2017/09/29(金) - 08:55
ジロ・デ・イタリアでも有名なヨーロッパ屈指の激坂として知られるモンテ・ゾンコランに挑むグランフォンド「カルニアクラシック・インターナショナル・フジ-ゾンコラン」が8月27日に開催された。その大会レポートをお届けする。
日本とイタリア相互のイベント
「フジ・ゾンコラン」とは静岡県と、モンテ・ゾンコランを有するイタリアのフリウリ=ヴェネチア・ジュリア州(以下FVG州)が結んだ自転車に関する友好提携で、毎年交互に日本からイタリアへ、あるいはイタリアからの訪日グループを招待して、様々なイベントの開催でおもてなしの交流を深めている。今年はJTB静岡によるグランフォンド参加ツアー4泊6日(8月24日~29日)が企画され、日本からも静岡県副知事はじめサイクリストが参加した。
このレポートは筆者である私、静観篤(しずみ あつし)がイタリア語通訳として帯同し、さらにはゾンコラン越えのグランフォンドに参加したものだ。日本とイタリアの関わり、そしてゾンコランをめぐるイタリアのグランフォンド事情を少しでも知っていただければ幸いと思い筆を執った。
ダニエレ・ポントーニ氏も参加
イタリア到着翌日、ヴェネツィアでの観光を楽しんだツアー参加者は金曜夜にカルニアの地に到着。長旅の疲れをものともせず、翌朝には地元のサイクリストと共にライドに出発。イタリア北東部アルプス地帯の雄大な眺望を楽しみながらの走りを満喫した。チクリズモの本場イタリアでは、ドライバーからサイクリストへの関心と理解が高く、自動車が追い抜く際にはクラクションではなく「フォルツァ!」や「アレー!アレー!」と声援をかけて挨拶してくるなど、日本との自転車文化の違いに多くの参加者が驚きの表情を交えながら、地元の人々との交流を楽しんだ。
彼らツアー参加者は同日夜に地元の歴史的建物のひとつであるミュージアムで開かれたウェルカムパーティにも招待を受けて参加。浴衣姿で現れた日本からの招待客は地元の人々の温かい歓迎をもって迎えられ、地元の人々との交流を大いに楽しんだ。また、このパーティにはシクロクロス元世界チャンピオンのダニエレ・ポントーニ氏がゲスト参加。自身の引退レースを日本の富士で走るなど、日本との因縁とその思い出を語る小さなカンピオーネに、日本からの参加者も興奮。大きな拍手が起こっていた。
モンテ・ゾンコランと今回メイン会場となったトルメッゾは、2018年のジロ・デ・イタリアのステージに組み込まれる。ジロ第2週目の週末、大勢の観客で溢れるこの地をワールドツアーの選手たちが駆け抜け、ゾンコランに挑む姿が見られるというから今から楽しみだ。
ゾンコランへは急なオヴァロ・ルートを選択
Kaizer(帝王)の異名を持つモンテ・ゾンコランの頂上を目指す道は2つある。東から頂上を目指すストリオ・ルートは平均勾配11%距離14.1km。このコースは2003年ジロ・デ・イタリアに第12ステージとして初お目見えした。ジルベルト・シモーニがこのステージに勝利し、続いて総合優勝も成し遂げた。またこのジロには2004年に死去したマルコ・パンターニも出場しており、彼の人生最後となるジロのゾンコランの登りステージを5位でゴールし、出場停止明けの完全復活を世界に知らしめた。
今回のグランフォンドで主催者は激坂で名高いもう1つのオヴァロ・ルートを選んだ。最大勾配22%、平均13.6% 距離8.8kmのヨーロッパ屈指の難坂は、2007年に初めてジロ・デ・イタリアのコースとなった。この年もジルベルト・シモーニが勝利し、史上ただ一人のジロにおける2つのルートのゾンコランステージを連続勝利した選手となった。
勝利後のインタビューで彼はゾンコランの登りについて「ツール・ド・フランス全ステージのいかなるハードな登りでさえも、ゾンコランに比べれば最も楽な区間程度にすぎない。それほどの難坂だった」と答えた。また、この選手の偉業への経緯から、ゾンコランは後にモンテ・シモーニの愛称で呼ばれるようにもなった。以降オヴァロ・ルートは2014年まで過去4度ジロ・デ・イタリアに組み込まれた。2018年に「ゾンコラン、15年の感動」のスローガンのもと、再びジロに帰ってくる。5月19日(土)にゾンコランをゴールとするステージが組み込まれ、翌日曜のステージはトルメッゾがスタートとなる。
