2016/07/26(火) - 02:24
テロへの厳戒態勢で迎えたシャンゼリゼでフルームが3度目のツール勝利。王朝の確立を印象づける圧倒的な勝利だが、ケニア生まれの英国人はチームでの勝利を強調した。
最終ステージはパリの郊外40kmほどにあるシャンティイ城がスタート地点。選手たちは当日朝アルプスの麓シャンベリー空港からチャーター機でパリ・シャルルドゴール空港に飛び、バスで到着した。
チームスカイはフォード・マスタングのスポーツカーをイエローでラッピングし、選手やスタッフたちは昨年同様スカイブルーをイエローに差し替えたシャンゼリゼ特別ジャージ&ウェアで登場した。
ティンコフはペーター・サガンにマイヨベールカラー、ラファル・マイカにマイヨアポアカラーの特別バイクを用意。スタート前までに間に合わそうと組み付けに忙しい。
ヴィラージュには最終ステージの雰囲気を味わおうとパリコレのスーパーモデルと思われる美女が訪問した。見慣れない中国人の姿が多かったのは、A.S.O.がさいたまクリテリウムに続くツール・ド・フランスの冠イベントを中国でも開催することを決めたからということだった。
華やかな最終ステージへのスタートにふさわしく、ルネサンス時代の華麗なお城グラン・パレにプチ・パレと、ルノートル庭園をぐるりと巡り、史上最高人数の174人のプロトンは花の都パリを目指した。7度目のツール完走を新城幸也(ランプレ・メリダ)はファンにもらった日の丸をヘルメットに取り付けて走る。
4度目のツール制覇のフルームはチームカーからベルギービールLeffeの小瓶をポッケに入れてチームメイトのもとへ届けた。チームスカイは初めて9人揃っての凱旋となるため、それを祝うためのご褒美のビールとのこと。中身はSans Alchol(アルコール抜き)だ。ちなみにチームスカイのバスで待つスタッフたちはレース後のシャンパン用のつまみにと、たくさんのピッツァを買い込み、備えていた。
コース上でのフォトセッションライドのような時間をこなし、シャンゼリゼへ。このツールが最後になるホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)はフルームらの勧めでルーブル美術館を前にひとり飛び出し、独走の機会を得た。観客たちもシャンゼリゼを走る最後のプリトの姿に声援を送り、目に焼き付けた。もしカンチェラーラがこのツールを最後まで走れば、二人でのフェアウェルセレモニーになったはずだ。
その感動的なシーンがコンコルド広場を通過してしばらく、集団の最後尾の救急車に急かされるように走りこんでくるエティックス・クイックステップの選手がいた。アクロバット飛行隊”パトルイユ・ド・フランス”が空にトリコロールの煙幕を引いたとき、トニ・マルティンは関係車両が退避するエリアへと迷いなくコースを外れた。
マルティンは膝の痛みに耐えることができず、完走を目前に棄権を選んだという。昨年は落車でマイヨジョーヌを着たままツールを去ったが、2年連続の悲運。マルティンはこの後リオ五輪出場も予定しているが、膝はシャンゼリゼの8周回を走りきれる状態ではなかったという。
クイックステップにとってマルティンのリタイアは悲運のひとつでしかなかった。マルセル・キッテルがメカトラブルでバイクを交換。単独で追い上げるも、スピードの上がった集団は待ってはくれない。ちょうど重なるタイミングでダニエル・マーティンもパンクしていた。あわや総合順位の下降もあり得る事態に見舞われる。ペダルのトラブルとパンクが重なったキッテルは、その不運に怒りを隠せずホイールを石畳に投げつけた。代車に乗り換えるうちに大きく遅れ、もはやスプリントに参加できないほどに脚を使ってしまった。
パンクに泣いたのはエティックスの二人だけではなかった。ディレクトエネルジーは、昨年のシャンゼリゼで2位、今年もスプリントでステージ2位をすでにマークしているブライアン・コカールの勝利のために集団先頭を牽引する意欲を見せた。しかしラスト3kmで、よりによってコカールの身にパンクが起こる。
