2012/07/02(月) - 18:05
いよいよツールが始まる。昨日のプロローグのスタートに近い広場に続々と選手たちが集まってくる。
リエージュ開催のオーガナイズの手慣れた感はすでに書いたが、やはりツール・ド・フランスの他にもリエージュ~バストーニュ~リエージを毎年ホストしているため、リエージュっ子にはレースが日常のものになっている。
だから、いつものグランデパール開催地で感じるお祭り感のようなものはまったくない。それはちょっと残念だ。
少し離れたところにチームバスの駐車場があるが、スタートサインを行う広場よりもこちらに観客たちが多く集まるのもベルギー流だ。目的はもちろんサインをゲットすること。選手と一緒のツーショット写真を撮ること。
デモに利用されたスタートセレモニー
12時に市内のスタートが切られるが、数キロ離れたサン・ランベール広場へと向かう。チームプレゼンテーションが行われたこの広場の前でスタートセレモニーが行われるのだ。選手たちと接触できないこちらには観客少なめだ。そのあたりもさすがベルギー。
総合ディレクター、クリスティアン・プリュドム氏の赤いクルマに率いられ、選手たちが到着。一度停まって、テープカットの儀式だ。
マイヨジョーヌのカンチェラーラ、ブランのヴァンガーデレンが前列に並ぶが、繰り上げマイヨ・ヴェール(持ち主はカンチェラーラ)を着るウィギンズは前に出てこず、隠れている。
ツールのスタートセレモニーは特別な年でなければあまり趣向が凝らされないもの。まして手慣れたリエージュだけに、あっさり終了。と思っていたら、脇からメッセージ入りの横断幕を持った「労働者たち」がぞろぞろ出てきた。
「MITTAL LOVES MONEY」の横断幕。オランダの世界最大の鉄鋼メーカー、ミッタル社への抗議だということ。メディアに向けたアピールを終えると彼らは静かに引き下がった。
一気に熱が冷めた空気の中、ツールは走りだす。プリュドム氏がディレクターカーのルーフからスタートの合図の旗を振ると、沿道から労働者の作業衣が氏めがけて投げ込まれた。選手たちは困惑の表情を浮かべながら走りだす。
ツールだけでなく自転車レースは今まで何度もレース中にこうしたデモに利用されてきた。TVやメディアにメッセージを発信することが容易だからだ。通常、デモを載せることが目的を手伝うことになるのでメディアは無視するもの。しかしこれを許したのはツールの失態だ。
それまで妙に厳しかった警備員の態度も納得。このデモの登場は事前に交渉済みだったようだ。他でもないスタートセレモニーがこうしたかたちで利用されたことがあっただろうか? なんともやるせない気分のグランデパールとなってしまった。
踏切ストップ 手を振るユキヤ
25kmほど走った街では踏切ストップ事件発生。集団の前を行く随行車両がまず引っかかり、大渋滞。その踏切は一度上がって事なきを得たかに思えたが、逃げ集団の選手たちが到着する寸前で2度めの遮断機が降りた。電車まちをして再び走りだす逃げグループ。
後方メイン集団はリラックスして走っている。新城幸也(ユーロップカー)がこちらに気づいて手を振って合図する。さて、今年は何度ユキヤに手を振られることになるでしょうか。
スタートして30kmあまりでスパ・フランコルシャンプサーキットの脇を通り過ぎる。2006年ジロ・デ・イタリアがここを訪れた時、集団はサーキットの中を走ったが(サーキットは一般道とつながっているので走り抜けることができる)、今回は脇道を通過するだけだったのは残念。
保養地スパに近いこの一帯は、道の舗装状態が悪く、オイリーな表面で滑りやすい。2010年ツールでアンディ・シュレクらを含む多くの選手が転倒し、選手が自主ニュートラルを主張したところに近く、似た道がコースになっている(そのときもマイヨジョーヌを着ていたのはカンチェラーラだった)。
多くの選手が雨がふることを心配していたが、幸い晴れ。しかし晴れていても黒光りした道はあまり気分のいいものじゃない。
集団はずっとレディオシャック・ニッサンがコントロールしている。フォイクトが率いる集団の後ろに控える全身黄色のカンチェラーラ。この光景は、結局一日続くことになる。
