2012/04/03(火) - 08:58
コースが変わり、大きな変貌を遂げたロンド・ファン・フラーンデレン。レースのハイライトが変わればフォトグラファーの動き方も変わる。スタートから記者会見まで。レースを追った目で見たロンドをお伝えしよう。
新コースに苦労するオートバイ随行
朝の気温が2度。最高気温10度の予想に、少々着込んで準備を済ませた。雨の確率は低いが、フランドル地方の変わりやすい天気に備えて雨対策は万全に。
今回オートバイの運転手を努めてくれるのは地元ベルギー人のケヴィン・デブシェール。本業はブルージュに勤務する警察官。ロット・べリソルのプロ入り2年目の若手選手イェンス・デブシェールの兄。ちなみに自身13年の競技歴があり、プロ入りまではいたらなかったが、今も熱心なレースファン。
「今年のコースは回ることが難しい。しかしうまく動けば何回でも撮影できるぞ」とケヴィンは言う。
「弟は初めてロンドへ挑戦するんだ。2007年にジュニアのロンドで優勝しているクラシックライダーなんだ。だから今日レースを追いかけることができるのは嬉しい。僕もかなりエキサイトしているよ」とも。
ケヴィンはすべての経由地点と迂回路とを小型のGPSにインプットして、一緒に回る先輩パイロットと水曜のうちにコース下見を済ませたという。「後半のサーキットに観客が詰めかけるから、どうなるか読めない。オートバイ運転手たちもナーバスになっているよ」。
ブルージュのスタートを見送り、コースへ。序盤の逃げの展開があるはずなので、田舎の小道を使った迂回路で先行を繰り返し、コースに出入りする。とにかく地図とGPSのにらめっこで、次々に判断して細い道を探して写真を撮りながら進んでいく。
ちなみに今回一緒に回るもう一台のモトにはベルギーのフォトグラファー、クリストフ・ラモンが乗っていた。
ラモンは「日本といえば僕のTwitterには自転車ファンのフォロワーがいるんだよ。すごく熱心なファンがたくさんいて、よくリプをもらううんだ。熱心なので驚くよ」と言う。ちなみに「私もあなた( @kristoframon )フォローしています」と言ったら大ウケしていた。
ラモンはなんとも味のある写真を撮るので、芸術性のあるテイストを求める雑誌などに人気。モトのトランクにはでっかいストロボとジェネレータを隠し持っていて、ときどき運転手をアシスタントに変身させて道端でスタジオ撮影会のようなことをはじめる。
人気投票ナンバーワンはボーネン
怪しげな天気の中を行く選手たち。早めの逃げができたことでプロトンは落ち着いているが、パヴェのセクターが近づくにつれてオメガファーマ・クイックステップが先頭にたって集団をコントロールする。シーズンインから勝利を重ねるチーム力はナンバー1。ボーネンの勝利のために走る。
レース前のHet Nieuwsblad紙のスポーツサイト、SPORTSWERELDの優勝予想投票では、ボーネンが25.25%を獲得しトップ。2位カンチェラーラが22.5%、3位はシャヴァネルで12.25% 、4位はファンマルクで6.25%。5位はポッツァートで5.25%、6位はデヴォルデルで4.25%。7位はサガンで4%。バッランは2.25%で12位、歯が痛いことで体調を落としているジルベールは13位という投票結果。
ベルギーの新聞の投票だけに地元びいきはあるものの、調子づくボーネンへの期待値はカンチェラーラの上を行く。ボーネンの勝利のカギを握るのは好調シャヴァネル。
ボーネンは「どちらが勝ってもチームにとってはいい。二人に問題はない」と言う。
応援風景は変わらず熱狂的でユニーク
パヴェに入るまでに街をいくつも通過する。フランドル旗が飾られ、この地方でおなじみの選手の似顔絵イラストがあちこちに見られる。
途中の街の真ん中のレースを迎えるヴィラージュで、ヨハン・ムセーウと会った。「今回のコース変更についてどう思うか?」と聞いた答えが模範解答っぽいと思ったら、ロンドの公式PRマンとしてレースに帯同しているとのこと。
パヴェの難所をつなぐ周回コース
109㎞地点のターインベルグを皮切りに、パヴェが続く。逃げ集団はタイラー・ファラー(ガーミン・バラクーダ)がうまくペースを作るが、メイン集団もオメガファーマ勢が前に出てコントロール。差を詰めていく。
1回目のパヴェサーキットに突入する。オウデ・クワレモントは勾配が緩やかで勝負所にはなりにくい峠だったが、今回の新コースでは重要な位置を占めることになった。
