2015/06/04(木) - 09:02
ゴールデンウィークの最終盤、5月9日に開催された国内でも屈指の人気を誇る山岳ロングライド「グランフォンド軽井沢」の1日目。イベント前日に突如、取材同行が決まった”ヘタレ編集部員"ことフジワラが参加したハーフコースのレポートをお届けします。
編集部の若手で参加した大磯クリテリウムのピュアビギナークラスで惨敗した私ことヘタレ藤原。実はこの惨敗レースの後に茨城シクロクロスに参加などして(結果は後ろから数えたほうが早いが)、来たるロングライドイベント実走取材に向けて体力をつけていたのだ。
その実力の片鱗を証明するためにGW初日に”第7回宇都宮サイクルピクニック”の取材に初めて単独で挑み、全ての取材をソツなくこなしてみたけれど、そんな頑張りも認められる事は無く、グランフォンド軽井沢の取材メンバー入りすることはできなかった。
昨年のグランフォンドコースにはコテンパンにやられただけあってリベンジしたいという気持ちは強くあったが、どうやらその時のイメージが良くなかったらしい。これがイベント1週間前。
GWも明けて全員が編集部に揃った5月8日。軽井沢取材メンバーでもある隣席のヤスオカ先輩が妙に咳き込んでいる。聞けば、GW期間中に事前調査と称して遊びに軽井沢へ行っていた際に風邪をひいてしまったのだという。
グランフォンド軽井沢の前日というタイミングでの風邪は、ヒマさえあれば朝から晩まで僕を茶化し小馬鹿にしてくるヤスオカ先輩にバチが当たったとしか考えられない。僕がGW期間中も休むことなく編集部で勤勉に仕事をしていたことを神様は見ていたのだろう。
自己の体調管理もままならないダメな先輩のおかげもあり、僕にグランフォンド軽井沢の取材に行くチャンスが巡ってきたのだ。確かに僕の取材班入りがヤスオカ先輩が体調不良というハプニングのおかげではあったが、いつ取材班に抜擢されても対応できるようにカメラの充電、メモリーの確認をしていたため、焦ること無く準備に取り掛かれるのだ。日頃の行いが良いからこそチャンスが舞い込んできたのだ。
そんなこんなで、ヤスオカ先輩の代わりに僕がハイエースに乗り込み軽井沢へと向かう。道中、取材の打ち合わせを始める。グランフォンドコースの取材を任されていたヤスオカ先輩の代打であるから、当然グランフォンドコースの実走取材を任されるに違いない。そう思っていたところに編集長のヒトコトが突き刺さる。「どうせ君は完走するだけで精一杯で、取材どころじゃないでしょ?」
正直返す言葉がない。編集長とヤマモト先輩という取材メンバーの中では最も脚力がないのが僕なのである。「だから今日はハーフの取材して、そのまま帰りなよ」。
結局、僕はグランフォンド軽井沢にリベンジすることができなかった。さらに、僕が担当するハーフコースの写真の撮れ高を心配した編集長はヤマモト先輩を同行させると言う。どうやら冬のイベントでのごまかし(ミス写真をすべて消して打率を高く見せる作戦)はバレていたようだ。
ちなみにハーフはグランフォンドのコースを2分割し、その前半を走るというもの。半分と言っておきながら約46km、獲得標高約1,140mという山岳グランフォンドを存分に堪能できるコースとなっている。
昨年、僕を苦しめた「白糸ドライブウェイ」の登りはカットされ、ロマンチック街道で最初の峠を越えるという設定だから、難易度は下がっているはずだ。
僕に与えられたミッションはハーフの部、特にチームスバルに張り付いて取材すること。自転車界で知らない人は少ないのではという有名人を先頭に出発するチームスバルを見送った後すぐに、僕ら取材班は飛び出していく。ロマンチック街道までは中山道をひたすら中軽井沢まで突き進んでいくため、参加者全員が快速で飛ばしていく。
軽井沢らしい異国情緒ただよう街中を抜けていくと、すぐにロマンチック街道の上りが始まる。白糸ドライブウェイ以下の辛さだろうと予想していたのは大ハズレだった。じわじわと登っていく道はジャブを何発も当ててくるかのように容赦なく足を削っていく。
足がいっぱいいっぱいになり、休憩をしたいと思っていると、前を走っていたチームスバルのリーダーの1人、宮澤崇史さんのチームが後続の仲間を待つためにストップしている。元プロ選手の有名人を撮り逃す訳にはいかない。写真撮影と称しながらの休憩タイム。細かくストップする宮澤さんグループに張り付き、足が既にキツイことをごまかしながら、前進していく。
