2017/05/24(水) - 14:55
クイーンステージでようやくイタリアが手にした今大会初勝利。予想外のデュムランのストップとキンタナの悩ましいスポーツマンシップ、そしてニーバリの復活。獲得標高差5,400mの険しい1日を振り返ります。
ジロ第100回大会のチーマコッピ(大会最高地点)に指定されたステルヴィオ峠の標高は2,758m。ヨーロッパの舗装された峠の中ではフランスのイズラン峠(標高2,770m)に次ぐ高さで、東アルプスの中では最も標高がある。比較として、日本の道路最高地点である乗鞍エコーライン(標高2,716m)よりも高い。
ステルヴィオ峠が現在の形に整備されて開通したのは今から191年も前の1826年(日本でいうところの江戸時代後期の文政9年)。当時この地域を治めていたオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世がウィーンとミラノを結ぶルート確保のために建設した。イタリア出身の建築家カルロ・ドネガーニが峠ルートのデザインを担当している。石積みのスイッチバックが美しい峠道はイギリスの人気自動車番組トップギアが「世界最高のドライビングロード」と評している。
ジロには11回目の登場で、初登場の1953年にはファウスト・コッピが先頭で頂上をクリアした。標高が標高だけに、1967年、1984年、1988年、2013年のコースにも組み込まれていたが雪のためキャンセルされている。2014年に登場した際にも雪に見舞われ、選手たちは降りしきる雪と雪解け水を全身に浴びながら氷点下に近い下りを走らざるを得なかった。今だとUCIのエクストリームプロトコルによって確実にレースはキャンセルもしくはニュートラル扱いになっているはず。3年前は危険な下り区間をニュートラル扱いにしたorしなかったで混乱が生まれ、飛び出したキンタナが勝って議論を巻き起こした。
ジロ開幕時の2週間前にはステルヴィオ峠はたっぷりと雪に覆われていたが、除雪作業に加えて好天&高温続きだったため頂上の雪はすっかりと溶けた。麓のボルミオは気温20度ほどで、ステルヴィオ頂上は気温8度。太陽が出ればTシャツで過ごせるような陽気に包まれた。温暖なため、逆に雪崩の発生を促すという理由で峠にアクセス可能な大会関係車両が制限されたほど。
天気の良さと、ステルヴィオ峠に登ってしまえばレースを2回観戦可能という好条件により、例年以上に多くのサイクリストが頂上目指して朝から薄い空気と格闘していた。意外に思われるかもしれないが、サイクリストが乗るバイクは5割がロードバイクで4割がMTB。ロードレースとMTBの間に垣根などはなく、みんなバイクの種類なんて関係なく自転車が好き。自転車が好きだからジロを見に行く。
では残る1割は何かと言うと、進化めざましいEバイクだ。麓の町ボルミオでレンタルされたEバイクに乗って、おっちゃんおばちゃんが涼しい顔で登ってくる。あるおじさんのEバイクは高低差2000mをこなせるバッテリー容量をもち、ボルミオから高低差1500m以上登ってきてもまだバッテリーが35%残っていると自慢された。
まさか、マリアローザをレース中に脱ぐ選手が出てくるとは。ステルヴィオ峠をスイス側(北側)から登る1級山岳ウンブライルパスを前に、突然トム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)が沿道でバイクを降り、マリアローザを脱いで草むらにかがむ姿が国際映像に映し出された。
「ステルヴィオ峠の下りでお腹の調子がおかしくなった」と語るとおり、身体が冷えきったことで胃腸が異常を来した。つまり厄介な感染症のような重症ではなく、単純にお腹が冷えたことで便意をもよおしたと予想できる。他の選手たちは頂上でスタッフや観客から受け取ったガゼッタ紙をお腹に入れ、冷えることを防止する。ガゼッタ紙は吸水性もあるので、身体が冷える要因になる汗も吸い取ってくれ、下りきったところで投げ捨てればいい。ジロ黎明期から続くそんな風習をデュムランは怠ったのかもしれない。
「お腹を下すのは今回が初めてではなく、昨年のツールでも腹痛を起こした。でもその後のアンドラのクイーンステージでステージ優勝を飾っている。病気ではなく、昨年と同じような症状であることを願う。まだジロは終わっていない」。あまり具体的に書くべきではないかもしれないが、それにしてもデュムランがわずか1分間のストップでレースに復帰したことは賞賛に値する(どう処理したかとかは置いておく)。そして単独での走行になりながらも大きくタイムを失わなかったことはデュムランの調子の良さを表している。
