2011/05/22(日) - 13:49
レースがモンテ・ゾンコランの登りに差し掛かった頃、頂上付近では雨粒が落ち始めた。「山の天気は変わりやすいからな」。沿道を数珠つなぎになって警備するアルピーニが、かなり強めのフリウリの方言でぽつりとこぼす。頂上の向こうには黒くよどんだ雲。やがて、本降りになった。
スタート地点はオーストリアのリエンツ。ホテルからの移動中に絶対にしておきたかったこと。それは給油だ。何故ならオーストリアはガソリンが安い。イタリアではレギュラー1Lが約1.60ユーロ(190円)なのに対し、オーストリアでは1L約1.35ユーロ(160円)だ。
イタリア人曰く、近年イタリアでは政府がガソリン税を増税したことで更に価格が上昇した。ジロ期間中だけで6000km以上走る取材陣にとってガソリンの値上げは痛い。なので、ここぞとばかりに、オーストリアのガソリンスタンドでタンクから溢れるほど給油した。
前日のグロースグロックナー決戦から一夜明け、ジロはイタリアに戻る210kmの旅路につく、はずだった。でも現地レポートでお伝えした通り、安全が確保できないとして注目のモンテ・クロスティスが省略された。
スタート地点とゴール地点は変えず、コースを少し短くした190kmで行なわれる、はずだった。結果的にクロスティスの麓に位置する2級山岳テュアリスの省略も決まり、レース距離は更に短くなって172kmに。ゾンコランステージの破壊力は幾分ダウン。奇抜さを求める主催者の目論みが裏目に出た。
地元の有力者とのセレモニーに出席するために出走サイン台に上がったレース総合ディレクターのアンジェロ・ゾメニャン氏は、明らかにムッとしていた。それもそのはず、せっかくこれまで準備してきたクロスティスを、ジロは通らない。
選手たちにとっては大歓迎の決定だが、コースの安全性を高めるために、これまで地元の方々が多くの時間を割いてきたことを忘れてはならない。
そんなクロスティスに完全に話題を奪われ、存在感が薄れたモンテ・ゾンコランは2年連続の登場。昨年同様、プレス関係車両はコースとは反対側(東側)から登っていく。クルマの入場は標高1300mのプレスセンターまで。そこからはスキーリフトが標高1730mの頂上まで連れて行ってくれる。
ゴールの2時間前に頂上に到着した時点では快晴。でも徐々に雲が空を覆い始め、ゴール1時間前になると雨雲に覆われるようになった。
コースが狭くて大型トラックが入れないため、今年も鉄製のバリケードは限定的。アルピーニ(山岳兵)と地元の警備員が鈴なりになって、腕を組んで人間バリケードを築いている。山岳での活動に慣れているアルピーニは、天候の悪化、つまり降雨を断言する。
会場のスピーカーが「選手たちがラスト10kmに差し掛かる!ゾンコランの登りが始まった!」と告げるや否や、ポツリポツリと雨が降り始めた。慌てて雨具を身につけて雨に備えるアルピーニや警備員、観客たち。
イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル)が先頭でラスト350mに姿を現した時はまだ小雨だったが、その数分後には本降りに。やがて雨は霰(あられ)に変わり、直径3mmほどの氷の粒が路面に叩き付けられる。近くでは雷鳴が轟き、気温も下がり、風も強くなる。映像では伝わりにくい壮絶な光景の中を、選手たちを一歩一歩ペダルを踏みしめながらゾンコランの頂上を目指した。
急勾配のゾンコラン対策として、みんなかなり軽いギアを踏んでいる。スタート地点でチェックしたところ、アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)は36x32T。中には34x32Tという超ローギアを使用する選手も。
ゾンコラン初体験の別府史之(レディオシャック)は36x28Tを使用。「昨日に引き続き今日もギアが重かった」と振り返りながらも、アントンから12分07秒遅れでゾンコランの頂上にゴールしている(最終ゴールは26分54秒遅れ)。
フミはゾンコランステージ57位。総合成績が大きな意味を持たないとはいえ、総合72位というチーム内で3番手の成績。つまりフミの下には101名の選手たちがいる。
「まるで富士山の須走口(全長11.4km・平均勾配10.5%)のような感じで、沢山の観客が応援してくれてとっても楽しかった」。雨の中、慌ただしく身支度を整えて下山するフミにしっかりとインタビューできなかったが、その表情からは元気な様子が感じられた。
さて、翌第15ステージは超ど級の厳しさだ。1級山岳ピアンカヴァッロ、2級山岳フォルチェッラ・チビアーナ、チーマコッピ(大会最標高地点)ジャウ峠、1級山岳フェダイア峠、そして1級山岳ガルデッチャの頂上ゴールという超盛り沢山のメニュー。一日の累積標高(合計獲得標高差)は驚異の6320m。マリアローザを懸けたコンタドールvsイタリア勢の闘いの激化は必至だが、それと同時に完走を懸けた闘いも佳境。第15ステージを乗り切ることができれば、ジロ完走がグッと近づく。ドロミテ3連戦はクライマックスを迎える。
