2013/07/21(日) - 18:49
午前の気温は25度。昨日の雨の寒さをすべて帳消しにしてくれるような快晴に包まれたアヌシー湖畔がこの日のスタート地点。絵の具を溶いたようなスカイブルーの湖が選手を迎える。
湖面にはボートを浮かべて水着で優雅にツールの通過を待つ人々が多数。そしてツールの最後の勝負のハイライトを観ようと多くのファンが詰めかけた。ゴールのセムノスへの登り口はアヌシー市街からすぐだ。
スタートサインから戻った新城幸也(ユーロップカー)が、昨日の嵐の中で私が峠で渡したレインジャケットの返却とそのお礼にと、チームグッズを詰めあわせたサコッシュを用意してくれていた。渡したときには把握していなかったが、昨日ゴールに辿り着いた時には寒さとハンガーノックで足元が危ういほど疲れ切っていたというユキヤ。もしあのレインジャケットがなかったら状況はもっと悪かったということで感謝してもらえた。
余計なおせっかいでなかったこと、私もツールに参加できた気がして嬉しい限りです。昨日のダメージからか少し疲れを引きずった顔色だが、チームバスの近くに応援にやって来た日本人ファンたちにも丁寧に対応している。ユーロップカーは今日はリーダーのピエール・ロランにとって大切な日だ。
スタート地点にはパリに到達するのを待ちきれない各国のファンが応援に駆けつけている。しかし短距離で山岳の連続する、そして最後は超級山岳の山頂ゴールという「短いからこそ激しくなるレース」になることが確実であるため、スタート時刻が迫るほどに緊張度が高まっていた。総合争い、山岳賞争い、チーム総合争いがどう展開するのか、まさにツールを決める最後のステージだ。
スカイプロサイクリングはマイヨジョーヌを着たフルームとチームメイトたちがバスの前にずらりとローラー台を並べ、黙々とウォームアップをこなす。こんな光景はチームTT以外で見たことがない。チーム全体から「スタートからどんな総攻撃がかかっても応戦する準備はできている」というメッセージを放っている。マイヨジョーヌが大きなタイムマージンを持っていても、ツールはまだ終わってはいない。他にもオリカ・グリーンエッジやレディオシャック・レオパードがチーム単位でローラーを回し、ローラーを設置しないチームもコースに出て脚を回す。
スカイは今日のステージの重要度を最高ランクとして扱い、クリテリウム・ドーフィネの後に全コースを試走済みだという。スカイにとっては波乱が起こらないこと、コントロール出来ない展開にならないようにレースを掌握することが大事だ。通常通り、チームは逃げをコントロールしながらメイン集団先頭を一定ペースで引き、最後の山岳でフルームとポルトを良い位置に送り出す展開に持ち込めれば良い。そこからはフルームと各チームのエース同士の闘いだ。
フラッグが振られると同時にロランがアタック。チャレンジが始まった。ロランは何も迷うことはない。前半から山岳ポイントを集め、最後のセムノスまで逃げ切ること。昨日もポイントを集めた。しかし今日の超級ゴールの得点は通常の2倍の50点。フルームら総合争いの選手が獲得するのはほぼ確実で、山岳賞はその結果次第になる。前日に「チャンスは確かにあるが可能性は小さい」と話していたロランは、予想外のハプニングが起こることに一縷の望みを託す。
ラルプデュエズ覇者クリストフ・リブロン(アージェードゥーゼル)がロランらを追走する。その後ろからA.S.Oのブルーのクルマに乗ったベルナール・イノーほかレースオルガナイザーが追い、選手たちの走りを観ている。レキップ紙、AFP通信、フランステレビジョン、ラジオ局のジャーナリスト4名らが審査に加わり決める、今年のツール全体を通しての大会敢闘賞「スーパー敢闘賞」はこのリブロンに与えられることが決定した。
アヌシーの湖面を眼下に見ながら高度を稼いでいくプロトン。今日のコースはほぼすべて細い細い山道に設定されている。レース後半にかけてはイェンス・フォイクトの走りに釘付け。「Shut up Legs(脚よ、悲鳴を上げるな!)」のメッセージ通りの42歳の”イェンシー”の力走は、同時に後方でサクソ・ティンコフとのチーム総合成績逆転を狙うチームメイトたちのアシストにもなる。
