2013/05/16(木) - 18:15
タルヴィジオの南にあるカヴェ・デル・プレディルを第11ステージはスタートする。前日の現地レポートでもお伝えした通り、一帯をジロが通過するのは稀。スタート地点に集まった観客の数は驚くほど少なかった。
第11ステージはタルヴィジオのカヴェ・デル・プレディルをスタート photo:Kei Tsuji
駆けつけた娘を抱いて出走サインしたグレガ・ボーレ(スロベニア、ヴァカンソレイユ・DCM) photo:Kei Tsuji
ステージ上で紹介を受けるBMCレーシングチーム photo:Kei Tsuji
カヴェ・デル・プレディルは直訳すると「プレディル採石場」。スタート地点のすぐ横には岩が露出した採石場がある。14世紀に開かれた鉛と亜鉛の鉱山で、1991年に操業を停止。地中深くまで掘り進められたトンネルを含め、現在では博物館として観光客を集めている。
三国の国境が近いため、イタリア語とドイツ語とスロベニア語の地名が入り乱れている。また、大戦中は激しい戦場となり、多くの犠牲者を出したと言う。そんな大戦の記憶と、操業を停止した鉱山と、観客の少なさ。雪の多い山奥ならではの錆び付いた屋根。どこか寂しげな雰囲気の村をジロはスタートした。
レース前半は、標高900mのカヴェ・デル・プレディルから渓谷に沿って緩いダウンヒル。ラジオコルサ(競技無線)は、逃げたい選手のアタックを絶え間なく伝える。レース最初の1時間の平均スピードが53.5km/hだと聞いた時には耳を疑った。
カヴェ・デル・プレディルをスタート後、レーススピードはすぐマックスに photo:Kei Tsuji
この日はドロミテの荒々しい山々を見ながらフリウーリ=ヴェネツィアジュリア州を西に向かう。2014年のジロで復活すると噂のモンテゾンコランの登り口をかすめ、今回のマリアローザ争い最終決戦地トレチーメ・ディ・ラヴァレードのすぐ近くを通って西へ。しかし第11ステージにはそこまで厳しい山岳は登場しない。ドロミテの厳しい山岳は終盤のステージまでお預けだ。
この日のクライマックスは2級山岳に指定されたヴァイオントダムの頂上ゴール。1960年に完成し、1963年に惨事を引き起こしたダムにゴールする。
岩山を繋ぐように作られた高さ262mという迫力有る堤高は、竣工当時世界一だった(現在世界5位)。しかしダム完成直後から一帯では地滑りが多発するようになり、3年後の1963年、つまり今から50年前に、ダム湖を囲む山で大規模な地滑りが発生。大量の土砂(2億4000万m3)がダム湖に流入したことにより、湖の水が押し出されてダムを越え、直下のロンガローネの村を直撃した。第12ステージのスタート地点でもあるロンガローネの村は壊滅状態になり、2000人以上の死者を出したという。
ヴァイオントのゴール地点 50年前に地滑りが発生した際、奥に見える集落まで湖の水が達した photo:Kei Tsuji
地滑りの痕(左)とダムサイト(右) photo:Kei Tsuji
ダムサイトの脇にはいくつもの石碑が並ぶ photo:Kei Tsuji
ヴァイオントダムを横目にゴールを目指す photo:Kei Tsuji
そんなイタリア史上最大規模の惨事を引き起こしたダムは現在もほぼ無傷のまま残っている。しかし貯水はされておらず、放棄された状態。もともとそこが山だったと勘違いしてしまうほどの規模の土砂が、かつてのダム湖には今も積もっている。
優勝したラムナス・ナヴァルダスカス(リトアニア、ガーミン・シャープ)は2006年にUCI(国際自転車競技連合)が運営する最先端の自転車選手養成施設「ワールドサイクリングセンター」の育成プログラムに加わり、かつて別府史之も所属したヴェロクラブ・ラポム・マルセイユを経て2011年からガーミンに所属している。昨年のジロでリトアニア人として初めてマリアローザを着たことは記憶に新しい。
ナヴァルダスカスに先行を許してしまったダニエル・オス(イタリア、BMCレーシングチーム) photo:Kei Tsuji
独走でヴァイオントダムのトンネルを抜けるラムナス・ナヴァルダスカス(リトアニア、ガーミン・シャープ) photo:Kei Tsuji
ヴァイオントダムを見ながらゴールを目指す選手たち photo:Kei Tsuji
ヴァイオントダムに続く手掘りのトンネル photo:Kei Tsuji
現在、UCIの同プログラムには元UCIアジアチャンピオンの木下智裕が日本人として初めて加わり、UCI直轄の多国籍チーム「チームWCC/CMC」ジャージでヨーロッパレースを転戦している。