それにしてもチームスカイが被っている黄色いヘルメットが格好悪い。どうやら主催者側がチーム総合1位のチームに被らせることを提案したもののようだが、ヘルメットメーカーの都合などで対応できるチームが半分に満たないらしい。それよりマイヨジョーヌなみに目立つが、学童っぽいイメージは何とかならないものか。
コースの最南部の街へ来ると、ルクセンブルグの旗とフランク・アンディ兄弟旗ががぜん目立つようになる。なぜだろうと思って観客に「ここはルクセンブルグコーナーなのか?」と聞けば、「ルクセングルグから近いから」の答え。なるほど地図を見たらすぐ近く、すでに「リュクサンブール(ルクセンブルグ)地方」に入っていた。
クラシックのようなゴール
この日のゴール前のポイントは、コースブックにはあまり詳細に記されていないきつい登りと、石畳を含むくねくねと曲がる道幅の細い区間。開幕直前に試走したユキヤはレースを前にこう話していた。
「かなり危なっかしいですね。ラスト2km〜1kmの登りは道が狭くて石畳で、最大15%ぐらいある。発表されているコースプロフィールとぜんぜん違います。かなりキツいのでエヴァンスやサガンのような選手向きです。ジルベールの調子が良ければ彼向き。ラスト6kmまでの道の広い区間で前に位置していないと、そこからはもう前に出れない。ラスト1kmからほぼ平坦ですけど、登りで集団が伸びてキンキンの状態になるともう追いつけない。上りに入るまでの位置取り争いも激しくなると思います。危険なので、雨だけは降ってほしくない」。
少しでも良い条件で最後の区間に入ろうと加速を続ける集団。スピードが上がり、落車が起こるが、それでもここ数年続いたような大落車はなかったのは幸いだ。
アタックして脚を見せたカンチェラーラにゴールに詰めかけた観客が沸く。カンチェはいつでもヒーローだ。しかし多くの観客たちが本当に待っているのは地元出身のジルベールの勝利だ。
「シャヴァネルとアルバジーニがアタックした時、それまで一日中チームがマイヨジョーヌを守るためにハードに働いてきたことが頭に浮かんだ。他のチームのヘルプは一切無くね。攻撃こそが最大の防御だとアタックした。もちろんもうひとつ勝てるチャンスは逃したけれど、自信にはなったよ」。
得意のスプリントに持ち込みさえするば勝てると、後方にべたつきしてカンチェラーラからの要求を拒否し続けたサガンが、あっさりと勝ちをモノにした。恐るべき22歳の華麗なツールデビュー。「ツールで勝つのは難しいことはわかっている。できれば数ステージで勝ちを狙いたい」そう話していた目標を早くもクリア。
初めてのツールに乗り込んできた若者とは思えない駆け引きとしたたかさ。勝利のためには自分にもっとも有利な展開にもちこむ強い意志。大先輩格の選手からの要求も、冷酷にはね退ける事ができる、強い心臓。サガンの大物ぶりを示すステージ優勝だった。
サガンの表彰台を眺める観客たち。ジルベールの勝利を待ちわびたゴール地点は、あまり面白くない空気が流れていた。12ヶ月ぶりに用意したジルベール向きの登りフィニッシュ。故郷のヒーローのマイヨジョーヌ姿は実現しなかった。
サガンは新しいカニバルになるのか
ツールの歴史に新しい「カニバル」の誕生だ。表彰台の脇にはこの日エディ・メルクスが立ち、若きカニバルと握手した。しかしそれは一瞬のことで、カメラマンから「もっと撮りたかった」の声が挙がる。
記者会見では早くも「アームストロングも若い時ツールに勝った。そして偉大なレーサーになった。彼のような選手になりたいと思うか?」という質問が飛ぶ。アームストロングは1993年ツールで21歳10ヶ月のときステージ優勝を挙げている。
照れ笑いしながら、たどたどしい英語で答えるサガン。
「ふふっ(笑)。ちょっとまって。もちろんそうなれるといい。でもあれほど(凄い選手)になれるかは分からない。これが僕の最初のツール。将来のことはわからないけど、まだ先に何年もある」。
