この春、大きな夢を抱いてレースの本場、ヨーロッパへと旅立った青年がいる。大西恵太、22歳。空港で抱える荷物は、自転車ではなく工具箱だった。イタリアでの一歩を踏み出した大西メカの、これから進む道とは? (聞き手:田中苑子)

渡欧前、抱負を語ってくれた大西恵太メカニック(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO)渡欧前、抱負を語ってくれた大西恵太メカニック(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO) (c)Sonoko.TANAKA選手でなくプロのレースメカニシャンになりたい!

イタリアを拠点とするダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPOチームの取材のため、ヨーロッパでクルマを飛ばしているときに、私のSNSに大西くんから書き込みをもらった。
「そのチームに今シーズンからメカニックの研修生としてお世話になりに行きます」

なんだかとっても純粋で真っ直ぐな印象を受けた。彼の先輩になる西勉メカニックから、欧州で働くメカニックの苦労話をいろいろと聞いていた私は、未知なるイバラの道を歩もうとするフレッシュな彼に、なんて言葉をかけようか戸惑ってしまったほどだ。

1月まで東京の大手自転車ショップ「なるしまフレンド」で4年間の経験を積み、高校生の頃からの夢を叶えるべく、仕事をやめて2月末にイタリアへと飛んだ大西メカニック。渡欧直前の彼に会うことができた。

-- なぜレースメカニシャンという道を選んだのですか?

「自転車に乗り始めたのは高校1年生のときでした。最初に乗ったロードバイクが、人から譲ってもらったもので、古くてとても乗れる状態ではなかったんです。それを直していくうちに、自転車を整備する面白さを感じました。それと同時期に、ツール・ド・フランスなど大きなレースで活躍するメカニックの映像を見て、憧れを抱くようになったんです」

-- ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPOチームに入ることになったいきさつは?

「レースメカニックになりたくって、高校生の頃、ポジティーボの永井孝樹さん(ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアでのメカニック経験があるレースメカニックの第1人者)を訪ねました。突然行ったのにも関わらず、時間をとっていろいろなことを教えてくれました。

そのときの永井さんのアドバイスが、実業団登録チームをもっている自転車ショップで働くことだったんです。実業団チームのメカニックをしながらショップで働き、ネットワークを作ることで、いつかチャンスがくるから、と。

高校卒業後、なるしまフレンドに入社しました。働いたのは4年弱。その間、ずっとプロのレースメカニックになりたいという想いをもっていました。なので、ツアー・オブ・ジャパンやツール・ド・熊野にチームが出場したときはメカニックとして帯同しました。

そして昨年末に、研修生としてチームに受け入れてもらい、欧州のレース界でメカニック修行ができるという話を大門監督から聞いて、すぐに“行きたい!”と、家族に相談して決断しました」

レース後に洗車を行う大西恵太メカニック(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO)レース後に洗車を行う大西恵太メカニック(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO) (c)Sonoko.TANAKA


スーツケースと工具箱を抱えて成田空港を出発!スーツケースと工具箱を抱えて成田空港を出発! (c)Sonoko.TANAKA-- ショップ勤務を経験している強みって何ですか?

「お店にいると不特定多数のお客さんがいます。さまざまなニーズに対応しないといけないので、対応力があると思います。あとはとても忙しいお店だったので、自転車を組むにしてもたくさんの数をこなしているのが強みですね」

-- ショップでのメカニックとレースメカニックの違いってどういうところですか?

「お店にいると、いつでもパーツが豊富にありますが、レースの現場では限られたもので対応しないといけなくなりますね。レースメカニックの面白さにもなりますが、教科書どおりのセッティングではなく、その場やその選手に合わせたセッティングが求められている。さらにプロトタイプや市販されていないスペシャルなチューンを扱えたり、常に同じ自転車を見られる面白さもあります。

基本的な自転車の整備は誰でも勉強や経験を積めばできること。プラスアルファのことができてレースメカニックになれるのだと思います」

-- 不安なことはないですか?

「イタリア語を勉強していますが、語学力が不安です……。でも、今は不安よりも楽しみな気持ちのほうが大きいです。レースメカニックはレースの面白い部分が見られます。メカニックは完璧な仕事をするのは当たり前。トラブルを防いで、何か起こったときもスムーズに解決して、選手から信頼されるメカニックになりたいです」


ミラノに到着後、彼を待ち受けるのは怒濤のシーズンだ。現在、チームのメカニックは西メカニックのみ。今後チームが二手に分かれてレースに参戦することも多くなるため、チームの大門宏監督は「彼が確実に良い経験を積み重ねている様子なら、数年間に渡り見守りたいと思うが、最初はどんな些細なことでも良いので、まずはイタリア人選手、スタッフから日本人スタッフとして“存在感”を認められることが大切。この先、長年に渡って関わり続けるには、遅かれ早かれ、この日本人メカニックは、イタリア人以上の仕事ができるか?ってことが焦点になってくると思う」と言うが、即戦力として期待されているのも事実だ。

大門監督とチームスタッフが見守る中作業が進む大門監督とチームスタッフが見守る中作業が進む (c)Sonoko.TANAKAスタッフ育成にも力を入れているチームNIPPO

