アスタナのバスを普段より多い報道陣が囲む。そして普段と違う雰囲気だ。「リーヴァイが止める」アメリカ人記者の言葉に耳を疑う。Twitterには昨夜「大丈夫」とつぶやいていたのに...。

ライプハイマーの離脱 アスタナの戦力ダウン

前日の落車で手首を骨折したリーヴァイ・ライプハイマー(アメリカ、アスタナ)前日の落車で手首を骨折したリーヴァイ・ライプハイマー(アメリカ、アスタナ) photo:Cor Vos第12ステージのゴール手前2kmで落車したライプハイマーは、手首の痛みが治まらず、診察を受けた結果右手の舟状骨を折っていることが分かった。ライプハイマーは39秒遅れの総合4位につけていた。アスタナにとっては大打撃だ。ブリュイネール監督がバスの前で説明する。

「リーヴァイは昨夜までは良かった。背中とお尻に擦過傷を負って、彼は大丈夫といっていた。彼も私も、手首のことはむしろ気にしなかったぐらいだ。でも何かあるな、とは思っていたし、何もないことを願っていた。
夜からにかけて痛みがひどくなって、朝、病院に連れて行った。X線検査を受けて、折れていることが判った」。

タイムトライアル、山岳どちらにも優れるライプハイマーは、ツール後半戦の闘いでトップ3に躍進すると誰もが疑わなかった。何より2007年のポディウム経験者。そして最終的にはシャンゼリゼでアスタナによるトップ3の表彰台独占を見ることになる可能性は大きかった。

山岳でコンタドールとアームストロングにマークが集中するなかで、ライバルたちに対して早めにアタックをかけることもできる存在だった。キャラクター的にもリーダーになることを主張せず、レース展開に応じてアシストに徹するプロフェッショナリズムをもち、アームストロングともコンタドールとも衝突しない。そのことから緊張の高まる2人にとっての弛緩剤のような役割も担っていた。アスタナ鉄壁の体制は戦力ダウンし、アームストロングとコンタドールの2トップ体制へと変化することになる。

ブリュイネル監督は言う「彼が欠けることは大きな変化をもたらす。彼は4位にいて、ツールに勝てる可能性があった。チームは重要な戦力を失った。それで他のチームのモチベーションが上がることになるだろう。ランス、アルベルト、アンドレアス、リーヴァイの4ヘッドのひとつが欠けた。チームはまだ強いが、もちろん戦い方は変わる。そして他のチームがアタックを仕掛けてくるだろう」。


結局は解禁された無線

オーストラリアから来たファンも多いオーストラリアから来たファンも多い photo:Makoto Ayano水の街、温泉保養地として知られるヴィッテルは生憎の曇り空。噴水の輝きも少ない。普段チェーン系ホテルに主に宿泊する選手たちも保養地ならではのホテルでリラックスできたようだ。

マイヨジョーヌのノチェンティーニは奥さんも同伴してリラックスしたようだ。首周りに里納爾多(りなるど)のタトゥーがあるのに気づく。漢字&日本語タトゥーは古くからヨーロッパの選手の間で隠れた人気がある。

スタート前にリラックスするシリル・ルモワンヌ(フランス、スキル・シマノ)らスタート前にリラックスするシリル・ルモワンヌ(フランス、スキル・シマノ)ら photo:Makoto Ayano第10ステージに次いで今日も無線禁止のステージのはずが、チームからの反対にあって取り消しになったそうだ。この動きを率先したのはブリュイネル監督だ。

「使い始めて20年になろうとする無線を取り上げ、レースを昔に戻すことに意味があるとは思えない。意図するところは理解できるが、わざわざ世界最高のレースであるツールの場で実験することはない」。


一日中雨のレース

スピードの上がったメイン集団内で走る別府史之(日本、スキル・シマノ)スピードの上がったメイン集団内で走る別府史之(日本、スキル・シマノ) photo:Makoto Ayanoスタートと同時に雨が降りだす。結局この雨は最後まで降り続くことになった。山岳ステージの雨はつらい。総合争いに関わるステージになる可能性も秘めた、後半に厳しい山岳のあるステージプロフィール。フミとユキヤにとっては耐える一日になる。

スタート3kmでモロー(アグリチュベル)がアタック。それを追ってハウッスラー(サーヴェロテストチーム)ら5人が合流した。雨のステージで安全最優先のはずが、集団は長く伸び、レース最初の1時間の平均スピードは47.5km/hをマーク。

スピードの上がったメイン集団内で走る新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)スピードの上がったメイン集団内で走る新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム) photo:Makoto Ayano結局逃げはハウッスラーとシャヴァネル(クイックステップ)、ペレス(エウスカルテル)の3人へと落ち着いた。