「シャンゼリゼで勝利を狙って闘えるチャンスは人生にそう何度もあるわけじゃない。山岳ステージを終えても調子が良かったから本当に残念で、同時に苛立たしかった。でもトラブルは防ぎようがなかった。今大会たった3回のパンクのうち2回が今日発生したのは不運だったと言うしかない。最後は力が残っておらず、スプリントに絡めなかった。誰にも不運は訪れる。それがスポーツだ」(キッテル)。
「このツールでは一度だってパンクしていなかったのに、今ここでパンクするなんて。不満だ。なぜってこの5、6日は、僕だけじゃなくチーム全員がこの日のことだけ考えて走ってきたんだ。彼らのためにも勝ちたかったのに、本当に頭にくる!」(コカール)。
カヴェンディッシュの居ない今、シャンゼリゼで最強スプリンターであることを改めて証明したいキッテルと、昨年のリベンジと初勝利、そしフランス人2勝目獲得に燃えるコカールには、最悪のタイミングでパンクが訪れた。2人のスプリンターを欠いて、栄光のシャンゼリゼフィニッシュは競われることになった。
向かい風とトレイン要員の不足をアレクサンダー・クリストフ(カチューシャ)の番手を利用することで巧みに立ちまわったアンドレ・グライペル(ロット・ソウダル)が、最後に伸びを見せ、ようやく今大会待望の1勝を挙げた。「ロストックのゴリラ」はフィニッシュラインを越えると喜びを爆発させた。
昨年はシャンゼリゼの勝利を含むステージ4勝と、まさに勝ちまくった最高のツールだったが、今年はここまで勝利なし。最後の最後にようやく勝利を手にすることができたグライペル。
「今日のために3週間走り続けてきたんだ。また一つツールのステージ優勝を重ねることができて本当に嬉しい。なかなか勝てなかったが、ここまで諦めることはしなかった。それは人生と同じで、雨の日が続いても、いつか必ず晴れ間がのぞくもの。そう考えて走っていた」。
この勝利でグライペルはツールにおいて2011年から6年連続でステージ優勝を挙げたことになる。また、2007年のブエルタ・ア・エスパーニャ以降、出場した12回すべてのグランツールでステージ1勝以上を挙げるという記録を更新することに。
31秒遅れの集団では新城幸也(ランプレ・メリダ)が6度目のツール完走を達成。レース後すぐにチームバス前で催されたミニ記者会見とJ SPORTSライブの生出演。日本のメディア勢の祝福をよそに、ステージ優勝の目標を達成できなかったことに不満気だが、2月の大腿骨骨折からの復活してツールを走ったことは素直に喜ぶユキヤ。
「こうしてシャンゼリゼを走ると、ツールはやっぱり大きな大会なんだということを実感して、6度目にしてまた鳥肌が立ちました(笑)。やっぱりツールは格別。怪我のことはもう今年のことじゃないような気がしています。今年こうしてツールを走れたことは、これからのモチベーションになります。正直言えば今年のツールでは何も出来なかった。それでもこうして3週間走り切ることができた。また来年、この非日常的なツールの舞台に帰ってきたい」(新城幸也)。
ツール史上4人目の3勝選手となったフルームとチームスカイは、昨年とまったく同じようにチームが横一線となり、全員で肩を組んでフィニッシュした。総合上位にひしめいた有力勢はフィニッシュライン通過タイムで総合順位変わる可能性があったから最後まで力いっぱいに駆け抜けたが、4分以上の差をもつフルームはロスタイムを気にすること無く悠々とフィニッシュした。それはフルームが繰り返し話す「チームの勝利」を具体化したフィニッシュ方法だ。幸いUCIはタイム差をつけることはなく集団フィニッシュ扱いに。前日までの4分5秒差が2位バルデとの差になった。
「3度めも同じようにフィニッシュする。それはチーム全員で勝ちえた勝利を祝う最高の方法だから、今年も同じポーズを繰り返すこと以外考えられなかった。そしてそれができた」とフルーム。
