2017/11/22(水) - 11:53
おきなわ市民210kmで高岡亮寛に次いで2位となった松木健治(VC VELOCE)のレポートをお届け。仕事で転勤、環境の変化と多忙のためトレーニングはままならなかったが、たった3ヶ月の短期間で勝てる身体に仕上げた。サラリーマンレーサーの不屈の魂を感じさせるレポートだ。
まず、私のツール・ド・おきなわの過去の出場と順位の履歴は以下の通りだ。
2005年 市民80km 2位
2007年 市民120km 6位
2008年 市民200km 6位
2009年 市民200km 3位
2012年 市民210km 30位
2016年 市民210km 5位
事前準備
今年は一月の転勤で大阪勤務から東京勤務となり、仕事の環境と生活環境が激変したことで、まともにトレーニングできない状態が続き、1月〜7月まではただひたすら我慢の日々を過ごした。実業団レースを数レース走ったが、思うように身体は動かず、まったく登れなくなっており、ボロボロの結果で、今年の私の状態を見て要注意とする人はいなかっただろう。
8月に地元の京都に帰った時に昨年から一緒にトレーニングしている井上亮さん(昨年市民210kmで2位)と一緒に走ったが、まったく着いていけずに悔しさを嚙み締め、このまま自転車競技から去ってしまいそうだった。自分を見つめなおし、身体が動くうちは挑戦をあきらめてはいけないと目標を作るためにツール・ド・おきなわへのエントリーを決意。
市民210kmは国内最強のアマチュアレーサー決定戦につき、その最高峰のレベルでの凌ぎを削るレースをしないと出場する意味がない。そのためには、最高の準備をしなければならない。8月から3か月間で市民レース210kmと沖縄の気候に耐えうる身体を作っていく。
今年は環境も変わり、これまで大阪で走っていたメンバーとも離れてしまったが、引っ越してからは長年のライバル奈良浩さん(フィッツ)が丁寧にお世話してくださり、毎週末奈良さん主催の埼玉方面の「ひるさい」に参加させていただき、多くの素晴らしい方と一緒に練習させていただいた。そしてレース直前まで練習にお付き合いいただい奈良さんには感謝しかない。
平日は毎日1時間程度の出勤前のローラー。練習量は皆さんから比べると相当少ないが、家族と仕事のバランスを考えるとギリギリラインだ。7月までは体重がなかなか減らなかったが、60kg程度あった体重をゆっくり57kgまで減少させていく。大きく食事を減らすようなことは一切せずに、徐々に減らしていったが、時折仕事のストレスで暴飲暴食が止まらなくなり、0時頃に帰ってきて思いっきりご飯食べて、寝る前に800gのフルーツグラノーラの袋にスプーンを突っ込んで貪り食っては自己嫌悪に陥ることを繰り返したりした(笑)。
体重が落ちても出力が落ちるようなことはなく、むしろ出力は上がっていき、パワーメーターの値も過去最高の数値を更新。直前は20minを普通に走って5.65倍くらい。10月のジャパンカップでも走れる感覚には手ごたえは掴んでおり、自信をもって挑めるレベルに調整が整った。
しかしライバルの皆さんは強い。高岡さんの強さは何度もやりあっているので痛いほどよく知っている。去年のあの驚異的な強さはチギられた側からしても笑うしかないレベルの強さだ。そして、井上さんの今年の仕上がりが半端ないのは10月の沖縄対策練で一緒に走った時に痛感している。特にフィジカル面の強さは群を抜いている。この二人を相手に私が独走力で勝てることはない。
そして森本誠さん。登坂力では間違いなく国内最強揺るぎなく、後半に脚を残されるとかなわない。
私の勝てる要素は唯一スプリントくらいであることは自分自身がよくわかっている。加えて中村龍太郎さん、清宮さん、青木さん、河合さん、小畑さん、岩島さん、田崎さん、そしてダークホースのJPTで結果を残し絶好調の佐藤さんらと、国内最強レーサーがほぼ全員出そろう。最高の舞台で最強のライバル達と国内最強決定戦ができることが最大の楽しみだ。
仕事の繁閑が読めず、休みを入れられそうもなかったので、前日の土曜日に沖縄に向けて移動。前日はチームメートと一緒に沖縄そばにタコライスやら炭水化物中心の食事をして、追加でくるみパンや、スパムおにぎりやら放り込み、エネルギー充填。
当日は、食パンにチョコレートクリーム塗って腹の中にエネルギーを入れ、レース前にアミノバイタルと2RUNを注入。
ポケットの中の補給食は以下のとおりだ。
