2018/05/07(月) - 12:05
3日間のイスラエルステージが無事に終了した。ジロは、4機のチャーター機に分かれて、イタリアを目指す。ジロ第3ステージに模様を現地イスラエルからフォトグラファーの辻啓がレポートします。
写真のクレジットまでご覧になっている方はお気付きの通り、このイスラエルの2日間(第2ステージと第3ステージ)はコース途中での写真撮影ができていない。別に何か悪いことをしでかしたとか、やる気がなくなったとかではなく、単にプレスカーでは物理的に撮影が不可能だったから。という言い訳をしてから本題に入る。
ヨーロッパでのレース取材において、プレス登録を行っているステッカー付きの車はレース通過前のコース走行が許可されている。とは言えコース上で選手たちを追い抜くことは禁止されているので、撮影後は迂回路やショートカットを見つけ出して車を飛ばし、次の撮影ポイントに向かうことが日常になっている。慣れれば、プレスカーで1日平均3〜4カ所での撮影が可能になる。
ところが、ここイスラエルではそれができない。何しろコースを管理しているのはロードレースを初めて見るような警察官や警備員で、プレスの動き方は把握しておらず、融通が利かない。融通が利かないどころかアルファベットを読めない(読めるかもしれないけど読めないと主張する)人もいて、プレスステッカーの「PRESS」の意味を説明してもダメの一点張り。
イタリアと同じ地中海性気候でも、自転車競技がたっぷり染み込んだ土壌がないものだから、プレスの動きなんて考慮されていない。先回りしてもコースに入れずに渋滞にひっかかるなんてことがありえるので、とにかくフィニッシュを優先して2日連続泣く泣くコース途中の撮影をパスした。実際にコース途中で撮影したフォトグラファーはフィニッシュにたどり着けないという悪夢に見舞われている。
第3ステージはネゲヴ砂漠を突っ切る。砂漠といってもサハラや鳥取砂丘のような砂サラサラ系ではなく、石ゴツゴツ系の土漠。(行ったことはないけど)月面のような、もしくは映画マッドマックスに出てきそうな荒野を貫く1本道を走るので、レースコース以外に選択肢がほぼない。つまり大会関係車両はすべてコースを走ってフィニッシュを目指すことになる。ダイナミックなマクテシュラモン(ラモンクレーター)を駆け下り、そしてまた駆け上がり、延々と続く遠隔地を走る。携帯電話はつながらない。
小石混じりで砂の浮いた光沢のある舗装は滑りやすく、特に白線の上はグリップが効かない。路面状況に関しては南イタリアによく似ている。知り合いのチームメカニックやシマノのニュートラルサービスのスタッフに聞いたところ、特にパンクが多いような印象ではないとのことだが、ただただ滑りやすい。スタート地点に嵐のような乳房雲が立ち込め、雨粒がパラパラと落ちたのでハラハラしたが、数滴落ちただけで路面が濡れるようなことはなかった。
イスラエルの交通事情を記しておくと、ヨーロッパ諸国と同じ右側通行で、ハンドルは左。意外にもオートマ車が多い。交通標識はヘブライ語、アラビア語、アルファベットの3カ国語表記が標準になっており、標識を見るたびに知っている文字を探すことになる。
主催者RCSスポルトはドバイツアーとアブダビツアーで海外レース開催の下地を作ったものの、グランツールの規模をヨーロッパの外に持ち出すのは桁違いに手間がかかる。これまでオランダやデンマーク、アイルランドでのジロ開幕を経験しているが、やはりヨーロッパ以外の国での開幕は様々な面でハードルが高い。
まず、陸路でイスラエルに車両を持ち込めない。大型の中継車両はフェリーで地中海を渡ってきたが、チーム関係車両はすべて主催者がイスラエル現地で手配した。地元チームのイスラエルサイクリングアカデミーを除いて、各チームに支給されたのは選手移動用のバン1台と機材運搬用トラック2台、そしてチームカー4台。チームカーはフォードもしくは起亜自動車(キア)、現代自動車(ヒュンダイ)のステーションワゴンもしくはハッチバックで、ほぼ完璧なチームカラーのラッピングは主催者が施したもの。事前にチームが主催者にカラーオーダーを送り、3日間限定のチームカーが誕生した。