ミラノ〜サンレモでサイモン・ジェランスに負けた時のように、後ろにべた着きされた選手に勝利を持っていかれたカンチェラーラ。下がることでサガンに先頭交代は拒否された。カンチェラーラは言う。そしてチームサイトにコメントした。
「サガンを前に出して協力させようとした。タイム差をもっと開けると思った。でも彼は応じなかった。ミラノ〜サンレモのときみたいだ。レース中も彼にチーム(リクイガス)に前に出て引くように頼んだが、”今日は脚があるか分からない”と言っていた。
最初のツール・ド・フランスだということはわかる。それはいつも難しいから。でもアタックしたのに止めて捕まるのは僕のスタイルじゃない。行くと決めたら行く。「僕はゴール前500mでポイントを取っただけで努力を止める選手じゃない。一度ハンマーを振り上げたら最後まで振り下ろすんだ」
「ポーカーゲームだった」。カンチェラーラは言葉を選びながらもサガンのレースを批判しているようだ。
ユキヤはチームプレーに徹する
セレクションを経ての上り坂フィニッシュといえば、それが得意なユキヤに期待してしまうもの。しかしこの日、チームの出したオーダーはトマ・ヴォクレールとピエール・ロランのふたりのエース、そしてサブエースのクリストフ・ケルヌらを集団の危険な動きの中で守り、タイムを失わないようにすることだった。そして誰かが逃げに乗ること。
逃げはヨアン・ジューヌが果たした。
「最後は集団のスピードが70kmに上がりました。トマとピエールを川沿いでアシストして集団の前に入れることができたので、僕の仕事はそれで終了でした」
「第1ステージということで、昨年走れなかったこと、いろんな思いを込めて走り出しました。もっともレース中はあんまりいろんなことを考えている余裕は全く無いので、気持ちを込めるのはレース前ですけれど」。
いつもナーバスで危険すぎるツール第1ステージが終わった。トニ・マルティン、ルイス・レオン・サンチェスらの怪我が気になるが、ツールを台無しにするような心配された大落車大会だけは避ける事ができた。
photo&text:Makoto.AYANO
リエージュ開催のオーガナイズの手慣れた感はすでに書いたが、やはりツール・ド・フランスの他にもリエージュ~バストーニュ~リエージを毎年ホストしているため、リエージュっ子にはレースが日常のものになっている。
だから、いつものグランデパール開催地で感じるお祭り感のようなものはまったくない。それはちょっと残念だ。
少し離れたところにチームバスの駐車場があるが、スタートサインを行う広場よりもこちらに観客たちが多く集まるのもベルギー流だ。目的はもちろんサインをゲットすること。選手と一緒のツーショット写真を撮ること。
デモに利用されたスタートセレモニー
12時に市内のスタートが切られるが、数キロ離れたサン・ランベール広場へと向かう。チームプレゼンテーションが行われたこの広場の前でスタートセレモニーが行われるのだ。選手たちと接触できないこちらには観客少なめだ。そのあたりもさすがベルギー。
総合ディレクター、クリスティアン・プリュドム氏の赤いクルマに率いられ、選手たちが到着。一度停まって、テープカットの儀式だ。
マイヨジョーヌのカンチェラーラ、ブランのヴァンガーデレンが前列に並ぶが、繰り上げマイヨ・ヴェール(持ち主はカンチェラーラ)を着るウィギンズは前に出てこず、隠れている。
ツールのスタートセレモニーは特別な年でなければあまり趣向が凝らされないもの。まして手慣れたリエージュだけに、あっさり終了。と思っていたら、脇からメッセージ入りの横断幕を持った「労働者たち」がぞろぞろ出てきた。
「MITTAL LOVES MONEY」の横断幕。オランダの世界最大の鉄鋼メーカー、ミッタル社への抗議だということ。メディアに向けたアピールを終えると彼らは静かに引き下がった。
一気に熱が冷めた空気の中、ツールは走りだす。プリュドム氏がディレクターカーのルーフからスタートの合図の旗を振ると、沿道から労働者の作業衣が氏めがけて投げ込まれた。選手たちは困惑の表情を浮かべながら走りだす。