text&photo:Kei Tsuji in Monte Zoncolan, Italy
スタート地点はオーストリアのリエンツ。ホテルからの移動中に絶対にしておきたかったこと。それは給油だ。何故ならオーストリアはガソリンが安い。イタリアではレギュラー1Lが約1.60ユーロ(190円)なのに対し、オーストリアでは1L約1.35ユーロ(160円)だ。
イタリア人曰く、近年イタリアでは政府がガソリン税を増税したことで更に価格が上昇した。ジロ期間中だけで6000km以上走る取材陣にとってガソリンの値上げは痛い。なので、ここぞとばかりに、オーストリアのガソリンスタンドでタンクから溢れるほど給油した。
前日のグロースグロックナー決戦から一夜明け、ジロはイタリアに戻る210kmの旅路につく、はずだった。でも現地レポートでお伝えした通り、安全が確保できないとして注目のモンテ・クロスティスが省略された。
スタート地点とゴール地点は変えず、コースを少し短くした190kmで行なわれる、はずだった。結果的にクロスティスの麓に位置する2級山岳テュアリスの省略も決まり、レース距離は更に短くなって172kmに。ゾンコランステージの破壊力は幾分ダウン。奇抜さを求める主催者の目論みが裏目に出た。
地元の有力者とのセレモニーに出席するために出走サイン台に上がったレース総合ディレクターのアンジェロ・ゾメニャン氏は、明らかにムッとしていた。それもそのはず、せっかくこれまで準備してきたクロスティスを、ジロは通らない。
選手たちにとっては大歓迎の決定だが、コースの安全性を高めるために、これまで地元の方々が多くの時間を割いてきたことを忘れてはならない。
そんなクロスティスに完全に話題を奪われ、存在感が薄れたモンテ・ゾンコランは2年連続の登場。昨年同様、プレス関係車両はコースとは反対側(東側)から登っていく。クルマの入場は標高1300mのプレスセンターまで。そこからはスキーリフトが標高1730mの頂上まで連れて行ってくれる。
ゴールの2時間前に頂上に到着した時点では快晴。でも徐々に雲が空を覆い始め、ゴール1時間前になると雨雲に覆われるようになった。
コースが狭くて大型トラックが入れないため、今年も鉄製のバリケードは限定的。アルピーニ(山岳兵)と地元の警備員が鈴なりになって、腕を組んで人間バリケードを築いている。山岳での活動に慣れているアルピーニは、天候の悪化、つまり降雨を断言する。
会場のスピーカーが「選手たちがラスト10kmに差し掛かる!ゾンコランの登りが始まった!」と告げるや否や、ポツリポツリと雨が降り始めた。慌てて雨具を身につけて雨に備えるアルピーニや警備員、観客たち。
イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル)が先頭でラスト350mに姿を現した時はまだ小雨だったが、その数分後には本降りに。やがて雨は霰(あられ)に変わり、直径3mmほどの氷の粒が路面に叩き付けられる。近くでは雷鳴が轟き、気温も下がり、風も強くなる。映像では伝わりにくい壮絶な光景の中を、選手たちを一歩一歩ペダルを踏みしめながらゾンコランの頂上を目指した。
急勾配のゾンコラン対策として、みんなかなり軽いギアを踏んでいる。スタート地点でチェックしたところ、アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)は36x32T。中には34x32Tという超ローギアを使用する選手も。
ゾンコラン初体験の別府史之(レディオシャック)は36x28Tを使用。「昨日に引き続き今日もギアが重かった」と振り返りながらも、アントンから12分07秒遅れでゾンコランの頂上にゴールしている(最終ゴールは26分54秒遅れ)。
フミはゾンコランステージ57位。総合成績が大きな意味を持たないとはいえ、総合72位というチーム内で3番手の成績。つまりフミの下には101名の選手たちがいる。
「まるで富士山の須走口(全長11.4km・平均勾配10.5%)のような感じで、沢山の観客が応援してくれてとっても楽しかった」。雨の中、慌ただしく身支度を整えて下山するフミにしっかりとインタビューできなかったが、その表情からは元気な様子が感じられた。
さて、翌第15ステージは超ど級の厳しさだ。1級山岳ピアンカヴァッロ、2級山岳フォルチェッラ・チビアーナ、チーマコッピ(大会最標高地点)ジャウ峠、1級山岳フェダイア峠、そして1級山岳ガルデッチャの頂上ゴールという超盛り沢山のメニュー。一日の累積標高(合計獲得標高差)は驚異の6320m。マリアローザを懸けたコンタドールvsイタリア勢の闘いの激化は必至だが、それと同時に完走を懸けた闘いも佳境。第15ステージを乗り切ることができれば、ジロ完走がグッと近づく。ドロミテ3連戦はクライマックスを迎える。
text&photo:Kei Tsuji in Monte Zoncolan, Italy
フォトギャラリー