたプログラム通りに沿って成長を続ける。その成長スピードは、ときにスタッフの予想を大きく上回る。この先、果たしてサガンはどんな活躍を見せてくれるのだろう。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos, Kei Tsuji
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。