2018/05/26(土) - 13:08
ライバルたちを圧倒したフルームの勝利。誰もが驚く山岳個人タイムトライアルで、ツール4勝男が全てをひっくり返した。歴史的な80km独走が始まった未舗装フィネストレ峠の頂上からジロ第19ステージの模様をお伝えします。
朝から夕方までフィネストレ峠にこもっていました。そのため今日の現地レポートはフィネストレ峠で見て聞いたことに限定されることをご了承ください。ほぼ日記です。
今年の北イタリアの積雪は例年よりもずっと多かったそう。フランス国境に近いアルプスのフィネストレ峠も例外ではなく、積雪の多さからフィネストレ峠付近の駐車スペースを十分に確保できなかった。警察車両の駐車スペースも限られるため頂上に十分な人員を配置できず、いつも通りの警備体制を築けない。そのため、数日前から車の進入は禁止され、当日はサイクリストの登坂も禁止された。つまりフィネストレ峠にたどり着くには麓から何時間もかけて歩くしかない。・・・はずだったが、ここはイタリア。蓋を開けてみると、サイクリストたちは問題なく頂上まで登っていた。
当然、優先順位の低いプレスカーは基本的にフィネストレ峠を登ることができない。基本的にというのは、朝早くであれば反対側から車でコースを逆走して登ることができるから。個人的な話で恐縮だが、学生時代の2005年にロードバイクで登り、2011年はシャトルバスで登り、2015年はプレスカーで忍び込んだ経験から、フィネストレ峠の頂上にたどり着く術を心得ている。
とはいえ車で登れるのは中腹までで、そこから頂上までは徒歩。頂上まで4kmを残した駐車場に午前10時(レース通過の5時間前)に到着してしまったため、そこで地元の有志が出していた地元ピエモンテの赤ワインを飲み、内容の濃いガゼッタ紙を読み、この現地レポートを書けるだけ書いて、心地よい山の風に吹かれながら30分だけ昼寝して、午後1時にすっきりした顔で頂上へのハイキングを開始した。
高山植物やアルプスマーモットの巣が点在する急斜面を登り、標高の高さによる空気の薄さと3週間のピッツァ&パスタ生活で増えた体重を感じながら、数メートルの高さの雪壁を横目に頂上に到着した。
チーマコッピ(今大会最高地点)に指定された標高2,178mの峠は別世界。未舗装のスイッチバック(合計45ヶ所ある)が見えないところまで続くその異様な光景から、標高の数字以上に人里から遠く隔絶された感が強い。踏み固められた未舗装の路面はしっかり除雪されているが、雪解け水によって一部路面はぬかるんでいる。普段から交通量がある峠ではなく、好き好んで登るのはジロに感化されたサイクリストだけ。峠は今日から10月30日まで通行が可能となる。
未舗装路はもはやジロのお家芸になっているが、その先駆けとなったのが2005年に初登場したこのフィネストレ峠。未舗装であることを除いても今大会最強クラスの厳しさであることを忘れてはいけない。麓から頂上まで高低差は1,694mで、単体の登りとしては今大会最大。18.5kmにわたって正確に9%強を刻み続け、頂上まで7.8kmを残したところで未舗装区間が始まる。
フィネストレ峠の登坂を許されたチームカーは各チーム3台ずつ。レースに帯同するチームカー2台と、先行して頂上手前で補給食やジャケットを渡すソワニエ(マッサージャー)が乗るチームカーもしくはチームバンが1台。チームスカイは相変わらずの鉄壁のサポート体制で、全長18kmのフィネストレ峠に満遍なく6名のスタッフを配置した。スタッフはそれぞれ補給食やスペアホイールを持って待機。レース通過後に、チームバンが逆走してスタッフを回収する作戦をとった。
前回フィネストレ峠が登場した2015年にステージ優勝したファビオ・アル(イタリア、UAEチームエミレーツ)が40km地点でバイクを降りたという一報に、フィネストレ峠に集まったイタリア人サイクリストたちが落胆した。そしてイタリアの期待を背負う存在となった総合3位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、バーレーン・メリダ)も、観客たちの双眼鏡の中で遅れていった。
昨日まで28秒差を守れるかどうかという話をしていたのに、サイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は実に38分以上遅れた。いくら前半に調子のピークを迎えていたとはいえ、いくらイェーツ自身がここ数日間「身体が疲れきっている」とコメントしていたとはいえ、ここまでの失速を予想していた人は少ないはず。
マリアローザはイギリス人からイギリス人へ。フィネストレ峠の頂上でレースの到着を待っていたソワニエ、観客、フォトグラファーはクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)が残り80km地点でアタックしたというラジオコルサ(競技無線)を聞いて顔を見合わせた。ふと横を見ると、雪壁に「残り75km」の看板が立っていた。
