2015/09/28(月) - 08:32
江戸時代に整備された、日本のメインストリート「東海道」。その旧道を自転車で旅した。歌川広重の浮世絵に登場するシーンを今に見て、トレースするのも困難な旧道を京都から東京まで5日間で旅した自転車旅の記録。
■旅人 井上大平(いのうえだいへい)さん。株式会社デサント勤務。ルコックスポルティフの企画担当者。自転車レースを愛し、同ブランドのサイクリングウェアを国内でプロデュースしてきた。自身も大のサイクルレースファンで、昨年は市民版のパリ・ルーベチャレンジにも参加し、挑戦記を寄せてくれた。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)とは
江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説もある(略)。(WikiPediaより)
旧東海道五十三次 旅程図
僕は旅に出た。夏休み恒例の旅だ。夏は子供だけのものじゃない。夏は大人にも欠かせないものなのだ!
別に僕の趣味をここで披露して、拍手パチパチしてもらうつもりはない。同じ時期にパリ〜ブレスト〜パリの1,200kmブルベを走っている仲間もいたし、そっちの方がはるかに凄いしなぁ。きっとこの記事なんて無関心にスルーされるだろうな...なんて思ってる。
でも、人それぞれの自転車の楽しみ方があるなかの、ほんの一例を紹介することで、今まで以上に、今までとは違った楽しみ方を発見してくれる人が居たら良いな、と思う。普段は週末だけしか乗れないけど、でもちょっと時間を見つけて、休みを利用して、そうすればもっともっと普段とは違う特別な時間が待っている。普段できないことをやろう! 普段行けないところに行こう! 誰が何と言おうと、自分だけの特別な時間だ。ここでは、僕の場合のそんな特別な時間を紹介させてもらいます。
夏休み! といっても所詮はサラリーマンの夏休み。時間は限られている。金銭的にはもっと限られている。でも、あれもしたい、これもしたい、自転車にも乗りたい、乗った後の美味いビールが飲みたい!そんなこんなを一度にまとめて叶えてくれるものを見つけたんだ。
ー憧れの「東海道五十三次」。それも自転車で旅したら?
本格的にこの街道が整備されたのは江戸時代になってからだけど、少なくともその当時から現在まで、東海道は日本のメインストリートである。しかも、所謂「旧東海道」は、あっちもこっちも歴史の教科書そのもので、日本史マニアとしてはもうたまらん! 例えば、日本橋に刻印されている「日本橋」の文字は誰が書いた字か知っている?
これはね、十五代将軍徳川慶喜の字なんだなぁ。歴史好きとしてはもうそれだけでもゾックゾクして来るもんね。東京〜京都は距離にしておおよそ500km。夏休みはせいぜい5日。限られた時間で、行きたいところ、見たいもの、自転車に乗って、美味いビール! 夏休みの東海道五十三次は、その全てを兼ね備えているではないか! 僕は逆上気味にそのことに気付いてしまったのである。
目標は旧東海道をトレースして走って来ること。東海道=国道1号線ではありません。旧東海道は、今ではもう消滅している箇所があるくらい、間違えずにトレースするのは意外と難しい。失われたものを捜しに行くという行為には、常にロマンがあるのだ。
東京からまずは輪行で京都まで行き、そこから引き返すようにして旧東海道を攻略する。旅程は京都までの移動日を入れて4泊5日。実質的には3泊4日で京都から東京まで走る予定だ。1日の走行距離を計算しておいて、事前にホテルは予約済み。ホテルを予約するポイントは、ランドリー付きであること。荷物はリュックで1個にまとめる。中身はサイクリングウェア1セットと、Tシャツなどの着替えも1セット。シューズはビンディングシューズと未舗装や激坂での徒歩区間も考慮してスニーカーも。それくらいで済むはずだけど、何だかんだで自転車本体よりも重くなってしまった。。
旅程 8月11日〜15日
初日(移動日)京都へ(新幹線で移動)
1日目 京都・三条大橋〜熱田(名古屋)
2日目 熱田〜掛川
3日目 掛川〜三島
4日目 三島〜東京(日本橋)