MagOn×6、スポーツ羊羹×3、アミノバイタル・パーフェクトエナジー×2、梅丹サイクルチャージ1本、バランスパワー1箱(よく考えたら2000kcalくらいあるな...。)。ボトルの中身は梅丹の電解質パウダーだ。
気温は20度くらいでやや肌寒いくらいだが、沖縄の暑さに去年やられているので、後半暑くなることも想定してヘルメット、ソックス等も含め極力涼しさと軽さ重視のスタイルをチョイスした。昨年は腎臓結石に苦しめられ、30分に一度はトイレに行かないと耐えられない状況でのスタートだったが、今年は体調面はほぼベストな状態。昨年のシードを活用させて頂きゆっくりスタートラインに並ぶ。
【レースレポート】
07時27分肌寒い中レーススタート。レース開始直後から筧五郎さん含めた8名程の逃げができるが、先は長いので静観する。序盤は集団内の位置取りだけを意識して落車リスクを極小にするように走る。高岡さんはじめ有力選手は終始安定したポジションを維持。
40km時点くらいで後ろから落車の音が聞こえてきて、残念なことにチームメンバーや友人も何名か巻き込まれてしまう。有力選手は前のほうに居たので、ダメージはなさそうかと思ったけど、あとから聞いたら大小被害があった様子。
70km地点の登り口まではとにかく温存して固形の補給食をこまめに食べて後半に向けての準備。ここまでは平均パワー175w、平均心拍121、平均ケイデンス95というサイクリング程度の強度。
一度目の普久川ダムの登りは、足の状態を確かめながらとにかく楽に登る。18分30秒268w。気温は沖縄にしては低めだけど、汗がじわじわ滲み出て一本目のボトルを補給所で受け取る。北側も大きな動きは無くまったりペースで進み、二回目の普久川ダムへ。
高岡さんが入口であげる動きを見せ、岩島さんが抜け出す動きがあったものの一回目と大して変わらないペースで不気味なくらいに落ち着いたペースで通過。18分30秒262w。大集団のままで補給ポイントを通過し、2本目のボトルを受け取る。補給所からの下りで井上さんが前に上がっていくのを確認し、雑賀さんが危険を察して前にいくのを見て私も前へ。雑賀さんのこの辺のレース勘はさすが。
ここから70km。レースがいよいよ始まる。最大の勝負ポイントとなる学校坂からのアップダウン区間に突入し、井上さんが坂の入口からペースアップ。森本さん、高岡さんも前に。ここは最前列で走らないとやられる勝負ポイント。パワー的には5分338wくらい。
力をややセーブ気味にアタックに警戒しながら登る感じで昨年のような強烈なきつさはなく、ピークで後ろを振り返ると40人くらいはいるのか。今年は沖縄特有の暑さもなく、ここまでのペースもハイペースではなかったため体力的な消耗は少なかったことに加え、参加者のレベルがあがっているのもあるだろう。
登り終えて、アップダウン区間に入ると高岡さんが絞り込みにかかりアタックをかけ始める。昨年はここで行かれてしまったので必死に封じる。清宮さんや青木さん森本さんあたりもここは耐えどころとわかっているので一緒に耐える感じ。この動きを最大限に活用し集団のスリム化を進めていきたい。
160km地点くらいで井上さんと「今年はなかなか人数が減りませんな」と話していると、「まだまだ先は長いですから」とニヤリ。これからドンドン振り落としをかけていくつもりのようだ。恐ろしや。ここから高岡さんと井上さんの攻撃が連続して繰り返される。この二人のフィジカル面の力は突出している。
ここは単独で行かれないように、無理をして自爆しないようにポジション取りや周囲のメンバーの思惑を考えながらギリギリの攻防。高岡さんと小畑さんが下りで抜けていき50mくらい開いたタイミングあったが井上さんがつぶしに行ったりと、なかなかの激しい撃ち合い。
そうこうしていると、細かいアタックのジャブが効いてきて、こちらもどんどん足が削られていく。たまらずにチギれる人も増えてきて集団も20名くらいまで減ったか。慶佐次の補給所の登りで補給を取るのに一瞬下がったときに、高岡さん、井上さんがペースをあげてやや先行し、差が開く。5mの距離が命取りになるシチュエーションなのでマズい。このメンツで行かせてはならん。ここは何があろうと食らいつくしかなく、ここでかなり脚が削られる。私の後ろにいたメンバーもかなりキツそう。
下って以前の200kmコースへの源河の登りの分岐で、2009年おきなわを思い出す。そのときは森本さん、高岡さん、清宮さん、武井さんと私の5人。あれから8年経ってもまた同じメンバーでやり合っているのが面白く、あのときの高岡さんの驚異的な登りの強さの前に武井さんと二人で失神しそうになりながら必死に追走した記憶が蘇る。ここからは精神力の勝負だ。