華やかなシャンゼリゼ表彰式は、今年限りでツール・ド・フランスの大使を退くベルナール・イノーへの小さな送別セレモニーで始まった。A.S.O.職員たちが花道を作り、イノー氏を最後のポディウムの仕事へと迎えた。
イノー氏は今後は自分の時間を大切にし、孫と過ごすためにその職から身を引くことを決めたという。田舎暮らしと農作業を愛するイノー氏。老いる事無き青年のような熱さを保ち続けるイノー氏が定められた職務としてツールやASO主催レースの帯同に当たることは今後無い。
結局フランス人が1勝しかできなくても、ロメン・バルデの2位はシャンゼリゼの雰囲気をずいぶんと祝賀ムードにしてくれた。それは一昨年に同じチームによって成し遂げられたジャン=クリストフ・ペローの総合2位の時に比べても明らかだ。
表彰式の進行をポディウムの前に陣取ったAG2Rラモンディアールの選手たちが見守る。総合2位の表彰を待つバルデが、チームメイトやスタッフ全員とひとりひとりハグする。総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏もヴァンサン・ラヴニュー監督とハグして祝福する。
過去にはアームストロングの7連覇達成時から始まった総合優勝者のポディウム上でのスピーチは、フルームの勝利でもすっかり定番化したようだ。マイクを握ったフルームは、まずチームへの感謝を表す一言からスピーチを始めた。「チームメイトたち、サポートスタッフたち。このマイヨジョーヌは君たちのものでもある」。
「みんなの献身、犠牲がなければ決してこの場所には立てていなかった。デイヴ・ブレイルスフォードGMとコーチのティム・ケリソンには大きな感謝を。特別なチームの一員としてツールを走ったことを誇りに思う。そして妻のミシェルと息子ケランの愛とサポートのおかげで全てが可能となった。この勝利をケランに捧げる」。
フルームはツール中に襲ったニースのテロの惨劇について、そして自身が最高のレースだと讃えるツール・ド・フランスへの想いも語りかけた。スピーチの最後にはフランス語で観衆に語りかけた。締めくくりはVIVE LE TOUR、VIVE LA FRANCE(ツール万歳、フランス万歳)。流暢なフランス語の言葉に込められたツールとフランスへの真摯な思いに、ブーイングはもう起こらなかった。
ポディウムを降りたフルームは、表彰式に参列した奥さんのミシェルさんに抱かれた生後7ヶ月のケランちゃんにキス。「我が子に、父が成し遂げたことを将来誇りに思って欲しい」と語っていたフルーム。父親となって初のマイヨジョーヌを愛息子に捧げた。
タイム差4分5秒。差こそ2013年の4分20秒より少ない(モンヴァントゥーの事故も影響する)ものの、今までの2度の勝利よりも圧倒的な勝利は、貪欲に勝利に向かい、誰も脅かすことのできなかったフルームとチームスカイの最強時代の確立を確認する勝利だ。2015年のツール4強は「ファンタスティック・フォー」と名付けられた。しかし今年はファンタスティックな「ワン」とチームだったことを印象づける。フルームの言葉では「This is one special team」だ。
フルームは前夜の記者会見で、自身にとって最高・特別のレースだと考えるツール・ド・フランスの勝利にあと5、6年は挑戦したいと考えていることを表明した。チームスカイはブラドレー・ウィギンズの勝利を入れれば過去5年中4度のマイヨジョーヌ獲得を果たしていることも忘れてはならない。ケニア生まれのイギリス人の王朝は、今後もこのチームとともに続くのだろうか。ブレイルスフォードGMは「フルームはあと3、4年はトップの調子を維持できる」と語る。
フルームはこの後リオ五輪ロードと個人タイムトライアルを走り、両種目でメダルを狙う。またその後はブエルタ・ア・エスパーニャにも出場する可能性があるという。そしてさいたまクリテリウムの出場は確約済みだ。
