2010/04/01(木) - 18:28
リクイガスに所属するイタリア人、ダニエル・オスは巨大だ。身長190cmオーバーの23歳は、近い将来、ロードレース界において“巨大な存在”になる素質を秘めている。フランドルに魅了された若者は、ロンド・ファン・フラーンデレン制覇を夢見てクラシックシーズンを闘う。
「夢?夢はフランドルのクラシックレース制覇」。オスは目を輝かせてそう答えた。「ヘント〜ウェベルヘムからパリ〜ルーベまでの期間、ベルギーで開催されるワンディクラシックが好き。昨年フランドルのクラシックレースを走って、その魅力に取りつかれたんだ」。
昨年ロンド・ファン・フラーンデレンで、オスはリクイガスのチームメイト、フレデリック・ヴィレムス(ベルギー)とマヌエル・クインツィアート(イタリア)をアシストした。オス自身の結果は100位と冴えなかったが、レースに恋してしまったのだ。いつの日か、石畳の急坂を制し、優勝したいと夢見始めた。今はまだアシストとしての出場だが、本人はそれでも満足だと語る。
「リクイガスのアシストとして走っている時点で夢のような体験なんだ。石畳の難所は、昨年ヴィレムスとクインツィアートに教わった。中でもパテルベルグの厳しさには驚いたよ。レース後半に難易度の高い上りが連続して登場するんだから、その厳しさは尋常じゃない」。
3月のミラノ〜サンレモで、オスは終盤までアシストとして働けることを証明した。ゴール2km手前でのフィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ)のアタックを封じ込め、ダニエーレ・ベンナーティ(イタリア)の発射台を最後まで務め上げたのがオスだ。結果的にベンナーティは5位、オスは23位に終わったが、オスは自分自身の走りに満足していた。
そして「北のクラシック」の初戦、ヘント〜ウェベルヘムでオスは終盤の決定的な6名の逃げに乗った。フィリップ・ジルベール(ベルギー)やジョージ・ヒンカピー(アメリカ)と肩を並べる走りを見せたオスだったが、210kmに渡るレースの最後のスプリント勝負でベルンハルト・アイゼル(オーストリア)に敗れ去った。
「今年の目標は、ただひたすら自分の走りを改善して行くこと。それに伴って結果も付いて来ている。最大の目標に定めているのは、ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベ。チームの活躍を手助けしたいと願っている。今は経験を積むことが大切。将来に向けて種を植えているようなものだ」。
オスの父親は、20年前、息子ダニエルに種を植えた。山に囲まれた北イタリア・トレント近くで育ったオスは、父親に与えられたMTBで山を駆け回る日々を送り、やがて細いスリックタイヤを履いたロードバイクに目覚めることになる。
「山に囲まれた環境だったので、走るコースは幾らでもあった。サイクリストにならないことが逆に不思議に思えるような環境だったよ。毎日のように湖畔や峠を走っていた。ロードバイクに乗り始めてからは地元のクラブチームに入り、そこからステップアップして今に至る」。
オスはトラック競技にも打ち込んだ経験を持つ。オスはイタリア代表として、2007年トラック世界選手権の団体追い抜きに出場。しかしそこでの散々な結果が、ロードレースに専念するきっかけとなった。
荒れた北の石畳に挑むオス。“フランドルの巨人”になることを夢見て、ブルージュのスタート地点に立つ。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
「夢?夢はフランドルのクラシックレース制覇」。オスは目を輝かせてそう答えた。「ヘント〜ウェベルヘムからパリ〜ルーベまでの期間、ベルギーで開催されるワンディクラシックが好き。昨年フランドルのクラシックレースを走って、その魅力に取りつかれたんだ」。
昨年ロンド・ファン・フラーンデレンで、オスはリクイガスのチームメイト、フレデリック・ヴィレムス(ベルギー)とマヌエル・クインツィアート(イタリア)をアシストした。オス自身の結果は100位と冴えなかったが、レースに恋してしまったのだ。いつの日か、石畳の急坂を制し、優勝したいと夢見始めた。今はまだアシストとしての出場だが、本人はそれでも満足だと語る。
「リクイガスのアシストとして走っている時点で夢のような体験なんだ。石畳の難所は、昨年ヴィレムスとクインツィアートに教わった。中でもパテルベルグの厳しさには驚いたよ。レース後半に難易度の高い上りが連続して登場するんだから、その厳しさは尋常じゃない」。
3月のミラノ〜サンレモで、オスは終盤までアシストとして働けることを証明した。ゴール2km手前でのフィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ)のアタックを封じ込め、ダニエーレ・ベンナーティ(イタリア)の発射台を最後まで務め上げたのがオスだ。結果的にベンナーティは5位、オスは23位に終わったが、オスは自分自身の走りに満足していた。
そして「北のクラシック」の初戦、ヘント〜ウェベルヘムでオスは終盤の決定的な6名の逃げに乗った。フィリップ・ジルベール(ベルギー)やジョージ・ヒンカピー(アメリカ)と肩を並べる走りを見せたオスだったが、210kmに渡るレースの最後のスプリント勝負でベルンハルト・アイゼル(オーストリア)に敗れ去った。
「今年の目標は、ただひたすら自分の走りを改善して行くこと。それに伴って結果も付いて来ている。最大の目標に定めているのは、ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベ。チームの活躍を手助けしたいと願っている。今は経験を積むことが大切。将来に向けて種を植えているようなものだ」。
オスの父親は、20年前、息子ダニエルに種を植えた。山に囲まれた北イタリア・トレント近くで育ったオスは、父親に与えられたMTBで山を駆け回る日々を送り、やがて細いスリックタイヤを履いたロードバイクに目覚めることになる。
「山に囲まれた環境だったので、走るコースは幾らでもあった。サイクリストにならないことが逆に不思議に思えるような環境だったよ。毎日のように湖畔や峠を走っていた。ロードバイクに乗り始めてからは地元のクラブチームに入り、そこからステップアップして今に至る」。
オスはトラック競技にも打ち込んだ経験を持つ。オスはイタリア代表として、2007年トラック世界選手権の団体追い抜きに出場。しかしそこでの散々な結果が、ロードレースに専念するきっかけとなった。
荒れた北の石畳に挑むオス。“フランドルの巨人”になることを夢見て、ブルージュのスタート地点に立つ。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。