フジ-ゾンコランはカルニアクラシックのメインイベント
「カルニアクラシック・インターナショナル・フジ-ゾンコラン」グランフォンドは8月27日(日)早朝に開催された。これは、8月19日から9日間にかけて行われたサイクルフェスティバル「カルニアクラシック」を締めくくるメインイベントとなる。このフェスティバル期間中、ストリオ・ルートを使ったゾンコラン・ヒルクライムTT、ジュニアを含む各アマチュアカテゴリーのレースが行われる。
さらにはナイトランニング、MTBレース、バイクテスト、スピンバイクエクサイズレッスンなどの様々なサイクルイベントの他、野外コンサート、シネマなどが連日開かれる、スポーツ、カルチャーをテーマにした盛大なイベントで、カルニアクラシック村と名付けられたメイン会場のあるトルメッゾ(来年のジロでゾンコランステージのスタート地点となる予定)には地元の人々が昼夜を問わず多数訪れ、年に一度の祭典を楽しんでいた。
静岡県難波副知事もe-bikeで参加
スタート地点には1000人のライダーが集まったほか、静岡県の難波副知事や、友好提携を結ぶ縁となったゾンコランと同じ22%の最大傾斜の日本屈指の難坂、ふじあざみラインを有する同県小山町の込山町長がセレモニーに参加した。なお、難波静岡県副知事は自らもe-bikeに乗り、ライダーとしてもイベントに参加した。
大会には136km 獲得標高3100mのグランフォンドの他、メディオフォンド(104km 獲得標高1970m)、ビギナーや子供向けのチクロペダラータ(30km/300m)が設定されているが、ゾンコランを走れるのはグランフォンドカテゴリーのみだ。しかもこのコースの設定は、2つめの登りとしてゾンコランに挑むものだ。海抜320mのスタート地点トルメッゾからおよそ45km(前半20km登り基調の平坦の後、残りは険しい登り区間)を延々と登り続け、最初の頂上サウリス-セッラ・ディ・ラッツォを目指す。
途中でコースを選べる設定
ここまでの獲得標高は1600mとなり、そこからオヴァロまで一気に下って、ようやくゾンコランの麓、州道123号入口にたどり着くことができる。ここがグランフォンドとメディオフォンドの分岐点でもあり、多くの参加者が最初の登りで脚を使い果たして心が折れるのか、ゾンコランをあきらめて123号線に曲がらずに直進し、ゴール地点のトルメッゾに向かうメディオフォンドのコースを選ぶのも納得がいく。それほどにグランフォンドのコースは過酷なのだ。
ふじあざみラインに例えれば、さながら、小田原からスタートし箱根・御殿場の登り区間を経由してからあざみラインに挑む、というものを想像してもらいたい。 (もっともゾンコランの登りの過酷さはふじあざみラインの比ではない、という事実も追記したい)。ちなみにトルメッゾ-ゾンコランまでのルートは2014年のジロ・デ・イタリア第20ステージの後半部分に相当する。この時は前半にマニアゴ-トルメッゾの平坦区間73kmを走ったあと、トルメッゾからは今回と同じルートでゴールのゾンコランを目指した。なおこのステージは、ティンコフ=サクソのマイケル・ロジャースが勝利している。
グランフォンド=ロードレースのイタリア
本場イタリアのグランフォンドは、完全にロードレースだ。日本のような優しいライドイベントを想像していると痛い目に合う。日本人選手は、ゲストライダーの元シクロクロス世界チャンピオンのダニエレ・ポントーニ氏や、昨年ロード選手を引退した地元出身のアレッサンドロ・ヴァノッティ氏たちとともに第1スタートのグループで先頭に陣取った。