一回目のオウデ・クワレモント先頭通過はファラー。メイン集団はペースを上げず、カンチェラーラとボーネンはお互いをマークしながら並んで頂上を越える。
オウデ・クワレモントからパテルベルグの下り切った峠道の下りコーナー出口を目指すと、ステイン・デヴォルデル(ヴァカンソレイユ)がコーナー立ち上がりで落車するシーンに出くわす。腕と脚から血を流しながら悲痛な叫び声を上げるデヴォルデル。バイクにまたがろうとするが、再び痛みをこらえきれないのか、走れないことを悟ったのか、涙を流す。2008、2009年のロンド覇者は、昨年5月のジロ・デ・イタリアで友人ワウテル・ウェイラントが事故で死去。その悲しみから2011シーズンは自転車にのる気力が沸かず沈んでいたが、今年は好調を取り戻し、デパン3日間の走りで自信も取り戻していた。しかし3勝目のチャンスは消えた。
難所コッペンベルグは重要度を下げた。カメラマンたちの多くもアクセスがしづらいためこれをパスし、シュテインビークドリシュへ向かう。
カンチェラーラの落車
突然競技無線でカンチェラーラの落車とリタイアが伝えられる。レディオシャックのチームカーにはブリュイネールとデモル両監督が乗り込むが、ちょうど抜け道にいたタイミングで、カンチェラーラの落車には駆けつけられなかった。
しばらく情報が交錯し、鎖骨と腰の骨折が伝えられるが、それは誤報で、腰骨はなんともなかった。しかし鎖骨が3箇所折れたという。原因は路上に転がっていたボトルを踏んだこと。E3プライスフラーンデレンに続いて補給地点での悪夢だ。
プレスモトはパヴェを優先して抜け道で先回りをするため、カンチェラーラ受難の写真は撮れなかった。
今回私は、レース前々日の30日よりコルトレイクでのトレックの新モデル「DOMANE」発表会に招待され、このパヴェサーキットも試走した。レディオシャック・ニッサンにバイクを供給するトレックとしては、ロンドとパリ〜ルーベの連戦で新型バイクの実力が証明されることを期待しての発表だった。しかしその目論見はもろくも外れた。カンチェラーラはパリ〜ルーべも欠場せざるを得ないはずだ。
このとき、ボーネンもチェーンにトラブルを抱えていて、定期的なギアの歯飛びに悩まされていた。バイクの交換をするにはリスクが避けられず、チームカーに戻って乗りながらオイルを差してトラブルをごまかしていた。ロー23、25Tが使えず、上りを21Tでこなしていたという。差した油のお陰で歯飛びは直らないまでも、なんとか歯飛びは収まった。
そしてボーネンは10分以上後になって最大のライバルがリタイアしたことを知る。
最後の上りで決まった3人の逃げ
そして2度目の中周回へ。
オウデ・クワレモントではファンマルク、バッラン、ボーネン、ポッツァートの優勝候補4人が先頭を固めて登る。
そしてパテルベルグの上りで好調さを見せたのはルカ・パオリー二(イタリア、カチューシャ)。軽快な走りでメイン集団を引き離して登るが、パヴェの上で器用に振り返りながら行くタイミングを図っている。
後ろにはフアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)が迫る。協力できるまでの飛び出しを待つが、それはなく最後の3周目のサーキットへ突入する。
ポッツァートに少し遅れるボーネンにはテルプストラがぴったりとアシストにつき、牽引。その後ろにはシャバネルが控えるという豪華なオメガファーマ・クイックステップの布陣。上りでやや離されがちなペーター・サガン(リクイガス)。大きく遅れるフィリップ・ジルベール(BMCレーシング)。
最後の周回のオウデ・クワレモントでのバッランのアタックによって、ボーネン、ポッツァート、バッランに勝負が絞られる。パテルベルグを越えるとゴールのオーデナールまでは残り14㎞。ここをゴールまでコース先行してみると、下りきってからはまったくの平坦区間だが、この日は強い向かい風が吹きつけて、独走は難しい状況だった。
3人は協調してゴールに向かう。単独で追走するサガンは懸命にタイムトライアルのごとく走ったが、強風に集団まで吹き戻されてしまった。
イタリア人2人の協力体制を恐れたボーネンだったが、同時にこのメンバーでのスプリントならまず負けなることはない理想的な展開に持ち込んだ。
何度もアタックを掛けて振りきろうとするバッランを抑え、早いタイミングでのスプリントにもかかわらず、後方でスリップストリームに入るポッツァートを力でねじ伏せた。
ロンド3勝目は史上5人目の記録