お盆の時期、日が出れば当然暑くなるし、夕方にはゲリラ豪雨もあり得るので、早朝の涼しいうちから出発する。昔の人も日の出の頃には出発をしていたとか。そんな訳で、まだ人通りのまばらな早朝の京都三条大橋からスタートです。
旧東海道は主にWEBでその現在のルートを検索しておいた。WEBをサーフしてみると、徒歩で旧東海道を何日も掛けて歩いている人が多くてとても参考になります。それと、関連書籍も意外と充実していて、地域によっては地元の観光課などが発行している散策ガイドなんかもある。僕が一番活用したのはこのサイト↓
GPS Cycling.net
このサイト内のデータも少し間違ってはいるけれど、地図を見たり行程をチェックしているだけで街道の情景が脳裏に浮かんできて、いつでもワクワクしてくる。
GPSつきサイクルコンピュータなどのハイテク機器を持ち合わせていない私なので、とにかく宿場の証拠になり得る写真を撮って行く。五十三枚の証拠写真だ。例えばこれ。草津宿の本陣跡です。
本陣とは、各宿場で大名など身分が高い人が宿泊した場所です。東海道で現存する本陣跡はこの草津宿を含めて2箇所だけ。では、こんな目印も残っていない宿場はどうするか?歴史を大事にしている地域では、こんな石碑などを建てている所もあります。
とまあ、これだけだと地図を見て現場に行って写真を撮るだけに思えるでしょうが、でもまさにその地図通りに旧街道を進むのが夢とロマンと勇気に満ち溢れた「旅」なのです!
例えば、滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿峠。今はトンネルの中をビューッと走って行けば2分で山頂部を越えてしまいますが、それをせずに地道に未舗装の旧道を徒歩で進むのです。
滋賀県甲賀市にある49番目の宿場、土山宿は、鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われます。
鬱蒼とした森の山道を抜ける寂しい小路に「こんな所でもし何かあったら、きっと誰も助けてくれないな…。誰にも気付かれずに僕は消えていなくなるのだな…それもまた人生かもしれないな…何だかとっても眠いんだ、パトラッシュ…」そんなことも頭をよぎったりしながら進んでいきます。
静岡にある菊川と金谷の石畳は、自転車を押して行くことさえもできず、担いで上って、そのまま担いで下ります。でもね、かつてはここを徳川家康も赤穂浪士も新撰組も歩いたんだな、と思うと、何だか夢があるな〜って思うんだよね。
そうして、初日は京都三条大橋から宮宿(名古屋・熱田神宮近辺)、2日目は宮宿から掛川宿(静岡県掛川市)と進んで行きました。
3日目、掛川宿から三島宿に向かう途中の難所・薩た峠(さったとうげ)で、見覚えのある人が現れました。シクロワイアード編集長の綾野氏です。僕の一人旅がよほど羨ましかったみいたで、思わず駆け付けてしまったらしい。
薩た峠は旧東海道で一番好きな所です。冬の良く晴れた日なんかは、広重の浮世絵と全く同じ富士山を同じアングルで見ることができるのです。こんな風景を見ながら進んで行くのも、この旅の楽しみの一つです。
旧東海道の道幅は6間(約11m)と決まっていましたが、実際は2間(3.6m)から2間半(4.5m)の所が多かったようです。薩った峠から東、由比宿・蒲原宿には昔ながらの街並みが、昔からの道幅そのままに残っていて、思わず走るペースを落としてしばし往時に思いを馳せてのんびり進みます。
しかし、一歩宿場を抜けると旧道は消滅しかけ、何度も立ち止まって正しい旧道を探します。親切な案内板を見付けると、間違っていなかったことが確認できて何だか安心します。
そうして見つける次の宿場とお決まりの記念撮影。他にも街道沿いでは鎌倉時代以前の合戦の現場に遭遇したりしながら、時折出てくる親切な目印を頼りに東京日本橋を目指して進んで行きます。
三島宿では最後の晩餐。お気に入りの居酒屋で編集長と鋭気を養って、最終日は最難関の箱根越えです。箱根は昔も今も、本当に難所中の難所です。
西から鈴鹿峠、小夜の中山峠、宇津ノ谷峠、薩った峠と越えて来ましたが、箱根は別。本当にキツイ! 三島を出た瞬間からいきなり激坂。そして階段。また激坂。
