2013/07/17(水) - 18:09
この日は「逃げの最後のチャンス」。まだ何もできていないチームと選手にとって、そして続く山岳で何もできない選手にとっては最後のチャンス。休息日にエネルギーを再充電したプロトンは一気に活性化した。
選手たちは「2度めの休息日が明けたらパリが見えてくる」と良く言うが、今年のツールに関してはそうは言っていられない。第3週には過酷な山岳ステージが3日続き、体調が維持できなければ越えることはできない。
ギャップが近づくと雨になるという予報も出たが、ヴィラージュを包んだのはもたしても南仏の眩い太陽。スタート前に小さく話題を呼んだのは散髪したクーン・デコルト(オランダ、アルゴス・シマノ)。マルセル・キッテルがステージ3勝を挙げたら髪を切る約束を、休息日に果たしたらしい。
デコルトの長いカーリーヘアはキッテル調の刈り上げスタイルになっていた。TVレポーターたちの取材申し込みが殺到する。しかし元が色男なのでまったく可怪しくはない。てっきり丸坊主になるものだと思っていたのでやや不満が残るが...。
逃げに意欲ある選手たちはローラー台でアップしてからスタートに向かった。モンヴァントゥーの山頂を右手に見ながら進むワインとグルメで有名な街道で繰り返されたアタック。5人、10人、また10人と次々と前に飛び出し、32人という大人数の逃げ集団が出来上がった。
ここまで人数が多いともはや後ろのメイン集団で追うチームはなくなる。逃げグループは登りで人数を減らしつつも、メイン集団が列車の通過する踏切でストップして2分の足止めを喰らうのにも助けられ、逃げ切りを決めた。
ギャップにゴールするステージでたびたび登場する、ゴールの僅か12km手前の2級山岳マンス峠。100周年記念大会の2003年ツールではホセバ・ベロキが溶けたアスファルトにタイヤを取られて落車。路面に叩きつけられ、体中を骨折。その後の選手生命を事実上絶たれた。ベロキを避けたマイヨジョーヌのランス・アームストロングは草むらに突っ込み、そのままコーナーをシクロクロススタイルでショートカットして事なきを得た峠としてあまりに有名だ。ギャップの街から約450mを登り、再び街に下る。登りのちょうど中盤が急勾配で、頂上付近は急勾配。下りは急コーナーが続く悪路で名高い峠だ。
2年前に続くコスタのツール2勝目 総合争いを諦めた失望への報い
逃げグループで脚の違いを見せたのは、ツール・ド・スイス2年連続総合優勝の実力者ルイ・コスタ(モビスター)。2011年ツールで山頂ゴールの第8ステージで逃げ切り勝利を飾ったのに次ぐツールステージ2勝目。
コスタはエースのアレハンドロ・バルベルデの遅れた横風ステージで、エースを助けるために呼び戻され同じくタイムを失って総合への夢を絶たれた、本来なら総合を狙えるモビスターの第2、第3のカード。バルベルデとクインターナのアシストはもちろん、自身の総合上位への意欲を持ってこのツールに臨んできたコスタは言う。
「この勝利は大きな意味を持つ。このツールにはハードな練習を重ねて用意してきた。しかしバルベルデと同じ日にタイムを失った。そこでこのツールに対する考え方を変更しなくてはならなかったんだ。この勝利は失望を取り払ってくれる、チームにとっても自分にとっても良い勝利だ。我々はステージ優勝を求めていた。それがひとつ達成できたので平穏な気持ちでアルプスに向かえる。」
フィニッシュラインを越えるとき、なにか特別に感情的になっているように見えた。前回2011年のシュペル・ベス・サンシーでの勝利のときは、その2ヶ月前にチームメイトのシャビエル・トンドが不慮の事故死を遂げ、そして同じチームメイトのマウリシオ・ソレールが2週間前に落車で重症を負ったことに対しての気持ちを込めたフィニッシュだった。
「ツールでステージ優勝することはとても難しい。しかし2つ目の勝利を挙げられた。言葉が見つけられない。昨年もステージ優勝を狙って闘ったが無理だった。ツールで勝利することは、他のどんなレースで勝つよりも難しいんだ。」