ボーネンは言う「タフなレースだった。もちろんただおとなしく後ろについて、彼らを先に行かせるわけじゃない。僕がしなければいけなかったことはバッランが行った時に飛びつくこと。バッランが行けば追わなくてはならないし、ピッポ(ポッツァート)が行くのを警戒して待っていた。でも彼はそんなに行かなかった。
僕にとっては坂で力を披露して他の選手達を振り切ることは重要じゃなかった。そんなことをすれば負けるし、僕は僕の勝利のタイミングを待てばよかった。僕はスプリントに頼ればよかった。」。
コースが変わったことでレースが変わったか?と聞かれて次のように答える。
「それまでとは違った。レース前には皆がコースがどれだけ厳しくなったかということばかり話していた。僕は難しくなったと言うより、ただ違うものになったといつも言っていたんだ」「終盤に坂が増えたことで、今までとは違うレースだった。クワレモントで動く選手がいたが、一回目はそんなにきつくないのに、2回目になると多くの選手が遅れた。これからはもっとアグレッシブに走る選手も出てくるだろう。新コースでの第1回大会に優勝できて嬉しいね」。
カンチェラーラのリタイアについて、レースが変わったかと聞かれてボーネンは次のように答えた。
「彼のクラッシュは多分10分後ぐらいに知ったんだ。すでにそのとき彼はレースにいなかった。僕らはとくにレースの走り方を変えなかった。もちろん彼がいれば違うレースになっただろう。
彼には気の毒だという気持ちがあるけれど、僕らはレースをしていたし、他の人のことは構っていられない。彼の事故は悲しい事だ。でも人生みたいにいいこともあれば悪いこともあるのがレースだ。彼の早い回復を祈るよ」。
ボーネンのロンド3勝目は史上5人目の記録。2005年はカペルミュールで決まった小集団の先頭グループからアタックして独走、逃げきって圧倒的な勝利を収めた。2006年はミュールで共に逃げたレイフ・ホステ(ベルギー、当時ディスカバリーチャンネル)とのマッチスプリントとなり、軽くあしらった。6年ぶりのロンド勝利は、最強クラシックライダーの再君臨だ。
ヘント〜ウェベルヘム、ロンド・ファン・フラーンデレンに続いてパリ〜ルーベに勝って北のクラシックをすべて制すれば、それも記録となる。
text:Makoto.AYANO
新コースに苦労するオートバイ随行
朝の気温が2度。最高気温10度の予想に、少々着込んで準備を済ませた。雨の確率は低いが、フランドル地方の変わりやすい天気に備えて雨対策は万全に。
今回オートバイの運転手を努めてくれるのは地元ベルギー人のケヴィン・デブシェール。本業はブルージュに勤務する警察官。ロット・べリソルのプロ入り2年目の若手選手イェンス・デブシェールの兄。ちなみに自身13年の競技歴があり、プロ入りまではいたらなかったが、今も熱心なレースファン。
「今年のコースは回ることが難しい。しかしうまく動けば何回でも撮影できるぞ」とケヴィンは言う。
「弟は初めてロンドへ挑戦するんだ。2007年にジュニアのロンドで優勝しているクラシックライダーなんだ。だから今日レースを追いかけることができるのは嬉しい。僕もかなりエキサイトしているよ」とも。
ケヴィンはすべての経由地点と迂回路とを小型のGPSにインプットして、一緒に回る先輩パイロットと水曜のうちにコース下見を済ませたという。「後半のサーキットに観客が詰めかけるから、どうなるか読めない。オートバイ運転手たちもナーバスになっているよ」。
ブルージュのスタートを見送り、コースへ。序盤の逃げの展開があるはずなので、田舎の小道を使った迂回路で先行を繰り返し、コースに出入りする。とにかく地図とGPSのにらめっこで、次々に判断して細い道を探して写真を撮りながら進んでいく。
ちなみに今回一緒に回るもう一台のモトにはベルギーのフォトグラファー、クリストフ・ラモンが乗っていた。
ラモンは「日本といえば僕のTwitterには自転車ファンのフォロワーがいるんだよ。すごく熱心なファンがたくさんいて、よくリプをもらううんだ。熱心なので驚くよ」と言う。ちなみに「私もあなた( @kristoframon )フォローしています」と言ったら大ウケしていた。
ラモンはなんとも味のある写真を撮るので、芸術性のあるテイストを求める雑誌などに人気。モトのトランクにはでっかいストロボとジェネレータを隠し持っていて、ときどき運転手をアシスタントに変身させて道端でスタジオ撮影会のようなことをはじめる。