あと登りは3つほどだが、私の脚も悲鳴をあげはじめている。大腿四頭筋がダンシングをすると痙攣する。
無理をすると脚が完全に逝ってしまうので、ダンシングはここから封印。
登りの都度、森本さん、井上さん、高岡さんが振り落としにきている。痙攣して一触即発で爆発しそうな脚の筋肉を抑え込み、極限状態で耐える。脚の状態的に、自ら攻撃を仕掛けにいくことは相当厳しい。
羽地ダムへのアプローチ時点では、覚えている範囲で、高岡さん、井上さん、森本さん、清宮さん、青木さん、田崎さん、河合さん、龍太郎さん、佐藤さん、松島さん、利田さんだったか。この中で松島さんと利田さんの力が未知数。
松島さんはジャパンカップの時に「なるしまに見慣れない強い人がいるなー」と思っていたので、相当力はありそう。利田さんは「頑張ってますね」と声をかけたら「奇跡的に生き残っています」と笑顔で笑っていたが、牽制が入ってペースダウンした先頭集団から男のロマンを求めて飛び出して行った。最大15秒差くらいまで広げる走りを見せていただいた。
河合さんに様子を尋ねると、「前半の落車で肋骨と膝がやられたっぽい」と。その状態でも走る精神力に脱帽する。最高のメンバーで、最後の勝負どころ羽地ダムへ。前日の試走で300w程度で走ったら5分と測っていたので、ここからの5分で今年一年最大の我慢をすると腹を括る。
登り出してまもなく左足のハムストリングが強烈に痙攣。続いて右脚のふくらはぎが悲鳴。もう痛いとかいう次元を越える。歯を食いしばり、脚が痙攣で完全ストップしないように痛みを無視してペダルを回す。ダンシングは使えないので、シッティングでまだ生きている筋肉で回すしかない。
青木さんや龍太郎さんらの気配が消え、松島さんが苦しみながらも耐えている。トンネルが見えてきて、あと少しと思っていると森本さんがペースを上げ始める。さすが山の神、まだ足が残っているか....。勘弁してくれ...。と思いながら、究極の我慢。
トンネル超えたらチームのメンバーが応援に立ってくれると言っていたので、そこまでは死んでも粘らねばと自分に言い聞かせ、攻撃をしのぐ。
トンネルを超えてから急坂で清宮さんが遅れるが、佐藤さんがギリギリ首の皮一枚で生き残っている。この究極状態でも羽地は4分40秒322w。昨年は青木さんと河合さんと三人で250wだったので、今年のコンディションの違いを物語る。
ピークを越えて3段坂をこなし、ダムからの下りへ。ここまで来てチギれるわけにはいかない。最終的な生き残りは高岡さん、井上さん、森本さん、佐藤さん、松島さんと私の6名。
下りに入り、コーナーリングのたびに外側の脚を踏ん張ると四頭筋が攣る。ここはシクロクロス的な曲がり方を駆使して少し違う筋肉を使って曲がるが、最後の58号線に入る鋭角コーナーで脚にピキピキと電気が走ったような感覚になり、停まりそうになる。続いて最後のイオン坂。ここで誰かが思いっきり本気で仕掛けたら私のこの脚の状態ではチギれていたと思う。しかし皆同じような状態なのか、誰も決定的に動けず。
イオン坂を下るとあとは平坦。優勝はこの6名の中から出る。それぞれの様子を伺う。高岡さんはあれだけアタックしても足が攣っている様子もなく、まだ一番脚が残っていそうか。井上さんはポーカーフェイスなので疲労度がわからないが、走りを見ている限り極限という感じはしない。森本さんのスプリント力はわからないが、ピュアクライマーなので大丈夫かな。
佐藤さんはローテを2度ほど飛ばしたり、ローテ回るのもかなり苦しそうだが、一番スプリント力はある。松島さんはデータがないのでまったくわからん...。
ピュアスプリンターがいないなか、クリテリウムみたいなレースなら絶対勝てる自身があるが、200km以上走ってきてボロボロ状態のダンシングが使えないこの痙攣しまくっている脚の状態で勝算はあるのか?優勝するには理想的展開で最大のチャンスではないか?という自問自答をしながら、ラスト1kmへ。
井上さんが先頭で入り、その番手に高岡さん。高岡さんはそこから冷静に前に出ずに井上さんに牽かせる。先頭に出てしまった井上さんの脚質からは唯一の選択である早掛けへ。「井上さん、まだ行っちゃダメだ!」と一瞬思ったが、高岡さんがそれにぴったり合わせ加速。その番手から私が行く。