箱根は自転車で来てはいけないね。峠を上り詰めた頃には、顔がひん曲がるくらいしんどくて、すぐにでもDNF宣言したいくらいでした。箱根はいずれ徒歩で旧道を制覇したいと思います。箱根の関所で簡単な取調べを受けてから先を急ぎます。あっ、取調べというのは嘘です。
さあ、箱根さえ越えてしまえば、ここから先は勝手知ったる神奈川・東京の道です。ここから先の旧東海道は、大半が現在の国道1号線と15号線がそのままトレースするようになっている。でも、ちょいちょい脇に逸れる箇所があってりして、旧道の正確なトレースが目標の僕にとっては油断ならない状況だ。
大磯宿ではJR東海道本線によって旧街道が分断されたために高架下のトンネルを抜けて行きます。戸塚宿でもJR東海道本線の線路と環状2号線を越えるのに2箇所も歩道橋を通らなくてはいけません。それでも旧東海道を残そうとしている自治体の努力に応えるかのように、僕は自転車を担いで進んで行きます。
そろそろ僕の旅もクライマックス。箱根駅伝に出てくる権太坂とは違う、本当の権太坂を通過し、神奈川宿では坂本龍馬の妻だった楢崎龍(お龍)が働いていた料亭・田中屋も通過し、教科書でお馴染み生麦事件の現場をも通過して、我が地元川崎宿から六郷橋を渡って、いよいよ東京です。
「日本橋まで◯◯km」なんて標識を見ると、やっぱり嬉しい! そうして辿り着いた最後の品川宿。
品川宿は江戸から数えて1番目の宿場で、現在の京急・北品川から青物横丁の辺りです。ちなみに、当時の品川はまだ江戸御府内ではありません。品川から少し東に「高輪大木戸跡」が今でもあり、この木戸から東が「江戸」でした。
そうして僕は全ての宿場を正しく通過して江戸御府内に。ほぼ完璧に旧道をトレースしてきたけれど、最後に落とし穴が待っていました。何と銀座8丁目から1丁目までが歩行者天国になっていて、この日は自転車進入禁止に。もちろん歩けば通れるけれど、ここまで来て2kmも歩く元気はないので、一本裏の道を迂回しました。完璧なトレースをゴール手前2kmで砕かれて、ちょっとだけガッカリして苦笑いするしかなかったけれど、僕の夢とロマンと勇気の旅は見事に日本橋でゴールを迎えたのでした。
僕は元々一人旅が好きだ。「一人遊び」って言った方が正確かも。自転車だって、グループライドとかが苦手なんだ。やっぱり一人のマイペースが良い。今回の旅はやろうと思えば誰でもできるけど、諸々の環境的に自由の利かない人にはきっと簡単ではないよね。つまりは、そこが自分だけの特別な時間なんだな。そんな時間が作れる環境に感謝しつつ、これからも人とちょっと違う「一人遊び」をして行きたいと思っている。
[img_assist|nid=178367|title=静岡・三島の居酒屋で一杯やる井上大平さん|desc=|link=node|align=right|width=300|height=]僕の旅がどう思われるか、それはそんなに重要じゃなくて、「いつもと違うことしてみよう!」っていうきっかけにでもなれたら嬉しい。そんな自転車との付き合い方もありだと思う。
まあ、今回は1話簡潔のあっさりした文書になってしまいましたが、来年は五十三話の企画物にしてここに帰って来ようかと企んでいます。
最後に一言。
「森の分かれ道では人が通らぬ道を選ぼう。すべてが変わる」
by R.L.Frost(アメリカの詩人)
またどこかでお会いしましょう。
文:井上大平 写真:綾野 真
■旅人 井上大平(いのうえだいへい)さん。株式会社デサント勤務。ルコックスポルティフの企画担当者。自転車レースを愛し、同ブランドのサイクリングウェアを国内でプロデュースしてきた。自身も大のサイクルレースファンで、昨年は市民版のパリ・ルーベチャレンジにも参加し、挑戦記を寄せてくれた。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)とは
江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説もある(略)。(WikiPediaより)
旧東海道五十三次 旅程図
僕は旅に出た。夏休み恒例の旅だ。夏は子供だけのものじゃない。夏は大人にも欠かせないものなのだ!
