2013/05/26(日) - 17:27
3週間の締めくくりとして(まだ第21ステージが残っているけど)トレチーメ・ディ・ラヴァレードの頂上ゴールを主催者RCSスポルトは成功させた。悪天候との闘いだった今年のジロのクライマックスは、マイナス2度&大雪&マリアローザの勝利だった。
ドイツ語が話されている南チロル地方 photo:Kei Tsuji
全ての街の中はドイツ語とイタリア語の二カ国語表記 photo:Kei Tsuji
ジロ・デ・イタリアを暖かく迎えるシランドロの街 photo:Kei Tsuji
スタート地点のシランドロは全くもってイタリアっぽくない。百歩譲ってもイタリアの街には見えない。交通標識はドイツ語とイタリア語の二カ国語表記で、全ての街がイタリア語の地名とドイツ語の地名をもっている。スタート地点シランドロはドイツ語でシュランデルス。
シランドロを含めドロミテ山岳地帯のほとんどは南チロルと呼ばれる地域であり、第一言語はドイツ語。多くの人はイタリア語も話すが、それらは「学校で習った言語」であって、あくまでもドイツ語が一般的に話されている。イタリアなのに、イタリア語よりも英語の方が意思疎通が楽という不思議な感覚。彼らは自分たちがイタリア人だという認識も薄く、例えばサッカーの試合でイタリア代表が活躍していても応援する気にはならないらしい。
レース到着の数時間前にはトレチーメ(3つの頂)が姿を見せた photo:Kei Tsuji
ジロ・デ・イタリアを待つ二匹のラブラドールレトリーバー photo:Kei Tsuji
ジロを表現する定型文として「初夏のイタリアを駆け抜ける3週間のステージレース」と書くことが多い。ところが、ところがである。トレチーメ・ディ・ラヴァレードの登りに入ると一面真っ白雪景色になった。これのどこが初夏?晩春でもなければ初春でもない。晩冬でもない。はっきり言って真冬の景色だ。
標高2304mにあるトレチーメ・ディ・ラヴァレードの駐車場は、下界とは全くの別世界。銀世界。雪雲に覆われていたためトレチーメ(3つの頂き)を完全に見ることが出来なかったのは残念。是非「Tre Cime di Lavaredo」をコピペしてGoogleで画像検索していただきたい。
ドロミテを代表する観光地として栄えているトレチーメ・ディ・ラヴァレードだけに、路面状態はそこまで悪くない。冷たい雨よりも雪のほうが暖かかったりする。ところが、凍結防止剤が大量に撒かれているため、路面は冷たい水に覆われている。冷たい水を巻き上げて走る選手たちは当然全身びしょぬれになる。考えただけで身が強張る。
雪に包まれたトレチーメ・ディ・ラヴァレード photo:Kei Tsuji
コースの安全を守るアルピーニ(山岳部隊) photo:Kei Tsuji
トレチーメ・ディ・ラヴァレードがジロに登場するのは7回目。初登場したのは今から46年前の1967年。当時もかなりの積雪に見舞われ、観客が選手たちを押しにまくったために、ステージ成績が総合成績に反映されないという事態が起こった。フェリーチェ・ジモンディ(イタリア)がトレチーメの初代ステージ優勝者に輝いている。
翌年もトレチーメはジロのコースに取り入れられ、世界チャンピオンのエディ・メルクス(ベルギー)がステージ優勝。アルカンシェルの上にマリアローザを着たメルクスは、最終日ナポリまで総合トップを維持し、ジロ初総合優勝に輝いている。1974年に登場した際には、イタリアの若手に苦しめられながらもメルクスがマリアローザをキープ。5回目の総合優勝に輝いた。歴代チャンピオンと所縁の有る登りだ。
先頭でトレチーメ・ディ・ラヴァレードを駆け上がるヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ) photo:Kei Tsuji
雪が降り続くトレチーメ・ディ・ラヴァレードを登る photo:Kei Tsuji
標高2304mの気温はマイナス2度。またもや、ジロの到着に合わせるように雪雲がコースを覆う。ゾッとするほどの正確さで、勝負が始まると同時に雪が降り始めた。
レースディレクターのマウロ・ヴェーニ率いるジロ主催者RCSスポルトは、トレチーメ・ディ・ラヴァレードの頂上ゴールを何としても成功に持ち込みたかった。極力ダウンヒルの少ないコースを描き、登りの除雪を徹底した。彼らの熱意が、歴史上まれに見る悪天候のジロを締めくくるのに相応しい闘いを生んだ。
走りきった選手たちにはみな無表情。消えかけのロウソクが頑張って燃えているような、そんな疲労困憊の様子が伝わってくる。ヘルメットから肩から脚先までたっぷりと雪が積もっている。中には笑いながら登る選手もいた。主催者に毒突く選手が大量に現れるかなと思いきや、意外にもレース後は「この歴史的なステージを走ることが出来てよかった」というコメントやツイートに溢れていた。
トレチーメ・ディ・ラヴァレード photo:Kei Tsuji
雪降りしきるトレチーメ・ディ・ラヴァレードの頂上を目指すカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム) photo:Kei Tsuji
チームメイトたちと20分18秒遅れでトレチーメ・ディ・ラヴァレード頂上を目指すマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、オメガファーマ・クイックステップ) photo:Kei Tsuji
