2011/07/24(日) - 21:28
レース後の渋滞問題にたびたびクレームが出ていたツールを、最大級の渋滞が襲った。ラルプデュエズからスタート地点のグルノーブル間の渋滞による交通マヒだ。
ラルプデュエズからの大渋滞 「ジロ・デ・フランス」
昨ステージを終えてチームはすべてラルプデュエズ頂上のリゾート地区のホテルに泊まっていたが、ラルプデュエズに詰めかけた数十万人(正確なデータ不明)の観客たちも何割かは山頂に泊まり、この朝いっせいに下山を開始したのだからたまらない。
麓の街ブールドワザンからグルノーブルに向かう60kmの道はほぼ一本しか無く、交通集中によって完全に渋滞・停滞状態に陥ってしまった。昨日あれだけいた観客の多くもグルノーブルへ移動して個人TTを観戦するから、渋滞するのは当たり前だ。
困ったのはチームと選手。TTのスタート時間は個人総合成績の順に、朝10時過ぎから午後4時半まで分散している。だからチームによっては何班かに別れてグルノーブルに向かう。山道は連なるクルマで完全にストップ。選手を乗せたチームカーもこれに巻き込まれた。
通常なら渋滞しても青いバイクに乗った憲兵隊(日本で言う白バイ部隊)がエスコートして路肩を誘導してくれるのだが、この日はその手も回らなかった。チームの出発もバラバラだったからさらに収集がつかない。
私とプレスカーもこの渋滞の真っ只中にハマッってしまった。すぐ前のサクソバンクのチームカーに乗るのはコンタドールだ。マネジャーで兄のフランと広報担当のハシントも自分たちのクルマで随行しているが、にっちもさっちも行かない状況に電話で憲兵隊を呼びつけた。サイレンを鳴らして路肩を走り、なんとかスタート2時間前には到着した。それでも準備は十分できない。
しかしいくつかのチームは60kmの移動に5時間かかったという。アスタナはフォフォノフがスタート時間に遅刻し、クロイツィゲルはアップなしで走ったという。今までピレネーで大渋滞を経験しているツールだけに選手たちからはTwitterで「また渋滞」の文句の大合唱。そして渋滞と大移動のご本家ジロ・デ・イタリアにひっかけて「ジロ・デ・フランス」という名言まで登場した。
ファインダー越しに見たスタート台に立つ主役たち
スタート台に上る選手を間近かで見る。コンタドールは昨日このタイムトライアルを速く走ることに興味が無いということを話した。しかしスタート台に上がるまでにおそろしいほどの気迫で精神集中していた。「勝つ気でいる!」
しかし、ペダルに両足を嵌め、カウントダウンを待ったが体を支える役員が残り1秒のところで手を離してしまった。わずかに早すぎるタイミングにバランスを崩してよろめいて、スタート。あわや落車という動きだった。
これが最後の不運? それとも役員もアンチコンタドールだった? そして走りだす時に観客からはブーイングも聞こえた。十分打ちのめされたコンタドールに、まだブーを言うのか!?
