2015/07/06(月) - 16:33
タイムトライアルで開幕した2015ツール。昨日はアフリカから来た第1ライダーのテクレハイマノのスタートの壇上で小さな小さなセレモニーが催されたが、本当のグランデパールのセレモニーはこの日、第2ステージのスタート地点で行われた。
ユトレヒト駅前のショッピングモール内のフロアペインティング photo:Makoto.AYANO
ユトレヒトのショッピングモールではミッフィーがツールを祝福していた photo:Makoto.AYANO
ユトレヒト駅の鉄道員によるパフォーマンス photo:Makoto.AYANO
ユトレヒトのシンボル、ドムタワーがツール・ド・フランスを迎える photo:Makoto.AYANO
サイン台とスタート地点から駅を挟んだユトレヒトの旧市街、聖マールテン教会のドム塔の足元の広場で、その式典は執り行われた。古い石畳の街並と運河。4賞のマイヨの柄を模してペイントしたボートをぷかりと浮かばせて、優雅に涼みながら水上から見守る観戦のプロも。
13時半過ぎ、ドム塔の13の鐘の音色が鳴り響き、選手たちが楽団の待つ広場で足を止めると、小さな式典が開かれた。その様子は広場を見下ろす特別な観覧席から観ることができた。早めに到着して撮影場所を探していた時、声をかけてくれたASOの担当者に案内してもらって市の関係者限定のその場所に入れていただいたのだ。見下ろせば広場と運河。そして鐘楼。素晴らしい眺め!
マーク・カヴェンディッシュのバイクにはツール通算25勝を表すステッカーがあった photo:Makoto.AYANO
ローハン・デニスのマイヨ・ジョーヌバイクを用意するジム・オショヴィッツGM photo:Makoto.AYANO
IAMサイクリングのチームスタッフとして帯同する野口明日美さん。毎日選手の似顔絵イラストを書いたりして楽しませているそうだ photo:Makoto.AYANO
スタート前にバイクを計量。6.72kgしか無かったので重量を増やさなければいけない photo:Makoto.AYANO
そこにはユトレヒトにグランデパールを招致した際に実務の部分を担った市の担当者らもいて、感慨深げにセレモニーの様子を眺めていた。ユトレヒトが開幕地として立候補したとき、この担当者は、ASOのツール総合ディレクター、クリスチャン・プリュドム氏らを招いた際に、この場所から広場を眺めてもらい、フランス国家ラ・マルセイエーズをドム塔のカリヨンで奏でたという。
感激したプリュドム氏はその場でパリにいた組織委員会に携帯から電話をかけ、電話越しにその音色を聞かせたという。もっとも、すぐに電話がつながらなかったため、3度も演奏することになったという。そんな粋な計らいによりこの街が組織委員会にも気に入られたのだ。
ユトレヒトのシンボルであるドム塔と運河に見守られて走りだすツールのプロトン photo:Makoto.AYANO
荘厳で爽やかなカリヨンの音色、そして沿道にびっしりと詰めかけたユトレヒト市民に見守られがら、プロトンは3千キロの旅に出発していった。その美しく華のある様子はツールならでは。この席に招いてくれた担当者に感謝しきりだ。
都市としてグランデパールに選ばれるには、もちろん熱意だけではなれないし、莫大な開催負担費用がかかる。投資に比較して得られる宣伝効果は非常に大きいと言われているが。じつはツールが国外にグランデパールを出したのはオランダが初。1954年のアムステルダムが初の国外グランデパールだった。以降、オランダは1973年スヘフェニンゲン、1978年ライデン、1996年スヘルトヘンボス、2010年ロッテルダムと、今回を入れると6回の栄誉に授かっている。
歓喜でグランデパールを迎えたユトレヒト市民 photo:Makoto.AYANO
運河に浮かんだボートからのツール観戦スタイルといったら... photo:Makoto.AYANO
