2019/06/24(月) - 23:00
伝統と革新のブランド、ウィリエール・トリエスティーナが新たなる軽量モデル「Zero SLR」を発表。これから全4編に渡り、北イタリアのロッサーノ・ヴェネトにある本社で開催されたプレゼンテーションの模様や、バイクのインプレッション、選手や開発者へのインタビューを通し「フルインターナル化を果たした初のディスクブレーキ軽量バイク」をクローズアップしていきたい。
2014年のZero.7(ゼロセッテ)、2016年のZero.6(ゼロセーイ)に続く、新たなるウィリエールのフラッグシップモデルがベールを脱ぐ。その名は「Zero SLR」。重量剛性比に着目し、同じ名前を引き継ぐZero.7よりも軽く、Zero.6よりも剛性を強化したクライミングバイクだ。
グランデパール間近のツール・ド・フランスで公式戦デビューを飾るZero SLRのキーワードは、「Nothing will be the same(一つとして同じものは無い)」。ディスクブレーキ化とケーブル類のフルインターナル化を果たした世界初の軽量クライミングバイクであり、徹底的に無駄を削ぎ落とした直線基調のフレームデザインが大きな特徴だ。
ウィリエールは今回の正式発表に先立ち、5月上旬に北イタリア、ロッサーノ・ヴェネトにある本社でインターナショナルプレスミーティングを開催した。ゲストライダーとしてトタル・ディレクトエネルジーのエースを務めるニキ・テルプストラ(オランダ)とリリアン・カルメジャーヌ(フランス)を招き、東アルプス山脈のドロミテ南端という立地を活かしたテストライドや、ウィリエールの生い立ちを辿るヒストリーツアーも実施。Zero SLRへの理解を深めるために、まずは本社内にあるミュージアムの展示に沿って、その伝統と革新の歴史を辿っていきたい。
ブランドの誕生は今から110年以上も前の1906年にまで遡る。グラッパの産地としても知られるバッサーノ・デル・グラッパのブレンタ河岸に創業した自転車工房に端を発し、第一次世界大戦直後にイタリアと家族の幸せを願って“W l’Italia liberata e redenta(イタリアの自由と繁栄よ、永遠に)”と、第二次世界大戦直後には、ユーゴスラビアとの間で帰属を巡り争った街トリエステ・イタリアーナ“Trieste Italiana”を略して組み合わせ、愛国心に満ちた「ウィリエール・トリエスティーナ」というブランド名を確立している。
自転車競技熱が高まる1948年には自チームの新星フィオレンツォ・マーニがジロ・デ・イタリアを制覇したことで名を轟かせ、マーニは続く1949年と1950年のロンド・ファン・フラーンデレンとツール・ド・フランスでも大活躍を見せた。ウィリエールは同時期に南米へと活躍の幅を広げ、プロチームを作り活動したことで一気に定着(伝統的にウィリエールを使う南米チームが多いのはこのためである)。他社に先駆けて国際ブランド化を辿ったのであった。
最盛期には300人の社員を擁していたウィリエールだったものの、1950年代初頭の経済成長とモータリゼーションに伴い経営が圧迫されてしまう。1952年に一度幕引きとなったものの、その17年後の1969年、ジョヴァンニ・ガスタルデッロとその息子たちが商標を取得したことで復活を果たした。
それからウィリエールはバッサーノからほど近いガスタルデッロ家の地元ロッサーノ・ヴェネトに移り、現在まで息づくスポーツバイクを中心とした総合ブランドとして発展を遂げてきたのだ。
革新性に満ちたハイテクノロジーブランドとしての名声を高めたのは1990年代後半からのことだ。伝統的なスタイルにこだわるイタリアの名門"チクリ(自転車工房)"と決別し、スチール、アルミ、そしてカーボンと目まぐるしく変わる素材変遷の波に対応。ブランド初のカーボンモノコックフレーム「K2」のリリース(2001年)でその座を確固たるものとする。
2004年には初の量産テーパードヘッド+インテグレートヘッドセットを採用したImperiale(インペリアーレ)、2005年には初のチューブtoチューブテクノロジーを採用したLe Roi(ルロワ)、そして2006年にはブランド100周年を記念する「Cento(チェント)」、そして美しいデザインをより進化させ三菱製46Tカーボンを採用した2008年のCento 1(チェント ウノ)といった、現在まで語り継がれる名作が立て続けにデビューする。
その後も世界で初めて三菱製60Tカーボンを採用したCento 1 SL(2009年)、世間をあっと言わせた双胴フォーク採用のTTバイクTwin Blade(2011年)、800g切りの当時最軽量レベルに達したZero.7(2011年)、680gという現在でも超一級品の軽さを誇るZero.6(2016年)と意欲的なバイクがリリースされ、アレッサンドロ・バッランによる世界選手権制覇やダミアーノ・クネゴのロンバルディア制覇(2008年)、アレッサンドロ・ペタッキのマイヨヴェール獲得(2010年)など同社の黄金期と呼べる時代を築き上げてきた。
そして、それら名作と称されるバイクには必ず革新的なテクノロジーが採用されてきた。特に軽量モデルのZeroシリーズにはFSAとの共同開発によるBB386EVOや、耐破断性を大幅に向上させるS.E.I.フィルム(Zero.7)、三菱ケミカルの65Tダイアリードカーボンやパイロフィルといった新素材、そしてE.P.S.プロセス製法を巧みに組み合わせた技術(Zero.6)など、積極的に新素材を投入してきた歴史がある。
今回発表されたZero SLRも例外ではなく、新素材の投入によって軽量化と剛性強化が図られたモデルだ。フレーム重量自体は780g(Mサイズ)と680gを誇るZero.6より100gを増しているが、ディスクブレーキに対応したこと、プロ選手からの要望によってZero.6よりも剛性を高め、過去最高の重量剛性比を達成したことがポイント。ウィリエール独自のブレンドによる「HUS-MOD(ハスモッド)カーボン」を軸に、ショック吸収性と耐衝撃性に優れる「液晶ポリマー(LCP/Liquid Crystal Polymer=リキッドクリスタルポリマー)」を組み合わせたことが最たる特徴だ。
次項では、現地で撮影した写真を元にZero SLRの詳細にフォーカスしていく。
ディスクブレーキ化とフルインターナル化を果たした世界初の軽量バイク
2014年のZero.7(ゼロセッテ)、2016年のZero.6(ゼロセーイ)に続く、新たなるウィリエールのフラッグシップモデルがベールを脱ぐ。その名は「Zero SLR」。重量剛性比に着目し、同じ名前を引き継ぐZero.7よりも軽く、Zero.6よりも剛性を強化したクライミングバイクだ。
グランデパール間近のツール・ド・フランスで公式戦デビューを飾るZero SLRのキーワードは、「Nothing will be the same(一つとして同じものは無い)」。ディスクブレーキ化とケーブル類のフルインターナル化を果たした世界初の軽量クライミングバイクであり、徹底的に無駄を削ぎ落とした直線基調のフレームデザインが大きな特徴だ。
ウィリエールは今回の正式発表に先立ち、5月上旬に北イタリア、ロッサーノ・ヴェネトにある本社でインターナショナルプレスミーティングを開催した。ゲストライダーとしてトタル・ディレクトエネルジーのエースを務めるニキ・テルプストラ(オランダ)とリリアン・カルメジャーヌ(フランス)を招き、東アルプス山脈のドロミテ南端という立地を活かしたテストライドや、ウィリエールの生い立ちを辿るヒストリーツアーも実施。Zero SLRへの理解を深めるために、まずは本社内にあるミュージアムの展示に沿って、その伝統と革新の歴史を辿っていきたい。
創業1906年、伝統と革新のウィリエール・トリエスティーナ
ブランドの誕生は今から110年以上も前の1906年にまで遡る。グラッパの産地としても知られるバッサーノ・デル・グラッパのブレンタ河岸に創業した自転車工房に端を発し、第一次世界大戦直後にイタリアと家族の幸せを願って“W l’Italia liberata e redenta(イタリアの自由と繁栄よ、永遠に)”と、第二次世界大戦直後には、ユーゴスラビアとの間で帰属を巡り争った街トリエステ・イタリアーナ“Trieste Italiana”を略して組み合わせ、愛国心に満ちた「ウィリエール・トリエスティーナ」というブランド名を確立している。
自転車競技熱が高まる1948年には自チームの新星フィオレンツォ・マーニがジロ・デ・イタリアを制覇したことで名を轟かせ、マーニは続く1949年と1950年のロンド・ファン・フラーンデレンとツール・ド・フランスでも大活躍を見せた。ウィリエールは同時期に南米へと活躍の幅を広げ、プロチームを作り活動したことで一気に定着(伝統的にウィリエールを使う南米チームが多いのはこのためである)。他社に先駆けて国際ブランド化を辿ったのであった。