ヴォクレールはマイヨジョームを失ってなお緊張感を保ち続けている。直前までタイヤのゴミを念入りに取り、あげくにはスキンスーツの長袖部分でタイヤの表面を磨きだした。メカニシャンが見かねてタオルで拭き取ろうとするが、この作業でさえ自分でやらないと気が済まないのがヴォクレールだ。
そして緑のジャージに戻り、バイクも通常のカラーに乗る。何も輝くものをみにつけていないが、観客からの声援は誰よりも大きい。
エヴァンスは緊張感こそ漂わせているが、動きが普段どおり乱れない。早めにスタートの体制を固めると、むしろ静かに前を見る時間を長く取った。しぐさや表面的な動きからは内面的なものは何も感じ取ることができなかった。
エヴァンスは個人タイムトライアルで決まるツール・ド・フランスを2008年に経験している。失速して、カルロス・サストレにマイヨジョーヌをさらわれた。まさに今再び同じ挑戦をしようとしているのだった。
燃えていたように見えたコンタドールと対照的だったのはアンディ。気迫が感じられず、スタート台に上がっても落ち着きがなく、カウントダウンが始まっているというのにフレームの上に取り付けられた何かの装置を取り付け直し始めた。そして手にはめたイエローのグローブの手首周りのシワが気になるのか、スタート数秒前までそれを伸ばそうとしている。
重要なTTのスタート前にはいつも決まってする、道の先に睨みつけるような視線を送ることもなし。眼光に鋭さがなく、どこか虚ろ。負けることを悟っているかのようだった。
ゴールは残酷
総合優勝を争う選手たちがスタートを待つ頃、プレスセンターではすでに勝利者記者会見の会場の設営がすっかり終わり、TVカメラマンたちはカメラテストを行っていた。ツールはまだ一日残っているが、最終的な勝利者記者会見はこの日に行われる。最終日のシャンゼリゼの後には行われない。
1時間に満たないタイムで順に帰ってくる選手たち。17時台になってなお日差しが強さを増すゴールライン。いつもの個人TTのゴールと違うのは、ゴールしてくる選手の走りが揺れること。3週間のグランツールの末に、体力的な余裕を残している選手は誰もいないのだ。
そしてゴールに帰ってくる前にはすでに無線でタイム差を把握している選手たち。
後半は無線が切れてしまい、タイム差が確認できていなかったというピエール・ロランは真っ白なジャージを守るために最後まで死力を尽くすスプリントを見せた。
個人的には個人TTが得意なターラマエに対し、TTが苦手と"念入りに"言われていたロランが今日マイヨ・ブランを守るとは思っていなかった。しかし、ゴール後、報道陣にもみくちゃにされながらタイム差を聞かされると、片手を突き上げた。エストニアのTTチャンピオンであるターラマエからマイヨを死守した。観客たちもユーロップカーの若手フランス人の快挙に大喜び。
そしてトップ3がゴールに向かう頃、すでに勝負の行方は明らかになっていた。TVインタビュー席に座ったトニ・マルティンにはすでにお祝いの声がかかりだし、観客席に詰めかけたルクセンブルグ人たちは白地に水色のルクセンブルグ旗とシュレク兄弟の旗が下がりはじめ、代わりにオーストラリア国旗が上がりだす。
カンガルーの風船がジャンプし、クロコダイルの着ぐるみが「オジ・オジ・オジ! オジ・オジ・オジ!!」を連呼して、"Yell for CADEL(カデルにエールを送れ)"が始まる。
総合順位を2つ下げたクネゴ、そしてフランクにさえもはや誰も注目しない。
そしてマイヨジョーヌを確定させたエヴァンスが安定した走りでゴールに滑りこんできた。
アンディのゴールは見ていられないほど弱々しかった。すでに負けを知り、エアロヘルメットのシールドの奥の表情は、ファインダー越しにでも敗北感に溢れているのが分かった。ツールに負けた哀しい目をしていた。
哀しいマイヨジョーヌに、カメラマンのレンズの放列が容赦なくシャッター音を轟かせる。
走り終えたアンディに駆け寄るフランク。崩れた弟のマイヨジョーヌの肩を抱く兄は、この日、背中にANDYの文字が入ったスキンスーツを着ていた。美しい兄弟愛に、またしてもハッピーエンドは訪れなかった。
思わずもらい泣きしたエヴァンスの涙の記者会見
エモーショナルな動きも、パナシェも感じられない走りのまま、エヴァンスはついにツールを制した。オーストラリア人初のマイヨジョーヌ。まだツールは1日あるが、未確定な確定だ。
「バランスのとれたコンプリート(完璧な)ライダー」でありながら、「ミスター・アベレージ(平均)」と皮肉を込めて讃えられる34歳が、ついにシャンゼリゼのポディウムの中央に立つ日を迎える。
ミュール・ド・ブルターニュでエヴァンスが挙げたステージ1勝は、コンタドールがガッツポーズを披露するほど僅差だった。