興味はメイン集団のなかで後半山岳で繰り広げられるであろうバトルだ。メイン集団先頭はアスタナが固め、動きを封じる。

リスク承知の下りアタックで総合の一発返り咲きを狙ったゲルデマン(ミルラム)のアタックは失敗。マイヨアポア争いで逆転をしかけたかったケルヌ(コフィディス)の動きも失速。ペッリツォッティに対抗しようとしたエゴイ・マルチネス(エウスカルテル)も遅れてしまい、マイヨ・アポアを譲ることになった。

クラシックスタイルで独走したハウッスラー

逃げるハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ)とシルヴァン・シャヴァネル(フランス、クイックステップ)逃げるハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ)とシルヴァン・シャヴァネル(フランス、クイックステップ) photo:Cor Vos春のクラシックのような天候。冷たい雨がしとどに降る峠は寒い。下りでハンガーノックを起こしたシャバネルを置いて、春のクラシックで大暴れしたハウッスラーがクラシックスタイルで逃げ切った。記者会見に現れたハウッスラーはいつものにこやかな、まつ気の上がった目で可愛らしい笑顔で話す。

「これはツールなんだ。世界で最大のレース。それが意味するものはあまりに大きかった。ゴールを見ればそれがわかる。本当にひどく疲れていたけど、涙が止まらなかった。すぐ近くのフライブルグに住んでいるから、今日のコースはトレーニングコースでもある。何度も走ったことがあるんだ。この地で勝てて幸せだよ」。

雨の山岳で独走するハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ)雨の山岳で独走するハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ) photo:Makoto Ayanoシーズン序盤、ハウッスラーはクラシックレースで大暴れした。ツアー・オブ・カタール総合2位&新人賞&スプリント賞に始まり、ヴォルタ・アオ・アルガルヴェでステージ2勝、パリ〜ニースでステージ1勝、ミラノ〜サンレモで2位、ロンド・ファン・フラーンデレンで2位、パリ〜ルーベで7位。クラシックレースで好成績を連発し、まさに2009年に大ブレイクした選手のひとり。好調のピークを春にしたため、クラシック後の5月は3週間ほど自転車に乗らずに過ごした。

「今までの成績がフェイクで無いことを証明できた。雨は大好きな天気。今までも雨のレースでベストリザルトを残してきた。天気予報を見て今日逃げようと思ったんだ。雨と寒さは僕にとってパーフェクト。今日のような状況で、僕はエネルギーをセーブして走る方法を知っている。シャヴァネルは前に出てもあまり引かないと思ったら、エネルギーが切れていたんだ」。

ドイツ人からオーストラリア人に戻る

優勝者インタビューに出席するハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ)優勝者インタビューに出席するハインリッヒ・ハウッスラー(ドイツ、サーヴェロ) photo:Makoto Ayanoオーストラリア人記者からの質問で、ドイツ人のハウッスラーがオーストラリア国籍を選ぶ話へと話題がとんだ。

ハウッスラーはドイツ人の父とオーストラリア人の母の間に、オーストラリアに生まれた。14歳までオーストラリアで過ごすと、家族ごとドイツに移住。それは彼がプロロードレーサーになりたかったからだという。走る環境を求めて父の祖国、コルマールに程近いフライブルグに住むことになった。今、独・豪2重国籍を持つという。

「僕の夢は自転車競技のプロになることだった。オーストラリアのサイクリング界は年々盛んになっていた頃だったけど、まだサイクリングはヨーロッパのスポーツだった。そして年齢を重ねるうちに自分はよりオーストラリア人だと自覚するようになった。

昨年までゲロルシュタイナーにいたとき、チームは僕にドイツ人のままでいて欲しいと望んでいた。ドイツ人を主にしたチームだったから、ドイツ人のほうが良かった。でも今はサーベロにいる。国際的なチームで、ここでは国籍は問題じゃない。僕はオーストラリアが自分の家だと感じているし、たとえば引退したら住みたいのもオーストラリアだ」。

リザルトの国籍欄にはGER(ドイツ)とある。しかし来年はオーストラリア国籍を選ぶことになる。2010年世界選手権はオーストラリアのジーロングで開催される。そのこともオージーに戻ることを後押ししそうだ。

フミ&ユキヤも厳しい山岳で完走

ゴール後のコメントが取れなかったものの、フミは86位で第2集団、ユキヤも第3集団グルペットで完走した。ユキヤは2つめの山岳シュルフト峠(カテゴリー2級・105km地点)で遅れだし、フミは3つ目の山岳プラツェルヴァゼル峠(カテゴリー1級・138km地点)でそれぞれメイン集団から遅れだしたようだ(未確認)。集団の人数が多かったので写真は撮れず。しかしレインジャケットを着て集団内で走り切る2人の姿をそれぞれ見届けた。

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