2010/02/28(日) - 22:21
いよいよ始まるツール・ド・ランカウイ2010。日本からは愛三工業レーシングチームの参戦が注目される今大会、高揚感に包まれ慌ただしい大会前日の様子を現地からお伝えします。
日付が変わるちょっと前に着いたコタ・バルの街は熱帯らしい湿気でムンムンとしていた。このところ夏という季節を忘れている身としては、したたかなこの暑さが懐かしくもあり、顔をしかめたくもなる。じっとりとした熱帯夜。
ツール・ド・ランカウイ2010のスタート地点となるコタ・バルは、半島マレーシアの最北東端の街。かつては最北西端に浮かぶランカウイ島がスタート地点だったことからツール・ド・ランカウイと名付けられたこのレースも、さまざまな浮き沈みを経て、第15回目の今年は最北東端からスタートする運びとなった。
到着から一夜明けた今日は、ビッグレース前日のお約束、チームプレゼンテーションが行われる。全部で20を数えるリストを眺めてみると、様々な国旗がちらりとはためいてみせる。マレーシアはもちろん、その周辺国タイ、インドネシア、台湾、中国、韓国。大陸の向こうからは自転車ロードレースのヒエラルキーのトップに君臨するスペイン、イタリア、オーストリアの西欧諸国。遠くアフリカからは南アフリカ、オセアニアからはオーストラリア。そして日本からは愛三工業レーシングチーム。
アジア最高峰のステージレースの看板に偽りはない。世界中のチームがコタ・バルに集まった。そして、報道陣も。
世界最高峰のステージレース、ツール・ド・フランスをお手本に1996年に創設されたツール・ド・ランカウイ。「ツアー・オブ」とも、マレー語で一周を意味する「ジョラジャ」とも言わず「ツール・ド」と称すのは、ツール・ド・フランスに対する敬意の表れであるだろう(ジョラジャ・マレーシアという名前のレースは実際に別にある)。
選手の滞在するホテルは多くの大会関係者でいっぱいで、階下のレストランでは痩躯でよく日焼けした選手たちが寝ぼけた顔をして朝食をとっているのが見える。ホテルの玄関には練習に出かける選手のバイクが並べられ、入れ替わり立ち替わりにジャージ姿の選手たちが外へと出て行く。こういう雰囲気は、ツール・ド・フランスのそれと何ら変わらない。
大会前日で、しかもチームプレゼンテーションを正午すぎに控えるとあって、練習に出て行くチームは早起き。愛三工業レーシングもその例に漏れないが、朝の早い時間に練習に繰り出していくチームはアジアのチームが多いように見えた。お国柄かな?それとも遠い国から来た選手たちは時差ボケに悩まされているのかな?
愛三工業の選手にごあいさつ。これから一週間、密着とはいかなくともアジア最高峰のレースに挑む選手たちの横顔、ときに素顔をお届けしたいと思う。それは歓喜もあれば苦渋もあり、達成があれば、難儀のある険しい道のりだとは思うけれど…。日本から唯一のチームとして参加する愛三が、遠くマレーシアでどんな戦いをするのか、それを一人でも多くの日本のファンに知ってもらいたいし、僕自身が身近に知りたいのだ。
最後の調整のために出て来た愛三の選手はリラックスして淡々とした雰囲気。今はまだ朝だから涼しいけれど、もうマレーシア入りして10日になる愛三の選手は身を持ってここの日射しの強さを知っている。盛一大は入念に日焼け止めを肌にすり込む。
こんがりと日焼け姿で最後の調整に現れた別府匠は、「暑さにもだいぶ慣れてきました。今回は7ステージ中6つが平坦ステージなので、そこではチームに貢献できる走りができたらと。あとは、やっぱりゲンティンハイランドでいい走りをしたいですね。2006年以来2度目の出場なので、過去の経験を活かして走りたい」と語ってくれた。ゲンティンでの活躍は、別府匠を知る誰もが期待してしまうところ。
ふとTシャツ姿で現れたのは福島晋一(クムサン・ジンセン・アジア)。先週の落車事故につき、本人が立ち上げた韓国籍の新チーム、クムサン・ジンセン・アジアのデビュー戦に出場できない事態になってしまった。
右腕に痛々しい擦過傷と右手人差し指にラップを巻いた出で立ちの福島。バンコクの病院での手術の経過は良好とのことだが、骨折した鎖骨が治るにはもうしばらくの時間が必要になりそうだ。このランカウイではどのように回りますか、の問いには
「僕の役回りは、チームの選手たちがうまくレースできるように見守ることになってしまいました。チームの状態は悪くないですね。チームにはスプリンターのアヌアル・マナン(マレーシア)がいるから、彼に期待したいですね」と。