が、加速の瞬間に強烈な痛みが走り、完全に左脚が逝ってしまっており、腰があげられない。シッティングのみで出しうる限りもがいたが、高岡さんには届かず。2位だった。やはりチャンピオンは強かった。あれだけの攻撃を繰り返しながら、最後にスプリントする脚を残していた時点で完敗だ。
私はなんとかチギれず6名の少人数スプリントまで持ち込んだまでは理想的だったが、高岡さんと井上さんの終盤の攻撃に確実に脚を削られ、スプリントする力を残せなかった。これもまた実力と経験の差と言わざるを得ない。井上さんとは何度も練習を一緒に共にしてきた同士なので一緒に表彰台に上がりたかったが、昨年とほぼ逆の展開で2位を痛み分けすることになろうとは...。
2009年の3位からようやく進歩し、2位へ。チャンプ高岡さんを倒す数少ないチャンスを逃した感覚と、今年前半のどん底状態から這い上がり、持てる力を120%出し切ってゴールした達成感とが複雑に絡み合う。
3か月間の集中トレーニングでここまで仕上げたことは、また来年につながるだろう。5時間25分の濃密な戦いはたくさんのドラマがあり、今年も最高に楽しかった。実力的には私以上の選手がたくさんいて、みんなの脚が限界になるまで走り続けるレースはほかにはない。
【プロフィール】松木健治(まつき・けんじ)
年齢:37歳
身長:168センチ
体重57.5kg
体脂肪率:5%
所属チーム:VC VELOCE、有限会社村上建具工房ハイランダー
戦歴:実業団E1カテゴリー通算20勝他入賞多数、MTB王滝100km優勝
その他:冬場はシクロクロス、トレイルランニング、マラソン等にも取り組み
過去スポーツ歴:陸上競技(短距離選手)
家族:妻、子供二人(6歳、3歳)
【使用機材】
私の自転車は青く塗装され、私の名前と大阪北摂の自転車仲間の集まり「PROJECT PONPOKO」(関西はチームの垣根を越えて、皆で強くならねばという思いから出来た練習会サークル)のステッカーが貼られた謎の自転車。私の自転車整備は全て兵庫県の篠山にある工房ハイランダーの代表である村上社長に長年一任している。
こちらの自転車は、8月に私が沖縄を目指すことに決めたときにこれを使ってくださいとお借りしたもので、すべて私が沖縄で戦うために塗装からステッカーまでカスタマイズしてくれた。私が村上さんに全て任せるのは本当の選手目線でメカニックをやってくれるからにほかならず、今回も篠山からわざわざサイクルモードの出張に併せて埼玉まで自転車の最終調整に来てくれた。8月に乗った瞬間に私に合わせた完璧なポジションに仕上げられており、乗った瞬間に衝撃的な出会い。かつてここまで乗りやすい自転車はなかったと思えるくらいに身体にベストマッチ。
青い塗装の中身はキャノンデールのEVO。合わないヒトもいるかもしれないけど、私にとってはこれまで7台くらい乗り継いできたなかでピカイチの性能。振動吸収、軽さ、コーナーリングどれをとってもどの自転車よりも上をいくレベル。
今まであまりフレームの差は大してないと思っていたが、世界観が変わるほどに走りが変わり、いきなり登りのタイムに効果が現れた。今回の後半の我慢大会に耐え抜いたのも、そのフレームによる効果が大きい。TTバイクとシクロクロスもキャノンデールを使用しており、私にとってはもっとも乗りやすいメーカーである。
ホイールはROVAL CLX40チューブラーを使用。直前に村上氏によるメンテを経て最高に回る状態に。このホイールは登りから平坦までオールラウンドに走れて最強のホイールだと思う。
その他パーツ
タイヤ:CONTINENTAL COMPETITION
Fディレイラー:デュラエース9100、
Rディレイラー:デュラエース9100
クランク:デュラエース9000(52-36、167.5mm)
ブレーキ:デュラエース9000、
ペダル:デュラエース9000
STI:アルテグラ6800
ハンドル:FSAアルミ
シートポスト:THOMSONアルミ
サドル:マントラ
サングラス:オークリー。
ジャージ:サンボルト
パワーメーター:パイオニアペダリングモニターを愛用。
レース仕様で大体重量は6.9kgくらい。
末筆ながら自転車競技の魅力を教えて頂いて岡山のサイクルショップフリーダムの恒次店長、競技レベル向上の指導を頂き自転車の魅力を教えて頂いたシルベストサイクルの山崎店長、遠方の私をサポート頂き、常に励まして頂いた苗村監督はじめVCVELOCEの皆様、機材面を常にサポートしてくだる工房ハイランダーの村上さん、埼玉で練習ご一緒頂いたメンバーの皆様に深く感謝申しあげます。
text:Kenji.MATSUKI
まず、私のツール・ド・おきなわの過去の出場と順位の履歴は以下の通りだ。
2005年 市民80km 2位
2007年 市民120km 6位
2008年 市民200km 6位
2009年 市民200km 3位
2012年 市民210km 30位
2016年 市民210km 5位
事前準備
今年は一月の転勤で大阪勤務から東京勤務となり、仕事の環境と生活環境が激変したことで、まともにトレーニングできない状態が続き、1月〜7月まではただひたすら我慢の日々を過ごした。実業団レースを数レース走ったが、思うように身体は動かず、まったく登れなくなっており、ボロボロの結果で、今年の私の状態を見て要注意とする人はいなかっただろう。
8月に地元の京都に帰った時に昨年から一緒にトレーニングしている井上亮さん(昨年市民210kmで2位)と一緒に走ったが、まったく着いていけずに悔しさを嚙み締め、このまま自転車競技から去ってしまいそうだった。自分を見つめなおし、身体が動くうちは挑戦をあきらめてはいけないと目標を作るためにツール・ド・おきなわへのエントリーを決意。
市民210kmは国内最強のアマチュアレーサー決定戦につき、その最高峰のレベルでの凌ぎを削るレースをしないと出場する意味がない。そのためには、最高の準備をしなければならない。8月から3か月間で市民レース210kmと沖縄の気候に耐えうる身体を作っていく。
今年は環境も変わり、これまで大阪で走っていたメンバーとも離れてしまったが、引っ越してからは長年のライバル奈良浩さん(フィッツ)が丁寧にお世話してくださり、毎週末奈良さん主催の埼玉方面の「ひるさい」に参加させていただき、多くの素晴らしい方と一緒に練習させていただいた。そしてレース直前まで練習にお付き合いいただい奈良さんには感謝しかない。
平日は毎日1時間程度の出勤前のローラー。練習量は皆さんから比べると相当少ないが、家族と仕事のバランスを考えるとギリギリラインだ。7月までは体重がなかなか減らなかったが、60kg程度あった体重をゆっくり57kgまで減少させていく。大きく食事を減らすようなことは一切せずに、徐々に減らしていったが、時折仕事のストレスで暴飲暴食が止まらなくなり、0時頃に帰ってきて思いっきりご飯食べて、寝る前に800gのフルーツグラノーラの袋にスプーンを突っ込んで貪り食っては自己嫌悪に陥ることを繰り返したりした(笑)。
体重が落ちても出力が落ちるようなことはなく、むしろ出力は上がっていき、パワーメーターの値も過去最高の数値を更新。直前は20minを普通に走って5.65倍くらい。10月のジャパンカップでも走れる感覚には手ごたえは掴んでおり、自信をもって挑めるレベルに調整が整った。
しかしライバルの皆さんは強い。高岡さんの強さは何度もやりあっているので痛いほどよく知っている。去年のあの驚異的な強さはチギられた側からしても笑うしかないレベルの強さだ。そして、井上さんの今年の仕上がりが半端ないのは10月の沖縄対策練で一緒に走った時に痛感している。特にフィジカル面の強さは群を抜いている。この二人を相手に私が独走力で勝てることはない。
そして森本誠さん。登坂力では間違いなく国内最強揺るぎなく、後半に脚を残されるとかなわない。
私の勝てる要素は唯一スプリントくらいであることは自分自身がよくわかっている。加えて中村龍太郎さん、清宮さん、青木さん、河合さん、小畑さん、岩島さん、田崎さん、そしてダークホースのJPTで結果を残し絶好調の佐藤さんらと、国内最強レーサーがほぼ全員出そろう。最高の舞台で最強のライバル達と国内最強決定戦ができることが最大の楽しみだ。
仕事の繁閑が読めず、休みを入れられそうもなかったので、前日の土曜日に沖縄に向けて移動。前日はチームメートと一緒に沖縄そばにタコライスやら炭水化物中心の食事をして、追加でくるみパンや、スパムおにぎりやら放り込み、エネルギー充填。
当日は、食パンにチョコレートクリーム塗って腹の中にエネルギーを入れ、レース前にアミノバイタルと2RUNを注入。
ポケットの中の補給食は以下のとおりだ。
MagOn×6、スポーツ羊羹×3、アミノバイタル・パーフェクトエナジー×2、梅丹サイクルチャージ1本、バランスパワー1箱(よく考えたら2000kcalくらいあるな...。)。ボトルの中身は梅丹の電解質パウダーだ。