逃げグループで目立つ負けはこの逃げに8人を送り込んでいたフランス人。結果は2位・3位・4位の、「勝ちのない上位独占」。そしてフランス期待の星、ティボー・ピノ(FDJ)がこの日、スタートせず家に帰っている。ピノは過去の落車事故の記憶によるトラウマがあり、下りのスピードに恐怖でついていけずに連日遅れていたのだ。
チャンスがあればいつでも攻めるコンタドール
逃げるコスタの後ろでもうひとつの総合争いのレースが繰り広げられていた。「2位も10位も同じこと」と休息日に語ったコンタドールがクロイツィゲルと組んでワンツー・パンチの激しいアタックを繰り出した。登りでのアタックが成功しないと見るや、下りでもアタックを繰り返してかけ、リスクを払ってフルームを引き離そうと試みる。
2011年にツールのコースになったことで表面の荒れた、ところどころにアスファルトが割れる路面は承知の上。バイクコントロールに秀でたコンタドールは2011年のツールでもここで過激なアタックを繰り出し、下りの苦手なアンディ・シュレクに対してタイム差をつけた。対するフルームも試走済み。10年前の話からだけでなく、2人ともこの下りがどれだけ危険かも知っている。
この日リッチー・ポルトには強力なアシスト力が戻っていた。コンタドールとクロイツィゲルは登りでかけた3度のアタックを抑えられると、下りでも執拗にアタックを続けた。
晴れが続いたため、アスファルトのタールが溶け出して滲み出す。それは10年前のベロキの落車の原因となった状況に似ていた。そこでコンタドールは奇しくもベロキと同じ状況に陥った。下りコーナーでコントロールを失い、転倒。フルームもそれに巻き込まれたが、転倒には至らず。コンタドールも怪我はあるが軽傷のようだ。大惨事は免れた。
記者会見でフルームは「あのコーナーでコンタドールはとくに速く突っ込んでバランスを崩し、自転車をコントロールできなくなってぼくの目の前で転んだんだ。僕は左に避け、ペダルが外れて少しだけ草むらに出た。」
そして、コンタドールの危険なアタックを批判的な口調で話した。「僕は彼があそこでリスクを取り過ぎたんだと思う。コーナーに入るには速すぎて、スピードが抑えきれなくなっていたと思う。危険を顧みない走りだ。個人的にはあのチームは“やけっぱち”になり始めていると思う。だからあんなリスクをとるんだろう。そんな必要はないと思う。」
結果は残せなかったが、前向きな態度を崩さないのはコンタドールだ。「これはピュアでシンプルな自転車レースだ。僕たちの挑戦にベルキンの選手はついてこれなくなり、他の選手はロープに追いやった。明日の重要なレースに怪我の影響がないことを願うだけだ。」
結局は差をつけることはできなかったけど、足の調子はますます良くなっている。スペクタクルを与えられたらと思っている。僕らが勝てるかどうかはわからない。でも、TVを観ている人が面白がってくれたらそれでいい。チャンスをあることを見つけたらいつでもアタックする。レースの始まりか終わりかにかかわらず。パリでの最終結果はお楽しみだ。」
コンタドールの姿勢は明らかだ。横風の第12ステージで見せたように、チャンスさえあればいつでも攻撃する。休息日の言葉通り、表彰台の一角に乗るための保守的な走りはしない。どころか、この程度の坂で動きがあると思わなかった、警戒を怠ったローレンス・テンダム(ベルキン)を後方に追いやった。
コンタドールとフルームが遅れた時、クインターナがアタックしたとバウク・モレマ(ベルキン)が話した。「クインターナは落車の後確かにスピードを上げた。ぼくは彼とロドリゲスに着いて行くだけだった。僕はアタックしていない。マイヨジョーヌがトラブルで遅れたときはアタックすべきじゃない。」
これに対してクインターナは反論する。「アタックはしていない。何があったかよく分かっていなかった。レースが加熱していると、何が起きているか把握するのは困難だ。もしコンタドールたちが怒っているのなら謝りたい。」
バルベルデのトラブルにつけこんだ総攻撃のアタックは良くても、マイヨジョーヌがトラブルに陥ったときはアタックしないで復帰を待つ。初出場の若者が理解していなかったとしても、ツールの紳士協定はまだ健在のようだ。
photo&text:Makoto.AYANO
選手たちは「2度めの休息日が明けたらパリが見えてくる」と良く言うが、今年のツールに関してはそうは言っていられない。第3週には過酷な山岳ステージが3日続き、体調が維持できなければ越えることはできない。
ギャップが近づくと雨になるという予報も出たが、ヴィラージュを包んだのはもたしても南仏の眩い太陽。スタート前に小さく話題を呼んだのは散髪したクーン・デコルト(オランダ、アルゴス・シマノ)。マルセル・キッテルがステージ3勝を挙げたら髪を切る約束を、休息日に果たしたらしい。
デコルトの長いカーリーヘアはキッテル調の刈り上げスタイルになっていた。TVレポーターたちの取材申し込みが殺到する。しかし元が色男なのでまったく可怪しくはない。てっきり丸坊主になるものだと思っていたのでやや不満が残るが...。
逃げに意欲ある選手たちはローラー台でアップしてからスタートに向かった。モンヴァントゥーの山頂を右手に見ながら進むワインとグルメで有名な街道で繰り返されたアタック。5人、10人、また10人と次々と前に飛び出し、32人という大人数の逃げ集団が出来上がった。
ここまで人数が多いともはや後ろのメイン集団で追うチームはなくなる。逃げグループは登りで人数を減らしつつも、メイン集団が列車の通過する踏切でストップして2分の足止めを喰らうのにも助けられ、逃げ切りを決めた。
ギャップにゴールするステージでたびたび登場する、ゴールの僅か12km手前の2級山岳マンス峠。100周年記念大会の2003年ツールではホセバ・ベロキが溶けたアスファルトにタイヤを取られて落車。路面に叩きつけられ、体中を骨折。その後の選手生命を事実上絶たれた。ベロキを避けたマイヨジョーヌのランス・アームストロングは草むらに突っ込み、そのままコーナーをシクロクロススタイルでショートカットして事なきを得た峠としてあまりに有名だ。ギャップの街から約450mを登り、再び街に下る。登りのちょうど中盤が急勾配で、頂上付近は急勾配。下りは急コーナーが続く悪路で名高い峠だ。
2年前に続くコスタのツール2勝目 総合争いを諦めた失望への報い
逃げグループで脚の違いを見せたのは、ツール・ド・スイス2年連続総合優勝の実力者ルイ・コスタ(モビスター)。2011年ツールで山頂ゴールの第8ステージで逃げ切り勝利を飾ったのに次ぐツールステージ2勝目。
コスタはエースのアレハンドロ・バルベルデの遅れた横風ステージで、エースを助けるために呼び戻され同じくタイムを失って総合への夢を絶たれた、本来なら総合を狙えるモビスターの第2、第3のカード。バルベルデとクインターナのアシストはもちろん、自身の総合上位への意欲を持ってこのツールに臨んできたコスタは言う。
「この勝利は大きな意味を持つ。このツールにはハードな練習を重ねて用意してきた。しかしバルベルデと同じ日にタイムを失った。そこでこのツールに対する考え方を変更しなくてはならなかったんだ。この勝利は失望を取り払ってくれる、チームにとっても自分にとっても良い勝利だ。我々はステージ優勝を求めていた。それがひとつ達成できたので平穏な気持ちでアルプスに向かえる。」
フィニッシュラインを越えるとき、なにか特別に感情的になっているように見えた。前回2011年のシュペル・ベス・サンシーでの勝利のときは、その2ヶ月前にチームメイトのシャビエル・トンドが不慮の事故死を遂げ、そして同じチームメイトのマウリシオ・ソレールが2週間前に落車で重症を負ったことに対しての気持ちを込めたフィニッシュだった。
「ツールでステージ優勝することはとても難しい。しかし2つ目の勝利を挙げられた。言葉が見つけられない。昨年もステージ優勝を狙って闘ったが無理だった。ツールで勝利することは、他のどんなレースで勝つよりも難しいんだ。」
逃げグループで目立つ負けはこの逃げに8人を送り込んでいたフランス人。結果は2位・3位・4位の、「勝ちのない上位独占」。そしてフランス期待の星、ティボー・ピノ(FDJ)がこの日、スタートせず家に帰っている。ピノは過去の落車事故の記憶によるトラウマがあり、下りのスピードに恐怖でついていけずに連日遅れていたのだ。