グランフォンドコースでなくて良かったのかも、と弱気を感じはじめたころ、チームスバルのために用意されたスペシャルエイドステーションが現れた。取材者ということをいいことに転がり込む。振る舞われていたのは軽井沢の星野リゾートにも出店しているSAWAMURAの菓子パンだ。スペシャルな雰囲気漂う補給食を食べ、回復に努める。
チームスバルに参加しているライダー達はタイムキーピングしてくれるチームリーダーもいることや、半分の行程をクリアしているからか、ゆっくり休んでいる。さて、コースに戻ると浅間ハイランドパークからは避暑地らしい雑木林を約10km駆け抜けるため、自然と気分が高揚してくる。チームスバルのグループで一番快速だったトレインについていくと、気持ちいいワインディングが次々とあらわれ、列車はスピードを上げて突き進んでいく。
「ん?この辺りは見覚えがないけど、まぁいいか。」と思ったのが運の尽きだった。軽井沢ならではの雰囲気ある別荘に生い茂った新緑が映える県道235号線に息を吹き返した僕。先輩にいいところを見せようと、参加者の皆さんを後ろに従え先頭を走っていたら、そのままコースをミスしてしまったのだ。なんということか。加えて、ゲストの1人である平野由香里さんまでいるとは…。
一度立ち止まって、スマートフォンの地図アプリで見てみると、どうやら本来左折すべき所を直進してしまい、5kmほど本来のコースから逸れてしまったらしい。
「ロストのおかげで走行距離が増えましたね!」という平野さんの励ましに助けられた一方、ヤマモト先輩は白い目でこちらを見てくる。穴があったら入りたいとは正にこのこと。と嘆いていても仕方ないので、来た道を戻ることに。
ただ、スピードが出ていたことからこの5kmで相当に下っていたはず。ということは登り返すということ。メーターを見ていると、5kmで150~200mほど登ることに。無い脚をさらに酷使してしまった今の僕には、ただただキツい。それでも一緒に迷子になったグループが賑やかで、「あっ、あのヘタレさんですよね?」と会話が途切れなかったことが救いである。記事のネタにもなったから大目にみてください、先輩がた!
無事にコースに復帰したのも束の間、最大の難所であるバラキ湖へのアプローチが始まる。ここも昨年苦しめられたポイントではあるが、またしても集団から早々に千切れてしまった僕は1人で「黙々と我慢して登るしか無い!」と覚悟する。
昨年と同じような場所で先輩から千切れてしまった僕は参加者からも遅れ、単独走行を強いられることに。これでは写真が撮れない。こうなることを見越して編集長は僕をハーフ担当にして、さらにヤマモト先輩を同行させたのだと知る。1人肩を落として長いヒルクライムが始まってしまう。
が、湧き水ポイント「干俣の清水」でヤマモト先輩が1人待っていてくれていたのだ。その優しさに心を暖めながら、火照った体を湧き水でクールダウンさせ、ボトルを満タンにしてから再スタートを切る。が、優しいはずのヤマモト先輩の背中はあっという間に消えてしまった...。
延々と続くようなつづら折りをこなし、バラキ湖畔に到達しても、まだきつい登りがあることを僕は知っている。覚悟を決めてペダルを踏みしめるもきつい坂道には変わらず、容赦なく僕の足を削ってくる。インナーローにしてもなお足が回らず、蛇行しながら壁へと挑む。
年に1度の達成感を心に、自然を目に焼き付けた後、ゴールラインを切る。僕には十分すぎるコースを走りきって満足感もひとしおだ。グランフォンドコースを走りきれてしまう剛脚ライダー達は物足りなさを感じるだろうけど、ヘタレであるとかビギナーの方には十分ではないか、なんて思ってしまう。
ゴール後は大会が用意したバスで軽井沢まで帰ることができるというから、復路の心配も無く挑戦できるはず。バスの発車までまだ時間があったので、僕たち取材班はチームスバルのBBQにお邪魔して、取材と称してお肉を頂いてしまい、なんとも豪華な時を過ごした。
「ハーフコースは至れり尽くせりだな。帰りはアウトレットに寄って帰ろう」なんて思いながら、迎えに来たバスに乗り込もうとすると、ヤマモト先輩がおもむろに「フジワラ君!そのバスは参加者さんのためのバスだよ? 僕らは自走で軽井沢まで戻りだよ! 取材で来てるんだから当たり前じゃないか!」と言い出す。
「っえ!?」と裏返った声で答えてしまう僕。参加者からは失笑を受けてしまい、僕はその場から消えてなくなりたくなる。いまさら「一般参加者のフリしてこっそり乗っちゃいましょうよ」なんてとても言えず、僕ら取材班の復路は自走に。
15時半ごろに東海大学研修センターを出て、辺りが暗くなりはじめてきた17時半ごろに軽井沢プリンススキー場に到着し、この日の獲得標高は往復で2,000m超え!
