今年もイギリス、マンチェスターにおいて10月4日から開催されたトラックマスターズ世界選手権大会。和地恵美(スーパーKアスリートラボ)が500mTT(50-54歳)で3位となり銅メダルを獲得した。アルカンシェル獲得はならなかったが、日本人唯一のメダルとなった。

同大会には、東京都より濱田真子、羽田野隆彦、広島より伊藤茂 各選手が参加した。以下、和地選手によるレポート報告をお届けしよう。なお、詳細なリザルトはこちらからご覧ください。



和地恵美レポート「新世界を目指して」

昨年、500mTTで銀メダルに終わりラストチャンスとして臨む世界選手権では、どうしても金メダルを獲りたかったです。更に上を目指すために、大きく3つの点で環境を変えました。

500mTTで3位に入賞した和地選手500mTTで3位に入賞した和地選手
まず、ロード専門から、トラック専門のチームに移籍しました。10年以上お世話になった「たかだフレンド」を去るのは寂しかったです。しかし、誰もトラック選手がいないチームで大会に参加し続けること3年、何かあった時に自己責任でカバーし切れないと考え、移籍しました。

次に行ったのは、練習内容をトラック向きに変えること。これについてはバンクに入る機会を増やしました。同時に、もと競輪選手の若月政治さんが主催するチームガッタの練習に混ぜていただき、スプリント練習を多く入れるようにしました。

そして、マンチェスターにピークを持っていくこと。夏の都道府県や日本マスターズは、底地でした。練習による疲労でタイムは全くダメダメでしたが、世界選にピークを持っていくため調整はしませんでした。そのような体調の中で、大宮大会において500mTTで優勝できたのは嬉しかったです。

アップの様子。顔が怖いですね……アップの様子。顔が怖いですね…… 2000m予選に向かう2000m予選に向かう 羽田野さんに見てもらうと、なんとスローパンクしていました! そこで、イオで闘うことにしました。個人追い抜きは午前中に予選があり、夜の部の決勝・3-4位決定戦には、上位4人しか残れません。だから予選といえども、ガチで勝負に行くのです。

1周目、羽田野さんがラップタイムを26秒と読み上げました。「え?いくらなんでも遅すぎ!」ところがこれは22秒69の間違いで、焦った私は2周目を18秒31というバカみたいなスピードで突っ込みました。ひたすら耐えること残り6周。久々に、走り終えた直後の呼気に、血の匂いが混じりました。電光掲示板を見ると、47秒台。目標の40秒切りには全然届かず、がっくりです。それでもその時点でトップタイムであり、結果として4位で決定戦に残ることができました。

さて2位にまで入れれば決勝ですから、メダルは確定します。でも決定戦は頑張って走ってもメダルの保証はないので、心理的に追い詰められて数時間を過ごさなければなりません。アップにも気合が入ります。

夜の8時ころから3-4位決定戦が始まりました。予選よりは落ち着いたスタートができたものの1周回ごとにタイムを上げることができず、ゴールすると「2」の文字が…敗けてしまいました。やってはいけない4位…メダルを獲れなければ4位もビリも同じじゃないか、と正直思いました。でも、「それは違う」ということを直後に知ることになります。

私には、ドイツ人の友人がいます。2歳年上のぺトラです。初参加で金メダルを獲得した時の銀メダリストで、それ以来、毎年再会を楽しみにしています。彼女が銀を獲得したので、お祝いを言いに表彰式に行きました。すると彼女は、「これは頑張ったエミにあげる」といって、花束をくれたのです。
 
夜のファイナル、セミファイナルに残るということは、たとえメダルに手が届かなくても、強い人達と共に過ごす時間を持てることなのです。各国の国歌を聞きながら、全員で起立して国旗掲揚を称える雰囲気を味わうと、自分もあそこに日の丸を掲揚するんだという強い気持ちになれます。それが、4位と、それ以下の大きな違いなのだと思いました。ぺトラからもらった花束を大事に持ち帰りながら、500TTでは誇れる走りを見せたい、頑張る!と心を熱くしました。

チームマンチェスターチームマンチェスター 次の日は羽田野さんのサポートです。彼とは2年前の高知マスターズで知り合いました。ガッタの若月さんにはJCRC時代からお世話になっており、同じチームの彼に写真撮影を頼まれたとき、ご恩返しのつもりで引き受けたのが始まりです。

