2017/04/11(火) - 12:31
完全ドライとなった「北の地獄」パリ〜ルーベ。予想通りの高速レースを制したヴァンアーヴェルマートはモニュメント自身初の勝利を戦績に加えた。引退レースで歴史を塗り替える5勝目を目指したボーネンの夢は実現しなかった。
先週のロンド・ファン・フラーンデレンがクラシックの王様なら、パリ・ルーベはクラシックの女王。一週を置いて開催されるキングとクイーン。ロンドが急坂のパヴェのクラシックならパリ〜ルーベは悪路のパヴェのクラシック。ルーベは平坦だがパヴェの荒れ具合においてロンドよりも数倍凶悪だ。
ロンド以降の平日に行われた各チームのコース試走によって、今年のルーベは例年よりもスピードレースになることが予測されていた。コース上のパヴェ区間には水たまりなどウェットな箇所がつきものだが、それらが一切見当たら無いほどの完全ドライな状態。森に覆われているためいつも薄暗く、常に石畳の間の土が湿った状態にあるアランヴェールのパヴェでさえほぼ乾いた状態だという。北の天気は不順だが、前週から天候はずっと安定しており雨が降らなかったのだ。
ドライ路面に加え、当日は最高気温が21度まで上がり、レースの進行方向に対して追い風となる南風が吹くという天気予報。間違いなく速いレース展開になることを予想した主催者A.S.O.は、テレビ放映の時間に合わせスタート時間を15分遅らせた。前日のフォトグラファーミーティングでは、完全ドライな路面を関係車両が通ることによって生じる砂埃によって視界が効かなくなる危険に関して注意喚起が行われた。
今年のプログラムやポスター、バナーなどには昨年の覇者マシュー・ヘイマンではなくトム・ボーネンの画像が使われた。そしてボーネンの引退レースであることに特別な対応も発表された。もしボーネンが優勝グループもしくは独走でルーベ競技場に帰ってきたときは、カメラマンの殺到を避けるためにフィニッシュ後に彼を撮ることができるのは1人の代表撮影者のみ。こういった決め事は前例が無いもの。果たしてボーネンがパリ・ルーベ5勝の新記録を打ち立て、ルーベ競技場を沸かすことになるのか。
クイックステップフロアーズはスタート地点から遠く離れた路上にチームバスを停め、人混み集中による混乱を避けた。それでもチームバスの周りにはベルギーからきた大勢のファンが詰めかけた。ファンたちが用意したのはボーネンの顔写真の目抜きのお面。なかなかのインパクトだが、他チームのバスなどにもそれが飾られ、やはりボーネンが特別な存在であることがわかる。コース上120km地点のヴェルタンの象徴的な風車の羽根にもボーネンの引退を惜しむ特別なペイントがなされたという。
この北のクラシックでボーネンのために用意された白いバイクには、金色のペイントで彼が飛び立つための羽が描かれた。そしてトップチューブには「Sometimes You don't need a plan.You just nood a big balls.(作戦は要らない。ただ大きなタマがあればいい)」というフレーズが入る。これは昨年のルーベでルフェーブル監督が放った名言をもじったものだ。プラン不要のクイックステップの闘い方を見事に言い表していいるが、今日のクイックステップにはいつもとは違いボーネンを勝たせるという明確なプランがある。策略はなくとも、チームの目標はひとつだ。
いつもの「北」の冷たさを感じることの無い空気。午後11時10分のスタート後はすでに夏の気配があるほどだった。前回、雨らしい雨が降ったルーベはボーネンが初出場で3位に入った2002年のこと。それ以来、レース日には降られていないことになる。この時期に雨が降らないわけではなく、むしろ天候が変わりやすい地方であるのに、この15年はおしなべて乾いた暑い天候のルーベが続いているのだ。
最初の1時間の平均時速は51km/h。ある程度予測はしていたが、猛烈な速さの展開に先導する関係車両に注意が回る。先行するフォトグラファーやメディア関係者はパヴェに入る手前1kmにあるカフェ、シェ・フランソワーズで小休止してサンドイッチの昼食を摂るのが慣わしだが、すでに集団が近くに迫っているとの知らせに、手にしたものを慌ただしくほおばると駆け足でパヴェへと向かった。