リタイヤ選手が少なく、198人中過去最多の174人が完走したツールとなり、2010年ツールの170人完走を塗り替える新記録となった。しかし全チームがシャンゼリゼを練り歩くパレードは無く、ファンをがっかりさせたが、テロが心配された最終ステージは何事も無く終えられた。警備がいつになく厳重で、音楽や演出は消えシンプルな雰囲気になったが、シャンゼリゼの安全は最後まで護られた。
数字で見るフルームのツール・ド・フランス勝利
総合時間:89時間4分48秒
総合2位とのタイム差 2013年:4分20秒、2015年:1分12秒、2016年:4分5秒
平均時速:39.6km
ステージ優勝数:2勝/通算7勝目(山岳タイムトライアル、山岳ステージの下りフィニッシュ)
年齢:31歳
フルームは31歳でツールに3勝。ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インデュラインは31歳のときすでにツール5勝を挙げている。
マイヨ・ジョーヌ着用日数:44日間
過去の選手でフルームより着用日数が多いのは次の4人。エディ・メルクス(96日間)、ベルナール・イノー(75日間)、ジャック・アンクティル(50日間)
ツール優勝数と参加数
5勝した選手:ジャック・アンクティル(8回参加)、エディ・メルクス(7回参加)、ベルナール・イノー(8回参加)、ミゲル・インデュライン(12回参加)
4勝した選手:無し
3勝した選手:フィリップ・ティス(10回参加)、ルイゾン・ボベ(10回参加)、グレッグ・レモン(8回参加)、クリス・フルーム(6回参加)
レース中にランニングした距離:200メートル(新記録)※次点はランス・アームストロングがギャップの下りでホセバ・ベロキを避けてシクロクロススタイルで芝生を走った件だが、ランニング距離はわずかだった。
チームスカイ 8人のアシストたち(写真左から)
セルジオルイス・エナオモントーヤ(コロンビア)28歳
ツール初出場の山岳アシスト。バルデ、キンタナ、バルベルデらがアタックした第5ステージのリオランへのフィニッシュまで防衛に動いたほか、モンヴァントゥーではキンタナとモビスターのアタックを封じた。
ミケル・ニエベ(スペイン)32歳
登りの能力を活かして第5ステージではモビスターのアタックからチームを護ったほか、常に山岳での防衛役をつとめた。第8ステージではフルームがアタックした際の発射台役をつとめた。
ワウト・ポエルス(オランダ)28歳
リエージュ覇者は常に山岳での働きが光った。第19ステージでフルームが落車した際にはつきっきりでヘルプし、丁度良いペースで牽引してタイムロスを防ぎ、最大のピンチから救った。
ゲラント・トーマス(イギリス)30歳
横風の吹いた第10ステージではサガンとフルームのアタックに即座に反応して4人逃げのアシストとして働き、6秒を稼いだ。第19ステージで落車したフルームにはバイクを差し出した。ランはせず力をセーブして、翌日の第20ステージで素晴らしい牽引力でアタックしたいライバルたちを萎えさせた。
ルーク・ロウ(イギリス)26歳
第1ステージで落車した影響が残ったが、クラシックでの経験を活かし風のステージで活躍。第14ステージでは横風を読む能力がフルームのポジションを失わないように走るキモとなった。
ヴァシル・キリエンカ(ベラルーシ)35歳
TT世界チャンピオンはTTステージを自分のために走らずに休み、アシストに徹した。ステージ終盤の先頭争いにおけるチームスカイトレインの重要な牽引役としてフルームを前方に送り込み、タイムロスとトラブルを未然に防いだ。
イアン・スタナード(イギリス)29歳
重量級の機関車は強風の日の頼もしい牽引役。平坦路ではチームを疲れ知らずで引きまくり、ひとりで何人分もの働きをした。
ミケル・ランダ(スペイン)26歳
ツール初出場。ジロの優勝候補の調子をツールへ持ち越し、山岳での重要なアシストとなった。とくに第8ステージ、第9ステージで活躍。山頂ゴールの際には麓から頂上までフルームを守り切った。
photo&text:Makoto.AYANO in Paris,France