ツールだけでなく自転車レースは今まで何度もレース中にこうしたデモに利用されてきた。TVやメディアにメッセージを発信することが容易だからだ。通常、デモを載せることが目的を手伝うことになるのでメディアは無視するもの。しかしこれを許したのはツールの失態だ。
それまで妙に厳しかった警備員の態度も納得。このデモの登場は事前に交渉済みだったようだ。他でもないスタートセレモニーがこうしたかたちで利用されたことがあっただろうか? なんともやるせない気分のグランデパールとなってしまった。
踏切ストップ 手を振るユキヤ
25kmほど走った街では踏切ストップ事件発生。集団の前を行く随行車両がまず引っかかり、大渋滞。その踏切は一度上がって事なきを得たかに思えたが、逃げ集団の選手たちが到着する寸前で2度めの遮断機が降りた。電車まちをして再び走りだす逃げグループ。
後方メイン集団はリラックスして走っている。新城幸也(ユーロップカー)がこちらに気づいて手を振って合図する。さて、今年は何度ユキヤに手を振られることになるでしょうか。
スタートして30kmあまりでスパ・フランコルシャンプサーキットの脇を通り過ぎる。2006年ジロ・デ・イタリアがここを訪れた時、集団はサーキットの中を走ったが(サーキットは一般道とつながっているので走り抜けることができる)、今回は脇道を通過するだけだったのは残念。
保養地スパに近いこの一帯は、道の舗装状態が悪く、オイリーな表面で滑りやすい。2010年ツールでアンディ・シュレクらを含む多くの選手が転倒し、選手が自主ニュートラルを主張したところに近く、似た道がコースになっている(そのときもマイヨジョーヌを着ていたのはカンチェラーラだった)。
多くの選手が雨がふることを心配していたが、幸い晴れ。しかし晴れていても黒光りした道はあまり気分のいいものじゃない。
集団はずっとレディオシャック・ニッサンがコントロールしている。フォイクトが率いる集団の後ろに控える全身黄色のカンチェラーラ。この光景は、結局一日続くことになる。
それにしてもチームスカイが被っている黄色いヘルメットが格好悪い。どうやら主催者側がチーム総合1位のチームに被らせることを提案したもののようだが、ヘルメットメーカーの都合などで対応できるチームが半分に満たないらしい。それよりマイヨジョーヌなみに目立つが、学童っぽいイメージは何とかならないものか。
コースの最南部の街へ来ると、ルクセンブルグの旗とフランク・アンディ兄弟旗ががぜん目立つようになる。なぜだろうと思って観客に「ここはルクセンブルグコーナーなのか?」と聞けば、「ルクセングルグから近いから」の答え。なるほど地図を見たらすぐ近く、すでに「リュクサンブール(ルクセンブルグ)地方」に入っていた。
クラシックのようなゴール
この日のゴール前のポイントは、コースブックにはあまり詳細に記されていないきつい登りと、石畳を含むくねくねと曲がる道幅の細い区間。開幕直前に試走したユキヤはレースを前にこう話していた。
「かなり危なっかしいですね。ラスト2km〜1kmの登りは道が狭くて石畳で、最大15%ぐらいある。発表されているコースプロフィールとぜんぜん違います。かなりキツいのでエヴァンスやサガンのような選手向きです。ジルベールの調子が良ければ彼向き。ラスト6kmまでの道の広い区間で前に位置していないと、そこからはもう前に出れない。ラスト1kmからほぼ平坦ですけど、登りで集団が伸びてキンキンの状態になるともう追いつけない。上りに入るまでの位置取り争いも激しくなると思います。危険なので、雨だけは降ってほしくない」。
少しでも良い条件で最後の区間に入ろうと加速を続ける集団。スピードが上がり、落車が起こるが、それでもここ数年続いたような大落車はなかったのは幸いだ。
アタックして脚を見せたカンチェラーラにゴールに詰めかけた観客が沸く。カンチェはいつでもヒーローだ。しかし多くの観客たちが本当に待っているのは地元出身のジルベールの勝利だ。
「シャヴァネルとアルバジーニがアタックした時、それまで一日中チームがマイヨジョーヌを守るためにハードに働いてきたことが頭に浮かんだ。他のチームのヘルプは一切無くね。攻撃こそが最大の防御だとアタックした。もちろんもうひとつ勝てるチャンスは逃したけれど、自信にはなったよ」。