スタートからトイレタイムも無く飛ばし続けたプロトンは逃げらしい逃げを許さず、予想タイムを大幅に上回ってパヴェ区間へと突入した。極端に乾いたパヴェは、車両の巻上げる砂塵で前が見えなくなるほど。乾いたパヴェはウェット箇所でのスリップさえ無いものの、乾ききった路面は浮いた砂でコーナリングの際にグリップを効かせられず、ラインがオーバーになりがち。コーナーでアウトにふくらむ選手が多く見受けられた。
路面に浮く砂に、砂煙で効かない視界。そして予想通り頻発した落車。ラジオツールで情報が飛び交うが、視界が効かないためか正確な情報が伝わらない。それでも集団は休憩無しで飛ばし続けていることだけは確かだ。一度遅れると挽回することは難しい。
前週のロンド・ファン・フラーンデレンでペーター・サガンとグレッグ・ヴァンアーヴェルマートとともにオウデクワレモントで落車したオリバー・ナーセン(アージェードゥーゼル)は、この一日で3台のバイクに乗り換え、4回ホイール交換をしたという。それでもその度に復帰したが、最終局面でのディレイラー破損によるロスで、終盤は勝負できる力が残っていなかったという。
ヴァンアーヴェルマートもトラブルと無縁ではなかった。重要なセクター19・アランヴェールの手前のワレーのパヴェで起こった落車に巻き込まれ、ディレイラーを壊してバイク交換を強いられた。重要なアランベールに入る前に約40秒の遅れを喫し、その後20kmに及ぶ追走を強いられている。ヴァンアーヴェルマートが遅れたとの報に、引き離すチャンスとみた他チームがペースアップを試みるも、しかしBMCレーシングはグレッグのために結束したチームワークを見せた。
パンクに泣いたのはサガンだ。ロンドでのリベンジとばかりに積極的なアタックを見せるが、その先のパンクで後方に戻るということを繰り返した。パンクも複数回重なると、さすがに戻るのに力を費したか、それとも覇気を折られたか、レースを決する重要な動きのタイミングで起きるパンクにサガンは翻弄された。
この日、BMCレーシングで大きな働きを果たしたのがBMCのイタリア人ダニエル・オスだ。残り70kmからの後半、先行してアヴァンアーヴェルマートをアシストした。最終局面で合流すると、献身的に引き、後方との差を広げることに成功した。「単独で前に出たとき、今日が僕の日だといいな、と少しだけ夢を見た。そして、グレッグの副官としての自分の仕事に戻るべきときだとわかったんだ。彼の集団についた時、彼の後ろに誰もつけさせないために最大限の働きをした」とオス。
以前から、いつかパリ〜ルーベに勝ちたいと夢見るルーラーのオスは言う。「今日、自分がルーベで戦えることが分かった。いつか勝利を目指したい」。
オスの強力な牽引、そして代わってフィニッシュまで残り16kmでのヴァンアヴェールマートのペースアップアタックとつなぎ、追撃するボーネン集団たちが追いつくのを許さなかった。
沿道には後半になるほどボーネンファンの応援が目立った。ベルギー国旗とともに「5」の数字が掲げられる。とくにセクター4・カルフール・ド・ラルブルにかけての最難関区間は、ボーネンのルーベの5回目の勝利を切望するファンたちの人垣ができていた。
もっとも得意な勝ちパターンとして、後半の独走に持ち込みたいボーネン。あるいは少人数の逃げグループに入り、スプリントに賭ける。しかし送り出したスティバルらが入るその逃げグループに追いつかない。ボーネンの計算は狂った。
この日クイックステップフロアーズは、ボーネン一本で勝負することを公言していた。ワンデイレースにおいて勝てる選手の「弾数」を多く揃えるクイックステップは、普段のレースでは常に明快なリーダーを決めずに勝てる展開を流れによりアドリブで決めてきた面がある。先週のロンドにおいてはフィリップ・ジルベールが勝ったが、ボーネンにも最後までチャンスはあった。
しかしこの日はボーネンを唯一のエースとする必勝体制。ボーネンは落車やパンクのトラブルに見舞われることもなく、終盤まで順調な走りを見せた。チームとしても盤石のレース運びで最終局面を迎えたが、レースを決める重要な動きにボーネンは取り残されてしまった。
