2010/02/22(月) - 15:38
チームスカイに移籍し、クラシックシーズンを見据えるフアンアントニオ・フレチャ(スペイン)。チーム内ではファミリーネームの「フレチャ」で通っている。というより、ファーストネームの「フアンアントニオ」で呼ばれることはまず無い。居心地の良いチームでレベルアップを目指すフレチャにグレゴー・ブラウンが訊いた。
パリ〜ルーベ制覇に闘志を燃やすスパニッシュ
「友達もガールフレンドも、僕のことをフレチャと呼ぶんだ。仮に街を歩いていて『よお!フアンアントニオ!』と呼ぶ人がいたら、その人は親しい人間じゃない。ファーストネームで呼ぶのは僕の母親と姉だけ」。
イギリス初のプロツアーチームとして誕生したチームスカイにおいて、フレチャは唯一のスペイン人選手だ。しかしチームの居心地は良いと言う。
「ブリティッシュサイクリング特有の情熱が好き。ツール・ド・フランスがロンドンをスタートした2007年に、初めてその情熱に触れたんだ。イギリス国内のファンは熱狂的で、ロードレースの真髄を知っている。イギリスという国について大した知識は無いけど、イギリスの自転車雑誌は何冊も購読しているし、国民がサイクリングに対してどう思っているのか理解している」。
ワンディクラシックでの経験豊富なフレチャは、チームに欠かせない存在だ。フレチャは2008年のロンド・ファン・フラーンデレン(フランドル)で3位、2007年のパリ〜ルーベで2位。石畳や横風が鍵を握るレースにおいて、フレチャはスペイン人最強の地位を確立している。
フレチャ以前にスペイン人としてパリ〜ルーベの表彰台に上ったことがあるのは、1958年と1960年のミゲル・ポブレだけ。ポブレはミラノ〜サンレモで2勝、ツール・ド・フランスでステージ3勝を飾っている名選手だ。
「僕は(フランドルに登場するような)急坂よりも石畳が得意。石畳を速く走る秘訣は、ハンドリングやペダリング技術、そしてバイク上での重心の置き方。特別なトレーニングを積んだわけじゃないよ」。
「成績を伸ばすために足りないのは運だと思う。昨年は運がなかった。両レース(フランドルとルーベ)ともコンディションはバッチリで、展開的にもパーフェクト。でも落車してしまい、恥ずかしい成績を残してしまった」。
昨年のパリ〜ルーベで、フレチャはトム・ボーネン(クイックステップ)、ヨハン・ヴァンスーメレンとレイフ・ホステ(サイレンス・ロット)、トル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)、フィリッポ・ポッツァート(カチューシャ)ら5名と飛び出した。決定的な逃げグループだった。
しかしフレチャは、ゴール16.5km手前の石畳区間キャンファン・アン・ぺヴェルの左カーブで落車。サイレンス・ロットの2人を巻き込み、ボーネン、フースホフト、ポッツァートに先行を許してしまう。
「レースもコントロール出来ていたし、本当に勝てると思っていた。でも落車してしまったんだ。絶好のチャンスだったけど、それがパリ〜ルーベ。現実を受け入れなければいけない」。
レベルアップのため、ラボバンクからチームスカイへ
フレチャは昨年まで4年間オランダのラボバンクに所属していた。「昨年の終わり頃にはフラマン語を理解出来るようになっていた。でも選手間で飛び交うジョークを全部理解することは出来ず、会話について行くことに必死だった」と、当時の苦労を打ち明ける。
心機一転チームスカイに移籍したフレチャは、クラシックレースでマシュー・ヘイマン(オーストラリア)やイアン・スタナード(イギリス)ら、英語圏の選手のサポートを受ける。
「現在のチームスカイはもちろん英語が共用語。イタリアチーム(ファッサボルトロ2004年〜2005年)に所属していた頃と同じように、コミュニケーションにおける苦労が無い。(アクセントに癖がある)スティーブ・クミングス(イギリス)やジェレイント・トーマス(イギリス)の会話にもついて行けるよ!彼らのジョークも理解出来るし、僕からジョークを言うこともあるんだ」。
ヘント〜ウェベルヘム、フランドル、パリ〜ルーベにおいて、フレチャはエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー)とダブルエースを組むことになるだろう。鎖骨を骨折したクルトアスル・アルヴェセン(ノルウェー)も、回復が早ければチームの中心的人物になる。フレチャはボアッソンのアシストとして、ツアー・オブ・オマーンを走り終えたばかりだ。
「少なくとも2年間はこのチームで走りたい。ここでは、自分のことがより高く評価されている気がする。僕の走りに信頼を置いてくれているんだ」。
とは言え、フレチャはラボバンクでの4年間を忘れ去ったわけではない。「ラボバンクでの4年間は、沢山のことが起こった。良い時期もあったし、悪い時期もあった。でも、新しいことにチャレンジするためにチームを移籍した。より良い成績を残すためには、環境を変える必要もあった。ラボバンクのやり方が、僕にとってベストでは無かっただけ。そう気付いたんだ」。
クラシックシーズンの活躍に注目が集まりがちなフレチャだが、バネスト時代の2003年にはツール・ド・フランスでステージ優勝。ファッサボルトロ時代の2004年にはチューリッヒ選手権とジロ・デル・ラツィオで勝利を収めている。