彼は25年前に単身オランダに渡り、半年間ロードの大会に出ていました。国内では長野県の選手として国体に出場し、4位入賞をした経験を持ちます。

人のご縁とは不思議なものだと思いますが、私の勤務する小学校と、彼の自宅が自転車で5分の距離。ガッタの練習に誘ってくれて、バンク練習に切り替わるきっかけとなりました。また経堂にあるジムを紹介してくれて、力ではなく、体を連動させて使いこなすという意識付けができました。

そして、共に世界選手権を闘おうとチームマンチェスターを結成できたのは、本当に有難かったです。目標が一緒なので、それに向けた練習や機材準備ができました。もちろん、彼も私も譲れない部分や意固地なところがあるので、何度もぶつかりました。(平塚で私が、茶のペットボトルを床に投げつけたシーンをご覧になった方もいらっしゃると思います…)それでもチームが崩壊しなかったのは、目指すものや熱い気持ちが一緒だったからでしょうね。

羽田野さんのリザルト
〇750mタイムトライアル9位(53秒378)
〇スクラッチ 7位
〇ポイントレース 12位

チームメイトとしての私の至らないところから、メダルに届かなかったのは申し訳なく思っています。成田を発つとき、彼に「250バンクでポイントレースをしたことありますか?」と聞くと「無いよ。でも大丈夫」と言いました。その時、ポイント周回でないときもスピード域が違うこと、(次にポイントを狙う選手が、バンバン奇襲をかける)前に出たくても出させてもらえないことなど、日本の400トラックとは全く違ったレース展開が待ち受けていることを、世界で闘うと決めた段階で伝えておくべきだったと思います。日々の走り込みや、敢えて楽をしない心の持ち方が明暗を分ることも。

しかしメダルは獲れなくても、彼は素晴らしい走りでした。「元五輪選手の藤田晃三さんが15人いる! しかもスプリンター」のような高速レースで、果敢に闘いました。聴覚という私たちがマスドレースで頼りにする武器を持たない中で、鮮やかに周回を重ねる姿に目頭が熱くなりました。

500mTTスタート台に着く500mTTスタート台に着く 500mTTを駆け抜ける和地選手500mTTを駆け抜ける和地選手 日の丸が掲揚された日の丸が掲揚された チースプでは走れなかった、ジーアと二人でチースプでは走れなかった、ジーアと二人で ペトラとチースプへ向かうペトラとチースプへ向かう [img_assist|nid=150942|title=チームマンチェスターが勝ち取った銅メダル|desc=|link=node|align=right|width=360|height=]500mタイムトライアルは、1年間「金」を目指してきた種目です。ただ、公式レースでは40秒も切れずがっかりの連続だったので、練習のつもりで臨むことを自分に言い聞かせてきました。一人、ポルトガルにて38秒台で優勝したオーストラリアのジュリー選手がエントリーしていることは分かっていたので、39秒前半でいければ、チャンスはあるかもと思っていました。
スタートリストを見ると、私は4番手。ちょっと嫌な予感がしました。昨年度の金メダリストは速くないので勝てるとして、(この辺、強気!)2番手のデンマークの選手は誰だろう? と。でも、考えても仕方ないのでいつもどおりのアップをして備えました。

いよいよスタート。何ら違和感なくスタートできたのは、羽田野さんのおかげです。まず、私はダブルストラップを使っているのですが、足が外れる危険回避のために、ペダルへのストラップの通し方を変えてくれました。また、日本での最終練習でクランクの違和感を伝えると、それが緩みであると発見し、締め直してくれました。思い切ってペダルを踏み込めたことが、後半の伸びにつながったと思います。
 
スタート直後、走っていてだるさを感じました。これではダメだーとペダルを回し続けること20数秒。走り終えて電光掲示板を見ると、「3」の数字と40秒145の数字が!あ~、いつもの走りだった、やっぱりヨーロッパでのレースは、来ただけで疲れ切っているからなあ…と思いつつ流していると拍手が。また、ゴール地点で羽田野さんが喜んでいます。

私はホームスタートと勘違いしていたのです。タイムはバックスタートの39秒702、その時点でメダルが確定していたのです。放送で、昨年の金メダリストと銀メダルストの闘いだと言っていて、金の人が前半リードしていたから、後半抜いて1着を獲った私に、観客の皆さんが拍手をしてくれていたのだと分かりました。温かな気持ちになりました。

最終組の二人はさすがに速く、デンマークの選手が37秒946で優勝。ジュリーも39秒256のタイムで2位を獲得しました。私はカテゴリー最年長だったので、ちょっと若い人を脅かせたのでいいかな? と思いました。アルカンシェルを目指して最善は尽くしてきたし、今の私の力では37秒台は出せなかったから、気持ちは晴れやかでした。表彰式では、羽田野さんが涙を流していました。彼に揚がっていく日の丸を見せることができて、本当に良かったと思いました。 