逃げたヴェンアーベルマート、スティバル、セバスティアン・ラングフェルド(キャノンデール・ドラパック)の3人+追いついたジャンニ・モスコン(チームスカイ)とジャスパー・ストゥイヴェン(トレック・セガフレード)によるスプリント勝負に。少人数スプリントに自信をもつヴァンアーヴェルマートがルーベを制した。
自身初のモニュメント勝利を成し遂げたヴァンアーヴェルマート。今シーズン、春のクラシックではオンループ・ヘットニュースブラッドとE3ハーレルベーケ、ヘント〜ウェヴェルヘムで勝利し、これで4つのパヴェのクラシックに勝利したことになる。しかし自身が最高の目標としていたロンドでの2位が悔やまれる。
一昨年まで、ヴァンアーヴェルマートには「エターナルセカンド」つまり万年2位という不名誉なニックネームがあった。表彰台に上るも、常に2位止まり。ぎりぎりのところで勝てないというレースがあまりに多く続いたからだ。そんな不名誉を撤回するきっかけとなったのが2015年のツールの第13ステージのフィニッシュでサガンとの一騎打ちを制したことだ。スプリンターのサガンをマッチスプリントで下すというサプライズ勝利。しかしそれ以来、タフなレースで絞り込まれた小集団スプリントではずば抜けた速さを発揮するようになる。
そしてクライマーに有利と言われたリオ五輪ロードで優勝し、ゴールドの栄冠に恵まれた。そしてこのルーベの勝利が自身初のモニュメント制覇となった。それまでのタイトルではリオ五輪が自身のキャリア最高の勝利だったが、そこに1つめのモニュメント勝利が加わることに。
前週、優勝候補筆頭として勝つためにロンドに臨んだヴァンアーヴェルマートは、ボーネンとジルベールらクイックステップ勢の早すぎるアタックの前に翻弄された。そして追走のタイミングでのサガンとナーセンとともに3人で落車。それでも追い上げての2位獲得だった。
アーヴェルマートは振り返る。「ロンドは勝つことを考えて走ったレースだったが、このパリ〜ルーベは正直言って勝てるとは思っていなかった。万年2位のポジションを脱し、今は勝ちパターンに乗っている。勝つことは良い流れを生み出す。勝てば勝つほど自信が増し、チームの信頼も上がっていくんだ。長い年月の末にモニュメントのタイトルを獲得したことは格別だ。モニュメントで勝つ日がやってくると信じて競技に打ち込んできた結果であり、この勝利がまた次の勝利につながると思う」。
平均時速は45.204km/h、1964年にペーター・ポスト(オランダ)が記録した平均時速を上回る史上最速記録となった。もっともその当時はパヴェ区間が今よりもずっと少ない時代。さらに今年はパヴェ区間が増え、距離も伸びたというのに。
今までで最も速いパリ・ルーベに勝ったということをどう思う?との質問に、ヴァンアーヴェルマートはこう応えた。
「走っている途中でコンピュータを無くして数字に関してはみていなかった。速いか遅いかは関係なく、レースではラインを最初に越えたかどうか。追い風に助けられたけど、これがもし”最遅のルーベ”だったとしても同じこと」。
また、ボーネン最後のレースで勝てたことも嬉しいとコメント。ボーネンの経歴について昨夜ウィキペディアで改めて調べて、その輝かしい戦歴に驚いたという。
「ボーネンと僕は違うタイプの選手で、僕はクライマータイプで、ボーネンはスプリンター。僕は彼のような何百勝もできるタイプの選手じゃない。彼に追いつくには、この先何年もかかるだろう。先は遠いよ」。
ボーネンは12秒遅れの集団内で13位フィニッシュ。期待されたルーベ5勝の記録更新は実現されず、ロジェ・デフラミンク(ベルギー)との4勝タイで引退レースを終えた。ボーネンは走り終えてもルーベ競技場のフィールド内に留まることをせず、場外に停められたクイックステップのバスにすぐさま戻ると自国TV局のインタビューをこなすのみでその場を去った。それなりの演出は用意されていたはずだが、5勝で幕を引くおとぎ話のようなフィナーレは無かった。
5分以上遅れてフィニッシュしたサガンは、ルーベ競技場に独りたどり着いたときにはロンドと同じように全身に喪失感を漂わせていた。