気温は20度くらいでやや肌寒いくらいだが、沖縄の暑さに去年やられているので、後半暑くなることも想定してヘルメット、ソックス等も含め極力涼しさと軽さ重視のスタイルをチョイスした。昨年は腎臓結石に苦しめられ、30分に一度はトイレに行かないと耐えられない状況でのスタートだったが、今年は体調面はほぼベストな状態。昨年のシードを活用させて頂きゆっくりスタートラインに並ぶ。
【レースレポート】
07時27分肌寒い中レーススタート。レース開始直後から筧五郎さん含めた8名程の逃げができるが、先は長いので静観する。序盤は集団内の位置取りだけを意識して落車リスクを極小にするように走る。高岡さんはじめ有力選手は終始安定したポジションを維持。
40km時点くらいで後ろから落車の音が聞こえてきて、残念なことにチームメンバーや友人も何名か巻き込まれてしまう。有力選手は前のほうに居たので、ダメージはなさそうかと思ったけど、あとから聞いたら大小被害があった様子。
70km地点の登り口まではとにかく温存して固形の補給食をこまめに食べて後半に向けての準備。ここまでは平均パワー175w、平均心拍121、平均ケイデンス95というサイクリング程度の強度。
一度目の普久川ダムの登りは、足の状態を確かめながらとにかく楽に登る。18分30秒268w。気温は沖縄にしては低めだけど、汗がじわじわ滲み出て一本目のボトルを補給所で受け取る。北側も大きな動きは無くまったりペースで進み、二回目の普久川ダムへ。
高岡さんが入口であげる動きを見せ、岩島さんが抜け出す動きがあったものの一回目と大して変わらないペースで不気味なくらいに落ち着いたペースで通過。18分30秒262w。大集団のままで補給ポイントを通過し、2本目のボトルを受け取る。補給所からの下りで井上さんが前に上がっていくのを確認し、雑賀さんが危険を察して前にいくのを見て私も前へ。雑賀さんのこの辺のレース勘はさすが。
ここから70km。レースがいよいよ始まる。最大の勝負ポイントとなる学校坂からのアップダウン区間に突入し、井上さんが坂の入口からペースアップ。森本さん、高岡さんも前に。ここは最前列で走らないとやられる勝負ポイント。パワー的には5分338wくらい。
力をややセーブ気味にアタックに警戒しながら登る感じで昨年のような強烈なきつさはなく、ピークで後ろを振り返ると40人くらいはいるのか。今年は沖縄特有の暑さもなく、ここまでのペースもハイペースではなかったため体力的な消耗は少なかったことに加え、参加者のレベルがあがっているのもあるだろう。
登り終えて、アップダウン区間に入ると高岡さんが絞り込みにかかりアタックをかけ始める。昨年はここで行かれてしまったので必死に封じる。清宮さんや青木さん森本さんあたりもここは耐えどころとわかっているので一緒に耐える感じ。この動きを最大限に活用し集団のスリム化を進めていきたい。
160km地点くらいで井上さんと「今年はなかなか人数が減りませんな」と話していると、「まだまだ先は長いですから」とニヤリ。これからドンドン振り落としをかけていくつもりのようだ。恐ろしや。ここから高岡さんと井上さんの攻撃が連続して繰り返される。この二人のフィジカル面の力は突出している。
ここは単独で行かれないように、無理をして自爆しないようにポジション取りや周囲のメンバーの思惑を考えながらギリギリの攻防。高岡さんと小畑さんが下りで抜けていき50mくらい開いたタイミングあったが井上さんがつぶしに行ったりと、なかなかの激しい撃ち合い。
そうこうしていると、細かいアタックのジャブが効いてきて、こちらもどんどん足が削られていく。たまらずにチギれる人も増えてきて集団も20名くらいまで減ったか。慶佐次の補給所の登りで補給を取るのに一瞬下がったときに、高岡さん、井上さんがペースをあげてやや先行し、差が開く。5mの距離が命取りになるシチュエーションなのでマズい。このメンツで行かせてはならん。ここは何があろうと食らいつくしかなく、ここでかなり脚が削られる。私の後ろにいたメンバーもかなりキツそう。
下って以前の200kmコースへの源河の登りの分岐で、2009年おきなわを思い出す。そのときは森本さん、高岡さん、清宮さん、武井さんと私の5人。あれから8年経ってもまた同じメンバーでやり合っているのが面白く、あのときの高岡さんの驚異的な登りの強さの前に武井さんと二人で失神しそうになりながら必死に追走した記憶が蘇る。ここからは精神力の勝負だ。