マリアローザを待つべきだったのか、それとも待たなくても良かったのか。総合上位のクライスヴァイクらが逃げていなければ確実にライバルたちはペースを落としてデュムランを待ったと思われる。第15ステージで落車し、デュムランに待ってもらったキンタナはペースアップを行わなかったが、状況が状況だけに、クライスヴァイクらに大きなリードを許すわけにはいかなかった。総合リーダーや総合上位の選手が不可抗力のトラブルで脱落した際に待つというルールブックに書かれていない不文律はこれからもずっと議論されることになるだろう。
雪山でマリアローザを着るオランダ人選手が苦しみ、ニーバリがステージ優勝するというシナリオは、昨年クライスヴァイクが雪壁に衝突して落車した第19ステージと重なる。ただ、今回はデュムランがマリアローザを守った。デュムランの圧倒的有利な状況は崩れ、総合上位陣のタイム差がギュッと詰まった。山岳ステージ4つと個人TTを1つ残して、マリアローザはまだオープンな状態だ。
今大会ようやくイタリアにステージ優勝をもたらしたニーバリ。ステージ通算7勝目で、これはジモンディやシモーニ、バッソらと並ぶ記録。そしてイタリア人選手のステージ優勝空白期間は18日間でストップした。最後のイタリア人選手のステージ優勝は、ニーバリが優勝したあの昨年第19ステージだった。
ランダはあと少しでステージ優勝を逃したものの、総合争いの野望が潰えたチームスカイにマリアアッズーラをもたらすことに成功。この先のステージではLLサンチェスやフライレと山岳賞争いを繰り広げることになりそうだ。
この日のタイムリミットはステージ優勝者のタイム+18%(最難関カテゴリーで平均スピードが34km/hを上回ったため)。つまり6時間24分22秒の18%=68分50秒遅れても完走扱いとなる。ステルヴィオ峠とウンブライルパスの頂上で選手たちを待っていたチームスタッフは、ジャケットやボトルを渡すことに加えて、自前のストップウォッチで計った先頭からのタイム差をグルペットの選手たちに伝える。
グルペット最終便の最後尾でフィニッシュしたのは52分32秒遅れのアルベルト・ロサダ(スペイン、カチューシャ・アルペシン)で、つまりスプリンターを含むすべての選手が時間内にフィニッシュに辿り着いている。実に90名の選手たちが7時間以上の時間をサドルの上で過ごした。1日の消費カロリーは7,000kcalと推定されている。
翌日、ジロはいわゆるアルプスからドロミテに移動する。第17ステージは難関山岳が登場しない中級山岳コースだが、第18ステージからは3連続山頂フィニッシュが登場。ニーバリのステージ優勝で注目度を取り戻した感のあるジロのマリアローザ争いはいよいよ終盤に入る。
text&photo:Kei Tsuji in Bormio, Italy
ジロ第100回大会のチーマコッピ(大会最高地点)に指定されたステルヴィオ峠の標高は2,758m。ヨーロッパの舗装された峠の中ではフランスのイズラン峠(標高2,770m)に次ぐ高さで、東アルプスの中では最も標高がある。比較として、日本の道路最高地点である乗鞍エコーライン(標高2,716m)よりも高い。
ステルヴィオ峠が現在の形に整備されて開通したのは今から191年も前の1826年(日本でいうところの江戸時代後期の文政9年)。当時この地域を治めていたオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世がウィーンとミラノを結ぶルート確保のために建設した。イタリア出身の建築家カルロ・ドネガーニが峠ルートのデザインを担当している。石積みのスイッチバックが美しい峠道はイギリスの人気自動車番組トップギアが「世界最高のドライビングロード」と評している。
ジロには11回目の登場で、初登場の1953年にはファウスト・コッピが先頭で頂上をクリアした。標高が標高だけに、1967年、1984年、1988年、2013年のコースにも組み込まれていたが雪のためキャンセルされている。2014年に登場した際にも雪に見舞われ、選手たちは降りしきる雪と雪解け水を全身に浴びながら氷点下に近い下りを走らざるを得なかった。今だとUCIのエクストリームプロトコルによって確実にレースはキャンセルもしくはニュートラル扱いになっているはず。3年前は危険な下り区間をニュートラル扱いにしたorしなかったで混乱が生まれ、飛び出したキンタナが勝って議論を巻き起こした。
ジロ開幕時の2週間前にはステルヴィオ峠はたっぷりと雪に覆われていたが、除雪作業に加えて好天&高温続きだったため頂上の雪はすっかりと溶けた。麓のボルミオは気温20度ほどで、ステルヴィオ頂上は気温8度。太陽が出ればTシャツで過ごせるような陽気に包まれた。温暖なため、逆に雪崩の発生を促すという理由で峠にアクセス可能な大会関係車両が制限されたほど。
天気の良さと、ステルヴィオ峠に登ってしまえばレースを2回観戦可能という好条件により、例年以上に多くのサイクリストが頂上目指して朝から薄い空気と格闘していた。意外に思われるかもしれないが、サイクリストが乗るバイクは5割がロードバイクで4割がMTB。ロードレースとMTBの間に垣根などはなく、みんなバイクの種類なんて関係なく自転車が好き。自転車が好きだからジロを見に行く。
では残る1割は何かと言うと、進化めざましいEバイクだ。麓の町ボルミオでレンタルされたEバイクに乗って、おっちゃんおばちゃんが涼しい顔で登ってくる。あるおじさんのEバイクは高低差2000mをこなせるバッテリー容量をもち、ボルミオから高低差1500m以上登ってきてもまだバッテリーが35%残っていると自慢された。
まさか、マリアローザをレース中に脱ぐ選手が出てくるとは。ステルヴィオ峠をスイス側(北側)から登る1級山岳ウンブライルパスを前に、突然トム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)が沿道でバイクを降り、マリアローザを脱いで草むらにかがむ姿が国際映像に映し出された。
「ステルヴィオ峠の下りでお腹の調子がおかしくなった」と語るとおり、身体が冷えきったことで胃腸が異常を来した。つまり厄介な感染症のような重症ではなく、単純にお腹が冷えたことで便意をもよおしたと予想できる。他の選手たちは頂上でスタッフや観客から受け取ったガゼッタ紙をお腹に入れ、冷えることを防止する。ガゼッタ紙は吸水性もあるので、身体が冷える要因になる汗も吸い取ってくれ、下りきったところで投げ捨てればいい。ジロ黎明期から続くそんな風習をデュムランは怠ったのかもしれない。
「お腹を下すのは今回が初めてではなく、昨年のツールでも腹痛を起こした。でもその後のアンドラのクイーンステージでステージ優勝を飾っている。病気ではなく、昨年と同じような症状であることを願う。まだジロは終わっていない」。あまり具体的に書くべきではないかもしれないが、それにしてもデュムランがわずか1分間のストップでレースに復帰したことは賞賛に値する(どう処理したかとかは置いておく)。そして単独での走行になりながらも大きくタイムを失わなかったことはデュムランの調子の良さを表している。
マリアローザを待つべきだったのか、それとも待たなくても良かったのか。総合上位のクライスヴァイクらが逃げていなければ確実にライバルたちはペースを落としてデュムランを待ったと思われる。第15ステージで落車し、デュムランに待ってもらったキンタナはペースアップを行わなかったが、状況が状況だけに、クライスヴァイクらに大きなリードを許すわけにはいかなかった。総合リーダーや総合上位の選手が不可抗力のトラブルで脱落した際に待つというルールブックに書かれていない不文律はこれからもずっと議論されることになるだろう。
雪山でマリアローザを着るオランダ人選手が苦しみ、ニーバリがステージ優勝するというシナリオは、昨年クライスヴァイクが雪壁に衝突して落車した第19ステージと重なる。ただ、今回はデュムランがマリアローザを守った。デュムランの圧倒的有利な状況は崩れ、総合上位陣のタイム差がギュッと詰まった。山岳ステージ4つと個人TTを1つ残して、マリアローザはまだオープンな状態だ。
今大会ようやくイタリアにステージ優勝をもたらしたニーバリ。ステージ通算7勝目で、これはジモンディやシモーニ、バッソらと並ぶ記録。そしてイタリア人選手のステージ優勝空白期間は18日間でストップした。最後のイタリア人選手のステージ優勝は、ニーバリが優勝したあの昨年第19ステージだった。
ランダはあと少しでステージ優勝を逃したものの、総合争いの野望が潰えたチームスカイにマリアアッズーラをもたらすことに成功。この先のステージではLLサンチェスやフライレと山岳賞争いを繰り広げることになりそうだ。
この日のタイムリミットはステージ優勝者のタイム+18%(最難関カテゴリーで平均スピードが34km/hを上回ったため)。つまり6時間24分22秒の18%=68分50秒遅れても完走扱いとなる。ステルヴィオ峠とウンブライルパスの頂上で選手たちを待っていたチームスタッフは、ジャケットやボトルを渡すことに加えて、自前のストップウォッチで計った先頭からのタイム差をグルペットの選手たちに伝える。
グルペット最終便の最後尾でフィニッシュしたのは52分32秒遅れのアルベルト・ロサダ(スペイン、カチューシャ・アルペシン)で、つまりスプリンターを含むすべての選手が時間内にフィニッシュに辿り着いている。実に90名の選手たちが7時間以上の時間をサドルの上で過ごした。1日の消費カロリーは7,000kcalと推定されている。
翌日、ジロはいわゆるアルプスからドロミテに移動する。第17ステージは難関山岳が登場しない中級山岳コースだが、第18ステージからは3連続山頂フィニッシュが登場。ニーバリのステージ優勝で注目度を取り戻した感のあるジロのマリアローザ争いはいよいよ終盤に入る。
text&photo:Kei Tsuji in Bormio, Italy
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