その中の一人、望月美和子さんは国内のヒルクライムレースのほとんどで優勝し実業団Jフェミニンツアーでは本年度ランキング上位につける強者。昨年「Fuji-Zoncolan ヒルクライムin小山町」の女子の部で見事優勝し、今回のイタリアツアー参加を決める。彼女はもちろんゾンコランに挑むコースのグランフォンドを選んだ。スタート地点の望月さんは、前日のウェルカムパーティでの可憐な浴衣姿とは打って変わって、完全に戦闘態勢だ。 実際に彼女は、女子の総合9位、カテゴリー別(女子エリート)で1位という好成績でゴールした。
ゾンコランを走破した望月美和子さん : 興津螺旋で働く“ねじガール”、JBCFではフィッツで出場している
「初めて挑戦するグランフォンドでしたが、ゾンコランのひたすら急勾配を登る道はまさに地獄でした。普段は激坂好きの私ですが、登っても、登っても延々と続く坂道に何度も自転車を降りようと考えてしまいました。頂上が見えたラスト300メートルからはまるで天国にたどり着いたような気分でした。この激坂はぜひ他の人にもチャレンジしてもらいたいですね!(笑)」
「今回のコースは雄大な景色の中、多くの現地の方や選手からも応援を頂き、沢山の元気を頂きました。自転車への関心と理解のあるイタリアを走ることはとても楽しかったです。レース成績も女子総合9位と良い結果で、イタリアでの楽しい思い出を残すことができ嬉しいです。また挑戦したいと思っています」
グランフォンド終了後、一行は翌朝に早々とカルニアの地を後にしヴェネツィア空港より帰路についた。わずかな日数ではあったがイタリア滞在を存分に満喫した。
筆者もゾンコランを走破!
今回の「フジ・ゾンコラン・カルニアクラシック」ではイタリアのフレームビルダー、ドリアーノ・デローザが手掛けるバイクブランド「BIXXIS JAPAN」がツアーを後援しており、その代表である筆者がイタリア語通訳として帯同し日本人参加者のサポートをした。私は昨年FVG州からの約40名からなる訪日グループをアテンドしたため、1年ぶりの再会を喜ぶ現地の人々から光栄にも手厚い歓待を受けた。
私自身もサイクリストであり、ゾンコランを越える137kmのグランフォンドに参加し、無事に完走した。
私が過去にはじめてイタリアのグランフォンドを走った時、イタリアの素晴らしい景色と声援の中をさながらジロの選手の一人にでもなったかのような思いでスタートし、身震いがするほどの感動を味わった。そんな感動を日本の多くのサイクリストに体験してもらいたいと常々思っていた。今回のツアーを無事に終えられ今後もまたこのような機会を提供していきたい。
カルニアの人々は人情がとても深く、それは他のイタリアのどの土地よりも際立っていると感じる。そんな彼らがホスピタリティを尽くして私たち一行を迎え入れた。振る舞われた料理を残さず全て食べきるように、こちらも礼を尽くすつもりでグランフォンドを最後まで走り切るべく、順位は最下位から2番目だったが頑張った。 ゴールした時にはステージもほぼ片づけが終わって、完全に後の祭り状態(笑)。ゾンコランについて? “あんな激坂、できれば自分はもう2度と挑戦したくないです(笑)。もちろんそれは冗談で、2年後に必ずまた戻ってきますよ。”
あとがき 2018年そして2020年に向けて
シクリズム-シクロツーリズムを基とした、日本で初めての国際姉妹都市提携「フジ-ゾンコラン」はこれからも継続する。この友好提携によって日本は、シクリズムの大先輩であるイタリアという国から多くを学び、我が国の自転車文化のさらなる発展を遂げるだろう。2018年度は静岡県がFVG州からの訪日サイクリストグループを迎え受ける番だ。
「フジ-ゾンコラン」の発起人であるエンツォ・カイネロ氏は商学士であり、スポーツイベント等のマネージメント・運営に従事している。「スポーツが地域に多大に寄与する」という信念のもと、これまでにジロ・デ・イタリアにゾンコランのステージ誘致を実現し、この山の名を世界中に知らしめるべく育て、郷土のFVG州に貢献してきた。 地元ではミスター・ゾンコランと称えられる人物だ。
彼は、2020年の東京オリンピックに、静岡県小山町が有する富士山のふもと富士スピードウェイをゴールとする自転車ロードレースのルート実現を目指し、その機会に自ら訪日し観戦することを「フジ・ゾンコラン」の最大のハイライトととらえている。