あと登りは3つほどだが、私の脚も悲鳴をあげはじめている。大腿四頭筋がダンシングをすると痙攣する。
無理をすると脚が完全に逝ってしまうので、ダンシングはここから封印。
登りの都度、森本さん、井上さん、高岡さんが振り落としにきている。痙攣して一触即発で爆発しそうな脚の筋肉を抑え込み、極限状態で耐える。脚の状態的に、自ら攻撃を仕掛けにいくことは相当厳しい。
羽地ダムへのアプローチ時点では、覚えている範囲で、高岡さん、井上さん、森本さん、清宮さん、青木さん、田崎さん、河合さん、龍太郎さん、佐藤さん、松島さん、利田さんだったか。この中で松島さんと利田さんの力が未知数。
松島さんはジャパンカップの時に「なるしまに見慣れない強い人がいるなー」と思っていたので、相当力はありそう。利田さんは「頑張ってますね」と声をかけたら「奇跡的に生き残っています」と笑顔で笑っていたが、牽制が入ってペースダウンした先頭集団から男のロマンを求めて飛び出して行った。最大15秒差くらいまで広げる走りを見せていただいた。
河合さんに様子を尋ねると、「前半の落車で肋骨と膝がやられたっぽい」と。その状態でも走る精神力に脱帽する。最高のメンバーで、最後の勝負どころ羽地ダムへ。前日の試走で300w程度で走ったら5分と測っていたので、ここからの5分で今年一年最大の我慢をすると腹を括る。
登り出してまもなく左足のハムストリングが強烈に痙攣。続いて右脚のふくらはぎが悲鳴。もう痛いとかいう次元を越える。歯を食いしばり、脚が痙攣で完全ストップしないように痛みを無視してペダルを回す。ダンシングは使えないので、シッティングでまだ生きている筋肉で回すしかない。
青木さんや龍太郎さんらの気配が消え、松島さんが苦しみながらも耐えている。トンネルが見えてきて、あと少しと思っていると森本さんがペースを上げ始める。さすが山の神、まだ足が残っているか....。勘弁してくれ...。と思いながら、究極の我慢。
トンネル超えたらチームのメンバーが応援に立ってくれると言っていたので、そこまでは死んでも粘らねばと自分に言い聞かせ、攻撃をしのぐ。
トンネルを超えてから急坂で清宮さんが遅れるが、佐藤さんがギリギリ首の皮一枚で生き残っている。この究極状態でも羽地は4分40秒322w。昨年は青木さんと河合さんと三人で250wだったので、今年のコンディションの違いを物語る。
ピークを越えて3段坂をこなし、ダムからの下りへ。ここまで来てチギれるわけにはいかない。最終的な生き残りは高岡さん、井上さん、森本さん、佐藤さん、松島さんと私の6名。
下りに入り、コーナーリングのたびに外側の脚を踏ん張ると四頭筋が攣る。ここはシクロクロス的な曲がり方を駆使して少し違う筋肉を使って曲がるが、最後の58号線に入る鋭角コーナーで脚にピキピキと電気が走ったような感覚になり、停まりそうになる。続いて最後のイオン坂。ここで誰かが思いっきり本気で仕掛けたら私のこの脚の状態ではチギれていたと思う。しかし皆同じような状態なのか、誰も決定的に動けず。
イオン坂を下るとあとは平坦。優勝はこの6名の中から出る。それぞれの様子を伺う。高岡さんはあれだけアタックしても足が攣っている様子もなく、まだ一番脚が残っていそうか。井上さんはポーカーフェイスなので疲労度がわからないが、走りを見ている限り極限という感じはしない。森本さんのスプリント力はわからないが、ピュアクライマーなので大丈夫かな。
佐藤さんはローテを2度ほど飛ばしたり、ローテ回るのもかなり苦しそうだが、一番スプリント力はある。松島さんはデータがないのでまったくわからん...。
ピュアスプリンターがいないなか、クリテリウムみたいなレースなら絶対勝てる自身があるが、200km以上走ってきてボロボロ状態のダンシングが使えないこの痙攣しまくっている脚の状態で勝算はあるのか?優勝するには理想的展開で最大のチャンスではないか?という自問自答をしながら、ラスト1kmへ。
井上さんが先頭で入り、その番手に高岡さん。高岡さんはそこから冷静に前に出ずに井上さんに牽かせる。先頭に出てしまった井上さんの脚質からは唯一の選択である早掛けへ。「井上さん、まだ行っちゃダメだ!」と一瞬思ったが、高岡さんがそれにぴったり合わせ加速。その番手から私が行く。
が、加速の瞬間に強烈な痛みが走り、完全に左脚が逝ってしまっており、腰があげられない。シッティングのみで出しうる限りもがいたが、高岡さんには届かず。2位だった。やはりチャンピオンは強かった。あれだけの攻撃を繰り返しながら、最後にスプリントする脚を残していた時点で完敗だ。