別に僕の趣味をここで披露して、拍手パチパチしてもらうつもりはない。同じ時期にパリ〜ブレスト〜パリの1,200kmブルベを走っている仲間もいたし、そっちの方がはるかに凄いしなぁ。きっとこの記事なんて無関心にスルーされるだろうな...なんて思ってる。
でも、人それぞれの自転車の楽しみ方があるなかの、ほんの一例を紹介することで、今まで以上に、今までとは違った楽しみ方を発見してくれる人が居たら良いな、と思う。普段は週末だけしか乗れないけど、でもちょっと時間を見つけて、休みを利用して、そうすればもっともっと普段とは違う特別な時間が待っている。普段できないことをやろう! 普段行けないところに行こう! 誰が何と言おうと、自分だけの特別な時間だ。ここでは、僕の場合のそんな特別な時間を紹介させてもらいます。
夏休み! といっても所詮はサラリーマンの夏休み。時間は限られている。金銭的にはもっと限られている。でも、あれもしたい、これもしたい、自転車にも乗りたい、乗った後の美味いビールが飲みたい!そんなこんなを一度にまとめて叶えてくれるものを見つけたんだ。
ー憧れの「東海道五十三次」。それも自転車で旅したら?
本格的にこの街道が整備されたのは江戸時代になってからだけど、少なくともその当時から現在まで、東海道は日本のメインストリートである。しかも、所謂「旧東海道」は、あっちもこっちも歴史の教科書そのもので、日本史マニアとしてはもうたまらん! 例えば、日本橋に刻印されている「日本橋」の文字は誰が書いた字か知っている?
これはね、十五代将軍徳川慶喜の字なんだなぁ。歴史好きとしてはもうそれだけでもゾックゾクして来るもんね。東京〜京都は距離にしておおよそ500km。夏休みはせいぜい5日。限られた時間で、行きたいところ、見たいもの、自転車に乗って、美味いビール! 夏休みの東海道五十三次は、その全てを兼ね備えているではないか! 僕は逆上気味にそのことに気付いてしまったのである。
目標は旧東海道をトレースして走って来ること。東海道=国道1号線ではありません。旧東海道は、今ではもう消滅している箇所があるくらい、間違えずにトレースするのは意外と難しい。失われたものを捜しに行くという行為には、常にロマンがあるのだ。
東京からまずは輪行で京都まで行き、そこから引き返すようにして旧東海道を攻略する。旅程は京都までの移動日を入れて4泊5日。実質的には3泊4日で京都から東京まで走る予定だ。1日の走行距離を計算しておいて、事前にホテルは予約済み。ホテルを予約するポイントは、ランドリー付きであること。荷物はリュックで1個にまとめる。中身はサイクリングウェア1セットと、Tシャツなどの着替えも1セット。シューズはビンディングシューズと未舗装や激坂での徒歩区間も考慮してスニーカーも。それくらいで済むはずだけど、何だかんだで自転車本体よりも重くなってしまった。。
旅程 8月11日〜15日
初日(移動日)京都へ(新幹線で移動)
1日目 京都・三条大橋〜熱田(名古屋)
2日目 熱田〜掛川
3日目 掛川〜三島
4日目 三島〜東京(日本橋)
お盆の時期、日が出れば当然暑くなるし、夕方にはゲリラ豪雨もあり得るので、早朝の涼しいうちから出発する。昔の人も日の出の頃には出発をしていたとか。そんな訳で、まだ人通りのまばらな早朝の京都三条大橋からスタートです。
旧東海道は主にWEBでその現在のルートを検索しておいた。WEBをサーフしてみると、徒歩で旧東海道を何日も掛けて歩いている人が多くてとても参考になります。それと、関連書籍も意外と充実していて、地域によっては地元の観光課などが発行している散策ガイドなんかもある。僕が一番活用したのはこのサイト↓