国外に出たツールのきっかけは、そんな美談とは裏腹に、政治的なパワーゲームだったという。新聞社の売上を伸ばすためのイベントとしてスタートし、純フランスレースとして成長したツールだが、その当時、東欧諸国を走る「ピースレース」、あるいは9月に「ツール・ド・ヨーロッパ」が別の新聞社により企画されていた。その構想と人気が出ることに恐れをなしたジャック・ゴデ率いる開催委員は、「ライバルつぶし」のためにツールの国際化を打ち出したのだ。成功しているツールが少し国際化すれば、雨後の竹の子のように出てくる国際レースの魅力を損なうことができると考えたからだ。
はたして狙いは的中。「ツール・ド・フランス&ヨーロッパ」は、その人気を堅持。他のレースは運営が立ちいかなくなって潰れてしまった。そういった背景があったにせよ、自転車大国オランダがツールが大好きなのは街の様子を見れば分かる。観戦にはクルマじゃなく、自転車でやってくる。お祭り好きなオランダ人の気質が雰囲気を一層盛り上げる。
晴天が一転、嵐になった海の道
晴れ上がった街で行われた式典を後にして、ロッテルダム方面を目指し平原へと出たプロトン。その先には暗い曇り空。そう、本来のあるべき「北の天候」が待っていた。
横からの強風と横殴りの雨、潮風などが選手たちの行く手を阻む photo:Makoto.AYANO
レース後半からのゼーラント州の海沿いの道、いや正確には「海の上の道」に出てみれば、さらに状況は一変。吹きすさぶ風に横殴りの雨。遮る街を外れると、こうも変わるのか! 風力発電の風車も、唸りをあげて回っていて、そばに近寄るのが恐ろしくなるほどだ。ほんの手前の内陸では「あいにくの曇り空だな」と呑気に考えていたが、立っていられないほどの風に吹かれると、この後ここに到達するプロトンが「ひとつの塊でいられるわけはない」と確信できた。
横風のスペシャリストと言えるヘント〜ウェヴェルヘム覇者のルーカ・パオリーニ(カチューシャ) photo:Makoto.AYANO
ゼーラントの海岸沿いで観戦していた子どもたちのグループ photo:Makoto.AYANO
小さな人口島「ネールチェ・ヤンス」にゴールする海の道は、2010年にロッテルダムをスタートした際のツールでも同じ道を通った。その時は穏やかに晴れ、凪(なぎ)の状態でまったく「期待」したようにはならず、海の眩しい風景を楽しんだだけに終わった。しかし今日はまったく違う。
Hellevoertsluisの街から進路を変えて海沿いに出てすぐ。雨が降りだすと嵐のようになり、前が見えなくなる。吹きっさらしになる地点から状況が一気に変わるのはワールドポート・クラシックに出場している選手やチームには知られたこと。
横風のなか先頭集団を捕まえようと必死の努力をみせるヴィンチェンツォ・ニバリ(アスタナ)ら photo:Makoto.AYANO
ひとつめの防潮堤に差し掛かった集団はすでにばらばらで、5つ以上に分断していた。残り50kmもあるのに、先頭集団は30人以下に絞られていた。
ロジャースに守られたコンタドール、そしてフルームの姿。そしてマルティンとクヴィアトコウスキー、カヴェンディッシュ。横風分断の状況をすばやく読み取るベルギーのエティックス勢とカヴはさすが。チームはマルティンのマイヨジョーヌも狙える。BMCもヴァンガーデレンを擁し、ひと塊に。
遅れを最小限にとどめようとするナイロ・キンタナ(モビスター)やバウク・モレマ(トレック)らのグループ photo:Makoto.AYANO
分断して1分から1分半以上遅れたグループにニーバリ。集団に守られず、自らグループの先頭に出て遅れを挽回しようと踏み続けている。その集団にはマイヨジョーヌがいる。しかもたったひとりで...。
さらに遅れてモビスターが引くグループにキンタナ。そしてモレマ(トレックファクトリーレーシング)、さらに遅れてバルデ(AG2R)の姿も。
集団の分断を指揮したのはコンタドールだったようだ。ニーバリら有力勢が後ろに下がったことを知った時、マイケル・ロジャースにこのチャンスを活かして差を広げようと指示した。そしてそばにいたフルームにまでも協力を呼びかけた。チャンスがあれば逃さずに、即攻撃するコンタドール。なんという経験豊富な策士だろう!