photo:Kei.TSUJI, TimDeWaele
最終ステージはパリの郊外40kmほどにあるシャンティイ城がスタート地点。選手たちは当日朝アルプスの麓シャンベリー空港からチャーター機でパリ・シャルルドゴール空港に飛び、バスで到着した。
チームスカイはフォード・マスタングのスポーツカーをイエローでラッピングし、選手やスタッフたちは昨年同様スカイブルーをイエローに差し替えたシャンゼリゼ特別ジャージ&ウェアで登場した。
ティンコフはペーター・サガンにマイヨベールカラー、ラファル・マイカにマイヨアポアカラーの特別バイクを用意。スタート前までに間に合わそうと組み付けに忙しい。
ヴィラージュには最終ステージの雰囲気を味わおうとパリコレのスーパーモデルと思われる美女が訪問した。見慣れない中国人の姿が多かったのは、A.S.O.がさいたまクリテリウムに続くツール・ド・フランスの冠イベントを中国でも開催することを決めたからということだった。
華やかな最終ステージへのスタートにふさわしく、ルネサンス時代の華麗なお城グラン・パレにプチ・パレと、ルノートル庭園をぐるりと巡り、史上最高人数の174人のプロトンは花の都パリを目指した。7度目のツール完走を新城幸也(ランプレ・メリダ)はファンにもらった日の丸をヘルメットに取り付けて走る。
4度目のツール制覇のフルームはチームカーからベルギービールLeffeの小瓶をポッケに入れてチームメイトのもとへ届けた。チームスカイは初めて9人揃っての凱旋となるため、それを祝うためのご褒美のビールとのこと。中身はSans Alchol(アルコール抜き)だ。ちなみにチームスカイのバスで待つスタッフたちはレース後のシャンパン用のつまみにと、たくさんのピッツァを買い込み、備えていた。
コース上でのフォトセッションライドのような時間をこなし、シャンゼリゼへ。このツールが最後になるホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)はフルームらの勧めでルーブル美術館を前にひとり飛び出し、独走の機会を得た。観客たちもシャンゼリゼを走る最後のプリトの姿に声援を送り、目に焼き付けた。もしカンチェラーラがこのツールを最後まで走れば、二人でのフェアウェルセレモニーになったはずだ。
その感動的なシーンがコンコルド広場を通過してしばらく、集団の最後尾の救急車に急かされるように走りこんでくるエティックス・クイックステップの選手がいた。アクロバット飛行隊”パトルイユ・ド・フランス”が空にトリコロールの煙幕を引いたとき、トニ・マルティンは関係車両が退避するエリアへと迷いなくコースを外れた。
マルティンは膝の痛みに耐えることができず、完走を目前に棄権を選んだという。昨年は落車でマイヨジョーヌを着たままツールを去ったが、2年連続の悲運。マルティンはこの後リオ五輪出場も予定しているが、膝はシャンゼリゼの8周回を走りきれる状態ではなかったという。
クイックステップにとってマルティンのリタイアは悲運のひとつでしかなかった。マルセル・キッテルがメカトラブルでバイクを交換。単独で追い上げるも、スピードの上がった集団は待ってはくれない。ちょうど重なるタイミングでダニエル・マーティンもパンクしていた。あわや総合順位の下降もあり得る事態に見舞われる。ペダルのトラブルとパンクが重なったキッテルは、その不運に怒りを隠せずホイールを石畳に投げつけた。代車に乗り換えるうちに大きく遅れ、もはやスプリントに参加できないほどに脚を使ってしまった。
パンクに泣いたのはエティックスの二人だけではなかった。ディレクトエネルジーは、昨年のシャンゼリゼで2位、今年もスプリントでステージ2位をすでにマークしているブライアン・コカールの勝利のために集団先頭を牽引する意欲を見せた。しかしラスト3kmで、よりによってコカールの身にパンクが起こる。