「アンラッキーな日だった。何度も言ってきたようにルーベに勝つには好調と脚以上のものが必要だ。ミラノ〜サンレモは(クフィアトコウスキーにゴール前で差されて)失った。ロンドはミス(落車)を犯した。そして今日はアンラッキーだった」とサガン。
取材を追え、筆者が拠点としているベルギーに戻ると街のあちこちのバールで酒盛りが始まっていた。この日、ルーベ方面から観戦者たちが家に帰り着き、一息ついた夜の9時からボーネンの今までを振り返るTV番組が放映されることになっていた。ベルギーじゅうのボーネンファンはそれを観たことだろう。
私がカメラマンモトの運転を依頼しているフランク氏の誘いで、帰路に彼の住む街レンデレーデのスポーツバー「デ・クルイシュベルク」を訪れてみれば、大勢の自転車ファンがパリ〜ルーベの評論に花を咲かせながらボーネンの特集番組の放送を今か今かと待っている状態だった。
そのバールのオーナーこそがボーネンがプロ入り前の3年間に所属した街のアマチュアチームのチーム監督であり、その当時の思い出話を延々と聞かせてもらうことになった。もちろんベルギービールの歓待とともに。この一帯はベルギーでも特に自転車選手が多く世に出る地域。フランク・ヴァンデンブルックほか多くの選手がプロ入り前にこのバールを拠点にしたという。
ジュニア、エスポワール時代から抜きん出た才能を開花させていたというボーネンは、その当時よりベルギー国民全体の期待を集める存在だったという。私が今までにボーネンのルーベの4勝すべてや、今までの主要な活躍を多く撮っていることを話すと、記念にとボーネンが2005年のパリ〜ニースで着たマイヨジョーヌをプレゼントしてくれた。受け取るのは畏れ多いと断ったのだが、どうしてもと言って聞いてもらえなかった。しかし、思い出に残る面白い夜になった。
水曜のシュヘルデプライスでボーネンのベルギー国内のレースは最期で、惜別はそのレースで終えていたと思いこんでいたのだが、やはりパリ・ルーベこそがボーネンの引退のレースだったのだと実感させられた。同時に、ボーネンがこの北の地で心から愛されている存在であることを実感した北のクラシック週間だった。
photo&text:Makoto.AYANO in Ghent, BERGIUM
先週のロンド・ファン・フラーンデレンがクラシックの王様なら、パリ・ルーベはクラシックの女王。一週を置いて開催されるキングとクイーン。ロンドが急坂のパヴェのクラシックならパリ〜ルーベは悪路のパヴェのクラシック。ルーベは平坦だがパヴェの荒れ具合においてロンドよりも数倍凶悪だ。
ロンド以降の平日に行われた各チームのコース試走によって、今年のルーベは例年よりもスピードレースになることが予測されていた。コース上のパヴェ区間には水たまりなどウェットな箇所がつきものだが、それらが一切見当たら無いほどの完全ドライな状態。森に覆われているためいつも薄暗く、常に石畳の間の土が湿った状態にあるアランヴェールのパヴェでさえほぼ乾いた状態だという。北の天気は不順だが、前週から天候はずっと安定しており雨が降らなかったのだ。
ドライ路面に加え、当日は最高気温が21度まで上がり、レースの進行方向に対して追い風となる南風が吹くという天気予報。間違いなく速いレース展開になることを予想した主催者A.S.O.は、テレビ放映の時間に合わせスタート時間を15分遅らせた。前日のフォトグラファーミーティングでは、完全ドライな路面を関係車両が通ることによって生じる砂埃によって視界が効かなくなる危険に関して注意喚起が行われた。
今年のプログラムやポスター、バナーなどには昨年の覇者マシュー・ヘイマンではなくトム・ボーネンの画像が使われた。そしてボーネンの引退レースであることに特別な対応も発表された。もしボーネンが優勝グループもしくは独走でルーベ競技場に帰ってきたときは、カメラマンの殺到を避けるためにフィニッシュ後に彼を撮ることができるのは1人の代表撮影者のみ。こういった決め事は前例が無いもの。果たしてボーネンがパリ・ルーベ5勝の新記録を打ち立て、ルーベ競技場を沸かすことになるのか。