新チームのお披露目となる今日のチームプレゼンテーション。誰よりも新しいジャージに身を包んで登壇したかったはずなのに、ランカウイで区間勝利経験のあるこの選手の新チームデビューはもう少し先になってしまった。
さて。13時近くなってようやくチームプレゼンテーションが始まった。出席者は全員起立をするという厳粛なオープニング・セレモニーの後に、伝統舞踊の披露があり、ぐっとマレーシアのレースだということを感じさせられた。
プロツアーチームのフットオン・セルヴェットに始まり、タイナショナルチームまでの20チームが順に紹介された。8番目に紹介された愛三工業レーシングチームは、全員の名前が呼ばれ、ピュアホワイトの全日本チャンプジャージを着る西谷泰治の注目度が高かったように見える。
会場出口に、不思議な機械を発見。ツール・ド・ランカウイ2010仕様の外装で、なんじゃこりゃ?と見ていると、近くのスタッフに腕をつかまれた。ぐいと引きずられ、ふと気づくとカメラの前に立たされていた。それでパチリとやり、そのデータを例の機械で読み込む。
すると、アラ不思議、背後にプロトンを従えた、ツール・ド・ランカウイ記念写真の出来上がり!巨大な選手集団の写真を書き割りにする、観光地お得意のワザではあるが、なかなかの出来映え。「プリントしたのが欲しいか?」と聞かれたので「ちょうだい」と言うと、「10リンギット」と言われてしまった。日本円で300円ほど。
聞くとこの機械、大会期間中はずっと各ステージに設置されるのだと言う。そこですかさず、「最終ステージが終ったときに、大会の記念としてもう一回撮ってもらうよ、買うよ」と言ったら、納得とも、不服ともなんとも言えない表情をされてしまった。
最終日、もう一度この書き割りの前に立つまでに、7日間のドラマが待っている。どんなドラマが待つかは神のみぞ知るところだが、やはり日本人選手が笑うところを伝えられたらいいと思う。
明日のスタート地点のコタ・バルは、2005年に相沢康司(旧姓福島、当時ブリヂストンアンカー)が劇的な単独逃げ切り勝利を果たしたタナ・メラに近い、日本人に縁起の良いお土地柄だ。
text&photo:Yufta Omata
日付が変わるちょっと前に着いたコタ・バルの街は熱帯らしい湿気でムンムンとしていた。このところ夏という季節を忘れている身としては、したたかなこの暑さが懐かしくもあり、顔をしかめたくもなる。じっとりとした熱帯夜。
ツール・ド・ランカウイ2010のスタート地点となるコタ・バルは、半島マレーシアの最北東端の街。かつては最北西端に浮かぶランカウイ島がスタート地点だったことからツール・ド・ランカウイと名付けられたこのレースも、さまざまな浮き沈みを経て、第15回目の今年は最北東端からスタートする運びとなった。
到着から一夜明けた今日は、ビッグレース前日のお約束、チームプレゼンテーションが行われる。全部で20を数えるリストを眺めてみると、様々な国旗がちらりとはためいてみせる。マレーシアはもちろん、その周辺国タイ、インドネシア、台湾、中国、韓国。大陸の向こうからは自転車ロードレースのヒエラルキーのトップに君臨するスペイン、イタリア、オーストリアの西欧諸国。遠くアフリカからは南アフリカ、オセアニアからはオーストラリア。そして日本からは愛三工業レーシングチーム。
アジア最高峰のステージレースの看板に偽りはない。世界中のチームがコタ・バルに集まった。そして、報道陣も。
世界最高峰のステージレース、ツール・ド・フランスをお手本に1996年に創設されたツール・ド・ランカウイ。「ツアー・オブ」とも、マレー語で一周を意味する「ジョラジャ」とも言わず「ツール・ド」と称すのは、ツール・ド・フランスに対する敬意の表れであるだろう(ジョラジャ・マレーシアという名前のレースは実際に別にある)。
選手の滞在するホテルは多くの大会関係者でいっぱいで、階下のレストランでは痩躯でよく日焼けした選手たちが寝ぼけた顔をして朝食をとっているのが見える。ホテルの玄関には練習に出かける選手のバイクが並べられ、入れ替わり立ち替わりにジャージ姿の選手たちが外へと出て行く。こういう雰囲気は、ツール・ド・フランスのそれと何ら変わらない。
大会前日で、しかもチームプレゼンテーションを正午すぎに控えるとあって、練習に出て行くチームは早起き。愛三工業レーシングもその例に漏れないが、朝の早い時間に練習に繰り出していくチームはアジアのチームが多いように見えた。お国柄かな?それとも遠い国から来た選手たちは時差ボケに悩まされているのかな?