「チームスカイは僕を次のレベルまで押し上げてくれる。良い走りをして、好成績を残してみせるよ」。チームスカイジャージのフレチャがいよいよ本格的に動き出す。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
パリ〜ルーベ制覇に闘志を燃やすスパニッシュ
「友達もガールフレンドも、僕のことをフレチャと呼ぶんだ。仮に街を歩いていて『よお!フアンアントニオ!』と呼ぶ人がいたら、その人は親しい人間じゃない。ファーストネームで呼ぶのは僕の母親と姉だけ」。
イギリス初のプロツアーチームとして誕生したチームスカイにおいて、フレチャは唯一のスペイン人選手だ。しかしチームの居心地は良いと言う。
「ブリティッシュサイクリング特有の情熱が好き。ツール・ド・フランスがロンドンをスタートした2007年に、初めてその情熱に触れたんだ。イギリス国内のファンは熱狂的で、ロードレースの真髄を知っている。イギリスという国について大した知識は無いけど、イギリスの自転車雑誌は何冊も購読しているし、国民がサイクリングに対してどう思っているのか理解している」。
ワンディクラシックでの経験豊富なフレチャは、チームに欠かせない存在だ。フレチャは2008年のロンド・ファン・フラーンデレン(フランドル)で3位、2007年のパリ〜ルーベで2位。石畳や横風が鍵を握るレースにおいて、フレチャはスペイン人最強の地位を確立している。
フレチャ以前にスペイン人としてパリ〜ルーベの表彰台に上ったことがあるのは、1958年と1960年のミゲル・ポブレだけ。ポブレはミラノ〜サンレモで2勝、ツール・ド・フランスでステージ3勝を飾っている名選手だ。
「僕は(フランドルに登場するような)急坂よりも石畳が得意。石畳を速く走る秘訣は、ハンドリングやペダリング技術、そしてバイク上での重心の置き方。特別なトレーニングを積んだわけじゃないよ」。
「成績を伸ばすために足りないのは運だと思う。昨年は運がなかった。両レース(フランドルとルーベ)ともコンディションはバッチリで、展開的にもパーフェクト。でも落車してしまい、恥ずかしい成績を残してしまった」。
昨年のパリ〜ルーベで、フレチャはトム・ボーネン(クイックステップ)、ヨハン・ヴァンスーメレンとレイフ・ホステ(サイレンス・ロット)、トル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)、フィリッポ・ポッツァート(カチューシャ)ら5名と飛び出した。決定的な逃げグループだった。
しかしフレチャは、ゴール16.5km手前の石畳区間キャンファン・アン・ぺヴェルの左カーブで落車。サイレンス・ロットの2人を巻き込み、ボーネン、フースホフト、ポッツァートに先行を許してしまう。
「レースもコントロール出来ていたし、本当に勝てると思っていた。でも落車してしまったんだ。絶好のチャンスだったけど、それがパリ〜ルーベ。現実を受け入れなければいけない」。
レベルアップのため、ラボバンクからチームスカイへ
フレチャは昨年まで4年間オランダのラボバンクに所属していた。「昨年の終わり頃にはフラマン語を理解出来るようになっていた。でも選手間で飛び交うジョークを全部理解することは出来ず、会話について行くことに必死だった」と、当時の苦労を打ち明ける。
心機一転チームスカイに移籍したフレチャは、クラシックレースでマシュー・ヘイマン(オーストラリア)やイアン・スタナード(イギリス)ら、英語圏の選手のサポートを受ける。
「現在のチームスカイはもちろん英語が共用語。イタリアチーム(ファッサボルトロ2004年〜2005年)に所属していた頃と同じように、コミュニケーションにおける苦労が無い。(アクセントに癖がある)スティーブ・クミングス(イギリス)やジェレイント・トーマス(イギリス)の会話にもついて行けるよ!彼らのジョークも理解出来るし、僕からジョークを言うこともあるんだ」。
ヘント〜ウェベルヘム、フランドル、パリ〜ルーベにおいて、フレチャはエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー)とダブルエースを組むことになるだろう。鎖骨を骨折したクルトアスル・アルヴェセン(ノルウェー)も、回復が早ければチームの中心的人物になる。フレチャはボアッソンのアシストとして、ツアー・オブ・オマーンを走り終えたばかりだ。
「少なくとも2年間はこのチームで走りたい。ここでは、自分のことがより高く評価されている気がする。僕の走りに信頼を置いてくれているんだ」。
とは言え、フレチャはラボバンクでの4年間を忘れ去ったわけではない。「ラボバンクでの4年間は、沢山のことが起こった。良い時期もあったし、悪い時期もあった。でも、新しいことにチャレンジするためにチームを移籍した。より良い成績を残すためには、環境を変える必要もあった。ラボバンクのやり方が、僕にとってベストでは無かっただけ。そう気付いたんだ」。
クラシックシーズンの活躍に注目が集まりがちなフレチャだが、バネスト時代の2003年にはツール・ド・フランスでステージ優勝。ファッサボルトロ時代の2004年にはチューリッヒ選手権とジロ・デル・ラツィオで勝利を収めている。
「チームスカイは僕を次のレベルまで押し上げてくれる。良い走りをして、好成績を残してみせるよ」。チームスカイジャージのフレチャがいよいよ本格的に動き出す。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji