2017/05/07(日) - 15:00
大会初日にペストルベルガーの独走で苦汁を舐めたスプリンターが一発奮起。サルデーニャ島東部に広がる山岳地帯を抜け、大集団がトリトリにやってきた。ジロ・デ・イタリア第2ステージの現地の様子をお伝えします。
第2ステージのスタート地点は、多くの大会関係車両がイタリア本土からサルデーニャ島に渡る際にフェリーの上陸場所となったオルビア港。開幕地アルゲーロと比べると人口は1.5倍増しで、サルデーニャの中では大都市に分類される。1991年にジロの開幕地を迎え入れた町だ。
地理の教科書で習った「夏場は日差しが強く乾燥している」という地中海性気候を絵に描いたような天候の中で迎えたジロの開幕だったが、オルビアには雨が降った。それでも本降りになることはなく、オルビア旧市街の石畳を濡らす程度で済んだ。全長221kmという、レース時間が6時間を超える長旅の大半はドライな状態が保たれた。
アフリカ大陸が近い影響か、それとも島全体が乾燥している影響かは定かではないが、空から落ちてくる雨粒の砂塵含有量が極めて高い。一晩にして黒い車が黄色くなるほどの黄砂が大気中を漂っている。風向きによっては空が黄色く霞み、言われてみれば風景の全体が黄色い幕を覆っているような。
ちなみに、サハラ砂漠から地中海を渡ってイタリアに砂を運ぶ季節風をシロッコと呼ぶ。別にカンパニョーロホイールの宣伝をしているわけではないけれど、ホイール名のシロッコやボーラ、ギブリ(スタジオジブリと同じ語源)、ユーラス、シャマル、ゾンダ、カムシンは全て風の名前(ハイペロンとニュートロンは例外)。ヴェントに至ってはイタリア語で風を意味する単語だ。ついでに言うと、BMCレーシングのフランシスコホセ・ベントソ(スペイン)の苗字は「風が強い」という意味。
高速道路でハンドルが大きく取られるほどの風が南から吹いたため、サルデーニャ半島東部をひたすら南下するレースはスローな展開を見せた。主催者の予想タイムよりも1時間ほど遅い進行だったが、それでも地元の観客たちは何時間も前から沿道に立ってレースを待ち、ようやくやってきたジロの大行進に熱い声援を送った。
ジロを温かく迎えているサルデーニャ島だが、この日は79km地点のビッティの町に押しピンが巻かれていることが発覚。レース通過までに警察と関係者が全て取り除いたため幸いレースには影響がなかった。サルデーニャ島の路面は本土と比べると荒れている印象だが、際立ってパンクが多く発生している雰囲気は今のところない。
レース後半は灰色のごつごつとした石灰岩の山岳地帯。サルデーニャ島の最高峰である標高1,834mのジェンナルゲントゥ山に近い一帯を走る。この日の獲得標高差は2,800mで、開幕の2日間だけですでに合計5,000mを登っていることになる。
この山岳地帯に向けて飛び出したのは2日間連続で逃げたディメンションデータのダニエル・テクレハイマノだった。身長188cmの長身ヒルクライマーは2級山岳を先頭通過し、ジロ史上初めて山岳賞ジャージを着たエリトリア出身者となった。テクレハイマノは2015年のツール・ド・フランスでも第6ステージ〜第9ステージにかけてマイヨアポワを着用。クリテリウム・デュ・ドーフィネでは過去に2回山岳賞を獲得している。
ヴェロンの統計データによると、テクレハイマノと一緒に逃げに乗ったエフゲニー・シャルノフ(ロシア、ガスプロム・ルスヴェロ)の推定消費カロリーは6,180kcal。これはハンバーガー20〜25個もしくはリンゴ100個に相当する。もちろん逃げていない選手も同等のカロリーを消費しており、毎日それだけのカロリーを消化し、吸収し、体内でエネルギーに変換しなければならない。3週間を走りきるにはいかに強靭な胃袋が必要かがよく分かる。
逃げ吸収後、終盤はヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア)擁するバーレーン・メリダが積極的にレースをリードした。登りだけではなく下りでも集団を牽引。チームにはスプリンターがいないため、もちろんニーバリの危険回避のための動きだが、アルプスやドロミテの下りに向けた予行演習にも見えた。
人口11,000のジロ初登場の町トルトリで繰り広げられた今大会最初の(ステージ優勝をかけた)集団スプリント。フェルナンド・ガビリア(コロンビア、クイックステップフロアーズ)との接触でペダルを外して悔しがるカレイブ・ユアン(オーストラリア、オリカ・スコット)の前で、アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ソウダル)が両手を広げた。
ゼッケン100番をつけるグライペルがジロ100回大会で勝利。ステージ通算7勝目は、通算6勝のヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)を引き離して出場選手の中で最多。2008年のブエルタ・ア・エスパーニャ以降、出場した12グランツールすべてでステージ優勝を飾っている。17回グランツール連続出場中のアダム・ハンセン(オーストラリア)を含め、ロット・ソウダルは記録づくめだ。
海外メディアでは力強さを表す「ゴリラ」というニックネームを好意的に使っており、グライペル本人もその愛称を気に入っている様子。グライペルがマリアローザを着るのは初めて。ドイツ人選手はこれまで22名がマリアローザを着用している。
翌日の第3ステージは完全にスプリンター向き。州都カリアリの大通りのスプリントでサルデーニャの3日間が締めくくられる。選手たちはその日のうちにチャーター機でシチリア島に移動する予定だ。
text&photo:Kei Tsuji in Tortoli, Italy
第2ステージのスタート地点は、多くの大会関係車両がイタリア本土からサルデーニャ島に渡る際にフェリーの上陸場所となったオルビア港。開幕地アルゲーロと比べると人口は1.5倍増しで、サルデーニャの中では大都市に分類される。1991年にジロの開幕地を迎え入れた町だ。
地理の教科書で習った「夏場は日差しが強く乾燥している」という地中海性気候を絵に描いたような天候の中で迎えたジロの開幕だったが、オルビアには雨が降った。それでも本降りになることはなく、オルビア旧市街の石畳を濡らす程度で済んだ。全長221kmという、レース時間が6時間を超える長旅の大半はドライな状態が保たれた。
アフリカ大陸が近い影響か、それとも島全体が乾燥している影響かは定かではないが、空から落ちてくる雨粒の砂塵含有量が極めて高い。一晩にして黒い車が黄色くなるほどの黄砂が大気中を漂っている。風向きによっては空が黄色く霞み、言われてみれば風景の全体が黄色い幕を覆っているような。
ちなみに、サハラ砂漠から地中海を渡ってイタリアに砂を運ぶ季節風をシロッコと呼ぶ。別にカンパニョーロホイールの宣伝をしているわけではないけれど、ホイール名のシロッコやボーラ、ギブリ(スタジオジブリと同じ語源)、ユーラス、シャマル、ゾンダ、カムシンは全て風の名前(ハイペロンとニュートロンは例外)。ヴェントに至ってはイタリア語で風を意味する単語だ。ついでに言うと、BMCレーシングのフランシスコホセ・ベントソ(スペイン)の苗字は「風が強い」という意味。
高速道路でハンドルが大きく取られるほどの風が南から吹いたため、サルデーニャ半島東部をひたすら南下するレースはスローな展開を見せた。主催者の予想タイムよりも1時間ほど遅い進行だったが、それでも地元の観客たちは何時間も前から沿道に立ってレースを待ち、ようやくやってきたジロの大行進に熱い声援を送った。
ジロを温かく迎えているサルデーニャ島だが、この日は79km地点のビッティの町に押しピンが巻かれていることが発覚。レース通過までに警察と関係者が全て取り除いたため幸いレースには影響がなかった。サルデーニャ島の路面は本土と比べると荒れている印象だが、際立ってパンクが多く発生している雰囲気は今のところない。
レース後半は灰色のごつごつとした石灰岩の山岳地帯。サルデーニャ島の最高峰である標高1,834mのジェンナルゲントゥ山に近い一帯を走る。この日の獲得標高差は2,800mで、開幕の2日間だけですでに合計5,000mを登っていることになる。
この山岳地帯に向けて飛び出したのは2日間連続で逃げたディメンションデータのダニエル・テクレハイマノだった。身長188cmの長身ヒルクライマーは2級山岳を先頭通過し、ジロ史上初めて山岳賞ジャージを着たエリトリア出身者となった。テクレハイマノは2015年のツール・ド・フランスでも第6ステージ〜第9ステージにかけてマイヨアポワを着用。クリテリウム・デュ・ドーフィネでは過去に2回山岳賞を獲得している。
ヴェロンの統計データによると、テクレハイマノと一緒に逃げに乗ったエフゲニー・シャルノフ(ロシア、ガスプロム・ルスヴェロ)の推定消費カロリーは6,180kcal。これはハンバーガー20〜25個もしくはリンゴ100個に相当する。もちろん逃げていない選手も同等のカロリーを消費しており、毎日それだけのカロリーを消化し、吸収し、体内でエネルギーに変換しなければならない。3週間を走りきるにはいかに強靭な胃袋が必要かがよく分かる。
逃げ吸収後、終盤はヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア)擁するバーレーン・メリダが積極的にレースをリードした。登りだけではなく下りでも集団を牽引。チームにはスプリンターがいないため、もちろんニーバリの危険回避のための動きだが、アルプスやドロミテの下りに向けた予行演習にも見えた。
人口11,000のジロ初登場の町トルトリで繰り広げられた今大会最初の(ステージ優勝をかけた)集団スプリント。フェルナンド・ガビリア(コロンビア、クイックステップフロアーズ)との接触でペダルを外して悔しがるカレイブ・ユアン(オーストラリア、オリカ・スコット)の前で、アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ソウダル)が両手を広げた。
ゼッケン100番をつけるグライペルがジロ100回大会で勝利。ステージ通算7勝目は、通算6勝のヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)を引き離して出場選手の中で最多。2008年のブエルタ・ア・エスパーニャ以降、出場した12グランツールすべてでステージ優勝を飾っている。17回グランツール連続出場中のアダム・ハンセン(オーストラリア)を含め、ロット・ソウダルは記録づくめだ。
海外メディアでは力強さを表す「ゴリラ」というニックネームを好意的に使っており、グライペル本人もその愛称を気に入っている様子。グライペルがマリアローザを着るのは初めて。ドイツ人選手はこれまで22名がマリアローザを着用している。
翌日の第3ステージは完全にスプリンター向き。州都カリアリの大通りのスプリントでサルデーニャの3日間が締めくくられる。選手たちはその日のうちにチャーター機でシチリア島に移動する予定だ。
text&photo:Kei Tsuji in Tortoli, Italy
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