人気投票ナンバーワンはボーネン
怪しげな天気の中を行く選手たち。早めの逃げができたことでプロトンは落ち着いているが、パヴェのセクターが近づくにつれてオメガファーマ・クイックステップが先頭にたって集団をコントロールする。シーズンインから勝利を重ねるチーム力はナンバー1。ボーネンの勝利のために走る。
レース前のHet Nieuwsblad紙のスポーツサイト、SPORTSWERELDの優勝予想投票では、ボーネンが25.25%を獲得しトップ。2位カンチェラーラが22.5%、3位はシャヴァネルで12.25% 、4位はファンマルクで6.25%。5位はポッツァートで5.25%、6位はデヴォルデルで4.25%。7位はサガンで4%。バッランは2.25%で12位、歯が痛いことで体調を落としているジルベールは13位という投票結果。
ベルギーの新聞の投票だけに地元びいきはあるものの、調子づくボーネンへの期待値はカンチェラーラの上を行く。ボーネンの勝利のカギを握るのは好調シャヴァネル。
ボーネンは「どちらが勝ってもチームにとってはいい。二人に問題はない」と言う。
応援風景は変わらず熱狂的でユニーク
パヴェに入るまでに街をいくつも通過する。フランドル旗が飾られ、この地方でおなじみの選手の似顔絵イラストがあちこちに見られる。
途中の街の真ん中のレースを迎えるヴィラージュで、ヨハン・ムセーウと会った。「今回のコース変更についてどう思うか?」と聞いた答えが模範解答っぽいと思ったら、ロンドの公式PRマンとしてレースに帯同しているとのこと。
パヴェの難所をつなぐ周回コース
109㎞地点のターインベルグを皮切りに、パヴェが続く。逃げ集団はタイラー・ファラー(ガーミン・バラクーダ)がうまくペースを作るが、メイン集団もオメガファーマ勢が前に出てコントロール。差を詰めていく。
1回目のパヴェサーキットに突入する。オウデ・クワレモントは勾配が緩やかで勝負所にはなりにくい峠だったが、今回の新コースでは重要な位置を占めることになった。
一回目のオウデ・クワレモント先頭通過はファラー。メイン集団はペースを上げず、カンチェラーラとボーネンはお互いをマークしながら並んで頂上を越える。
オウデ・クワレモントからパテルベルグの下り切った峠道の下りコーナー出口を目指すと、ステイン・デヴォルデル(ヴァカンソレイユ)がコーナー立ち上がりで落車するシーンに出くわす。腕と脚から血を流しながら悲痛な叫び声を上げるデヴォルデル。バイクにまたがろうとするが、再び痛みをこらえきれないのか、走れないことを悟ったのか、涙を流す。2008、2009年のロンド覇者は、昨年5月のジロ・デ・イタリアで友人ワウテル・ウェイラントが事故で死去。その悲しみから2011シーズンは自転車にのる気力が沸かず沈んでいたが、今年は好調を取り戻し、デパン3日間の走りで自信も取り戻していた。しかし3勝目のチャンスは消えた。
難所コッペンベルグは重要度を下げた。カメラマンたちの多くもアクセスがしづらいためこれをパスし、シュテインビークドリシュへ向かう。
カンチェラーラの落車
突然競技無線でカンチェラーラの落車とリタイアが伝えられる。レディオシャックのチームカーにはブリュイネールとデモル両監督が乗り込むが、ちょうど抜け道にいたタイミングで、カンチェラーラの落車には駆けつけられなかった。
しばらく情報が交錯し、鎖骨と腰の骨折が伝えられるが、それは誤報で、腰骨はなんともなかった。しかし鎖骨が3箇所折れたという。原因は路上に転がっていたボトルを踏んだこと。E3プライスフラーンデレンに続いて補給地点での悪夢だ。
プレスモトはパヴェを優先して抜け道で先回りをするため、カンチェラーラ受難の写真は撮れなかった。
今回私は、レース前々日の30日よりコルトレイクでのトレックの新モデル「DOMANE」発表会に招待され、このパヴェサーキットも試走した。レディオシャック・ニッサンにバイクを供給するトレックとしては、ロンドとパリ〜ルーベの連戦で新型バイクの実力が証明されることを期待しての発表だった。しかしその目論見はもろくも外れた。カンチェラーラはパリ〜ルーべも欠場せざるを得ないはずだ。
このとき、ボーネンもチェーンにトラブルを抱えていて、定期的なギアの歯飛びに悩まされていた。バイクの交換をするにはリスクが避けられず、チームカーに戻って乗りながらオイルを差してトラブルをごまかしていた。ロー23、25Tが使えず、上りを21Tでこなしていたという。差した油のお陰で歯飛びは直らないまでも、なんとか歯飛びは収まった。