チャンスがあればいつでも攻めるコンタドール
逃げるコスタの後ろでもうひとつの総合争いのレースが繰り広げられていた。「2位も10位も同じこと」と休息日に語ったコンタドールがクロイツィゲルと組んでワンツー・パンチの激しいアタックを繰り出した。登りでのアタックが成功しないと見るや、下りでもアタックを繰り返してかけ、リスクを払ってフルームを引き離そうと試みる。
2011年にツールのコースになったことで表面の荒れた、ところどころにアスファルトが割れる路面は承知の上。バイクコントロールに秀でたコンタドールは2011年のツールでもここで過激なアタックを繰り出し、下りの苦手なアンディ・シュレクに対してタイム差をつけた。対するフルームも試走済み。10年前の話からだけでなく、2人ともこの下りがどれだけ危険かも知っている。
この日リッチー・ポルトには強力なアシスト力が戻っていた。コンタドールとクロイツィゲルは登りでかけた3度のアタックを抑えられると、下りでも執拗にアタックを続けた。
晴れが続いたため、アスファルトのタールが溶け出して滲み出す。それは10年前のベロキの落車の原因となった状況に似ていた。そこでコンタドールは奇しくもベロキと同じ状況に陥った。下りコーナーでコントロールを失い、転倒。フルームもそれに巻き込まれたが、転倒には至らず。コンタドールも怪我はあるが軽傷のようだ。大惨事は免れた。
記者会見でフルームは「あのコーナーでコンタドールはとくに速く突っ込んでバランスを崩し、自転車をコントロールできなくなってぼくの目の前で転んだんだ。僕は左に避け、ペダルが外れて少しだけ草むらに出た。」
そして、コンタドールの危険なアタックを批判的な口調で話した。「僕は彼があそこでリスクを取り過ぎたんだと思う。コーナーに入るには速すぎて、スピードが抑えきれなくなっていたと思う。危険を顧みない走りだ。個人的にはあのチームは“やけっぱち”になり始めていると思う。だからあんなリスクをとるんだろう。そんな必要はないと思う。」
結果は残せなかったが、前向きな態度を崩さないのはコンタドールだ。「これはピュアでシンプルな自転車レースだ。僕たちの挑戦にベルキンの選手はついてこれなくなり、他の選手はロープに追いやった。明日の重要なレースに怪我の影響がないことを願うだけだ。」
結局は差をつけることはできなかったけど、足の調子はますます良くなっている。スペクタクルを与えられたらと思っている。僕らが勝てるかどうかはわからない。でも、TVを観ている人が面白がってくれたらそれでいい。チャンスをあることを見つけたらいつでもアタックする。レースの始まりか終わりかにかかわらず。パリでの最終結果はお楽しみだ。」
コンタドールの姿勢は明らかだ。横風の第12ステージで見せたように、チャンスさえあればいつでも攻撃する。休息日の言葉通り、表彰台の一角に乗るための保守的な走りはしない。どころか、この程度の坂で動きがあると思わなかった、警戒を怠ったローレンス・テンダム(ベルキン)を後方に追いやった。
コンタドールとフルームが遅れた時、クインターナがアタックしたとバウク・モレマ(ベルキン)が話した。「クインターナは落車の後確かにスピードを上げた。ぼくは彼とロドリゲスに着いて行くだけだった。僕はアタックしていない。マイヨジョーヌがトラブルで遅れたときはアタックすべきじゃない。」
これに対してクインターナは反論する。「アタックはしていない。何があったかよく分かっていなかった。レースが加熱していると、何が起きているか把握するのは困難だ。もしコンタドールたちが怒っているのなら謝りたい。」
バルベルデのトラブルにつけこんだ総攻撃のアタックは良くても、マイヨジョーヌがトラブルに陥ったときはアタックしないで復帰を待つ。初出場の若者が理解していなかったとしても、ツールの紳士協定はまだ健在のようだ。
photo&text:Makoto.AYANO
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