「シャンゼリゼで勝利を狙って闘えるチャンスは人生にそう何度もあるわけじゃない。山岳ステージを終えても調子が良かったから本当に残念で、同時に苛立たしかった。でもトラブルは防ぎようがなかった。今大会たった3回のパンクのうち2回が今日発生したのは不運だったと言うしかない。最後は力が残っておらず、スプリントに絡めなかった。誰にも不運は訪れる。それがスポーツだ」(キッテル)。
「このツールでは一度だってパンクしていなかったのに、今ここでパンクするなんて。不満だ。なぜってこの5、6日は、僕だけじゃなくチーム全員がこの日のことだけ考えて走ってきたんだ。彼らのためにも勝ちたかったのに、本当に頭にくる!」(コカール)。
カヴェンディッシュの居ない今、シャンゼリゼで最強スプリンターであることを改めて証明したいキッテルと、昨年のリベンジと初勝利、そしフランス人2勝目獲得に燃えるコカールには、最悪のタイミングでパンクが訪れた。2人のスプリンターを欠いて、栄光のシャンゼリゼフィニッシュは競われることになった。
向かい風とトレイン要員の不足をアレクサンダー・クリストフ(カチューシャ)の番手を利用することで巧みに立ちまわったアンドレ・グライペル(ロット・ソウダル)が、最後に伸びを見せ、ようやく今大会待望の1勝を挙げた。「ロストックのゴリラ」はフィニッシュラインを越えると喜びを爆発させた。
昨年はシャンゼリゼの勝利を含むステージ4勝と、まさに勝ちまくった最高のツールだったが、今年はここまで勝利なし。最後の最後にようやく勝利を手にすることができたグライペル。
「今日のために3週間走り続けてきたんだ。また一つツールのステージ優勝を重ねることができて本当に嬉しい。なかなか勝てなかったが、ここまで諦めることはしなかった。それは人生と同じで、雨の日が続いても、いつか必ず晴れ間がのぞくもの。そう考えて走っていた」。
この勝利でグライペルはツールにおいて2011年から6年連続でステージ優勝を挙げたことになる。また、2007年のブエルタ・ア・エスパーニャ以降、出場した12回すべてのグランツールでステージ1勝以上を挙げるという記録を更新することに。
31秒遅れの集団では新城幸也(ランプレ・メリダ)が6度目のツール完走を達成。レース後すぐにチームバス前で催されたミニ記者会見とJ SPORTSライブの生出演。日本のメディア勢の祝福をよそに、ステージ優勝の目標を達成できなかったことに不満気だが、2月の大腿骨骨折からの復活してツールを走ったことは素直に喜ぶユキヤ。
「こうしてシャンゼリゼを走ると、ツールはやっぱり大きな大会なんだということを実感して、6度目にしてまた鳥肌が立ちました(笑)。やっぱりツールは格別。怪我のことはもう今年のことじゃないような気がしています。今年こうしてツールを走れたことは、これからのモチベーションになります。正直言えば今年のツールでは何も出来なかった。それでもこうして3週間走り切ることができた。また来年、この非日常的なツールの舞台に帰ってきたい」(新城幸也)。
ツール史上4人目の3勝選手となったフルームとチームスカイは、昨年とまったく同じようにチームが横一線となり、全員で肩を組んでフィニッシュした。総合上位にひしめいた有力勢はフィニッシュライン通過タイムで総合順位変わる可能性があったから最後まで力いっぱいに駆け抜けたが、4分以上の差をもつフルームはロスタイムを気にすること無く悠々とフィニッシュした。それはフルームが繰り返し話す「チームの勝利」を具体化したフィニッシュ方法だ。幸いUCIはタイム差をつけることはなく集団フィニッシュ扱いに。前日までの4分5秒差が2位バルデとの差になった。
「3度めも同じようにフィニッシュする。それはチーム全員で勝ちえた勝利を祝う最高の方法だから、今年も同じポーズを繰り返すこと以外考えられなかった。そしてそれができた」とフルーム。
華やかなシャンゼリゼ表彰式は、今年限りでツール・ド・フランスの大使を退くベルナール・イノーへの小さな送別セレモニーで始まった。A.S.O.職員たちが花道を作り、イノー氏を最後のポディウムの仕事へと迎えた。