「やっぱり僕にはグランフォンドの取材は厳しかったのかな」とCWジャージを涙で濡らしつつ、新幹線で東京に「送還」されたのでした。
text:Gakuto"ヘタレ"Fujiwara
編集部の若手で参加した大磯クリテリウムのピュアビギナークラスで惨敗した私ことヘタレ藤原。実はこの惨敗レースの後に茨城シクロクロスに参加などして(結果は後ろから数えたほうが早いが)、来たるロングライドイベント実走取材に向けて体力をつけていたのだ。
その実力の片鱗を証明するためにGW初日に”第7回宇都宮サイクルピクニック”の取材に初めて単独で挑み、全ての取材をソツなくこなしてみたけれど、そんな頑張りも認められる事は無く、グランフォンド軽井沢の取材メンバー入りすることはできなかった。
昨年のグランフォンドコースにはコテンパンにやられただけあってリベンジしたいという気持ちは強くあったが、どうやらその時のイメージが良くなかったらしい。これがイベント1週間前。
GWも明けて全員が編集部に揃った5月8日。軽井沢取材メンバーでもある隣席のヤスオカ先輩が妙に咳き込んでいる。聞けば、GW期間中に事前調査と称して遊びに軽井沢へ行っていた際に風邪をひいてしまったのだという。
グランフォンド軽井沢の前日というタイミングでの風邪は、ヒマさえあれば朝から晩まで僕を茶化し小馬鹿にしてくるヤスオカ先輩にバチが当たったとしか考えられない。僕がGW期間中も休むことなく編集部で勤勉に仕事をしていたことを神様は見ていたのだろう。
自己の体調管理もままならないダメな先輩のおかげもあり、僕にグランフォンド軽井沢の取材に行くチャンスが巡ってきたのだ。確かに僕の取材班入りがヤスオカ先輩が体調不良というハプニングのおかげではあったが、いつ取材班に抜擢されても対応できるようにカメラの充電、メモリーの確認をしていたため、焦ること無く準備に取り掛かれるのだ。日頃の行いが良いからこそチャンスが舞い込んできたのだ。
そんなこんなで、ヤスオカ先輩の代わりに僕がハイエースに乗り込み軽井沢へと向かう。道中、取材の打ち合わせを始める。グランフォンドコースの取材を任されていたヤスオカ先輩の代打であるから、当然グランフォンドコースの実走取材を任されるに違いない。そう思っていたところに編集長のヒトコトが突き刺さる。「どうせ君は完走するだけで精一杯で、取材どころじゃないでしょ?」
正直返す言葉がない。編集長とヤマモト先輩という取材メンバーの中では最も脚力がないのが僕なのである。「だから今日はハーフの取材して、そのまま帰りなよ」。
結局、僕はグランフォンド軽井沢にリベンジすることができなかった。さらに、僕が担当するハーフコースの写真の撮れ高を心配した編集長はヤマモト先輩を同行させると言う。どうやら冬のイベントでのごまかし(ミス写真をすべて消して打率を高く見せる作戦)はバレていたようだ。
ちなみにハーフはグランフォンドのコースを2分割し、その前半を走るというもの。半分と言っておきながら約46km、獲得標高約1,140mという山岳グランフォンドを存分に堪能できるコースとなっている。
昨年、僕を苦しめた「白糸ドライブウェイ」の登りはカットされ、ロマンチック街道で最初の峠を越えるという設定だから、難易度は下がっているはずだ。
僕に与えられたミッションはハーフの部、特にチームスバルに張り付いて取材すること。自転車界で知らない人は少ないのではという有名人を先頭に出発するチームスバルを見送った後すぐに、僕ら取材班は飛び出していく。ロマンチック街道までは中山道をひたすら中軽井沢まで突き進んでいくため、参加者全員が快速で飛ばしていく。
軽井沢らしい異国情緒ただよう街中を抜けていくと、すぐにロマンチック街道の上りが始まる。白糸ドライブウェイ以下の辛さだろうと予想していたのは大ハズレだった。じわじわと登っていく道はジャブを何発も当ててくるかのように容赦なく足を削っていく。
足がいっぱいいっぱいになり、休憩をしたいと思っていると、前を走っていたチームスバルのリーダーの1人、宮澤崇史さんのチームが後続の仲間を待つためにストップしている。元プロ選手の有名人を撮り逃す訳にはいかない。写真撮影と称しながらの休憩タイム。細かくストップする宮澤さんグループに張り付き、足が既にキツイことをごまかしながら、前進していく。
グランフォンドコースでなくて良かったのかも、と弱気を感じはじめたころ、チームスバルのために用意されたスペシャルエイドステーションが現れた。取材者ということをいいことに転がり込む。振る舞われていたのは軽井沢の星野リゾートにも出店しているSAWAMURAの菓子パンだ。スペシャルな雰囲気漂う補給食を食べ、回復に努める。