今年のエヴァンスが今までの不運続きのツールに比べて恵まれていたのは、すべてをエヴァンスの総合優勝のためだけに組み立てられたチームの力。そしてライバルたちが次々と落車で去っていくなか、それまで落車に悩まされてきたエヴァンスはトラブルがなかったこと。ただ、昨ステージのコンタドールがアタックした大事な局面でメカトラブルに見舞われたことを除いては。
新しいツールの王者となるエヴァンスの「ツール優勝記者会見」は、少し寒い、しかし暖かい雰囲気に包まれたグルノーブルのベロドロームの中に設営されたプレスセンターの会場で行われた。
今年、ツール参加選手のなかにオーストラリア人が6人しかいないという意外なほどの少なさが手伝って、オーストラリア人のプレス関係者はいつもより大きく数を減らした。それでも来た記者から暖かい祝福の声がかけられる。
今までのツールでマイヨジョーヌに「ニアミス」した過去の出来事が、改めてエヴァンス自身の口から‐‐すっとんきょうなほど甲高い声で、とつとつと語られた。
落車、骨折、挫折。体力も気力も失ってツールに負けた不運の年が続いた。サストレにマイヨジョーヌをさらわれた2008年のこと、落車の怪我を隠して山岳で遅れた2010年のことが話された。
そして12月に死去したトレーナーのアルド・サッシ氏のことを語る時、エヴァンスは感極まって涙に声を震わせた。サッシ氏こそ、エヴァンスの世界選手権制覇、そしてツール・ド・フランス制覇の可能性をエヴァンスに信じさせ、サポートを惜しまなかった人物だ。
「ようやく」手にしたツール。思わずもらい泣きしながら話に聞き入る記者も多くいた。勝者以外のストーリーは忘れられがち。しかし改めてここまでのストーリーを聞くと、そのひとつひとつの残酷なシーンが、鮮明に蘇ってくる。私自身も途中からファインダーがよく見えなくなった。オートフォーカスでピントは問題なく合うけれど。
text:Makoto.AYANO in France
photo:Makoto.AYANO,CorVos
ラルプデュエズからの大渋滞 「ジロ・デ・フランス」
昨ステージを終えてチームはすべてラルプデュエズ頂上のリゾート地区のホテルに泊まっていたが、ラルプデュエズに詰めかけた数十万人(正確なデータ不明)の観客たちも何割かは山頂に泊まり、この朝いっせいに下山を開始したのだからたまらない。
麓の街ブールドワザンからグルノーブルに向かう60kmの道はほぼ一本しか無く、交通集中によって完全に渋滞・停滞状態に陥ってしまった。昨日あれだけいた観客の多くもグルノーブルへ移動して個人TTを観戦するから、渋滞するのは当たり前だ。
困ったのはチームと選手。TTのスタート時間は個人総合成績の順に、朝10時過ぎから午後4時半まで分散している。だからチームによっては何班かに別れてグルノーブルに向かう。山道は連なるクルマで完全にストップ。選手を乗せたチームカーもこれに巻き込まれた。
通常なら渋滞しても青いバイクに乗った憲兵隊(日本で言う白バイ部隊)がエスコートして路肩を誘導してくれるのだが、この日はその手も回らなかった。チームの出発もバラバラだったからさらに収集がつかない。
私とプレスカーもこの渋滞の真っ只中にハマッってしまった。すぐ前のサクソバンクのチームカーに乗るのはコンタドールだ。マネジャーで兄のフランと広報担当のハシントも自分たちのクルマで随行しているが、にっちもさっちも行かない状況に電話で憲兵隊を呼びつけた。サイレンを鳴らして路肩を走り、なんとかスタート2時間前には到着した。それでも準備は十分できない。
しかしいくつかのチームは60kmの移動に5時間かかったという。アスタナはフォフォノフがスタート時間に遅刻し、クロイツィゲルはアップなしで走ったという。今までピレネーで大渋滞を経験しているツールだけに選手たちからはTwitterで「また渋滞」の文句の大合唱。そして渋滞と大移動のご本家ジロ・デ・イタリアにひっかけて「ジロ・デ・フランス」という名言まで登場した。
ファインダー越しに見たスタート台に立つ主役たち
スタート台に上る選手を間近かで見る。コンタドールは昨日このタイムトライアルを速く走ることに興味が無いということを話した。しかしスタート台に上がるまでにおそろしいほどの気迫で精神集中していた。「勝つ気でいる!」
しかし、ペダルに両足を嵌め、カウントダウンを待ったが体を支える役員が残り1秒のところで手を離してしまった。わずかに早すぎるタイミングにバランスを崩してよろめいて、スタート。あわや落車という動きだった。
これが最後の不運? それとも役員もアンチコンタドールだった? そして走りだす時に観客からはブーイングも聞こえた。十分打ちのめされたコンタドールに、まだブーを言うのか!?