イノー氏は今後は自分の時間を大切にし、孫と過ごすためにその職から身を引くことを決めたという。田舎暮らしと農作業を愛するイノー氏。老いる事無き青年のような熱さを保ち続けるイノー氏が定められた職務としてツールやASO主催レースの帯同に当たることは今後無い。
結局フランス人が1勝しかできなくても、ロメン・バルデの2位はシャンゼリゼの雰囲気をずいぶんと祝賀ムードにしてくれた。それは一昨年に同じチームによって成し遂げられたジャン=クリストフ・ペローの総合2位の時に比べても明らかだ。
表彰式の進行をポディウムの前に陣取ったAG2Rラモンディアールの選手たちが見守る。総合2位の表彰を待つバルデが、チームメイトやスタッフ全員とひとりひとりハグする。総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏もヴァンサン・ラヴニュー監督とハグして祝福する。
過去にはアームストロングの7連覇達成時から始まった総合優勝者のポディウム上でのスピーチは、フルームの勝利でもすっかり定番化したようだ。マイクを握ったフルームは、まずチームへの感謝を表す一言からスピーチを始めた。「チームメイトたち、サポートスタッフたち。このマイヨジョーヌは君たちのものでもある」。
「みんなの献身、犠牲がなければ決してこの場所には立てていなかった。デイヴ・ブレイルスフォードGMとコーチのティム・ケリソンには大きな感謝を。特別なチームの一員としてツールを走ったことを誇りに思う。そして妻のミシェルと息子ケランの愛とサポートのおかげで全てが可能となった。この勝利をケランに捧げる」。
フルームはツール中に襲ったニースのテロの惨劇について、そして自身が最高のレースだと讃えるツール・ド・フランスへの想いも語りかけた。スピーチの最後にはフランス語で観衆に語りかけた。締めくくりはVIVE LE TOUR、VIVE LA FRANCE(ツール万歳、フランス万歳)。流暢なフランス語の言葉に込められたツールとフランスへの真摯な思いに、ブーイングはもう起こらなかった。
ポディウムを降りたフルームは、表彰式に参列した奥さんのミシェルさんに抱かれた生後7ヶ月のケランちゃんにキス。「我が子に、父が成し遂げたことを将来誇りに思って欲しい」と語っていたフルーム。父親となって初のマイヨジョーヌを愛息子に捧げた。
タイム差4分5秒。差こそ2013年の4分20秒より少ない(モンヴァントゥーの事故も影響する)ものの、今までの2度の勝利よりも圧倒的な勝利は、貪欲に勝利に向かい、誰も脅かすことのできなかったフルームとチームスカイの最強時代の確立を確認する勝利だ。2015年のツール4強は「ファンタスティック・フォー」と名付けられた。しかし今年はファンタスティックな「ワン」とチームだったことを印象づける。フルームの言葉では「This is one special team」だ。
フルームは前夜の記者会見で、自身にとって最高・特別のレースだと考えるツール・ド・フランスの勝利にあと5、6年は挑戦したいと考えていることを表明した。チームスカイはブラドレー・ウィギンズの勝利を入れれば過去5年中4度のマイヨジョーヌ獲得を果たしていることも忘れてはならない。ケニア生まれのイギリス人の王朝は、今後もこのチームとともに続くのだろうか。ブレイルスフォードGMは「フルームはあと3、4年はトップの調子を維持できる」と語る。
フルームはこの後リオ五輪ロードと個人タイムトライアルを走り、両種目でメダルを狙う。またその後はブエルタ・ア・エスパーニャにも出場する可能性があるという。そしてさいたまクリテリウムの出場は確約済みだ。
リタイヤ選手が少なく、198人中過去最多の174人が完走したツールとなり、2010年ツールの170人完走を塗り替える新記録となった。しかし全チームがシャンゼリゼを練り歩くパレードは無く、ファンをがっかりさせたが、テロが心配された最終ステージは何事も無く終えられた。警備がいつになく厳重で、音楽や演出は消えシンプルな雰囲気になったが、シャンゼリゼの安全は最後まで護られた。