得意のスプリントに持ち込みさえするば勝てると、後方にべたつきしてカンチェラーラからの要求を拒否し続けたサガンが、あっさりと勝ちをモノにした。恐るべき22歳の華麗なツールデビュー。「ツールで勝つのは難しいことはわかっている。できれば数ステージで勝ちを狙いたい」そう話していた目標を早くもクリア。
初めてのツールに乗り込んできた若者とは思えない駆け引きとしたたかさ。勝利のためには自分にもっとも有利な展開にもちこむ強い意志。大先輩格の選手からの要求も、冷酷にはね退ける事ができる、強い心臓。サガンの大物ぶりを示すステージ優勝だった。
サガンの表彰台を眺める観客たち。ジルベールの勝利を待ちわびたゴール地点は、あまり面白くない空気が流れていた。12ヶ月ぶりに用意したジルベール向きの登りフィニッシュ。故郷のヒーローのマイヨジョーヌ姿は実現しなかった。
サガンは新しいカニバルになるのか
ツールの歴史に新しい「カニバル」の誕生だ。表彰台の脇にはこの日エディ・メルクスが立ち、若きカニバルと握手した。しかしそれは一瞬のことで、カメラマンから「もっと撮りたかった」の声が挙がる。
記者会見では早くも「アームストロングも若い時ツールに勝った。そして偉大なレーサーになった。彼のような選手になりたいと思うか?」という質問が飛ぶ。アームストロングは1993年ツールで21歳10ヶ月のときステージ優勝を挙げている。
照れ笑いしながら、たどたどしい英語で答えるサガン。
「ふふっ(笑)。ちょっとまって。もちろんそうなれるといい。でもあれほど(凄い選手)になれるかは分からない。これが僕の最初のツール。将来のことはわからないけど、まだ先に何年もある」。
ミラノ〜サンレモでサイモン・ジェランスに負けた時のように、後ろにべた着きされた選手に勝利を持っていかれたカンチェラーラ。下がることでサガンに先頭交代は拒否された。カンチェラーラは言う。そしてチームサイトにコメントした。
「サガンを前に出して協力させようとした。タイム差をもっと開けると思った。でも彼は応じなかった。ミラノ〜サンレモのときみたいだ。レース中も彼にチーム(リクイガス)に前に出て引くように頼んだが、”今日は脚があるか分からない”と言っていた。
最初のツール・ド・フランスだということはわかる。それはいつも難しいから。でもアタックしたのに止めて捕まるのは僕のスタイルじゃない。行くと決めたら行く。「僕はゴール前500mでポイントを取っただけで努力を止める選手じゃない。一度ハンマーを振り上げたら最後まで振り下ろすんだ」
「ポーカーゲームだった」。カンチェラーラは言葉を選びながらもサガンのレースを批判しているようだ。
ユキヤはチームプレーに徹する
セレクションを経ての上り坂フィニッシュといえば、それが得意なユキヤに期待してしまうもの。しかしこの日、チームの出したオーダーはトマ・ヴォクレールとピエール・ロランのふたりのエース、そしてサブエースのクリストフ・ケルヌらを集団の危険な動きの中で守り、タイムを失わないようにすることだった。そして誰かが逃げに乗ること。
逃げはヨアン・ジューヌが果たした。
「最後は集団のスピードが70kmに上がりました。トマとピエールを川沿いでアシストして集団の前に入れることができたので、僕の仕事はそれで終了でした」
「第1ステージということで、昨年走れなかったこと、いろんな思いを込めて走り出しました。もっともレース中はあんまりいろんなことを考えている余裕は全く無いので、気持ちを込めるのはレース前ですけれど」。
いつもナーバスで危険すぎるツール第1ステージが終わった。トニ・マルティン、ルイス・レオン・サンチェスらの怪我が気になるが、ツールを台無しにするような心配された大落車大会だけは避ける事ができた。
photo&text:Makoto.AYANO
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