アヌシーの裏山、湖畔の街から一気に登り詰めたスキーリゾートがセムノス山頂だ。10.7km、8.5%の登りは超級にランクされる通りの過酷な登りだが、アヌシーっ子や湖畔に滞在中のキャンプ観光客がこぞって自転車で上る。頂上までのアクセス方法はそれしかない。頂上からは美しいアルプスの展望が開ける。
ロマン・クロイツィゲル(サクソ・ティンコフ)が遅れだし、ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)とナイロ・クインターナ(モビスター)がアタックすると、頂上付近のコーナーにいた8人ほどのコロンビア人の応援団が狂喜乱舞を始めた。コロンビアから欧州に観戦に来るのは経済的にも非常に難しいという。まとまった応援団を見たのは初めて。今まで数回見かけた人たちがここに集結したようだ。そして変なコスプレも集結。
フルームはコンタドールを置き去りにするアタックをかけると、肘を張りだして、すごいケイデンスでペダルを回す。ロドリゲス、クインターナに合流すると、差は開いた。山頂へ向け2人に対しアタックするフルームに、「今日もノーギフト?」の声が上がる。ポーカーフェイスのクインターナがスムーズに追いついた。譲り合いは無し。無表情で通してきたクインターナがフィニッシュラインで大きなガッツポーズとともに笑顔を見せた。
フルームはクインターナに勝てはしなかったがトラブル無く最後の難関ステージを乗り切った。スカイは完全に仕事をこなした。フルームは本当はマイヨジョーヌで勝利のポーズを決めるつもりだったが、親指を立てる「Goodサイン」でフィニッシュ。悔しさは無く、笑顔で。ステージ優勝を目指したロドリゲスには表彰台が転がり込んだ。
ツールのコロンビア・センセーション クインターナは2014年のマイヨジョーヌを目指す
ツールデビューでいきなりステージ優勝に総合2位、新人賞に山岳賞まで総ざらいしたクインターナ。この日7月20日はコロンビアの203回めの独立記念日。喜びをかみしめるように、太い声でゆっくりと話すクインターナ。「僕に何が起こったのか、まだ理解することが難しい。信じられない勝利だ。今日の勝利、そしてこのツールで起こったことすべてが、とても、とても嬉しい。この勝利はコロンビアのすべての国民のために。家族、友達、僕を助けてくれたすべての人達に捧げたい。コロンビアの人全てに感謝している」。
クインターナは2010年にアマチュアのツール・ド・フランスと呼ばれるツール・ド・ラヴニールに総合優勝。2011年はカタルーニャ一周 山岳賞のほか地元コロンビアのステージレースで総合優勝し、2012年にモビスターに加入した23歳。フルームはすでに2012年のクリテリウム・ドーフィネでクインターナの山岳での走りを目の当たりにしている。「クインターナのここまでの強さを予想していたか?」と訊かれてフルームは答える。
「ツールが始まる前から、僕は彼の強さについては何度も話していたとおりだ。彼の才能は恐ろしいほど大きい。とくに登りに関しては今日見たとおりだ。勝てなかったのは悔しいけれど、僕が負けたのは何も不思議はない」。素朴そのものに見える人柄、感じる話し方。記者会見でも目から涙を流しながら質問に答えるクインターナ。当初から大きな期待を負いながらも、アレハンドロ・バルベルデのアシストとしてツールをスタート。新人賞候補ではあったが、バルベルデに何かあった時の次のカードとしての役割は、初めてのツールでプレッシャーを感じないようにというチームの配慮でもあった。横風のステージでバルベルデが遅れを喫し、クインターナにエースの座が回ってきた。
「エウセビオ・ウンスエ監督が”ぼくがチームリーダーになる”と話してくれたとき、すぐにそれを受け入れた。でもぼくは、この異常な速さのツールで、”ぼくの脚がダメになったときは謝らなきゃいけなくなる”とも話した。でも彼は”ベストを尽くせばそれでいい”と言ってくれた。今日はチームのリーダーとして答えを出せて本当に良かった。チームはほんとうに素晴らしい。このツール・ド・フランスで最高のチームだと思う」。
麻薬と犯罪の国としてのイメージと同時に、国土のほとんどが山岳の国、そして歴史的に自転車競技の盛んな国であるコロンビア。クインターナはボヤカ県コンビタの出身で、標高2800mの高地に住む。子供の頃から自転車で山を越えて自転車通学していたという高地トレーニングそのものの暮らしが才能のベースにある。
コロンビアといえば、ジロで活躍したカルロス・ベタンクール(アージェードゥーゼル)、セルジオ・エナオモントーヤ、リゴベルト・ウラン(スカイプロサイクリング)、近年のツールでは2007年に山岳賞を獲得したマウリシオ・ソレールや、80年代に活躍したルイス・ヘレラと、ほぼナショナルチームのようにツールに参戦したカフェドコロンビア、そしてファビオ・パッラらの活躍がある。
クインターナにとっては2011年のツール・ド・スイスで落車して頭蓋骨を骨折する重症を負い、競技から引退した元チームメイトのソレールの存在が特別だ。「この勝利をソレールが喜んでくれていると思う。彼は僕にペンダントをくれた。僕にとって大きな存在の彼には、特別な感謝を送るよ」。クインターナにはさっそく今後のツールで総合優勝することに期待する声がかかる。マイヨジョーヌを狙うのはいつだろう?
「今日の結果で自信がついた。2014年はツールに勝つべくトライしてみる。これからはそのために毎日を送らなければいけない。でも、今年の結果が自信をくれる」。
フルームの”事実上優勝記者会見” 「ツールは素晴らしい旅」
20ステージ終了後の山頂まで2kmの仮設テントのプレスセンターで、フルームの優勝記者会見が行われた。先の2回めの休息日のチーム記者会見では、速すぎる・強すぎるフルームに対して、さらにチームがパワーメーターの数値等の身体データを公表しないことへの不満からドーピングを疑う質問や、「どうやって自分がクリーンであることを証明するのか?」といった質問ばかりが飛んだ。しかし今回の「事実上の優勝記者会見」では、まっとうな質問がほとんどで、ドーピングを疑う内容のものはなかった。
ツール・ド・フランスの3週間の闘いを振り返って「素晴らしい旅だった」と表現したフルーム。表情は今までの3週間で見せなかった穏やかな笑顔になり、言葉も柔らかく、記者たちの英語の質問には英語で、フランス語の質問にはフランス語で丁寧に応えた。そこには今まであった記者とフルームの間の敵対するような空気はもう無く、むしろクリーンな新しい勝者を祝福する雰囲気に満ちていた。
フルームがツール・ド・フランスでいつか優勝することが現実的になると考えだしたのは、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャを総合2位で終えた時。このツールに勝てると思ったのは、今日のステージでラスト2kmを越えてから。このツールでもっとも苦しかったのは、ラルプデュエズでハンガーノックに陥り、体力を喪失してからのラスト5km。今季のツールまでの「早くからピークを高めた」レースプログラムについては、他の方法をとったことがないから比べる材料がないとしながらも、来年も大きくは変える必要がないと思っていることなどを話した。
コンタドールが遅れたことについては「昨年のブエルタでアルベルトは最終盤ステージで大逆転した。それが可能な時もあるが、そうじゃないときもある。それが自転車レースだ」とも話した。
4度目のツール完走が目前の新城幸也
この日グルペット内で91位でゴールしたユキヤは、現在総合99位で4度目のツール・ド・フランス完走を目前にする。
「今日は調子が良かったから快調だったよ。去年みたいな大きな見せ場はなかったけど、やるべきことはやった。4回目のツールは毎日落ち着いて、順調に走ることができたと思う。落車はあったけど、リタイアするような怪我ではなかったし、”あぁ~ツールが終わった”という実感はまだないけれど、日本チャンピオンジャージで無事に100回大会のゴールを迎えられるのとても嬉しい」と話している。
アヌシーからパリ郊外のベルサイユまでは約500kmの移動だ。スタッフや関係者は翌日17:40というスタート時刻を考慮しつつ、それぞれの大移動に入った。私も陸路移動を急ぎます。
photo&text:Makoto.AYANO
湖面にはボートを浮かべて水着で優雅にツールの通過を待つ人々が多数。そしてツールの最後の勝負のハイライトを観ようと多くのファンが詰めかけた。ゴールのセムノスへの登り口はアヌシー市街からすぐだ。
スタートサインから戻った新城幸也(ユーロップカー)が、昨日の嵐の中で私が峠で渡したレインジャケットの返却とそのお礼にと、チームグッズを詰めあわせたサコッシュを用意してくれていた。渡したときには把握していなかったが、昨日ゴールに辿り着いた時には寒さとハンガーノックで足元が危ういほど疲れ切っていたというユキヤ。もしあのレインジャケットがなかったら状況はもっと悪かったということで感謝してもらえた。
余計なおせっかいでなかったこと、私もツールに参加できた気がして嬉しい限りです。昨日のダメージからか少し疲れを引きずった顔色だが、チームバスの近くに応援にやって来た日本人ファンたちにも丁寧に対応している。ユーロップカーは今日はリーダーのピエール・ロランにとって大切な日だ。
スタート地点にはパリに到達するのを待ちきれない各国のファンが応援に駆けつけている。しかし短距離で山岳の連続する、そして最後は超級山岳の山頂ゴールという「短いからこそ激しくなるレース」になることが確実であるため、スタート時刻が迫るほどに緊張度が高まっていた。総合争い、山岳賞争い、チーム総合争いがどう展開するのか、まさにツールを決める最後のステージだ。
スカイプロサイクリングはマイヨジョーヌを着たフルームとチームメイトたちがバスの前にずらりとローラー台を並べ、黙々とウォームアップをこなす。こんな光景はチームTT以外で見たことがない。チーム全体から「スタートからどんな総攻撃がかかっても応戦する準備はできている」というメッセージを放っている。マイヨジョーヌが大きなタイムマージンを持っていても、ツールはまだ終わってはいない。他にもオリカ・グリーンエッジやレディオシャック・レオパードがチーム単位でローラーを回し、ローラーを設置しないチームもコースに出て脚を回す。
スカイは今日のステージの重要度を最高ランクとして扱い、クリテリウム・ドーフィネの後に全コースを試走済みだという。スカイにとっては波乱が起こらないこと、コントロール出来ない展開にならないようにレースを掌握することが大事だ。通常通り、チームは逃げをコントロールしながらメイン集団先頭を一定ペースで引き、最後の山岳でフルームとポルトを良い位置に送り出す展開に持ち込めれば良い。そこからはフルームと各チームのエース同士の闘いだ。
フラッグが振られると同時にロランがアタック。チャレンジが始まった。ロランは何も迷うことはない。前半から山岳ポイントを集め、最後のセムノスまで逃げ切ること。昨日もポイントを集めた。しかし今日の超級ゴールの得点は通常の2倍の50点。フルームら総合争いの選手が獲得するのはほぼ確実で、山岳賞はその結果次第になる。前日に「チャンスは確かにあるが可能性は小さい」と話していたロランは、予想外のハプニングが起こることに一縷の望みを託す。
ラルプデュエズ覇者クリストフ・リブロン(アージェードゥーゼル)がロランらを追走する。その後ろからA.S.Oのブルーのクルマに乗ったベルナール・イノーほかレースオルガナイザーが追い、選手たちの走りを観ている。レキップ紙、AFP通信、フランステレビジョン、ラジオ局のジャーナリスト4名らが審査に加わり決める、今年のツール全体を通しての大会敢闘賞「スーパー敢闘賞」はこのリブロンに与えられることが決定した。
アヌシーの湖面を眼下に見ながら高度を稼いでいくプロトン。今日のコースはほぼすべて細い細い山道に設定されている。レース後半にかけてはイェンス・フォイクトの走りに釘付け。「Shut up Legs(脚よ、悲鳴を上げるな!)」のメッセージ通りの42歳の”イェンシー”の力走は、同時に後方でサクソ・ティンコフとのチーム総合成績逆転を狙うチームメイトたちのアシストにもなる。