愛三工業の選手にごあいさつ。これから一週間、密着とはいかなくともアジア最高峰のレースに挑む選手たちの横顔、ときに素顔をお届けしたいと思う。それは歓喜もあれば苦渋もあり、達成があれば、難儀のある険しい道のりだとは思うけれど…。日本から唯一のチームとして参加する愛三が、遠くマレーシアでどんな戦いをするのか、それを一人でも多くの日本のファンに知ってもらいたいし、僕自身が身近に知りたいのだ。
最後の調整のために出て来た愛三の選手はリラックスして淡々とした雰囲気。今はまだ朝だから涼しいけれど、もうマレーシア入りして10日になる愛三の選手は身を持ってここの日射しの強さを知っている。盛一大は入念に日焼け止めを肌にすり込む。
こんがりと日焼け姿で最後の調整に現れた別府匠は、「暑さにもだいぶ慣れてきました。今回は7ステージ中6つが平坦ステージなので、そこではチームに貢献できる走りができたらと。あとは、やっぱりゲンティンハイランドでいい走りをしたいですね。2006年以来2度目の出場なので、過去の経験を活かして走りたい」と語ってくれた。ゲンティンでの活躍は、別府匠を知る誰もが期待してしまうところ。
ふとTシャツ姿で現れたのは福島晋一(クムサン・ジンセン・アジア)。先週の落車事故につき、本人が立ち上げた韓国籍の新チーム、クムサン・ジンセン・アジアのデビュー戦に出場できない事態になってしまった。
右腕に痛々しい擦過傷と右手人差し指にラップを巻いた出で立ちの福島。バンコクの病院での手術の経過は良好とのことだが、骨折した鎖骨が治るにはもうしばらくの時間が必要になりそうだ。このランカウイではどのように回りますか、の問いには
「僕の役回りは、チームの選手たちがうまくレースできるように見守ることになってしまいました。チームの状態は悪くないですね。チームにはスプリンターのアヌアル・マナン(マレーシア)がいるから、彼に期待したいですね」と。
新チームのお披露目となる今日のチームプレゼンテーション。誰よりも新しいジャージに身を包んで登壇したかったはずなのに、ランカウイで区間勝利経験のあるこの選手の新チームデビューはもう少し先になってしまった。
さて。13時近くなってようやくチームプレゼンテーションが始まった。出席者は全員起立をするという厳粛なオープニング・セレモニーの後に、伝統舞踊の披露があり、ぐっとマレーシアのレースだということを感じさせられた。
プロツアーチームのフットオン・セルヴェットに始まり、タイナショナルチームまでの20チームが順に紹介された。8番目に紹介された愛三工業レーシングチームは、全員の名前が呼ばれ、ピュアホワイトの全日本チャンプジャージを着る西谷泰治の注目度が高かったように見える。
会場出口に、不思議な機械を発見。ツール・ド・ランカウイ2010仕様の外装で、なんじゃこりゃ?と見ていると、近くのスタッフに腕をつかまれた。ぐいと引きずられ、ふと気づくとカメラの前に立たされていた。それでパチリとやり、そのデータを例の機械で読み込む。
すると、アラ不思議、背後にプロトンを従えた、ツール・ド・ランカウイ記念写真の出来上がり!巨大な選手集団の写真を書き割りにする、観光地お得意のワザではあるが、なかなかの出来映え。「プリントしたのが欲しいか?」と聞かれたので「ちょうだい」と言うと、「10リンギット」と言われてしまった。日本円で300円ほど。
聞くとこの機械、大会期間中はずっと各ステージに設置されるのだと言う。そこですかさず、「最終ステージが終ったときに、大会の記念としてもう一回撮ってもらうよ、買うよ」と言ったら、納得とも、不服ともなんとも言えない表情をされてしまった。
最終日、もう一度この書き割りの前に立つまでに、7日間のドラマが待っている。どんなドラマが待つかは神のみぞ知るところだが、やはり日本人選手が笑うところを伝えられたらいいと思う。
明日のスタート地点のコタ・バルは、2005年に相沢康司(旧姓福島、当時ブリヂストンアンカー)が劇的な単独逃げ切り勝利を果たしたタナ・メラに近い、日本人に縁起の良いお土地柄だ。
text&photo:Yufta Omata