ヨーロッパ以外のレースで主催者がチームカーを用意するのはよくあることだが、しっかりとラッピングが施されたチームカーを全チーム揃えたのはおそらくこのジロが初めて。例えばツアー・オブ・オマーンやアブダビツアーなどの中東レースでは同じモデルの同じカラーの車にチームのステッカーを貼っただけ。中東レースを走った選手曰く、チームカーに特徴がないので、レース中に自分のチームを見つけることは困難を極めるらしい。
なお、チームカーはイスラエルでの3ステージが終了すると返却され、ラッピングは剥がされる。ジロでレースを走った車両が今後レンタカーや中古車としてイスラエルを走ることになるのかもしれない。
イスラエルからイタリアへの移動、細かく言えば第3ステージのフィニッシュ地点エイラートから第4ステージのスタート地点カターニアまでの移動のために、主催者はチャーター機を4機と、ボーイング747の貨物機を1機手配した。チームのためにバイク880台とホイール2700本のスペースを確保しており、ざっくり言うと選手一人につき5台、ホイール15本のキャパシティが用意されていることになる。
わざわざピンクのチームバイクを用意したチームもいるが、実際はキャパシティいっぱいいっぱいまで機材を持ち込んだチームはおらず、平均的には各選手ロードバイク2台とTTバイクが1台の合計3台ずつ。TTバイクは第1ステージ終了後すぐ、その日のうちに空路でイタリアへ送られている。
第3ステージの翌日、5月7日に選手や大会関係者は7時10分出発(9時50分到着)、8時50分出発(11時30分到着)、9時40分出発(12時10分到着)、10時20分出発(12時55分到着)の4便に分かれて地中海を渡る。サルデーニャ島で3日間を過ごしてからチャーター機で飛んだ昨年と同様に、ジロはシチリア島で再始動する。
とにかく無事にイスラエルの3日間が終了。チームプレゼンテーションが遠い過去のように感じるが、ジロ閉幕までまだしっかり3週間ある。
text&photo:Kei Tsuji in Eilat, Israel
写真のクレジットまでご覧になっている方はお気付きの通り、このイスラエルの2日間(第2ステージと第3ステージ)はコース途中での写真撮影ができていない。別に何か悪いことをしでかしたとか、やる気がなくなったとかではなく、単にプレスカーでは物理的に撮影が不可能だったから。という言い訳をしてから本題に入る。
ヨーロッパでのレース取材において、プレス登録を行っているステッカー付きの車はレース通過前のコース走行が許可されている。とは言えコース上で選手たちを追い抜くことは禁止されているので、撮影後は迂回路やショートカットを見つけ出して車を飛ばし、次の撮影ポイントに向かうことが日常になっている。慣れれば、プレスカーで1日平均3〜4カ所での撮影が可能になる。
ところが、ここイスラエルではそれができない。何しろコースを管理しているのはロードレースを初めて見るような警察官や警備員で、プレスの動き方は把握しておらず、融通が利かない。融通が利かないどころかアルファベットを読めない(読めるかもしれないけど読めないと主張する)人もいて、プレスステッカーの「PRESS」の意味を説明してもダメの一点張り。
イタリアと同じ地中海性気候でも、自転車競技がたっぷり染み込んだ土壌がないものだから、プレスの動きなんて考慮されていない。先回りしてもコースに入れずに渋滞にひっかかるなんてことがありえるので、とにかくフィニッシュを優先して2日連続泣く泣くコース途中の撮影をパスした。実際にコース途中で撮影したフォトグラファーはフィニッシュにたどり着けないという悪夢に見舞われている。
第3ステージはネゲヴ砂漠を突っ切る。砂漠といってもサハラや鳥取砂丘のような砂サラサラ系ではなく、石ゴツゴツ系の土漠。(行ったことはないけど)月面のような、もしくは映画マッドマックスに出てきそうな荒野を貫く1本道を走るので、レースコース以外に選択肢がほぼない。つまり大会関係車両はすべてコースを走ってフィニッシュを目指すことになる。ダイナミックなマクテシュラモン(ラモンクレーター)を駆け下り、そしてまた駆け上がり、延々と続く遠隔地を走る。携帯電話はつながらない。