私はなんとかチギれず6名の少人数スプリントまで持ち込んだまでは理想的だったが、高岡さんと井上さんの終盤の攻撃に確実に脚を削られ、スプリントする力を残せなかった。これもまた実力と経験の差と言わざるを得ない。井上さんとは何度も練習を一緒に共にしてきた同士なので一緒に表彰台に上がりたかったが、昨年とほぼ逆の展開で2位を痛み分けすることになろうとは...。
2009年の3位からようやく進歩し、2位へ。チャンプ高岡さんを倒す数少ないチャンスを逃した感覚と、今年前半のどん底状態から這い上がり、持てる力を120%出し切ってゴールした達成感とが複雑に絡み合う。
3か月間の集中トレーニングでここまで仕上げたことは、また来年につながるだろう。5時間25分の濃密な戦いはたくさんのドラマがあり、今年も最高に楽しかった。実力的には私以上の選手がたくさんいて、みんなの脚が限界になるまで走り続けるレースはほかにはない。
【プロフィール】松木健治(まつき・けんじ)
年齢:37歳
身長:168センチ
体重57.5kg
体脂肪率:5%
所属チーム:VC VELOCE、有限会社村上建具工房ハイランダー
戦歴:実業団E1カテゴリー通算20勝他入賞多数、MTB王滝100km優勝
その他:冬場はシクロクロス、トレイルランニング、マラソン等にも取り組み
過去スポーツ歴:陸上競技(短距離選手)
家族:妻、子供二人(6歳、3歳)
【使用機材】
私の自転車は青く塗装され、私の名前と大阪北摂の自転車仲間の集まり「PROJECT PONPOKO」(関西はチームの垣根を越えて、皆で強くならねばという思いから出来た練習会サークル)のステッカーが貼られた謎の自転車。私の自転車整備は全て兵庫県の篠山にある工房ハイランダーの代表である村上社長に長年一任している。
こちらの自転車は、8月に私が沖縄を目指すことに決めたときにこれを使ってくださいとお借りしたもので、すべて私が沖縄で戦うために塗装からステッカーまでカスタマイズしてくれた。私が村上さんに全て任せるのは本当の選手目線でメカニックをやってくれるからにほかならず、今回も篠山からわざわざサイクルモードの出張に併せて埼玉まで自転車の最終調整に来てくれた。8月に乗った瞬間に私に合わせた完璧なポジションに仕上げられており、乗った瞬間に衝撃的な出会い。かつてここまで乗りやすい自転車はなかったと思えるくらいに身体にベストマッチ。
青い塗装の中身はキャノンデールのEVO。合わないヒトもいるかもしれないけど、私にとってはこれまで7台くらい乗り継いできたなかでピカイチの性能。振動吸収、軽さ、コーナーリングどれをとってもどの自転車よりも上をいくレベル。
今まであまりフレームの差は大してないと思っていたが、世界観が変わるほどに走りが変わり、いきなり登りのタイムに効果が現れた。今回の後半の我慢大会に耐え抜いたのも、そのフレームによる効果が大きい。TTバイクとシクロクロスもキャノンデールを使用しており、私にとってはもっとも乗りやすいメーカーである。
ホイールはROVAL CLX40チューブラーを使用。直前に村上氏によるメンテを経て最高に回る状態に。このホイールは登りから平坦までオールラウンドに走れて最強のホイールだと思う。
その他パーツ
タイヤ:CONTINENTAL COMPETITION
Fディレイラー:デュラエース9100、
Rディレイラー:デュラエース9100
クランク:デュラエース9000(52-36、167.5mm)
ブレーキ:デュラエース9000、
ペダル:デュラエース9000
STI:アルテグラ6800
ハンドル:FSAアルミ
シートポスト:THOMSONアルミ
サドル:マントラ
サングラス:オークリー。
ジャージ:サンボルト
パワーメーター:パイオニアペダリングモニターを愛用。
レース仕様で大体重量は6.9kgくらい。
末筆ながら自転車競技の魅力を教えて頂いて岡山のサイクルショップフリーダムの恒次店長、競技レベル向上の指導を頂き自転車の魅力を教えて頂いたシルベストサイクルの山崎店長、遠方の私をサポート頂き、常に励まして頂いた苗村監督はじめVCVELOCEの皆様、機材面を常にサポートしてくだる工房ハイランダーの村上さん、埼玉で練習ご一緒頂いたメンバーの皆様に深く感謝申しあげます。
text:Kenji.MATSUKI
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