アヌシーの裏山、湖畔の街から一気に登り詰めたスキーリゾートがセムノス山頂だ。10.7km、8.5%の登りは超級にランクされる通りの過酷な登りだが、アヌシーっ子や湖畔に滞在中のキャンプ観光客がこぞって自転車で上る。頂上までのアクセス方法はそれしかない。頂上からは美しいアルプスの展望が開ける。
ロマン・クロイツィゲル(サクソ・ティンコフ)が遅れだし、ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)とナイロ・クインターナ(モビスター)がアタックすると、頂上付近のコーナーにいた8人ほどのコロンビア人の応援団が狂喜乱舞を始めた。コロンビアから欧州に観戦に来るのは経済的にも非常に難しいという。まとまった応援団を見たのは初めて。今まで数回見かけた人たちがここに集結したようだ。そして変なコスプレも集結。
フルームはコンタドールを置き去りにするアタックをかけると、肘を張りだして、すごいケイデンスでペダルを回す。ロドリゲス、クインターナに合流すると、差は開いた。山頂へ向け2人に対しアタックするフルームに、「今日もノーギフト?」の声が上がる。ポーカーフェイスのクインターナがスムーズに追いついた。譲り合いは無し。無表情で通してきたクインターナがフィニッシュラインで大きなガッツポーズとともに笑顔を見せた。
フルームはクインターナに勝てはしなかったがトラブル無く最後の難関ステージを乗り切った。スカイは完全に仕事をこなした。フルームは本当はマイヨジョーヌで勝利のポーズを決めるつもりだったが、親指を立てる「Goodサイン」でフィニッシュ。悔しさは無く、笑顔で。ステージ優勝を目指したロドリゲスには表彰台が転がり込んだ。
ツールのコロンビア・センセーション クインターナは2014年のマイヨジョーヌを目指す
ツールデビューでいきなりステージ優勝に総合2位、新人賞に山岳賞まで総ざらいしたクインターナ。この日7月20日はコロンビアの203回めの独立記念日。喜びをかみしめるように、太い声でゆっくりと話すクインターナ。「僕に何が起こったのか、まだ理解することが難しい。信じられない勝利だ。今日の勝利、そしてこのツールで起こったことすべてが、とても、とても嬉しい。この勝利はコロンビアのすべての国民のために。家族、友達、僕を助けてくれたすべての人達に捧げたい。コロンビアの人全てに感謝している」。
クインターナは2010年にアマチュアのツール・ド・フランスと呼ばれるツール・ド・ラヴニールに総合優勝。2011年はカタルーニャ一周 山岳賞のほか地元コロンビアのステージレースで総合優勝し、2012年にモビスターに加入した23歳。フルームはすでに2012年のクリテリウム・ドーフィネでクインターナの山岳での走りを目の当たりにしている。「クインターナのここまでの強さを予想していたか?」と訊かれてフルームは答える。
「ツールが始まる前から、僕は彼の強さについては何度も話していたとおりだ。彼の才能は恐ろしいほど大きい。とくに登りに関しては今日見たとおりだ。勝てなかったのは悔しいけれど、僕が負けたのは何も不思議はない」。素朴そのものに見える人柄、感じる話し方。記者会見でも目から涙を流しながら質問に答えるクインターナ。当初から大きな期待を負いながらも、アレハンドロ・バルベルデのアシストとしてツールをスタート。新人賞候補ではあったが、バルベルデに何かあった時の次のカードとしての役割は、初めてのツールでプレッシャーを感じないようにというチームの配慮でもあった。横風のステージでバルベルデが遅れを喫し、クインターナにエースの座が回ってきた。
「エウセビオ・ウンスエ監督が”ぼくがチームリーダーになる”と話してくれたとき、すぐにそれを受け入れた。でもぼくは、この異常な速さのツールで、”ぼくの脚がダメになったときは謝らなきゃいけなくなる”とも話した。でも彼は”ベストを尽くせばそれでいい”と言ってくれた。今日はチームのリーダーとして答えを出せて本当に良かった。チームはほんとうに素晴らしい。このツール・ド・フランスで最高のチームだと思う」。
麻薬と犯罪の国としてのイメージと同時に、国土のほとんどが山岳の国、そして歴史的に自転車競技の盛んな国であるコロンビア。クインターナはボヤカ県コンビタの出身で、標高2800mの高地に住む。子供の頃から自転車で山を越えて自転車通学していたという高地トレーニングそのものの暮らしが才能のベースにある。