GPS Cycling.net
このサイト内のデータも少し間違ってはいるけれど、地図を見たり行程をチェックしているだけで街道の情景が脳裏に浮かんできて、いつでもワクワクしてくる。
GPSつきサイクルコンピュータなどのハイテク機器を持ち合わせていない私なので、とにかく宿場の証拠になり得る写真を撮って行く。五十三枚の証拠写真だ。例えばこれ。草津宿の本陣跡です。
本陣とは、各宿場で大名など身分が高い人が宿泊した場所です。東海道で現存する本陣跡はこの草津宿を含めて2箇所だけ。では、こんな目印も残っていない宿場はどうするか?歴史を大事にしている地域では、こんな石碑などを建てている所もあります。
とまあ、これだけだと地図を見て現場に行って写真を撮るだけに思えるでしょうが、でもまさにその地図通りに旧街道を進むのが夢とロマンと勇気に満ち溢れた「旅」なのです!
例えば、滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿峠。今はトンネルの中をビューッと走って行けば2分で山頂部を越えてしまいますが、それをせずに地道に未舗装の旧道を徒歩で進むのです。
滋賀県甲賀市にある49番目の宿場、土山宿は、鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われます。
鬱蒼とした森の山道を抜ける寂しい小路に「こんな所でもし何かあったら、きっと誰も助けてくれないな…。誰にも気付かれずに僕は消えていなくなるのだな…それもまた人生かもしれないな…何だかとっても眠いんだ、パトラッシュ…」そんなことも頭をよぎったりしながら進んでいきます。
静岡にある菊川と金谷の石畳は、自転車を押して行くことさえもできず、担いで上って、そのまま担いで下ります。でもね、かつてはここを徳川家康も赤穂浪士も新撰組も歩いたんだな、と思うと、何だか夢があるな〜って思うんだよね。
そうして、初日は京都三条大橋から宮宿(名古屋・熱田神宮近辺)、2日目は宮宿から掛川宿(静岡県掛川市)と進んで行きました。
3日目、掛川宿から三島宿に向かう途中の難所・薩た峠(さったとうげ)で、見覚えのある人が現れました。シクロワイアード編集長の綾野氏です。僕の一人旅がよほど羨ましかったみいたで、思わず駆け付けてしまったらしい。
薩た峠は旧東海道で一番好きな所です。冬の良く晴れた日なんかは、広重の浮世絵と全く同じ富士山を同じアングルで見ることができるのです。こんな風景を見ながら進んで行くのも、この旅の楽しみの一つです。
旧東海道の道幅は6間(約11m)と決まっていましたが、実際は2間(3.6m)から2間半(4.5m)の所が多かったようです。薩った峠から東、由比宿・蒲原宿には昔ながらの街並みが、昔からの道幅そのままに残っていて、思わず走るペースを落としてしばし往時に思いを馳せてのんびり進みます。
しかし、一歩宿場を抜けると旧道は消滅しかけ、何度も立ち止まって正しい旧道を探します。親切な案内板を見付けると、間違っていなかったことが確認できて何だか安心します。
そうして見つける次の宿場とお決まりの記念撮影。他にも街道沿いでは鎌倉時代以前の合戦の現場に遭遇したりしながら、時折出てくる親切な目印を頼りに東京日本橋を目指して進んで行きます。
三島宿では最後の晩餐。お気に入りの居酒屋で編集長と鋭気を養って、最終日は最難関の箱根越えです。箱根は昔も今も、本当に難所中の難所です。
西から鈴鹿峠、小夜の中山峠、宇津ノ谷峠、薩った峠と越えて来ましたが、箱根は別。本当にキツイ! 三島を出た瞬間からいきなり激坂。そして階段。また激坂。