チームマネージャーとしてジロに帯同しているアレクサンドル・ヴィノクロフが見守る中、ファビオ・アルとタネル・カンゲルトらにアシストされたニーバリが圧勝。ドミナトーレ(支配者)としての強さを今一度証明した。最大勾配18%の登りに備えてニーバリがチョイスしたギア比は36x29T。対して総合2位のカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)はラスト2kmを切ってからのギアトラブルで失速した。
「激しく雪が降るこの登りはまさにエピックだった。自分が達成したことをいまいち飲み込めていない」。真っ白な雪と多くの報道陣に囲まれた山小屋の記者会見場で、ニーバリは少し照れくさそうに笑う。ジロで出し尽くしたニーバリはツール・ド・フランスには出場しない。翌日、ニーバリはマリアローザを着てブレシアに凱旋する。
text&photo:Kei Tsuji in Tre Cime di Lavaredo, Italy
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スタート地点のシランドロは全くもってイタリアっぽくない。百歩譲ってもイタリアの街には見えない。交通標識はドイツ語とイタリア語の二カ国語表記で、全ての街がイタリア語の地名とドイツ語の地名をもっている。スタート地点シランドロはドイツ語でシュランデルス。
シランドロを含めドロミテ山岳地帯のほとんどは南チロルと呼ばれる地域であり、第一言語はドイツ語。多くの人はイタリア語も話すが、それらは「学校で習った言語」であって、あくまでもドイツ語が一般的に話されている。イタリアなのに、イタリア語よりも英語の方が意思疎通が楽という不思議な感覚。彼らは自分たちがイタリア人だという認識も薄く、例えばサッカーの試合でイタリア代表が活躍していても応援する気にはならないらしい。
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ジロを表現する定型文として「初夏のイタリアを駆け抜ける3週間のステージレース」と書くことが多い。ところが、ところがである。トレチーメ・ディ・ラヴァレードの登りに入ると一面真っ白雪景色になった。これのどこが初夏?晩春でもなければ初春でもない。晩冬でもない。はっきり言って真冬の景色だ。
標高2304mにあるトレチーメ・ディ・ラヴァレードの駐車場は、下界とは全くの別世界。銀世界。雪雲に覆われていたためトレチーメ(3つの頂き)を完全に見ることが出来なかったのは残念。是非「Tre Cime di Lavaredo」をコピペしてGoogleで画像検索していただきたい。
ドロミテを代表する観光地として栄えているトレチーメ・ディ・ラヴァレードだけに、路面状態はそこまで悪くない。冷たい雨よりも雪のほうが暖かかったりする。ところが、凍結防止剤が大量に撒かれているため、路面は冷たい水に覆われている。冷たい水を巻き上げて走る選手たちは当然全身びしょぬれになる。考えただけで身が強張る。
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翌年もトレチーメはジロのコースに取り入れられ、世界チャンピオンのエディ・メルクス(ベルギー)がステージ優勝。アルカンシェルの上にマリアローザを着たメルクスは、最終日ナポリまで総合トップを維持し、ジロ初総合優勝に輝いている。1974年に登場した際には、イタリアの若手に苦しめられながらもメルクスがマリアローザをキープ。5回目の総合優勝に輝いた。歴代チャンピオンと所縁の有る登りだ。
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レースディレクターのマウロ・ヴェーニ率いるジロ主催者RCSスポルトは、トレチーメ・ディ・ラヴァレードの頂上ゴールを何としても成功に持ち込みたかった。極力ダウンヒルの少ないコースを描き、登りの除雪を徹底した。彼らの熱意が、歴史上まれに見る悪天候のジロを締めくくるのに相応しい闘いを生んだ。
走りきった選手たちにはみな無表情。消えかけのロウソクが頑張って燃えているような、そんな疲労困憊の様子が伝わってくる。ヘルメットから肩から脚先までたっぷりと雪が積もっている。中には笑いながら登る選手もいた。主催者に毒突く選手が大量に現れるかなと思いきや、意外にもレース後は「この歴史的なステージを走ることが出来てよかった」というコメントやツイートに溢れていた。
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チームマネージャーとしてジロに帯同しているアレクサンドル・ヴィノクロフが見守る中、ファビオ・アルとタネル・カンゲルトらにアシストされたニーバリが圧勝。ドミナトーレ(支配者)としての強さを今一度証明した。最大勾配18%の登りに備えてニーバリがチョイスしたギア比は36x29T。対して総合2位のカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)はラスト2kmを切ってからのギアトラブルで失速した。
「激しく雪が降るこの登りはまさにエピックだった。自分が達成したことをいまいち飲み込めていない」。真っ白な雪と多くの報道陣に囲まれた山小屋の記者会見場で、ニーバリは少し照れくさそうに笑う。ジロで出し尽くしたニーバリはツール・ド・フランスには出場しない。翌日、ニーバリはマリアローザを着てブレシアに凱旋する。
text&photo:Kei Tsuji in Tre Cime di Lavaredo, Italy
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