小石混じりで砂の浮いた光沢のある舗装は滑りやすく、特に白線の上はグリップが効かない。路面状況に関しては南イタリアによく似ている。知り合いのチームメカニックやシマノのニュートラルサービスのスタッフに聞いたところ、特にパンクが多いような印象ではないとのことだが、ただただ滑りやすい。スタート地点に嵐のような乳房雲が立ち込め、雨粒がパラパラと落ちたのでハラハラしたが、数滴落ちただけで路面が濡れるようなことはなかった。
イスラエルの交通事情を記しておくと、ヨーロッパ諸国と同じ右側通行で、ハンドルは左。意外にもオートマ車が多い。交通標識はヘブライ語、アラビア語、アルファベットの3カ国語表記が標準になっており、標識を見るたびに知っている文字を探すことになる。
主催者RCSスポルトはドバイツアーとアブダビツアーで海外レース開催の下地を作ったものの、グランツールの規模をヨーロッパの外に持ち出すのは桁違いに手間がかかる。これまでオランダやデンマーク、アイルランドでのジロ開幕を経験しているが、やはりヨーロッパ以外の国での開幕は様々な面でハードルが高い。
まず、陸路でイスラエルに車両を持ち込めない。大型の中継車両はフェリーで地中海を渡ってきたが、チーム関係車両はすべて主催者がイスラエル現地で手配した。地元チームのイスラエルサイクリングアカデミーを除いて、各チームに支給されたのは選手移動用のバン1台と機材運搬用トラック2台、そしてチームカー4台。チームカーはフォードもしくは起亜自動車(キア)、現代自動車(ヒュンダイ)のステーションワゴンもしくはハッチバックで、ほぼ完璧なチームカラーのラッピングは主催者が施したもの。事前にチームが主催者にカラーオーダーを送り、3日間限定のチームカーが誕生した。
ヨーロッパ以外のレースで主催者がチームカーを用意するのはよくあることだが、しっかりとラッピングが施されたチームカーを全チーム揃えたのはおそらくこのジロが初めて。例えばツアー・オブ・オマーンやアブダビツアーなどの中東レースでは同じモデルの同じカラーの車にチームのステッカーを貼っただけ。中東レースを走った選手曰く、チームカーに特徴がないので、レース中に自分のチームを見つけることは困難を極めるらしい。
なお、チームカーはイスラエルでの3ステージが終了すると返却され、ラッピングは剥がされる。ジロでレースを走った車両が今後レンタカーや中古車としてイスラエルを走ることになるのかもしれない。
イスラエルからイタリアへの移動、細かく言えば第3ステージのフィニッシュ地点エイラートから第4ステージのスタート地点カターニアまでの移動のために、主催者はチャーター機を4機と、ボーイング747の貨物機を1機手配した。チームのためにバイク880台とホイール2700本のスペースを確保しており、ざっくり言うと選手一人につき5台、ホイール15本のキャパシティが用意されていることになる。
わざわざピンクのチームバイクを用意したチームもいるが、実際はキャパシティいっぱいいっぱいまで機材を持ち込んだチームはおらず、平均的には各選手ロードバイク2台とTTバイクが1台の合計3台ずつ。TTバイクは第1ステージ終了後すぐ、その日のうちに空路でイタリアへ送られている。
第3ステージの翌日、5月7日に選手や大会関係者は7時10分出発(9時50分到着)、8時50分出発(11時30分到着)、9時40分出発(12時10分到着)、10時20分出発(12時55分到着)の4便に分かれて地中海を渡る。サルデーニャ島で3日間を過ごしてからチャーター機で飛んだ昨年と同様に、ジロはシチリア島で再始動する。
とにかく無事にイスラエルの3日間が終了。チームプレゼンテーションが遠い過去のように感じるが、ジロ閉幕までまだしっかり3週間ある。
text&photo:Kei Tsuji in Eilat, Israel
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