text&photo:Atsushi Shizumi(BIXXIS JAPAN)
日本とイタリア相互のイベント
「フジ・ゾンコラン」とは静岡県と、モンテ・ゾンコランを有するイタリアのフリウリ=ヴェネチア・ジュリア州(以下FVG州)が結んだ自転車に関する友好提携で、毎年交互に日本からイタリアへ、あるいはイタリアからの訪日グループを招待して、様々なイベントの開催でおもてなしの交流を深めている。今年はJTB静岡によるグランフォンド参加ツアー4泊6日(8月24日~29日)が企画され、日本からも静岡県副知事はじめサイクリストが参加した。
このレポートは筆者である私、静観篤(しずみ あつし)がイタリア語通訳として帯同し、さらにはゾンコラン越えのグランフォンドに参加したものだ。日本とイタリアの関わり、そしてゾンコランをめぐるイタリアのグランフォンド事情を少しでも知っていただければ幸いと思い筆を執った。
ダニエレ・ポントーニ氏も参加
イタリア到着翌日、ヴェネツィアでの観光を楽しんだツアー参加者は金曜夜にカルニアの地に到着。長旅の疲れをものともせず、翌朝には地元のサイクリストと共にライドに出発。イタリア北東部アルプス地帯の雄大な眺望を楽しみながらの走りを満喫した。チクリズモの本場イタリアでは、ドライバーからサイクリストへの関心と理解が高く、自動車が追い抜く際にはクラクションではなく「フォルツァ!」や「アレー!アレー!」と声援をかけて挨拶してくるなど、日本との自転車文化の違いに多くの参加者が驚きの表情を交えながら、地元の人々との交流を楽しんだ。
彼らツアー参加者は同日夜に地元の歴史的建物のひとつであるミュージアムで開かれたウェルカムパーティにも招待を受けて参加。浴衣姿で現れた日本からの招待客は地元の人々の温かい歓迎をもって迎えられ、地元の人々との交流を大いに楽しんだ。また、このパーティにはシクロクロス元世界チャンピオンのダニエレ・ポントーニ氏がゲスト参加。自身の引退レースを日本の富士で走るなど、日本との因縁とその思い出を語る小さなカンピオーネに、日本からの参加者も興奮。大きな拍手が起こっていた。
モンテ・ゾンコランと今回メイン会場となったトルメッゾは、2018年のジロ・デ・イタリアのステージに組み込まれる。ジロ第2週目の週末、大勢の観客で溢れるこの地をワールドツアーの選手たちが駆け抜け、ゾンコランに挑む姿が見られるというから今から楽しみだ。
ゾンコランへは急なオヴァロ・ルートを選択
Kaizer(帝王)の異名を持つモンテ・ゾンコランの頂上を目指す道は2つある。東から頂上を目指すストリオ・ルートは平均勾配11%距離14.1km。このコースは2003年ジロ・デ・イタリアに第12ステージとして初お目見えした。ジルベルト・シモーニがこのステージに勝利し、続いて総合優勝も成し遂げた。またこのジロには2004年に死去したマルコ・パンターニも出場しており、彼の人生最後となるジロのゾンコランの登りステージを5位でゴールし、出場停止明けの完全復活を世界に知らしめた。
今回のグランフォンドで主催者は激坂で名高いもう1つのオヴァロ・ルートを選んだ。最大勾配22%、平均13.6% 距離8.8kmのヨーロッパ屈指の難坂は、2007年に初めてジロ・デ・イタリアのコースとなった。この年もジルベルト・シモーニが勝利し、史上ただ一人のジロにおける2つのルートのゾンコランステージを連続勝利した選手となった。
勝利後のインタビューで彼はゾンコランの登りについて「ツール・ド・フランス全ステージのいかなるハードな登りでさえも、ゾンコランに比べれば最も楽な区間程度にすぎない。それほどの難坂だった」と答えた。また、この選手の偉業への経緯から、ゾンコランは後にモンテ・シモーニの愛称で呼ばれるようにもなった。以降オヴァロ・ルートは2014年まで過去4度ジロ・デ・イタリアに組み込まれた。2018年に「ゾンコラン、15年の感動」のスローガンのもと、再びジロに帰ってくる。5月19日(土)にゾンコランをゴールとするステージが組み込まれ、翌日曜のステージはトルメッゾがスタートとなる。