メイン集団といっていい大集団が向かい風に苦しみながら先行集団を追う photo:Makoto.AYANOニーバリは落車で分断した集団の後ろに下がり、さらに悪いタイミングでパンクしていたという。ただ運が悪かったとしか言いようがない状況だ。
BMCの赤い一団は先の先頭集団にごっそり入っているにもかかわらず、後方に取り残されてしまったマイヨ・ジョーヌのデニスの元には戻ることができなかった。コンタドールらと同様、ヴァンガーデレンも他のライバルが遅れたこのチャンスを逃す手はないと判断したのだ。しかしデニスのことを気にかけて先頭を引くことに協力でなかったことをコンタドールには批判される。
モビスターはクラシック(のような)レースでの経験値の浅さがもろに出たかたちだ。今年はチームTTに備えてキンタナがタイムをロスしないように強いメンバーを揃えたが、このクラシックはいつも「参加するだけ」のチームは、レースが決定的な瞬間にあることを見分けることができなかった。
グライペルのステージ勝利、そしてカンチェラーラのマイヨジョーヌとは別に、今日の勝者はフルーム、コンタドール、ヴァンガーデレン、ウラン。敗者はニーバリ、キンタナ、ピノ、バルデ、タランスキーらだ。加えて風があるのにラスト200m以上でスプリントを開始してしまったカヴ。そしてマイヨジョーヌ獲得のチャンスをふいにしてしまったマルティン。
アダム・ハンセン(ロット・ソウダル)のバイクのメッセージ「36週間・252日・6048時間、家を離れて」 photo:Makoto.AYANO
高低差6m程度のまっ平らレースが思わぬ展開を呼び、ツールは2日目にして早くも大きなタイム差がついた。「第1週に春のクラシックを組み込んだ」と比喩される今年のツール。例年なら平坦路だけの「スプリンターのためのステージ」あるいは「退屈なトランジション(移動)ステージ」と言われた序盤戦は過去のもの。この後もミニ・フレーシュ・ワロンヌ、ミニ・パリ〜ルーベが続く。
「1、2分は全体を通せば大きな差じゃない」と言い張る選手たち。しかし細かなタイム差がつく毎日がこれからも続く。そして、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャからグランツール連続出場・完走を続けているアダム・ハンセン(ロット・ソウダル)が落車して肩を脱臼した。すべてのファンに愛されるハンセンの回復と明日の完走を祈ろう!
photo&text:Makoto.AYANO in Zeeland Netharland
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13時半過ぎ、ドム塔の13の鐘の音色が鳴り響き、選手たちが楽団の待つ広場で足を止めると、小さな式典が開かれた。その様子は広場を見下ろす特別な観覧席から観ることができた。早めに到着して撮影場所を探していた時、声をかけてくれたASOの担当者に案内してもらって市の関係者限定のその場所に入れていただいたのだ。見下ろせば広場と運河。そして鐘楼。素晴らしい眺め!