チームスバルに参加しているライダー達はタイムキーピングしてくれるチームリーダーもいることや、半分の行程をクリアしているからか、ゆっくり休んでいる。さて、コースに戻ると浅間ハイランドパークからは避暑地らしい雑木林を約10km駆け抜けるため、自然と気分が高揚してくる。チームスバルのグループで一番快速だったトレインについていくと、気持ちいいワインディングが次々とあらわれ、列車はスピードを上げて突き進んでいく。
「ん?この辺りは見覚えがないけど、まぁいいか。」と思ったのが運の尽きだった。軽井沢ならではの雰囲気ある別荘に生い茂った新緑が映える県道235号線に息を吹き返した僕。先輩にいいところを見せようと、参加者の皆さんを後ろに従え先頭を走っていたら、そのままコースをミスしてしまったのだ。なんということか。加えて、ゲストの1人である平野由香里さんまでいるとは…。
一度立ち止まって、スマートフォンの地図アプリで見てみると、どうやら本来左折すべき所を直進してしまい、5kmほど本来のコースから逸れてしまったらしい。
「ロストのおかげで走行距離が増えましたね!」という平野さんの励ましに助けられた一方、ヤマモト先輩は白い目でこちらを見てくる。穴があったら入りたいとは正にこのこと。と嘆いていても仕方ないので、来た道を戻ることに。
ただ、スピードが出ていたことからこの5kmで相当に下っていたはず。ということは登り返すということ。メーターを見ていると、5kmで150~200mほど登ることに。無い脚をさらに酷使してしまった今の僕には、ただただキツい。それでも一緒に迷子になったグループが賑やかで、「あっ、あのヘタレさんですよね?」と会話が途切れなかったことが救いである。記事のネタにもなったから大目にみてください、先輩がた!
無事にコースに復帰したのも束の間、最大の難所であるバラキ湖へのアプローチが始まる。ここも昨年苦しめられたポイントではあるが、またしても集団から早々に千切れてしまった僕は1人で「黙々と我慢して登るしか無い!」と覚悟する。
昨年と同じような場所で先輩から千切れてしまった僕は参加者からも遅れ、単独走行を強いられることに。これでは写真が撮れない。こうなることを見越して編集長は僕をハーフ担当にして、さらにヤマモト先輩を同行させたのだと知る。1人肩を落として長いヒルクライムが始まってしまう。
が、湧き水ポイント「干俣の清水」でヤマモト先輩が1人待っていてくれていたのだ。その優しさに心を暖めながら、火照った体を湧き水でクールダウンさせ、ボトルを満タンにしてから再スタートを切る。が、優しいはずのヤマモト先輩の背中はあっという間に消えてしまった...。
延々と続くようなつづら折りをこなし、バラキ湖畔に到達しても、まだきつい登りがあることを僕は知っている。覚悟を決めてペダルを踏みしめるもきつい坂道には変わらず、容赦なく僕の足を削ってくる。インナーローにしてもなお足が回らず、蛇行しながら壁へと挑む。
年に1度の達成感を心に、自然を目に焼き付けた後、ゴールラインを切る。僕には十分すぎるコースを走りきって満足感もひとしおだ。グランフォンドコースを走りきれてしまう剛脚ライダー達は物足りなさを感じるだろうけど、ヘタレであるとかビギナーの方には十分ではないか、なんて思ってしまう。
ゴール後は大会が用意したバスで軽井沢まで帰ることができるというから、復路の心配も無く挑戦できるはず。バスの発車までまだ時間があったので、僕たち取材班はチームスバルのBBQにお邪魔して、取材と称してお肉を頂いてしまい、なんとも豪華な時を過ごした。
「ハーフコースは至れり尽くせりだな。帰りはアウトレットに寄って帰ろう」なんて思いながら、迎えに来たバスに乗り込もうとすると、ヤマモト先輩がおもむろに「フジワラ君!そのバスは参加者さんのためのバスだよ? 僕らは自走で軽井沢まで戻りだよ! 取材で来てるんだから当たり前じゃないか!」と言い出す。
「っえ!?」と裏返った声で答えてしまう僕。参加者からは失笑を受けてしまい、僕はその場から消えてなくなりたくなる。いまさら「一般参加者のフリしてこっそり乗っちゃいましょうよ」なんてとても言えず、僕ら取材班の復路は自走に。
15時半ごろに東海大学研修センターを出て、辺りが暗くなりはじめてきた17時半ごろに軽井沢プリンススキー場に到着し、この日の獲得標高は往復で2,000m超え!
「やっぱり僕にはグランフォンドの取材は厳しかったのかな」とCWジャージを涙で濡らしつつ、新幹線で東京に「送還」されたのでした。
text:Gakuto"ヘタレ"Fujiwara
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