そしてボーネンは10分以上後になって最大のライバルがリタイアしたことを知る。
最後の上りで決まった3人の逃げ
そして2度目の中周回へ。
オウデ・クワレモントではファンマルク、バッラン、ボーネン、ポッツァートの優勝候補4人が先頭を固めて登る。
そしてパテルベルグの上りで好調さを見せたのはルカ・パオリー二(イタリア、カチューシャ)。軽快な走りでメイン集団を引き離して登るが、パヴェの上で器用に振り返りながら行くタイミングを図っている。
後ろにはフアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)が迫る。協力できるまでの飛び出しを待つが、それはなく最後の3周目のサーキットへ突入する。
ポッツァートに少し遅れるボーネンにはテルプストラがぴったりとアシストにつき、牽引。その後ろにはシャバネルが控えるという豪華なオメガファーマ・クイックステップの布陣。上りでやや離されがちなペーター・サガン(リクイガス)。大きく遅れるフィリップ・ジルベール(BMCレーシング)。
最後の周回のオウデ・クワレモントでのバッランのアタックによって、ボーネン、ポッツァート、バッランに勝負が絞られる。パテルベルグを越えるとゴールのオーデナールまでは残り14㎞。ここをゴールまでコース先行してみると、下りきってからはまったくの平坦区間だが、この日は強い向かい風が吹きつけて、独走は難しい状況だった。
3人は協調してゴールに向かう。単独で追走するサガンは懸命にタイムトライアルのごとく走ったが、強風に集団まで吹き戻されてしまった。
イタリア人2人の協力体制を恐れたボーネンだったが、同時にこのメンバーでのスプリントならまず負けなることはない理想的な展開に持ち込んだ。
何度もアタックを掛けて振りきろうとするバッランを抑え、早いタイミングでのスプリントにもかかわらず、後方でスリップストリームに入るポッツァートを力でねじ伏せた。
ロンド3勝目は史上5人目の記録
ボーネンは言う「タフなレースだった。もちろんただおとなしく後ろについて、彼らを先に行かせるわけじゃない。僕がしなければいけなかったことはバッランが行った時に飛びつくこと。バッランが行けば追わなくてはならないし、ピッポ(ポッツァート)が行くのを警戒して待っていた。でも彼はそんなに行かなかった。
僕にとっては坂で力を披露して他の選手達を振り切ることは重要じゃなかった。そんなことをすれば負けるし、僕は僕の勝利のタイミングを待てばよかった。僕はスプリントに頼ればよかった。」。
コースが変わったことでレースが変わったか?と聞かれて次のように答える。
「それまでとは違った。レース前には皆がコースがどれだけ厳しくなったかということばかり話していた。僕は難しくなったと言うより、ただ違うものになったといつも言っていたんだ」「終盤に坂が増えたことで、今までとは違うレースだった。クワレモントで動く選手がいたが、一回目はそんなにきつくないのに、2回目になると多くの選手が遅れた。これからはもっとアグレッシブに走る選手も出てくるだろう。新コースでの第1回大会に優勝できて嬉しいね」。
カンチェラーラのリタイアについて、レースが変わったかと聞かれてボーネンは次のように答えた。
「彼のクラッシュは多分10分後ぐらいに知ったんだ。すでにそのとき彼はレースにいなかった。僕らはとくにレースの走り方を変えなかった。もちろん彼がいれば違うレースになっただろう。
彼には気の毒だという気持ちがあるけれど、僕らはレースをしていたし、他の人のことは構っていられない。彼の事故は悲しい事だ。でも人生みたいにいいこともあれば悪いこともあるのがレースだ。彼の早い回復を祈るよ」。
ボーネンのロンド3勝目は史上5人目の記録。2005年はカペルミュールで決まった小集団の先頭グループからアタックして独走、逃げきって圧倒的な勝利を収めた。2006年はミュールで共に逃げたレイフ・ホステ(ベルギー、当時ディスカバリーチャンネル)とのマッチスプリントとなり、軽くあしらった。6年ぶりのロンド勝利は、最強クラシックライダーの再君臨だ。
ヘント〜ウェベルヘム、ロンド・ファン・フラーンデレンに続いてパリ〜ルーベに勝って北のクラシックをすべて制すれば、それも記録となる。
text:Makoto.AYANO
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