第12ステージはスプリンター向きの平坦ステージ。天気予報は一日ずっと雨が降ると告げている。確かに朝からずっと雨が降っている。134kmという極端に短いステージだが、ゴール手前にはトレヴィーゾのテクニカルな周回コースも登場する。マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、オメガファーマ・クイックステップ)のキャリア100勝目に期待がかかる。
独走でゴールするラムナス・ナヴァルダスカス(リトアニア、ガーミン・シャープ) photo:Riccardo Scanferla
text&photo:Kei Tsuji in Vajont, Italy
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カヴェ・デル・プレディルは直訳すると「プレディル採石場」。スタート地点のすぐ横には岩が露出した採石場がある。14世紀に開かれた鉛と亜鉛の鉱山で、1991年に操業を停止。地中深くまで掘り進められたトンネルを含め、現在では博物館として観光客を集めている。
三国の国境が近いため、イタリア語とドイツ語とスロベニア語の地名が入り乱れている。また、大戦中は激しい戦場となり、多くの犠牲者を出したと言う。そんな大戦の記憶と、操業を停止した鉱山と、観客の少なさ。雪の多い山奥ならではの錆び付いた屋根。どこか寂しげな雰囲気の村をジロはスタートした。
レース前半は、標高900mのカヴェ・デル・プレディルから渓谷に沿って緩いダウンヒル。ラジオコルサ(競技無線)は、逃げたい選手のアタックを絶え間なく伝える。レース最初の1時間の平均スピードが53.5km/hだと聞いた時には耳を疑った。
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この日はドロミテの荒々しい山々を見ながらフリウーリ=ヴェネツィアジュリア州を西に向かう。2014年のジロで復活すると噂のモンテゾンコランの登り口をかすめ、今回のマリアローザ争い最終決戦地トレチーメ・ディ・ラヴァレードのすぐ近くを通って西へ。しかし第11ステージにはそこまで厳しい山岳は登場しない。ドロミテの厳しい山岳は終盤のステージまでお預けだ。
この日のクライマックスは2級山岳に指定されたヴァイオントダムの頂上ゴール。1960年に完成し、1963年に惨事を引き起こしたダムにゴールする。
岩山を繋ぐように作られた高さ262mという迫力有る堤高は、竣工当時世界一だった(現在世界5位)。しかしダム完成直後から一帯では地滑りが多発するようになり、3年後の1963年、つまり今から50年前に、ダム湖を囲む山で大規模な地滑りが発生。大量の土砂(2億4000万m3)がダム湖に流入したことにより、湖の水が押し出されてダムを越え、直下のロンガローネの村を直撃した。第12ステージのスタート地点でもあるロンガローネの村は壊滅状態になり、2000人以上の死者を出したという。
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そんなイタリア史上最大規模の惨事を引き起こしたダムは現在もほぼ無傷のまま残っている。しかし貯水はされておらず、放棄された状態。もともとそこが山だったと勘違いしてしまうほどの規模の土砂が、かつてのダム湖には今も積もっている。
優勝したラムナス・ナヴァルダスカス(リトアニア、ガーミン・シャープ)は2006年にUCI(国際自転車競技連合)が運営する最先端の自転車選手養成施設「ワールドサイクリングセンター」の育成プログラムに加わり、かつて別府史之も所属したヴェロクラブ・ラポム・マルセイユを経て2011年からガーミンに所属している。昨年のジロでリトアニア人として初めてマリアローザを着たことは記憶に新しい。
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現在、UCIの同プログラムには元UCIアジアチャンピオンの木下智裕が日本人として初めて加わり、UCI直轄の多国籍チーム「チームWCC/CMC」ジャージでヨーロッパレースを転戦している。
第12ステージはスプリンター向きの平坦ステージ。天気予報は一日ずっと雨が降ると告げている。確かに朝からずっと雨が降っている。134kmという極端に短いステージだが、ゴール手前にはトレヴィーゾのテクニカルな周回コースも登場する。マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、オメガファーマ・クイックステップ)のキャリア100勝目に期待がかかる。
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text&photo:Kei Tsuji in Vajont, Italy
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