全長80kmの山岳個人タイムトライアルを敢行したフルーム。その姿を1949年に同じ地域で192kmの独走勝利を飾ったファウスト・コッピ(イタリア)に照らし合わせる超ベテラン観戦者や、2006年ツール・ド・フランスでフロイド・ランディス(アメリカ)が見せた逆転独走劇(その後ドーピング陽性で剥奪)、驚きのアタックでライバルたちを沈めるアルベルト・コンタドール(スペイン)の走りに照らし合わせる人も。
最も厳しい(最も獲得標高差が大きい)ステージで、最も強い選手が、最も強烈な勝ち方で勝った。決して力任せに踏み続けたのではなく、すべて計算の上での走りだったとフルームは言う。フィニッシュまでのペース配分を考えながら淡々と登りをこなし、得意の下りでリードを広げる走り。実際にフルームと後続のタイム差が広がったのは登りではなく下り区間だった。
サルブタモール問題がツール・ド・フランスまでに解決しないのではないかというニュースも出ており、仮にドーピング違反が確定すればこのジロのタイトルも剥奪される可能性もある中で、誰もが驚く勝利を飾ったフルーム。間違いなくロードレースの歴史に残る独走であり、これまでツールで4回総合優勝を飾っているフルーム本人も「キャリアの中で最も凄いことを成し遂げた」とコメントしている。まだ2ステージ残っているが、一発のアタックと2時間強の独走で全てをひっくり返した。
「ここまでの3週間は、この長距離TTのための長いウォーミングアップだったんだ」と某ライバルチームのソワニエがフィネストレ山頂でスマートフォンの中継を見ながら笑った。そう、他の選手たちも笑うしかなかった。フィニッシュ後、ジョージ・ベネット(ニュージーランド、ロットNLユンボ)は「フルームが逃げ切ったの?80kmも独走して?え、冗談だよね?」と笑う。グルペット内でフィニッシュしたライアン・ミューレン(アイルランド、トレック・セガフレード)は「今日は6時間にわたって平均300Wで踏み続けたのにステージ優勝者から45分遅れだって。ははははは」とツイートしている。
フルームはモンテゾンコランに続くステージ2勝目。イェーツのステージ3勝と合計してイギリス人がステージ5勝を飾ったことになる。しかもそれらは全て山頂フィニッシュにおける成績。フルームはイギリス人選手として5人目のマリアローザ着用者となり、同時に、史上24人目となる全グランツール総合リーダージャージ着用者となった。総合リーダージャージの着用は80日目(ジロ1日、ツール59日、ブエルタ20日)で、これは史上5番目の記録にあたる。
あまりに劇的な展開にうまく状況を飲み込めない人が続出した歴史的なステージ。3連続グランツール制覇に王手をかけたフルームがマリアローザを着てアルプス最終決戦に挑む。
text&photo:Kei Tsuji in Colle delle Finestre, Italy
朝から夕方までフィネストレ峠にこもっていました。そのため今日の現地レポートはフィネストレ峠で見て聞いたことに限定されることをご了承ください。ほぼ日記です。
今年の北イタリアの積雪は例年よりもずっと多かったそう。フランス国境に近いアルプスのフィネストレ峠も例外ではなく、積雪の多さからフィネストレ峠付近の駐車スペースを十分に確保できなかった。警察車両の駐車スペースも限られるため頂上に十分な人員を配置できず、いつも通りの警備体制を築けない。そのため、数日前から車の進入は禁止され、当日はサイクリストの登坂も禁止された。つまりフィネストレ峠にたどり着くには麓から何時間もかけて歩くしかない。・・・はずだったが、ここはイタリア。蓋を開けてみると、サイクリストたちは問題なく頂上まで登っていた。
当然、優先順位の低いプレスカーは基本的にフィネストレ峠を登ることができない。基本的にというのは、朝早くであれば反対側から車でコースを逆走して登ることができるから。個人的な話で恐縮だが、学生時代の2005年にロードバイクで登り、2011年はシャトルバスで登り、2015年はプレスカーで忍び込んだ経験から、フィネストレ峠の頂上にたどり着く術を心得ている。
とはいえ車で登れるのは中腹までで、そこから頂上までは徒歩。頂上まで4kmを残した駐車場に午前10時(レース通過の5時間前)に到着してしまったため、そこで地元の有志が出していた地元ピエモンテの赤ワインを飲み、内容の濃いガゼッタ紙を読み、この現地レポートを書けるだけ書いて、心地よい山の風に吹かれながら30分だけ昼寝して、午後1時にすっきりした顔で頂上へのハイキングを開始した。
高山植物やアルプスマーモットの巣が点在する急斜面を登り、標高の高さによる空気の薄さと3週間のピッツァ&パスタ生活で増えた体重を感じながら、数メートルの高さの雪壁を横目に頂上に到着した。
チーマコッピ(今大会最高地点)に指定された標高2,178mの峠は別世界。未舗装のスイッチバック(合計45ヶ所ある)が見えないところまで続くその異様な光景から、標高の数字以上に人里から遠く隔絶された感が強い。踏み固められた未舗装の路面はしっかり除雪されているが、雪解け水によって一部路面はぬかるんでいる。普段から交通量がある峠ではなく、好き好んで登るのはジロに感化されたサイクリストだけ。峠は今日から10月30日まで通行が可能となる。
