2013/05/19(日) - 17:25
北イタリアはすっぽりと雨雲に覆われている。雪によってレースが中断したミラノ〜サンレモから2ヶ月。主催者RCS SPORTは再び雪との闘いを強いられている。セストリエーレを回避する決断を下したが、翌日のガリビエ峠に関しては強気の姿勢だ。
濡れた石畳を踏みしめてスタート地点へ photo:Kei Tsuji
チラリ photo:Kei Tsuji
スタート前にバイクをチェックする大西恵太メカニック photo:Kei Tsuji
逃げを見送ったメイン集団がサヴィリアーノの街を行く photo:Kei Tsuji
雨雲が立ち込めたチェルヴェレのスタート地点では、何やらレースディレクターのマウロ・ヴェーニ氏(総合ディレクターはミケーレ・アックアローネ氏)が大会スタッフやUCIのコミッセールを集めて打ち合わせを行なっている。そのミーティングからしばらくして、代替コースが発表された。
新たなコースは、標高2035mのセストリエーレを回避するもの。トリノ五輪でスキーの会場として使用されたスキーリゾート地を通らず、トリノの近くを通って渓谷沿いに徐々に標高を上げる。距離は12km延長されたが、難易度はずっと下がった。
セストリエーレを回避した理由は降り続く雪による路面状況の悪さと厳しい低温、そして霧による視界の悪さ。主催者側は「選手たちの安全を第一に優先した」としているが、雪が激しく降ればレースそのものの運営に支障が出る。確認している限り、大会オフィシャルカーやチームカーは全てサマータイヤ仕様だ。
雪と霧に包まれた1級山岳ジャフロー峠 photo:Kei Tsuji
子犬を抱いて暖を取る photo:Kei Tsuji
雪が降る中、忍耐強くレースを待つ photo:Kei Tsuji
おそらくあらかじめ用意されていた代替コースだったとは言え、コース変更を英断し、しっかりとそれを実行に移すところにイタリアにおける自転車競技の歴史と文化の深さを感じる。新コースにはしっかりと交通規制が敷かれ、レースは安全に滞りなく進んだ。
ゴール地点は、フランス国境すぐ近くのバルドネッキアを見下ろすスキー場ジャフロー。アルプスを貫いてフランスに通じるフレジュストンネルの横をかすめ、スキー場の中腹にあるリゾートホテルを目指す。ホテルの従業員しか通らないような管理用道路で、道は細く、平均勾配は9%を超える。
ゴール地点付近に駐車場を確保出来ないので、登頂する車両の数は厳しく制限された。チームバスや報道陣の車両は、バルドネッキアの街の外れに有るロープウェー乗り場に駐車。そこからロープウェーが標高1928mの白い世界に連れて行ってくれる。大都市トリノからアクセスが良く、しかもレース当日は土曜日。ロープウェーの混雑が予想されたが、悪天候の影響でゴールに向かう観客はまばらだった。
リタイアしたはずのウィギンズが選手たちを待つ photo:Kei Tsuji
ゴール地点には暖かいシャワーが用意される photo:Kei Tsuji
最終コーナーを曲がるヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)とマウロ・サンタンブロジオ(イタリア、ヴィーニファンティーニ) photo:Kei Tsuji
下界で降っていた雨は、雪へと姿を変える。霧に包まれた山道に、静かに雪が降り続く。気温は2度まで下がる。雪なのでそこまで身体が濡れることは無い。
ほとんどの選手たちはレインジャケットに身を包んで、スキー用のような分厚いグローブを装着し、血色の悪い顔でゴールを目指した。4時間以上にわたって全身ずぶ濡れになった上に、真冬の寒さの中にゴール。グルペットから遅れ、180人中180位の25分24秒遅れでゴールしたネイサン・ハース(オーストラリア、ガーミン・シャープ)の苦痛に満ちた表情が忘れられない。
そんな極寒仕様の選手たちとは対照的に、ステージトップスリー(サンタンブロジオ、ニーバリ、ベタンクール)はノーグローブ(素手)。ニーバリに至っては、目映い半袖のマリアローザ&ノーグローブ&ノーアームウォーマーという夏のような出で立ちだった。
ゴール後、喘ぎながらシャワーを目指すネイサン・ハース(オーストラリア、ガーミン・シャープ) photo:Kei Tsuji
第14ステージの終了後、主催者は第15ステージのコース変更を発表した。降雪と低温によって大幅にコースを変更し、フランス国内に限定した短いステージになるのではという噂が出ていたが、ほぼ予定通りのコースで行なわれることに。
スタートから1級山岳モントチェニス(標高2094m)を通ってフランス国境を越え、2級山
テレグラフ峠(標高1566m)を経て1級山岳ガリビエ峠にゴールするレイアウトに変わりは無い。2日前にフランスの地元当局が出した「モンチェニスとガリビエは通行しないように」という勧告を半ば無視した形だ。
主催者はゴール地点を標高2642mの峠頂上から、4.25km手前の標高2301m地点に移動。パンターニのモニュメント前に置くことで折り合いを付けた。「パンターニに捧げるステージ」と銘打っているステージだけに、モニュメント前が案外しっくり来る。ガリビエ峠の頂上付近の最高気温はマイナス3度の予報だ。
真っ白なゴールを目指すジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、モビスター) photo:Kei Tsuji
選手たちもロープウェーで下山します photo:Kei Tsuji
しかししかし、それでもレースが実施可能なのかどうか疑問が残る。あれだけ雪が舞っていた標高1908mの1級山岳ジャフローよりも高い峠で本当にレースが出来るのかどうか。「気象状況によっては更なるコース変更もありうる」という注意書きがひっかかる。