さて、金を獲得できるかもしれない機会を、私は日本で準備していました。それはチームスプリントです。アメリカ人の友人、ジーアは48歳にして35秒台を目指す超大型選手です。二人で組もうと話をしていたのです。しかし、彼女はアメリカのレコードを狙っていて、そのタイムアタックの日程によっては難しいとコーチから言われました。

もう一つ、私の心を揺らすことがありました。ぺトラに「チースプをやらない?」と誘われたのです。ぺトラとは2000m団抜きをする予定でしたが「体調不良で2000を更に2本も走れないから、タイムが速くないのだけどチースプをしない?」と。

相手があまり乗り気でない金に近いチースプと、相手が望んでくれるチースプ。ちょっと悩みました。そして、後者を選びました。実際にジーアは500mでは優勝したものの、36秒116。そのタイムを見て、タイムアタックを頑張ってとジーアに伝えました。

結果は惜しくも新記録樹立ならずでした。ただ、一緒の時間帯に70-75歳の男性の方が、37秒台の世界新記録を出した瞬間を見られたのには、心が躍りました。

国境を超えて

ぺトラとのチースプは、本当に面白かったです。まずチーム名。彼女の尊敬するスプリントチーム「ファースト・ウエポン」にしようと言うのでOKしたのですが、申し込みのときド忘れして「ファースト・ボンバー?」と言って笑われました。前日、猪木ボンバイエを聞いていたので。彼女「寿司&ポテトでもいいよ」と笑っていましたが……。

ジャージは揃えようと、私のワンピを着てくれることになりました。彼女は500mのタイムが42秒。私が2番手を勤めます。ちょうどいつも練習していた若月昌枝さんより少し遅いくらいなので、感覚的に安心してスタート出来ました。結果は40秒ちょっと。4着までには入れませんでしたが、本当に楽しくて、息がぴったりのチースプでした。彼女は今年、大きな手術をして殆どレースには参加していないと言いました。それでもこうして、共に闘えた奇跡に感謝したいです。

「チームマンチェスター 解散!」

羽田野さんとの二人三脚の一年間に、私はたくさんの宝物を得ました。一つは、彼とのつながりで、素晴らしい友人ができたことです。東大和市でアトリエを営む冨田さんには、ピカピカのギアを作って頂きました。関西の木下さんと共に、自転車の楽しみ方を教えてもらいました。ものを大事にするという当たり前のことが、競技への気持ちを高めてくれると確認し続けた一年でした。

また、チームガッタの仲間には練習を通して、負けない気持ちを育てて頂きました。木祖村に参加した多摩ポタの仲間、長野県の元選手の方たちとも交流がもてた意義は大きいです。たくさんの方たちの応援全てが、追い風になってくれました。

そして、私のライフワークに関わる問いに、ヒントをもらえた気がします。私は学校で子供たちと接していて、こんなアスリートを育てたいと思っています。『どんなに練習を積んできても、金メダルが取れるという確証はない。それでも希望を持って、果てしないチャレンジに耐えてやっていける人。見通しが立たなくても、途方に暮れるような事態に直面しても、ひるまずに進める人』。

羽田野さんが聴覚障害を持っていると知ったとき、おそらくそのことで理不尽な思いもたくさんしてきたであろうに、なぜこのように晴れやかに笑えるのだろうと不思議に思いました。彼は自分の周りにいる人がどんな話をしているのか、聞こえません。でも、その雰囲気を楽しむことができます。見通しが立たなくてもひるまずに進める、それは周りへの信頼があるからだと気付きました。

そしてその上で『たくましくなれる道しか通さない』ということです。何度も練習で弱音を吐きそうな私を、彼は許しませんでした。そしてもう一つ『中心にある願いが大きいほど、その周りにある願いを実現するファンクション(練習や生活を整えていくこと)に命が吹き込まれる』こと。

彼と初めて会った時、なんて楽しそうに自転車の話をするのだろうという印象でした。大好きな世界で目指すものがあれば、道はまっすぐなのです。どんなに厳しい練習であろうと、目指すものの価値が大きければ大きいほど、勇気をもって進めるのです。

夢のような9日間、たくさんの方の応援によって結果を残し、無事に帰国することができました。本当に有難うございました!チームマンチェスターは、これにて解散です。ですが、この一年で得た宝物をこれからの糧にして、これからも頑張ります。どうぞ宜しくお願い致します。

text:Emi.Wachi


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