未舗装路はもはやジロのお家芸になっているが、その先駆けとなったのが2005年に初登場したこのフィネストレ峠。未舗装であることを除いても今大会最強クラスの厳しさであることを忘れてはいけない。麓から頂上まで高低差は1,694mで、単体の登りとしては今大会最大。18.5kmにわたって正確に9%強を刻み続け、頂上まで7.8kmを残したところで未舗装区間が始まる。
フィネストレ峠の登坂を許されたチームカーは各チーム3台ずつ。レースに帯同するチームカー2台と、先行して頂上手前で補給食やジャケットを渡すソワニエ(マッサージャー)が乗るチームカーもしくはチームバンが1台。チームスカイは相変わらずの鉄壁のサポート体制で、全長18kmのフィネストレ峠に満遍なく6名のスタッフを配置した。スタッフはそれぞれ補給食やスペアホイールを持って待機。レース通過後に、チームバンが逆走してスタッフを回収する作戦をとった。
前回フィネストレ峠が登場した2015年にステージ優勝したファビオ・アル(イタリア、UAEチームエミレーツ)が40km地点でバイクを降りたという一報に、フィネストレ峠に集まったイタリア人サイクリストたちが落胆した。そしてイタリアの期待を背負う存在となった総合3位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、バーレーン・メリダ)も、観客たちの双眼鏡の中で遅れていった。
昨日まで28秒差を守れるかどうかという話をしていたのに、サイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は実に38分以上遅れた。いくら前半に調子のピークを迎えていたとはいえ、いくらイェーツ自身がここ数日間「身体が疲れきっている」とコメントしていたとはいえ、ここまでの失速を予想していた人は少ないはず。
マリアローザはイギリス人からイギリス人へ。フィネストレ峠の頂上でレースの到着を待っていたソワニエ、観客、フォトグラファーはクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)が残り80km地点でアタックしたというラジオコルサ(競技無線)を聞いて顔を見合わせた。ふと横を見ると、雪壁に「残り75km」の看板が立っていた。
全長80kmの山岳個人タイムトライアルを敢行したフルーム。その姿を1949年に同じ地域で192kmの独走勝利を飾ったファウスト・コッピ(イタリア)に照らし合わせる超ベテラン観戦者や、2006年ツール・ド・フランスでフロイド・ランディス(アメリカ)が見せた逆転独走劇(その後ドーピング陽性で剥奪)、驚きのアタックでライバルたちを沈めるアルベルト・コンタドール(スペイン)の走りに照らし合わせる人も。
最も厳しい(最も獲得標高差が大きい)ステージで、最も強い選手が、最も強烈な勝ち方で勝った。決して力任せに踏み続けたのではなく、すべて計算の上での走りだったとフルームは言う。フィニッシュまでのペース配分を考えながら淡々と登りをこなし、得意の下りでリードを広げる走り。実際にフルームと後続のタイム差が広がったのは登りではなく下り区間だった。
サルブタモール問題がツール・ド・フランスまでに解決しないのではないかというニュースも出ており、仮にドーピング違反が確定すればこのジロのタイトルも剥奪される可能性もある中で、誰もが驚く勝利を飾ったフルーム。間違いなくロードレースの歴史に残る独走であり、これまでツールで4回総合優勝を飾っているフルーム本人も「キャリアの中で最も凄いことを成し遂げた」とコメントしている。まだ2ステージ残っているが、一発のアタックと2時間強の独走で全てをひっくり返した。
「ここまでの3週間は、この長距離TTのための長いウォーミングアップだったんだ」と某ライバルチームのソワニエがフィネストレ山頂でスマートフォンの中継を見ながら笑った。そう、他の選手たちも笑うしかなかった。フィニッシュ後、ジョージ・ベネット(ニュージーランド、ロットNLユンボ)は「フルームが逃げ切ったの?80kmも独走して?え、冗談だよね?」と笑う。グルペット内でフィニッシュしたライアン・ミューレン(アイルランド、トレック・セガフレード)は「今日は6時間にわたって平均300Wで踏み続けたのにステージ優勝者から45分遅れだって。ははははは」とツイートしている。
フルームはモンテゾンコランに続くステージ2勝目。イェーツのステージ3勝と合計してイギリス人がステージ5勝を飾ったことになる。しかもそれらは全て山頂フィニッシュにおける成績。フルームはイギリス人選手として5人目のマリアローザ着用者となり、同時に、史上24人目となる全グランツール総合リーダージャージ着用者となった。総合リーダージャージの着用は80日目(ジロ1日、ツール59日、ブエルタ20日)で、これは史上5番目の記録にあたる。
あまりに劇的な展開にうまく状況を飲み込めない人が続出した歴史的なステージ。3連続グランツール制覇に王手をかけたフルームがマリアローザを着てアルプス最終決戦に挑む。
text&photo:Kei Tsuji in Colle delle Finestre, Italy
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