ヴォクレールはマイヨジョームを失ってなお緊張感を保ち続けている。直前までタイヤのゴミを念入りに取り、あげくにはスキンスーツの長袖部分でタイヤの表面を磨きだした。メカニシャンが見かねてタオルで拭き取ろうとするが、この作業でさえ自分でやらないと気が済まないのがヴォクレールだ。
そして緑のジャージに戻り、バイクも通常のカラーに乗る。何も輝くものをみにつけていないが、観客からの声援は誰よりも大きい。
エヴァンスは緊張感こそ漂わせているが、動きが普段どおり乱れない。早めにスタートの体制を固めると、むしろ静かに前を見る時間を長く取った。しぐさや表面的な動きからは内面的なものは何も感じ取ることができなかった。
エヴァンスは個人タイムトライアルで決まるツール・ド・フランスを2008年に経験している。失速して、カルロス・サストレにマイヨジョーヌをさらわれた。まさに今再び同じ挑戦をしようとしているのだった。
燃えていたように見えたコンタドールと対照的だったのはアンディ。気迫が感じられず、スタート台に上がっても落ち着きがなく、カウントダウンが始まっているというのにフレームの上に取り付けられた何かの装置を取り付け直し始めた。そして手にはめたイエローのグローブの手首周りのシワが気になるのか、スタート数秒前までそれを伸ばそうとしている。
重要なTTのスタート前にはいつも決まってする、道の先に睨みつけるような視線を送ることもなし。眼光に鋭さがなく、どこか虚ろ。負けることを悟っているかのようだった。
ゴールは残酷
総合優勝を争う選手たちがスタートを待つ頃、プレスセンターではすでに勝利者記者会見の会場の設営がすっかり終わり、TVカメラマンたちはカメラテストを行っていた。ツールはまだ一日残っているが、最終的な勝利者記者会見はこの日に行われる。最終日のシャンゼリゼの後には行われない。
1時間に満たないタイムで順に帰ってくる選手たち。17時台になってなお日差しが強さを増すゴールライン。いつもの個人TTのゴールと違うのは、ゴールしてくる選手の走りが揺れること。3週間のグランツールの末に、体力的な余裕を残している選手は誰もいないのだ。
そしてゴールに帰ってくる前にはすでに無線でタイム差を把握している選手たち。
後半は無線が切れてしまい、タイム差が確認できていなかったというピエール・ロランは真っ白なジャージを守るために最後まで死力を尽くすスプリントを見せた。
個人的には個人TTが得意なターラマエに対し、TTが苦手と"念入りに"言われていたロランが今日マイヨ・ブランを守るとは思っていなかった。しかし、ゴール後、報道陣にもみくちゃにされながらタイム差を聞かされると、片手を突き上げた。エストニアのTTチャンピオンであるターラマエからマイヨを死守した。観客たちもユーロップカーの若手フランス人の快挙に大喜び。
そしてトップ3がゴールに向かう頃、すでに勝負の行方は明らかになっていた。TVインタビュー席に座ったトニ・マルティンにはすでにお祝いの声がかかりだし、観客席に詰めかけたルクセンブルグ人たちは白地に水色のルクセンブルグ旗とシュレク兄弟の旗が下がりはじめ、代わりにオーストラリア国旗が上がりだす。
カンガルーの風船がジャンプし、クロコダイルの着ぐるみが「オジ・オジ・オジ! オジ・オジ・オジ!!」を連呼して、"Yell for CADEL(カデルにエールを送れ)"が始まる。
総合順位を2つ下げたクネゴ、そしてフランクにさえもはや誰も注目しない。