数字で見るフルームのツール・ド・フランス勝利
総合時間:89時間4分48秒
総合2位とのタイム差 2013年:4分20秒、2015年:1分12秒、2016年:4分5秒
平均時速:39.6km
ステージ優勝数:2勝/通算7勝目(山岳タイムトライアル、山岳ステージの下りフィニッシュ)
年齢:31歳
フルームは31歳でツールに3勝。ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インデュラインは31歳のときすでにツール5勝を挙げている。
マイヨ・ジョーヌ着用日数:44日間
過去の選手でフルームより着用日数が多いのは次の4人。エディ・メルクス(96日間)、ベルナール・イノー(75日間)、ジャック・アンクティル(50日間)
ツール優勝数と参加数
5勝した選手:ジャック・アンクティル(8回参加)、エディ・メルクス(7回参加)、ベルナール・イノー(8回参加)、ミゲル・インデュライン(12回参加)
4勝した選手:無し
3勝した選手:フィリップ・ティス(10回参加)、ルイゾン・ボベ(10回参加)、グレッグ・レモン(8回参加)、クリス・フルーム(6回参加)
レース中にランニングした距離:200メートル(新記録)※次点はランス・アームストロングがギャップの下りでホセバ・ベロキを避けてシクロクロススタイルで芝生を走った件だが、ランニング距離はわずかだった。
チームスカイ 8人のアシストたち(写真左から)
セルジオルイス・エナオモントーヤ(コロンビア)28歳
ツール初出場の山岳アシスト。バルデ、キンタナ、バルベルデらがアタックした第5ステージのリオランへのフィニッシュまで防衛に動いたほか、モンヴァントゥーではキンタナとモビスターのアタックを封じた。
ミケル・ニエベ(スペイン)32歳
登りの能力を活かして第5ステージではモビスターのアタックからチームを護ったほか、常に山岳での防衛役をつとめた。第8ステージではフルームがアタックした際の発射台役をつとめた。
ワウト・ポエルス(オランダ)28歳
リエージュ覇者は常に山岳での働きが光った。第19ステージでフルームが落車した際にはつきっきりでヘルプし、丁度良いペースで牽引してタイムロスを防ぎ、最大のピンチから救った。
ゲラント・トーマス(イギリス)30歳
横風の吹いた第10ステージではサガンとフルームのアタックに即座に反応して4人逃げのアシストとして働き、6秒を稼いだ。第19ステージで落車したフルームにはバイクを差し出した。ランはせず力をセーブして、翌日の第20ステージで素晴らしい牽引力でアタックしたいライバルたちを萎えさせた。
ルーク・ロウ(イギリス)26歳
第1ステージで落車した影響が残ったが、クラシックでの経験を活かし風のステージで活躍。第14ステージでは横風を読む能力がフルームのポジションを失わないように走るキモとなった。
ヴァシル・キリエンカ(ベラルーシ)35歳
TT世界チャンピオンはTTステージを自分のために走らずに休み、アシストに徹した。ステージ終盤の先頭争いにおけるチームスカイトレインの重要な牽引役としてフルームを前方に送り込み、タイムロスとトラブルを未然に防いだ。
イアン・スタナード(イギリス)29歳
重量級の機関車は強風の日の頼もしい牽引役。平坦路ではチームを疲れ知らずで引きまくり、ひとりで何人分もの働きをした。
ミケル・ランダ(スペイン)26歳
ツール初出場。ジロの優勝候補の調子をツールへ持ち越し、山岳での重要なアシストとなった。とくに第8ステージ、第9ステージで活躍。山頂ゴールの際には麓から頂上までフルームを守り切った。
photo&text:Makoto.AYANO in Paris,France
photo:Kei.TSUJI, TimDeWaele
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