この日、雪で回避したセストリエーレの街に主催者は8チーム分のホテルを用意していた。そのため、ホテルにたどり着けずに立ち往生したチームまで出たという。果たして彼らは無事に下山出来るのか。なお、アックアローネ氏やヴェーニ氏を含め、大会関係者もセストリエーレ泊だ。
text&photo:Kei Tsuji in Bardonecchia, Italy
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雨雲が立ち込めたチェルヴェレのスタート地点では、何やらレースディレクターのマウロ・ヴェーニ氏(総合ディレクターはミケーレ・アックアローネ氏)が大会スタッフやUCIのコミッセールを集めて打ち合わせを行なっている。そのミーティングからしばらくして、代替コースが発表された。
新たなコースは、標高2035mのセストリエーレを回避するもの。トリノ五輪でスキーの会場として使用されたスキーリゾート地を通らず、トリノの近くを通って渓谷沿いに徐々に標高を上げる。距離は12km延長されたが、難易度はずっと下がった。
セストリエーレを回避した理由は降り続く雪による路面状況の悪さと厳しい低温、そして霧による視界の悪さ。主催者側は「選手たちの安全を第一に優先した」としているが、雪が激しく降ればレースそのものの運営に支障が出る。確認している限り、大会オフィシャルカーやチームカーは全てサマータイヤ仕様だ。
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おそらくあらかじめ用意されていた代替コースだったとは言え、コース変更を英断し、しっかりとそれを実行に移すところにイタリアにおける自転車競技の歴史と文化の深さを感じる。新コースにはしっかりと交通規制が敷かれ、レースは安全に滞りなく進んだ。
ゴール地点は、フランス国境すぐ近くのバルドネッキアを見下ろすスキー場ジャフロー。アルプスを貫いてフランスに通じるフレジュストンネルの横をかすめ、スキー場の中腹にあるリゾートホテルを目指す。ホテルの従業員しか通らないような管理用道路で、道は細く、平均勾配は9%を超える。
ゴール地点付近に駐車場を確保出来ないので、登頂する車両の数は厳しく制限された。チームバスや報道陣の車両は、バルドネッキアの街の外れに有るロープウェー乗り場に駐車。そこからロープウェーが標高1928mの白い世界に連れて行ってくれる。大都市トリノからアクセスが良く、しかもレース当日は土曜日。ロープウェーの混雑が予想されたが、悪天候の影響でゴールに向かう観客はまばらだった。
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下界で降っていた雨は、雪へと姿を変える。霧に包まれた山道に、静かに雪が降り続く。気温は2度まで下がる。雪なのでそこまで身体が濡れることは無い。
ほとんどの選手たちはレインジャケットに身を包んで、スキー用のような分厚いグローブを装着し、血色の悪い顔でゴールを目指した。4時間以上にわたって全身ずぶ濡れになった上に、真冬の寒さの中にゴール。グルペットから遅れ、180人中180位の25分24秒遅れでゴールしたネイサン・ハース(オーストラリア、ガーミン・シャープ)の苦痛に満ちた表情が忘れられない。
そんな極寒仕様の選手たちとは対照的に、ステージトップスリー(サンタンブロジオ、ニーバリ、ベタンクール)はノーグローブ(素手)。ニーバリに至っては、目映い半袖のマリアローザ&ノーグローブ&ノーアームウォーマーという夏のような出で立ちだった。
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第14ステージの終了後、主催者は第15ステージのコース変更を発表した。降雪と低温によって大幅にコースを変更し、フランス国内に限定した短いステージになるのではという噂が出ていたが、ほぼ予定通りのコースで行なわれることに。
スタートから1級山岳モントチェニス(標高2094m)を通ってフランス国境を越え、2級山
テレグラフ峠(標高1566m)を経て1級山岳ガリビエ峠にゴールするレイアウトに変わりは無い。2日前にフランスの地元当局が出した「モンチェニスとガリビエは通行しないように」という勧告を半ば無視した形だ。
主催者はゴール地点を標高2642mの峠頂上から、4.25km手前の標高2301m地点に移動。パンターニのモニュメント前に置くことで折り合いを付けた。「パンターニに捧げるステージ」と銘打っているステージだけに、モニュメント前が案外しっくり来る。ガリビエ峠の頂上付近の最高気温はマイナス3度の予報だ。
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しかししかし、それでもレースが実施可能なのかどうか疑問が残る。あれだけ雪が舞っていた標高1908mの1級山岳ジャフローよりも高い峠で本当にレースが出来るのかどうか。「気象状況によっては更なるコース変更もありうる」という注意書きがひっかかる。
この日、雪で回避したセストリエーレの街に主催者は8チーム分のホテルを用意していた。そのため、ホテルにたどり着けずに立ち往生したチームまで出たという。果たして彼らは無事に下山出来るのか。なお、アックアローネ氏やヴェーニ氏を含め、大会関係者もセストリエーレ泊だ。
text&photo:Kei Tsuji in Bardonecchia, Italy
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