2010/03/25(木) - 15:32
BMCレーシングチーム所属のジョージ・ヒンカピー(アメリカ)が初めてミラノ〜サンレモのスタートラインに並んだのは、今から15年前、モトローラ所属時代のこと。昨年マーク・カヴェンディッシュ(イギリス)の勝利に大きく貢献した現全米チャンピオンは今年、自分の勝利を狙ってミラノに降り立った。
「ようやく脚の調子が戻って来た。でも残念ながらチプレッサの下りでタイムを失ってしまった。やっぱり勝負が懸かった状況では集団前方で走る必要がある」。ヒンカピーはレース後にそう語った。
ヒンカピーは元世界チャンピオンのアレッサンドロ・バッラン(イタリア)とともに第2集団でゴール。チームメイトのマークス・ブルグハート(ドイツ)はチプレッサとポッジオを先頭集団でクリアしたが、オスカル・フレイレ(スペイン、ラボバンク)の勢いを止めるほどの脚は無かった。フレイレは上りで決して遅れること無く、力強いスプリントで3度目のイタリア最大のスプリングクラシック制覇を成し遂げた。
「このミラノ〜サンレモは歴史ある伝統の一戦で、距離も現存するワンディクラシックで最長。トレーニングでもこんな距離(298km)を走ったことが無い。まさにロードレースの難しさと刺激的な興奮が凝縮されたようなレースだ」。ヒンカピーはミラノ〜サンレモをそう表現する。
ヒンカピーは1993年にスタジエール(研修生)としてランス・アームストロング(アメリカ)のモトローラチームに合流し、翌1994年にプロデビュー。チームがUSポスタル、ディスカバリーチャンネルと変遷する中、ヒンカピーは“テキサスマン”をツール・ド・フランスで支え続けた。
同時にヒンカピーはワンディレースでも真価を発揮。2001年にヘント〜ウェベルヘム、2005年にGP西フランス・プルエー、2005年クールネ〜ブリュッセル〜クールネで優勝。全米選手権ロードレースでは3回優勝しており、現在全米チャンピオンジャージを着用している。
愛して止まない「北のクラシック」では、ロンド・ファン・フラーンデレンで3位、パリ〜ルーベで2位という好成績を残す。ミラノ〜サンレモはヒンカピー向きのコースではないが、これまで9位に2回入っている。
アームストロングのチームを離れたヒンカピーは、昨年チームコロンビアのカヴェンディッシュのアシストとして出場。見事23歳の韋駄天を勝利に導いた。
「あれは本当に素晴らしい瞬間だった。キャリアにおける最高の記憶の一つだ。カヴェンディッシュは良き友であり、彼とは今でも特別な繋がりがある。そんな彼をミラノ〜サンレモ制覇に導いたんだから、喜びもひとしおだった」。
「逆にミラノ〜サンレモで一番悪い記憶は…2008年のポッジオの下り区間で集団が割れ、チャンスを失ったことかな。本当にテクニカルな下りなんだ。少し気を抜いただけで全てを失ってしまう」。
事実、今年のミラノ〜サンレモでも、ヒンカピーは下りでチャンスを失った。フレイレやトム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)、アレッサンドロ・ペタッキ(イタリア、ランプレ)と闘う前に、下りで敗れ去った。
「ミラノ〜サンレモで勝つには、スプリンターになるか、ラスト数キロで運を味方につける(逃げ切る)か、もしくはポッジオで強烈なアタックを仕掛けて集団を引き離すしか方法が無いんだ」。
現在36歳のヒンカピーはそう言って笑顔を見せた。比較的楽観的に見える彼の視界の先にあるのは、2001年に優勝したヘント〜ウェベルヘム。その先にはロンド・ファン・フラーンデレン、パリ〜ルーベが待っている。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
「ようやく脚の調子が戻って来た。でも残念ながらチプレッサの下りでタイムを失ってしまった。やっぱり勝負が懸かった状況では集団前方で走る必要がある」。ヒンカピーはレース後にそう語った。
ヒンカピーは元世界チャンピオンのアレッサンドロ・バッラン(イタリア)とともに第2集団でゴール。チームメイトのマークス・ブルグハート(ドイツ)はチプレッサとポッジオを先頭集団でクリアしたが、オスカル・フレイレ(スペイン、ラボバンク)の勢いを止めるほどの脚は無かった。フレイレは上りで決して遅れること無く、力強いスプリントで3度目のイタリア最大のスプリングクラシック制覇を成し遂げた。
「このミラノ〜サンレモは歴史ある伝統の一戦で、距離も現存するワンディクラシックで最長。トレーニングでもこんな距離(298km)を走ったことが無い。まさにロードレースの難しさと刺激的な興奮が凝縮されたようなレースだ」。ヒンカピーはミラノ〜サンレモをそう表現する。
ヒンカピーは1993年にスタジエール(研修生)としてランス・アームストロング(アメリカ)のモトローラチームに合流し、翌1994年にプロデビュー。チームがUSポスタル、ディスカバリーチャンネルと変遷する中、ヒンカピーは“テキサスマン”をツール・ド・フランスで支え続けた。
同時にヒンカピーはワンディレースでも真価を発揮。2001年にヘント〜ウェベルヘム、2005年にGP西フランス・プルエー、2005年クールネ〜ブリュッセル〜クールネで優勝。全米選手権ロードレースでは3回優勝しており、現在全米チャンピオンジャージを着用している。
愛して止まない「北のクラシック」では、ロンド・ファン・フラーンデレンで3位、パリ〜ルーベで2位という好成績を残す。ミラノ〜サンレモはヒンカピー向きのコースではないが、これまで9位に2回入っている。
アームストロングのチームを離れたヒンカピーは、昨年チームコロンビアのカヴェンディッシュのアシストとして出場。見事23歳の韋駄天を勝利に導いた。
「あれは本当に素晴らしい瞬間だった。キャリアにおける最高の記憶の一つだ。カヴェンディッシュは良き友であり、彼とは今でも特別な繋がりがある。そんな彼をミラノ〜サンレモ制覇に導いたんだから、喜びもひとしおだった」。
「逆にミラノ〜サンレモで一番悪い記憶は…2008年のポッジオの下り区間で集団が割れ、チャンスを失ったことかな。本当にテクニカルな下りなんだ。少し気を抜いただけで全てを失ってしまう」。
事実、今年のミラノ〜サンレモでも、ヒンカピーは下りでチャンスを失った。フレイレやトム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)、アレッサンドロ・ペタッキ(イタリア、ランプレ)と闘う前に、下りで敗れ去った。
「ミラノ〜サンレモで勝つには、スプリンターになるか、ラスト数キロで運を味方につける(逃げ切る)か、もしくはポッジオで強烈なアタックを仕掛けて集団を引き離すしか方法が無いんだ」。
現在36歳のヒンカピーはそう言って笑顔を見せた。比較的楽観的に見える彼の視界の先にあるのは、2001年に優勝したヘント〜ウェベルヘム。その先にはロンド・ファン・フラーンデレン、パリ〜ルーベが待っている。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。