コロンビアといえば、ジロで活躍したカルロス・ベタンクール(アージェードゥーゼル)、セルジオ・エナオモントーヤ、リゴベルト・ウラン(スカイプロサイクリング)、近年のツールでは2007年に山岳賞を獲得したマウリシオ・ソレールや、80年代に活躍したルイス・ヘレラと、ほぼナショナルチームのようにツールに参戦したカフェドコロンビア、そしてファビオ・パッラらの活躍がある。
クインターナにとっては2011年のツール・ド・スイスで落車して頭蓋骨を骨折する重症を負い、競技から引退した元チームメイトのソレールの存在が特別だ。「この勝利をソレールが喜んでくれていると思う。彼は僕にペンダントをくれた。僕にとって大きな存在の彼には、特別な感謝を送るよ」。クインターナにはさっそく今後のツールで総合優勝することに期待する声がかかる。マイヨジョーヌを狙うのはいつだろう?
「今日の結果で自信がついた。2014年はツールに勝つべくトライしてみる。これからはそのために毎日を送らなければいけない。でも、今年の結果が自信をくれる」。
フルームの”事実上優勝記者会見” 「ツールは素晴らしい旅」
20ステージ終了後の山頂まで2kmの仮設テントのプレスセンターで、フルームの優勝記者会見が行われた。先の2回めの休息日のチーム記者会見では、速すぎる・強すぎるフルームに対して、さらにチームがパワーメーターの数値等の身体データを公表しないことへの不満からドーピングを疑う質問や、「どうやって自分がクリーンであることを証明するのか?」といった質問ばかりが飛んだ。しかし今回の「事実上の優勝記者会見」では、まっとうな質問がほとんどで、ドーピングを疑う内容のものはなかった。
ツール・ド・フランスの3週間の闘いを振り返って「素晴らしい旅だった」と表現したフルーム。表情は今までの3週間で見せなかった穏やかな笑顔になり、言葉も柔らかく、記者たちの英語の質問には英語で、フランス語の質問にはフランス語で丁寧に応えた。そこには今まであった記者とフルームの間の敵対するような空気はもう無く、むしろクリーンな新しい勝者を祝福する雰囲気に満ちていた。
フルームがツール・ド・フランスでいつか優勝することが現実的になると考えだしたのは、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャを総合2位で終えた時。このツールに勝てると思ったのは、今日のステージでラスト2kmを越えてから。このツールでもっとも苦しかったのは、ラルプデュエズでハンガーノックに陥り、体力を喪失してからのラスト5km。今季のツールまでの「早くからピークを高めた」レースプログラムについては、他の方法をとったことがないから比べる材料がないとしながらも、来年も大きくは変える必要がないと思っていることなどを話した。
コンタドールが遅れたことについては「昨年のブエルタでアルベルトは最終盤ステージで大逆転した。それが可能な時もあるが、そうじゃないときもある。それが自転車レースだ」とも話した。
4度目のツール完走が目前の新城幸也
この日グルペット内で91位でゴールしたユキヤは、現在総合99位で4度目のツール・ド・フランス完走を目前にする。
「今日は調子が良かったから快調だったよ。去年みたいな大きな見せ場はなかったけど、やるべきことはやった。4回目のツールは毎日落ち着いて、順調に走ることができたと思う。落車はあったけど、リタイアするような怪我ではなかったし、”あぁ~ツールが終わった”という実感はまだないけれど、日本チャンピオンジャージで無事に100回大会のゴールを迎えられるのとても嬉しい」と話している。
アヌシーからパリ郊外のベルサイユまでは約500kmの移動だ。スタッフや関係者は翌日17:40というスタート時刻を考慮しつつ、それぞれの大移動に入った。私も陸路移動を急ぎます。
photo&text:Makoto.AYANO
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