クイックステップフロアーズはスタート地点から遠く離れた路上にチームバスを停め、人混み集中による混乱を避けた。それでもチームバスの周りにはベルギーからきた大勢のファンが詰めかけた。ファンたちが用意したのはボーネンの顔写真の目抜きのお面。なかなかのインパクトだが、他チームのバスなどにもそれが飾られ、やはりボーネンが特別な存在であることがわかる。コース上120km地点のヴェルタンの象徴的な風車の羽根にもボーネンの引退を惜しむ特別なペイントがなされたという。
この北のクラシックでボーネンのために用意された白いバイクには、金色のペイントで彼が飛び立つための羽が描かれた。そしてトップチューブには「Sometimes You don't need a plan.You just nood a big balls.(作戦は要らない。ただ大きなタマがあればいい)」というフレーズが入る。これは昨年のルーベでルフェーブル監督が放った名言をもじったものだ。プラン不要のクイックステップの闘い方を見事に言い表していいるが、今日のクイックステップにはいつもとは違いボーネンを勝たせるという明確なプランがある。策略はなくとも、チームの目標はひとつだ。
いつもの「北」の冷たさを感じることの無い空気。午後11時10分のスタート後はすでに夏の気配があるほどだった。前回、雨らしい雨が降ったルーベはボーネンが初出場で3位に入った2002年のこと。それ以来、レース日には降られていないことになる。この時期に雨が降らないわけではなく、むしろ天候が変わりやすい地方であるのに、この15年はおしなべて乾いた暑い天候のルーベが続いているのだ。
最初の1時間の平均時速は51km/h。ある程度予測はしていたが、猛烈な速さの展開に先導する関係車両に注意が回る。先行するフォトグラファーやメディア関係者はパヴェに入る手前1kmにあるカフェ、シェ・フランソワーズで小休止してサンドイッチの昼食を摂るのが慣わしだが、すでに集団が近くに迫っているとの知らせに、手にしたものを慌ただしくほおばると駆け足でパヴェへと向かった。
スタートからトイレタイムも無く飛ばし続けたプロトンは逃げらしい逃げを許さず、予想タイムを大幅に上回ってパヴェ区間へと突入した。極端に乾いたパヴェは、車両の巻上げる砂塵で前が見えなくなるほど。乾いたパヴェはウェット箇所でのスリップさえ無いものの、乾ききった路面は浮いた砂でコーナリングの際にグリップを効かせられず、ラインがオーバーになりがち。コーナーでアウトにふくらむ選手が多く見受けられた。
路面に浮く砂に、砂煙で効かない視界。そして予想通り頻発した落車。ラジオツールで情報が飛び交うが、視界が効かないためか正確な情報が伝わらない。それでも集団は休憩無しで飛ばし続けていることだけは確かだ。一度遅れると挽回することは難しい。
前週のロンド・ファン・フラーンデレンでペーター・サガンとグレッグ・ヴァンアーヴェルマートとともにオウデクワレモントで落車したオリバー・ナーセン(アージェードゥーゼル)は、この一日で3台のバイクに乗り換え、4回ホイール交換をしたという。それでもその度に復帰したが、最終局面でのディレイラー破損によるロスで、終盤は勝負できる力が残っていなかったという。
ヴァンアーヴェルマートもトラブルと無縁ではなかった。重要なセクター19・アランヴェールの手前のワレーのパヴェで起こった落車に巻き込まれ、ディレイラーを壊してバイク交換を強いられた。重要なアランベールに入る前に約40秒の遅れを喫し、その後20kmに及ぶ追走を強いられている。ヴァンアーヴェルマートが遅れたとの報に、引き離すチャンスとみた他チームがペースアップを試みるも、しかしBMCレーシングはグレッグのために結束したチームワークを見せた。
パンクに泣いたのはサガンだ。ロンドでのリベンジとばかりに積極的なアタックを見せるが、その先のパンクで後方に戻るということを繰り返した。パンクも複数回重なると、さすがに戻るのに力を費したか、それとも覇気を折られたか、レースを決する重要な動きのタイミングで起きるパンクにサガンは翻弄された。