そしてマイヨジョーヌを確定させたエヴァンスが安定した走りでゴールに滑りこんできた。
アンディのゴールは見ていられないほど弱々しかった。すでに負けを知り、エアロヘルメットのシールドの奥の表情は、ファインダー越しにでも敗北感に溢れているのが分かった。ツールに負けた哀しい目をしていた。
哀しいマイヨジョーヌに、カメラマンのレンズの放列が容赦なくシャッター音を轟かせる。
走り終えたアンディに駆け寄るフランク。崩れた弟のマイヨジョーヌの肩を抱く兄は、この日、背中にANDYの文字が入ったスキンスーツを着ていた。美しい兄弟愛に、またしてもハッピーエンドは訪れなかった。
思わずもらい泣きしたエヴァンスの涙の記者会見
エモーショナルな動きも、パナシェも感じられない走りのまま、エヴァンスはついにツールを制した。オーストラリア人初のマイヨジョーヌ。まだツールは1日あるが、未確定な確定だ。
「バランスのとれたコンプリート(完璧な)ライダー」でありながら、「ミスター・アベレージ(平均)」と皮肉を込めて讃えられる34歳が、ついにシャンゼリゼのポディウムの中央に立つ日を迎える。
ミュール・ド・ブルターニュでエヴァンスが挙げたステージ1勝は、コンタドールがガッツポーズを披露するほど僅差だった。
今年のエヴァンスが今までの不運続きのツールに比べて恵まれていたのは、すべてをエヴァンスの総合優勝のためだけに組み立てられたチームの力。そしてライバルたちが次々と落車で去っていくなか、それまで落車に悩まされてきたエヴァンスはトラブルがなかったこと。ただ、昨ステージのコンタドールがアタックした大事な局面でメカトラブルに見舞われたことを除いては。
新しいツールの王者となるエヴァンスの「ツール優勝記者会見」は、少し寒い、しかし暖かい雰囲気に包まれたグルノーブルのベロドロームの中に設営されたプレスセンターの会場で行われた。
今年、ツール参加選手のなかにオーストラリア人が6人しかいないという意外なほどの少なさが手伝って、オーストラリア人のプレス関係者はいつもより大きく数を減らした。それでも来た記者から暖かい祝福の声がかけられる。
今までのツールでマイヨジョーヌに「ニアミス」した過去の出来事が、改めてエヴァンス自身の口から‐‐すっとんきょうなほど甲高い声で、とつとつと語られた。
落車、骨折、挫折。体力も気力も失ってツールに負けた不運の年が続いた。サストレにマイヨジョーヌをさらわれた2008年のこと、落車の怪我を隠して山岳で遅れた2010年のことが話された。
そして12月に死去したトレーナーのアルド・サッシ氏のことを語る時、エヴァンスは感極まって涙に声を震わせた。サッシ氏こそ、エヴァンスの世界選手権制覇、そしてツール・ド・フランス制覇の可能性をエヴァンスに信じさせ、サポートを惜しまなかった人物だ。
「ようやく」手にしたツール。思わずもらい泣きしながら話に聞き入る記者も多くいた。勝者以外のストーリーは忘れられがち。しかし改めてここまでのストーリーを聞くと、そのひとつひとつの残酷なシーンが、鮮明に蘇ってくる。私自身も途中からファインダーがよく見えなくなった。オートフォーカスでピントは問題なく合うけれど。
text:Makoto.AYANO in France
photo:Makoto.AYANO,CorVos
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