2017/07/19(水) - 11:53
ドイツ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスと2週間走り続けてきたツール・ド・フランス。今回はル・ピュイ・アン・ヴレーでの2回目の休息日の模様を紹介したいと思います。
第一回目の休息日はシャンベリーからベルジュラックの580kmと長い移動が伴うものでした。このとき選手は飛行機で、スタッフは車で。ですが二度目の休息日は、第15ステージのフィニッシュ地点となったル・ピュイ・アン・ヴレーという街。選手やスタッフ、メディアにとっても嬉しいノー移動デーです。
私がル・ピュイ・アン・ヴレーに入ったのは、第15ステージフィニッシュ予定の約30分前。ここは、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教の三大巡礼地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう4本の巡礼路の1つで、ポディエンシス街道の出発点です。
突如として現れたごつごつとした茶色い岩。盛り上がるような小高い丘の頂上に、片方には古い教会(サン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂)、もう片方には茶色のマリア像(ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂そしてコルネイユの岩山の頂上にフランスの聖母像)。その景観は、モンサンミッシェルを見たときと同じ感動がありました。絶景を眺めながら、いったん下りをこなし、そして、街の中心部へふたたび登っていきます。選手たちも、ル・ピュイ・アン・ブレ―の街とマリア像を左側に見ながら下り、そして中心部へ。
そういえば、フランスと言えばなだらかな平野が続いていてのどかな印象の景色が多いのですが、この辺りはゴツゴツとした岩山が時おりポコンと平地から飛び出していて、フランスではないような、まるで別の国に来た雰囲気でした。フランスにしては珍しい、火山帯の跡地なのです。
さて、この休息日、選手たちはどのように過ごしているのでしょうか?チームによって異なると思いますが、新城選手が所属するバーレーン・メリダのスケジュールは下記の通りでした。
・10:30 トレーニング開始
・12:30~13:00終了
・14:50~電話インタビュー
・16:00~マッサージ
・17:00~記者会見
このように1日まるまる休息とはならず、けっこうタイトに決められたスケジュール。もちろん、これらの予定のほかは「極力休め」と言われているようで、足をあげてベッドに横たわったり、暇さえあれば「寝る」ように。選手によっては家族やパートナーとカフェでくつろぐ姿も見られますが、精神的にも体力的にも「休まなければいけない」休息日となります。
なぜなら、この二回目の休息日の過ごし方で最後の一週間が決まってくるから。かつて、ティージェイ・ヴァンガーデレン(アメリカ、BMCレーシング)は、この二回目の休息日でリズムを崩してしまい、最終週でリタイアとなってしまいました。マイヨジョーヌのクリストファー・フルームは食事以外は一歩も外に出ることなく、部屋にこもりきり。数えるほどしか歩かないと言います。新城幸也選手も、立ちながら電話で話していたら監督から「立たないで座って話なさい」の注意されたとのこと。それだけこの休息日が、疲れを取り最終週に向けて肝となる大切な1日と捉えられていることが分かります。
そして、チームに帯同するスタッフにとっては、更に休息日は休息日となりません。チームバスやチームカーはチームにとっても宣伝ともなるため毎日洗車が行われていますが、休息日は特に念入りに行われます。そしてバイクやエキップメント類の整備や洗濯なども同様に。
新城選手はこの日のインタビューで「よく寝れた。これまで力を使い切ったかと言われればそうではなく、まだ力がありあまっている。力が全くない状態で迎える最終週と、力が有り余る最終週ではまったく違う。場合によっては最終ステージのパリ・シャンゼリゼで、ソニー・コルブレッリ(イタリア)のステージ優勝もあるかもしれない。全力で行く!」と語っていました。その力強さに私たちジャーナリスト陣にも気合が入るようでした。
text&photo:Seiko.Meguro
筆者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はバラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。ライター、自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、宮城インバウンドDMOアドバイザー。
https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html
第一回目の休息日はシャンベリーからベルジュラックの580kmと長い移動が伴うものでした。このとき選手は飛行機で、スタッフは車で。ですが二度目の休息日は、第15ステージのフィニッシュ地点となったル・ピュイ・アン・ヴレーという街。選手やスタッフ、メディアにとっても嬉しいノー移動デーです。
私がル・ピュイ・アン・ヴレーに入ったのは、第15ステージフィニッシュ予定の約30分前。ここは、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教の三大巡礼地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう4本の巡礼路の1つで、ポディエンシス街道の出発点です。
突如として現れたごつごつとした茶色い岩。盛り上がるような小高い丘の頂上に、片方には古い教会(サン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂)、もう片方には茶色のマリア像(ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂そしてコルネイユの岩山の頂上にフランスの聖母像)。その景観は、モンサンミッシェルを見たときと同じ感動がありました。絶景を眺めながら、いったん下りをこなし、そして、街の中心部へふたたび登っていきます。選手たちも、ル・ピュイ・アン・ブレ―の街とマリア像を左側に見ながら下り、そして中心部へ。
そういえば、フランスと言えばなだらかな平野が続いていてのどかな印象の景色が多いのですが、この辺りはゴツゴツとした岩山が時おりポコンと平地から飛び出していて、フランスではないような、まるで別の国に来た雰囲気でした。フランスにしては珍しい、火山帯の跡地なのです。
さて、この休息日、選手たちはどのように過ごしているのでしょうか?チームによって異なると思いますが、新城選手が所属するバーレーン・メリダのスケジュールは下記の通りでした。
・10:30 トレーニング開始
・12:30~13:00終了
・14:50~電話インタビュー
・16:00~マッサージ
・17:00~記者会見
このように1日まるまる休息とはならず、けっこうタイトに決められたスケジュール。もちろん、これらの予定のほかは「極力休め」と言われているようで、足をあげてベッドに横たわったり、暇さえあれば「寝る」ように。選手によっては家族やパートナーとカフェでくつろぐ姿も見られますが、精神的にも体力的にも「休まなければいけない」休息日となります。
なぜなら、この二回目の休息日の過ごし方で最後の一週間が決まってくるから。かつて、ティージェイ・ヴァンガーデレン(アメリカ、BMCレーシング)は、この二回目の休息日でリズムを崩してしまい、最終週でリタイアとなってしまいました。マイヨジョーヌのクリストファー・フルームは食事以外は一歩も外に出ることなく、部屋にこもりきり。数えるほどしか歩かないと言います。新城幸也選手も、立ちながら電話で話していたら監督から「立たないで座って話なさい」の注意されたとのこと。それだけこの休息日が、疲れを取り最終週に向けて肝となる大切な1日と捉えられていることが分かります。
そして、チームに帯同するスタッフにとっては、更に休息日は休息日となりません。チームバスやチームカーはチームにとっても宣伝ともなるため毎日洗車が行われていますが、休息日は特に念入りに行われます。そしてバイクやエキップメント類の整備や洗濯なども同様に。
新城選手はこの日のインタビューで「よく寝れた。これまで力を使い切ったかと言われればそうではなく、まだ力がありあまっている。力が全くない状態で迎える最終週と、力が有り余る最終週ではまったく違う。場合によっては最終ステージのパリ・シャンゼリゼで、ソニー・コルブレッリ(イタリア)のステージ優勝もあるかもしれない。全力で行く!」と語っていました。その力強さに私たちジャーナリスト陣にも気合が入るようでした。
text&photo:Seiko.Meguro
筆者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はバラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。ライター、自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、宮城インバウンドDMOアドバイザー。
https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html
Amazon.co.jp