フジ-ゾンコランはカルニアクラシックのメインイベント
「カルニアクラシック・インターナショナル・フジ-ゾンコラン」グランフォンドは8月27日(日)早朝に開催された。これは、8月19日から9日間にかけて行われたサイクルフェスティバル「カルニアクラシック」を締めくくるメインイベントとなる。このフェスティバル期間中、ストリオ・ルートを使ったゾンコラン・ヒルクライムTT、ジュニアを含む各アマチュアカテゴリーのレースが行われる。
さらにはナイトランニング、MTBレース、バイクテスト、スピンバイクエクサイズレッスンなどの様々なサイクルイベントの他、野外コンサート、シネマなどが連日開かれる、スポーツ、カルチャーをテーマにした盛大なイベントで、カルニアクラシック村と名付けられたメイン会場のあるトルメッゾ(来年のジロでゾンコランステージのスタート地点となる予定)には地元の人々が昼夜を問わず多数訪れ、年に一度の祭典を楽しんでいた。
静岡県難波副知事もe-bikeで参加
スタート地点には1000人のライダーが集まったほか、静岡県の難波副知事や、友好提携を結ぶ縁となったゾンコランと同じ22%の最大傾斜の日本屈指の難坂、ふじあざみラインを有する同県小山町の込山町長がセレモニーに参加した。なお、難波静岡県副知事は自らもe-bikeに乗り、ライダーとしてもイベントに参加した。
大会には136km 獲得標高3100mのグランフォンドの他、メディオフォンド(104km 獲得標高1970m)、ビギナーや子供向けのチクロペダラータ(30km/300m)が設定されているが、ゾンコランを走れるのはグランフォンドカテゴリーのみだ。しかもこのコースの設定は、2つめの登りとしてゾンコランに挑むものだ。海抜320mのスタート地点トルメッゾからおよそ45km(前半20km登り基調の平坦の後、残りは険しい登り区間)を延々と登り続け、最初の頂上サウリス-セッラ・ディ・ラッツォを目指す。
途中でコースを選べる設定
ここまでの獲得標高は1600mとなり、そこからオヴァロまで一気に下って、ようやくゾンコランの麓、州道123号入口にたどり着くことができる。ここがグランフォンドとメディオフォンドの分岐点でもあり、多くの参加者が最初の登りで脚を使い果たして心が折れるのか、ゾンコランをあきらめて123号線に曲がらずに直進し、ゴール地点のトルメッゾに向かうメディオフォンドのコースを選ぶのも納得がいく。それほどにグランフォンドのコースは過酷なのだ。
ふじあざみラインに例えれば、さながら、小田原からスタートし箱根・御殿場の登り区間を経由してからあざみラインに挑む、というものを想像してもらいたい。 (もっともゾンコランの登りの過酷さはふじあざみラインの比ではない、という事実も追記したい)。ちなみにトルメッゾ-ゾンコランまでのルートは2014年のジロ・デ・イタリア第20ステージの後半部分に相当する。この時は前半にマニアゴ-トルメッゾの平坦区間73kmを走ったあと、トルメッゾからは今回と同じルートでゴールのゾンコランを目指した。なおこのステージは、ティンコフ=サクソのマイケル・ロジャースが勝利している。
グランフォンド=ロードレースのイタリア
本場イタリアのグランフォンドは、完全にロードレースだ。日本のような優しいライドイベントを想像していると痛い目に合う。日本人選手は、ゲストライダーの元シクロクロス世界チャンピオンのダニエレ・ポントーニ氏や、昨年ロード選手を引退した地元出身のアレッサンドロ・ヴァノッティ氏たちとともに第1スタートのグループで先頭に陣取った。
その中の一人、望月美和子さんは国内のヒルクライムレースのほとんどで優勝し実業団Jフェミニンツアーでは本年度ランキング上位につける強者。昨年「Fuji-Zoncolan ヒルクライムin小山町」の女子の部で見事優勝し、今回のイタリアツアー参加を決める。彼女はもちろんゾンコランに挑むコースのグランフォンドを選んだ。スタート地点の望月さんは、前日のウェルカムパーティでの可憐な浴衣姿とは打って変わって、完全に戦闘態勢だ。 実際に彼女は、女子の総合9位、カテゴリー別(女子エリート)で1位という好成績でゴールした。