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感激したプリュドム氏はその場でパリにいた組織委員会に携帯から電話をかけ、電話越しにその音色を聞かせたという。もっとも、すぐに電話がつながらなかったため、3度も演奏することになったという。そんな粋な計らいによりこの街が組織委員会にも気に入られたのだ。
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都市としてグランデパールに選ばれるには、もちろん熱意だけではなれないし、莫大な開催負担費用がかかる。投資に比較して得られる宣伝効果は非常に大きいと言われているが。じつはツールが国外にグランデパールを出したのはオランダが初。1954年のアムステルダムが初の国外グランデパールだった。以降、オランダは1973年スヘフェニンゲン、1978年ライデン、1996年スヘルトヘンボス、2010年ロッテルダムと、今回を入れると6回の栄誉に授かっている。
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国外に出たツールのきっかけは、そんな美談とは裏腹に、政治的なパワーゲームだったという。新聞社の売上を伸ばすためのイベントとしてスタートし、純フランスレースとして成長したツールだが、その当時、東欧諸国を走る「ピースレース」、あるいは9月に「ツール・ド・ヨーロッパ」が別の新聞社により企画されていた。その構想と人気が出ることに恐れをなしたジャック・ゴデ率いる開催委員は、「ライバルつぶし」のためにツールの国際化を打ち出したのだ。成功しているツールが少し国際化すれば、雨後の竹の子のように出てくる国際レースの魅力を損なうことができると考えたからだ。
はたして狙いは的中。「ツール・ド・フランス&ヨーロッパ」は、その人気を堅持。他のレースは運営が立ちいかなくなって潰れてしまった。そういった背景があったにせよ、自転車大国オランダがツールが大好きなのは街の様子を見れば分かる。観戦にはクルマじゃなく、自転車でやってくる。お祭り好きなオランダ人の気質が雰囲気を一層盛り上げる。
晴天が一転、嵐になった海の道
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小さな人口島「ネールチェ・ヤンス」にゴールする海の道は、2010年にロッテルダムをスタートした際のツールでも同じ道を通った。その時は穏やかに晴れ、凪(なぎ)の状態でまったく「期待」したようにはならず、海の眩しい風景を楽しんだだけに終わった。しかし今日はまったく違う。
Hellevoertsluisの街から進路を変えて海沿いに出てすぐ。雨が降りだすと嵐のようになり、前が見えなくなる。吹きっさらしになる地点から状況が一気に変わるのはワールドポート・クラシックに出場している選手やチームには知られたこと。
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ロジャースに守られたコンタドール、そしてフルームの姿。そしてマルティンとクヴィアトコウスキー、カヴェンディッシュ。横風分断の状況をすばやく読み取るベルギーのエティックス勢とカヴはさすが。チームはマルティンのマイヨジョーヌも狙える。BMCもヴァンガーデレンを擁し、ひと塊に。
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集団の分断を指揮したのはコンタドールだったようだ。ニーバリら有力勢が後ろに下がったことを知った時、マイケル・ロジャースにこのチャンスを活かして差を広げようと指示した。そしてそばにいたフルームにまでも協力を呼びかけた。チャンスがあれば逃さずに、即攻撃するコンタドール。なんという経験豊富な策士だろう!
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モビスターはクラシック(のような)レースでの経験値の浅さがもろに出たかたちだ。今年はチームTTに備えてキンタナがタイムをロスしないように強いメンバーを揃えたが、このクラシックはいつも「参加するだけ」のチームは、レースが決定的な瞬間にあることを見分けることができなかった。
グライペルのステージ勝利、そしてカンチェラーラのマイヨジョーヌとは別に、今日の勝者はフルーム、コンタドール、ヴァンガーデレン、ウラン。敗者はニーバリ、キンタナ、ピノ、バルデ、タランスキーらだ。加えて風があるのにラスト200m以上でスプリントを開始してしまったカヴ。そしてマイヨジョーヌ獲得のチャンスをふいにしてしまったマルティン。
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「1、2分は全体を通せば大きな差じゃない」と言い張る選手たち。しかし細かなタイム差がつく毎日がこれからも続く。そして、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャからグランツール連続出場・完走を続けているアダム・ハンセン(ロット・ソウダル)が落車して肩を脱臼した。すべてのファンに愛されるハンセンの回復と明日の完走を祈ろう!
photo&text:Makoto.AYANO in Zeeland Netharland
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