最盛期には300人の社員を擁していたウィリエールだったものの、1950年代初頭の経済成長とモータリゼーションに伴い経営が圧迫されてしまう。1952年に一度幕引きとなったものの、その17年後の1969年、ジョヴァンニ・ガスタルデッロとその息子たちが商標を取得したことで復活を果たした。
それからウィリエールはバッサーノからほど近いガスタルデッロ家の地元ロッサーノ・ヴェネトに移り、現在まで息づくスポーツバイクを中心とした総合ブランドとして発展を遂げてきたのだ。
革新性に満ちたハイテクノロジーブランドとしての名声を高めたのは1990年代後半からのことだ。伝統的なスタイルにこだわるイタリアの名門"チクリ(自転車工房)"と決別し、スチール、アルミ、そしてカーボンと目まぐるしく変わる素材変遷の波に対応。ブランド初のカーボンモノコックフレーム「K2」のリリース(2001年)でその座を確固たるものとする。
2004年には初の量産テーパードヘッド+インテグレートヘッドセットを採用したImperiale(インペリアーレ)、2005年には初のチューブtoチューブテクノロジーを採用したLe Roi(ルロワ)、そして2006年にはブランド100周年を記念する「Cento(チェント)」、そして美しいデザインをより進化させ三菱製46Tカーボンを採用した2008年のCento 1(チェント ウノ)といった、現在まで語り継がれる名作が立て続けにデビューする。
その後も世界で初めて三菱製60Tカーボンを採用したCento 1 SL(2009年)、世間をあっと言わせた双胴フォーク採用のTTバイクTwin Blade(2011年)、800g切りの当時最軽量レベルに達したZero.7(2011年)、680gという現在でも超一級品の軽さを誇るZero.6(2016年)と意欲的なバイクがリリースされ、アレッサンドロ・バッランによる世界選手権制覇やダミアーノ・クネゴのロンバルディア制覇(2008年)、アレッサンドロ・ペタッキのマイヨヴェール獲得(2010年)など同社の黄金期と呼べる時代を築き上げてきた。
そして、それら名作と称されるバイクには必ず革新的なテクノロジーが採用されてきた。特に軽量モデルのZeroシリーズにはFSAとの共同開発によるBB386EVOや、耐破断性を大幅に向上させるS.E.I.フィルム(Zero.7)、三菱ケミカルの65Tダイアリードカーボンやパイロフィルといった新素材、そしてE.P.S.プロセス製法を巧みに組み合わせた技術(Zero.6)など、積極的に新素材を投入してきた歴史がある。
今回発表されたZero SLRも例外ではなく、新素材の投入によって軽量化と剛性強化が図られたモデルだ。フレーム重量自体は780g(Mサイズ)と680gを誇るZero.6より100gを増しているが、ディスクブレーキに対応したこと、プロ選手からの要望によってZero.6よりも剛性を高め、過去最高の重量剛性比を達成したことがポイント。ウィリエール独自のブレンドによる「HUS-MOD(ハスモッド)カーボン」を軸に、ショック吸収性と耐衝撃性に優れる「液晶ポリマー(LCP/Liquid Crystal Polymer=リキッドクリスタルポリマー)」を組み合わせたことが最たる特徴だ。
次項では、現地で撮影した写真を元にZero SLRの詳細にフォーカスしていく。
ウィリエール Zero SLRスペック、国内販売価格
サイズ | XS、S、M、L、XL |
カラー | レッド、ブルー、マットブラック |
ヘッドセット | 1"-1/4 - 1"-1/4 |
ヘッドベアリング | FSA MR 137 |
スルーアクスル | マヴィック SPEED RELEASE |
BBシェル | シマノ PRESS FIT(86.5x41) |
対応コンポーネント | 電動式 |
最大タイヤ幅 | 28mm |
フレームセット価格 | 59万円(税別、ZERO INTEGRADEDハンドルバー付属) |
Zero Integratedハンドルバー価格 | 9万円(税別) |
提供:服部産業 text&photo:So.Isobe