この日、BMCレーシングで大きな働きを果たしたのがBMCのイタリア人ダニエル・オスだ。残り70kmからの後半、先行してアヴァンアーヴェルマートをアシストした。最終局面で合流すると、献身的に引き、後方との差を広げることに成功した。「単独で前に出たとき、今日が僕の日だといいな、と少しだけ夢を見た。そして、グレッグの副官としての自分の仕事に戻るべきときだとわかったんだ。彼の集団についた時、彼の後ろに誰もつけさせないために最大限の働きをした」とオス。
以前から、いつかパリ〜ルーベに勝ちたいと夢見るルーラーのオスは言う。「今日、自分がルーベで戦えることが分かった。いつか勝利を目指したい」。
オスの強力な牽引、そして代わってフィニッシュまで残り16kmでのヴァンアヴェールマートのペースアップアタックとつなぎ、追撃するボーネン集団たちが追いつくのを許さなかった。
沿道には後半になるほどボーネンファンの応援が目立った。ベルギー国旗とともに「5」の数字が掲げられる。とくにセクター4・カルフール・ド・ラルブルにかけての最難関区間は、ボーネンのルーベの5回目の勝利を切望するファンたちの人垣ができていた。
もっとも得意な勝ちパターンとして、後半の独走に持ち込みたいボーネン。あるいは少人数の逃げグループに入り、スプリントに賭ける。しかし送り出したスティバルらが入るその逃げグループに追いつかない。ボーネンの計算は狂った。
この日クイックステップフロアーズは、ボーネン一本で勝負することを公言していた。ワンデイレースにおいて勝てる選手の「弾数」を多く揃えるクイックステップは、普段のレースでは常に明快なリーダーを決めずに勝てる展開を流れによりアドリブで決めてきた面がある。先週のロンドにおいてはフィリップ・ジルベールが勝ったが、ボーネンにも最後までチャンスはあった。
しかしこの日はボーネンを唯一のエースとする必勝体制。ボーネンは落車やパンクのトラブルに見舞われることもなく、終盤まで順調な走りを見せた。チームとしても盤石のレース運びで最終局面を迎えたが、レースを決める重要な動きにボーネンは取り残されてしまった。
逃げたヴェンアーベルマート、スティバル、セバスティアン・ラングフェルド(キャノンデール・ドラパック)の3人+追いついたジャンニ・モスコン(チームスカイ)とジャスパー・ストゥイヴェン(トレック・セガフレード)によるスプリント勝負に。少人数スプリントに自信をもつヴァンアーヴェルマートがルーベを制した。
自身初のモニュメント勝利を成し遂げたヴァンアーヴェルマート。今シーズン、春のクラシックではオンループ・ヘットニュースブラッドとE3ハーレルベーケ、ヘント〜ウェヴェルヘムで勝利し、これで4つのパヴェのクラシックに勝利したことになる。しかし自身が最高の目標としていたロンドでの2位が悔やまれる。
一昨年まで、ヴァンアーヴェルマートには「エターナルセカンド」つまり万年2位という不名誉なニックネームがあった。表彰台に上るも、常に2位止まり。ぎりぎりのところで勝てないというレースがあまりに多く続いたからだ。そんな不名誉を撤回するきっかけとなったのが2015年のツールの第13ステージのフィニッシュでサガンとの一騎打ちを制したことだ。スプリンターのサガンをマッチスプリントで下すというサプライズ勝利。しかしそれ以来、タフなレースで絞り込まれた小集団スプリントではずば抜けた速さを発揮するようになる。
そしてクライマーに有利と言われたリオ五輪ロードで優勝し、ゴールドの栄冠に恵まれた。そしてこのルーベの勝利が自身初のモニュメント制覇となった。それまでのタイトルではリオ五輪が自身のキャリア最高の勝利だったが、そこに1つめのモニュメント勝利が加わることに。
前週、優勝候補筆頭として勝つためにロンドに臨んだヴァンアーヴェルマートは、ボーネンとジルベールらクイックステップ勢の早すぎるアタックの前に翻弄された。そして追走のタイミングでのサガンとナーセンとともに3人で落車。それでも追い上げての2位獲得だった。
アーヴェルマートは振り返る。「ロンドは勝つことを考えて走ったレースだったが、このパリ〜ルーベは正直言って勝てるとは思っていなかった。万年2位のポジションを脱し、今は勝ちパターンに乗っている。勝つことは良い流れを生み出す。勝てば勝つほど自信が増し、チームの信頼も上がっていくんだ。長い年月の末にモニュメントのタイトルを獲得したことは格別だ。モニュメントで勝つ日がやってくると信じて競技に打ち込んできた結果であり、この勝利がまた次の勝利につながると思う」。