あまり知られていない話になるが、今回のようなメカニックやマッサーといったチームスタッフの育成も、以前より大門監督が積極的に行っていること。その第1期生となったのが中野喜文マッサー(アスタナ)と永井孝樹メカニック。2人が研修生としてチームに入ったのは1998年のことだ。プロチームで働く最初のステップとしてチームNIPPOで経験を積み、技術だけでなく、語学力や人脈を培った。現在、ジロ・デ・イタリア参戦中のファルネーゼヴィーニ・ネーリに所属する宮島正典マッサーも、チームNIPPOで数年間の経験を積み重ね、巣立って行ったスタッフだ。彼らの努力も相まって、その後の活躍は言うまでもない。

「ヨーロッパには、優れた技術をもつスタッフがたくさんいます。だから率直なところ日本人を雇う理由はないんです。イタリア人スタッフを雇うことは簡単ですが、逆に言葉もわからない、地元の文化にも不慣れな日本からの研修生を連れて行くのはとても大変なこと。しかしスタッフとして海外で活躍したいと願う人がいるなら、頑張ってほしいとチームは受け入れています」と大門監督。



「求められるのは、臨機応変に対応すること」 ~先輩・西勉のアドバイス~

西勉メカニックについて仕事を覚える大西恵太メカニック西勉メカニックについて仕事を覚える大西恵太メカニック (c)Sonoko.TANAKA現在、ヨーロッパでレースメカニックとして働く日本人は同チームの西メカニックだけ。本場ヨーロッパのレースで働くことにこだわり、試行錯誤しながら現場で技術を覚え、今年で7年目になる中堅メカニック。1日中クルマを運転し、ホテルの駐車場で夜遅くまで自転車を組むなんて当たり前。今までにここには書けないような数々の修羅場を乗り越えてきている。そんな先輩に欧州レースメカニックの厳しさや面白さ、後輩大西メカニックに期待することを訊いた。

-- レースメカニックに求められていることって何ですか?

「柔軟な考え。予定が突然変わることが多いので、まずはそれに対応できること。つまり、そのときにパーツの不備などがあっても、その場で対応しないといけない。あとは大勢のスタッフと連係が取れるか?ということも大事になってくる」

-- レースメカニックをやっていて何が大変?

チームバイクであるKYKLOS「フェザーウェイト・リミテッド」チームバイクであるKYKLOS「フェザーウェイト・リミテッド」 (c)Sonoko.TANAKA「とにかく想像を絶することが多い。ヨーロッパでは運転しないといけない移動距離が長いし、選手の人数や扱う自転車も多い。あとは日本ではないので慣れないことも最初はたくさんあるし。

いろんな考えがあるなかからベストな方法を探していかないといけない。作業場にしてもレースに行けば毎回違うところになる。限られた時間のなかで、その場にあるものを集めて、作業場を作りあげて、そこで整備をするのが仕事。大変なことでもあるけど、このあたりが面白さでもあるかな?」

-- 大西くんにはどんなメカニックになってほしいですか?

「まずは世界に通用するメカニックになってほしい。そして後輩を育てられる、ネットワークを作れるメカニックになってほしいって思う。一人で完結するのではなく、メカニック同士連係して働くことがこっちでは求められているから。

あとは、なるしまフレンドで働いた自負を活かして頑張ってほしいと思う。あとは自転車屋さんを経由して、ヨーロッパのプロレースメカニックになれるっていう道筋を作れれば、将来的にメカニックに興味をもった若い人たちのためにもなると思う」


なるしまフレンド神宮店と鈴木淳店長なるしまフレンド神宮店と鈴木淳店長 (c)Sonoko.TANAKA温かい気持ちで送り出した「なるしまフレンド」

彼がなるしまフレンドで働いた時間は4年。メカニックとしての基礎を学び、たくさんのお客さんから信頼されるようになってきた中での決断だった。ショップとしては大切な人材を失うことになったが、神宮店の店長・鈴木淳さんはこう話す。
「入社したときから、“ヨーロッパのレースメカニックになりたい”という彼の夢を知っていました。だから、彼がいなくなってしまうのは、ショップにとって痛手ではあるんですが、応援する気持ちで送り出しました。何でもこなせる“できる”メカニックだったので、彼なら大丈夫だと思って送り出した部分もあります。

もうあとに引くことはできないと思うので、やり抜くしかないと思います。“夢”をちゃんとお金を稼げる“仕事”にかえてほしいですね。家族を養えるまでになれるかが勝負だと思います。焦らずに時間をかけて、自信をもってやってほしいですね。

彼はもうショップのスタッフではありませんが、同じ業界、レース界で働く仲間です。ショップとしても向こうの情報がほしいので、これからも情報交換やフィードバックをしあう関係でありたいと思っています」



いよいよレースメカニックデビュー!

2月末から先輩の西メカニックのもとで仕事を覚えていた大西メカニック。5月になるとチームが日本とヨーロッパに分かれるので、いよいよ彼がレースメカニックとして独り立ちする日が近づいている。今年は国内にはほとんど戻らず、ヨーロッパで経験を積む予定だ。選手の活躍に目が行きがちだが、選手の走りを影で支えるスタッフの成長も日本の自転車界にとても大切なこと。彼の挑戦を心から応援したいと思う。

※今後、大西メカニックの修行レポートを掲載予定です。お楽しみに。