箱根は自転車で来てはいけないね。峠を上り詰めた頃には、顔がひん曲がるくらいしんどくて、すぐにでもDNF宣言したいくらいでした。箱根はいずれ徒歩で旧道を制覇したいと思います。箱根の関所で簡単な取調べを受けてから先を急ぎます。あっ、取調べというのは嘘です。
さあ、箱根さえ越えてしまえば、ここから先は勝手知ったる神奈川・東京の道です。ここから先の旧東海道は、大半が現在の国道1号線と15号線がそのままトレースするようになっている。でも、ちょいちょい脇に逸れる箇所があってりして、旧道の正確なトレースが目標の僕にとっては油断ならない状況だ。
大磯宿ではJR東海道本線によって旧街道が分断されたために高架下のトンネルを抜けて行きます。戸塚宿でもJR東海道本線の線路と環状2号線を越えるのに2箇所も歩道橋を通らなくてはいけません。それでも旧東海道を残そうとしている自治体の努力に応えるかのように、僕は自転車を担いで進んで行きます。
そろそろ僕の旅もクライマックス。箱根駅伝に出てくる権太坂とは違う、本当の権太坂を通過し、神奈川宿では坂本龍馬の妻だった楢崎龍(お龍)が働いていた料亭・田中屋も通過し、教科書でお馴染み生麦事件の現場をも通過して、我が地元川崎宿から六郷橋を渡って、いよいよ東京です。
「日本橋まで◯◯km」なんて標識を見ると、やっぱり嬉しい! そうして辿り着いた最後の品川宿。
品川宿は江戸から数えて1番目の宿場で、現在の京急・北品川から青物横丁の辺りです。ちなみに、当時の品川はまだ江戸御府内ではありません。品川から少し東に「高輪大木戸跡」が今でもあり、この木戸から東が「江戸」でした。
そうして僕は全ての宿場を正しく通過して江戸御府内に。ほぼ完璧に旧道をトレースしてきたけれど、最後に落とし穴が待っていました。何と銀座8丁目から1丁目までが歩行者天国になっていて、この日は自転車進入禁止に。もちろん歩けば通れるけれど、ここまで来て2kmも歩く元気はないので、一本裏の道を迂回しました。完璧なトレースをゴール手前2kmで砕かれて、ちょっとだけガッカリして苦笑いするしかなかったけれど、僕の夢とロマンと勇気の旅は見事に日本橋でゴールを迎えたのでした。
僕は元々一人旅が好きだ。「一人遊び」って言った方が正確かも。自転車だって、グループライドとかが苦手なんだ。やっぱり一人のマイペースが良い。今回の旅はやろうと思えば誰でもできるけど、諸々の環境的に自由の利かない人にはきっと簡単ではないよね。つまりは、そこが自分だけの特別な時間なんだな。そんな時間が作れる環境に感謝しつつ、これからも人とちょっと違う「一人遊び」をして行きたいと思っている。
[img_assist|nid=178367|title=静岡・三島の居酒屋で一杯やる井上大平さん|desc=|link=node|align=right|width=300|height=]僕の旅がどう思われるか、それはそんなに重要じゃなくて、「いつもと違うことしてみよう!」っていうきっかけにでもなれたら嬉しい。そんな自転車との付き合い方もありだと思う。
まあ、今回は1話簡潔のあっさりした文書になってしまいましたが、来年は五十三話の企画物にしてここに帰って来ようかと企んでいます。
最後に一言。
「森の分かれ道では人が通らぬ道を選ぼう。すべてが変わる」
by R.L.Frost(アメリカの詩人)
またどこかでお会いしましょう。
文:井上大平 写真:綾野 真
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