ゾンコランを走破した望月美和子さん : 興津螺旋で働く“ねじガール”、JBCFではフィッツで出場している
「初めて挑戦するグランフォンドでしたが、ゾンコランのひたすら急勾配を登る道はまさに地獄でした。普段は激坂好きの私ですが、登っても、登っても延々と続く坂道に何度も自転車を降りようと考えてしまいました。頂上が見えたラスト300メートルからはまるで天国にたどり着いたような気分でした。この激坂はぜひ他の人にもチャレンジしてもらいたいですね!(笑)」
「今回のコースは雄大な景色の中、多くの現地の方や選手からも応援を頂き、沢山の元気を頂きました。自転車への関心と理解のあるイタリアを走ることはとても楽しかったです。レース成績も女子総合9位と良い結果で、イタリアでの楽しい思い出を残すことができ嬉しいです。また挑戦したいと思っています」
グランフォンド終了後、一行は翌朝に早々とカルニアの地を後にしヴェネツィア空港より帰路についた。わずかな日数ではあったがイタリア滞在を存分に満喫した。
筆者もゾンコランを走破!
今回の「フジ・ゾンコラン・カルニアクラシック」ではイタリアのフレームビルダー、ドリアーノ・デローザが手掛けるバイクブランド「BIXXIS JAPAN」がツアーを後援しており、その代表である筆者がイタリア語通訳として帯同し日本人参加者のサポートをした。私は昨年FVG州からの約40名からなる訪日グループをアテンドしたため、1年ぶりの再会を喜ぶ現地の人々から光栄にも手厚い歓待を受けた。
私自身もサイクリストであり、ゾンコランを越える137kmのグランフォンドに参加し、無事に完走した。
私が過去にはじめてイタリアのグランフォンドを走った時、イタリアの素晴らしい景色と声援の中をさながらジロの選手の一人にでもなったかのような思いでスタートし、身震いがするほどの感動を味わった。そんな感動を日本の多くのサイクリストに体験してもらいたいと常々思っていた。今回のツアーを無事に終えられ今後もまたこのような機会を提供していきたい。
カルニアの人々は人情がとても深く、それは他のイタリアのどの土地よりも際立っていると感じる。そんな彼らがホスピタリティを尽くして私たち一行を迎え入れた。振る舞われた料理を残さず全て食べきるように、こちらも礼を尽くすつもりでグランフォンドを最後まで走り切るべく、順位は最下位から2番目だったが頑張った。 ゴールした時にはステージもほぼ片づけが終わって、完全に後の祭り状態(笑)。ゾンコランについて? “あんな激坂、できれば自分はもう2度と挑戦したくないです(笑)。もちろんそれは冗談で、2年後に必ずまた戻ってきますよ。”
あとがき 2018年そして2020年に向けて
シクリズム-シクロツーリズムを基とした、日本で初めての国際姉妹都市提携「フジ-ゾンコラン」はこれからも継続する。この友好提携によって日本は、シクリズムの大先輩であるイタリアという国から多くを学び、我が国の自転車文化のさらなる発展を遂げるだろう。2018年度は静岡県がFVG州からの訪日サイクリストグループを迎え受ける番だ。
「フジ-ゾンコラン」の発起人であるエンツォ・カイネロ氏は商学士であり、スポーツイベント等のマネージメント・運営に従事している。「スポーツが地域に多大に寄与する」という信念のもと、これまでにジロ・デ・イタリアにゾンコランのステージ誘致を実現し、この山の名を世界中に知らしめるべく育て、郷土のFVG州に貢献してきた。 地元ではミスター・ゾンコランと称えられる人物だ。
彼は、2020年の東京オリンピックに、静岡県小山町が有する富士山のふもと富士スピードウェイをゴールとする自転車ロードレースのルート実現を目指し、その機会に自ら訪日し観戦することを「フジ・ゾンコラン」の最大のハイライトととらえている。
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