平均時速は45.204km/h、1964年にペーター・ポスト(オランダ)が記録した平均時速を上回る史上最速記録となった。もっともその当時はパヴェ区間が今よりもずっと少ない時代。さらに今年はパヴェ区間が増え、距離も伸びたというのに。
今までで最も速いパリ・ルーベに勝ったということをどう思う?との質問に、ヴァンアーヴェルマートはこう応えた。
「走っている途中でコンピュータを無くして数字に関してはみていなかった。速いか遅いかは関係なく、レースではラインを最初に越えたかどうか。追い風に助けられたけど、これがもし”最遅のルーベ”だったとしても同じこと」。
また、ボーネン最後のレースで勝てたことも嬉しいとコメント。ボーネンの経歴について昨夜ウィキペディアで改めて調べて、その輝かしい戦歴に驚いたという。
「ボーネンと僕は違うタイプの選手で、僕はクライマータイプで、ボーネンはスプリンター。僕は彼のような何百勝もできるタイプの選手じゃない。彼に追いつくには、この先何年もかかるだろう。先は遠いよ」。
ボーネンは12秒遅れの集団内で13位フィニッシュ。期待されたルーベ5勝の記録更新は実現されず、ロジェ・デフラミンク(ベルギー)との4勝タイで引退レースを終えた。ボーネンは走り終えてもルーベ競技場のフィールド内に留まることをせず、場外に停められたクイックステップのバスにすぐさま戻ると自国TV局のインタビューをこなすのみでその場を去った。それなりの演出は用意されていたはずだが、5勝で幕を引くおとぎ話のようなフィナーレは無かった。
5分以上遅れてフィニッシュしたサガンは、ルーベ競技場に独りたどり着いたときにはロンドと同じように全身に喪失感を漂わせていた。
「アンラッキーな日だった。何度も言ってきたようにルーベに勝つには好調と脚以上のものが必要だ。ミラノ〜サンレモは(クフィアトコウスキーにゴール前で差されて)失った。ロンドはミス(落車)を犯した。そして今日はアンラッキーだった」とサガン。
取材を追え、筆者が拠点としているベルギーに戻ると街のあちこちのバールで酒盛りが始まっていた。この日、ルーベ方面から観戦者たちが家に帰り着き、一息ついた夜の9時からボーネンの今までを振り返るTV番組が放映されることになっていた。ベルギーじゅうのボーネンファンはそれを観たことだろう。
私がカメラマンモトの運転を依頼しているフランク氏の誘いで、帰路に彼の住む街レンデレーデのスポーツバー「デ・クルイシュベルク」を訪れてみれば、大勢の自転車ファンがパリ〜ルーベの評論に花を咲かせながらボーネンの特集番組の放送を今か今かと待っている状態だった。
そのバールのオーナーこそがボーネンがプロ入り前の3年間に所属した街のアマチュアチームのチーム監督であり、その当時の思い出話を延々と聞かせてもらうことになった。もちろんベルギービールの歓待とともに。この一帯はベルギーでも特に自転車選手が多く世に出る地域。フランク・ヴァンデンブルックほか多くの選手がプロ入り前にこのバールを拠点にしたという。
ジュニア、エスポワール時代から抜きん出た才能を開花させていたというボーネンは、その当時よりベルギー国民全体の期待を集める存在だったという。私が今までにボーネンのルーベの4勝すべてや、今までの主要な活躍を多く撮っていることを話すと、記念にとボーネンが2005年のパリ〜ニースで着たマイヨジョーヌをプレゼントしてくれた。受け取るのは畏れ多いと断ったのだが、どうしてもと言って聞いてもらえなかった。しかし、思い出に残る面白い夜になった。
水曜のシュヘルデプライスでボーネンのベルギー国内のレースは最期で、惜別はそのレースで終えていたと思いこんでいたのだが、やはりパリ・ルーベこそがボーネンの引退のレースだったのだと実感させられた。同時に、ボーネンがこの北の地で心から愛されている存在であることを実感した北のクラシック週間だった。
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