2024/12/04(水) - 13:29
新城幸也の故郷である石垣島に、彼の名前を冠した新城幸也ロードが設定されたことを記念して12月1日にライドイベントが開催された。イベントは石垣市と八重山自転車競技連盟が企画・準備し、スタート地点の舟蔵公園には新城幸也ロードの記念碑が建てられ、その除幕式も行われた。
石垣島へは東京・羽田から直行便に乗っても3時間かかる。イベントに参加するためには少なくても1泊か2泊、石垣島に滞在することになるが、この島には魅力的な景勝地や食事、さらに離島へ足を延ばせば1週間だって楽しめる。そして、サイクリング前日にも楽しいイベントが用意された。
子供たちによるプッシュバイクの競走で、スタートの笛を吹くのは新城幸也だ。「位置について、ヨーイ、」ここで飛び出す子供たち。幸也の「まだだよ〜!」が微笑ましい。表彰状を読み上げるのも幸也の役だ。地元の人も、身近なスターのことがさらに好きになったことだろう。
サイクリングイベント当日、スタートは8時。朝7時の受付開始はまだ薄暗く、東京と石垣の緯度の差を実感した。記念碑の除幕式で中山義隆石垣市長は「世界的に活躍する新城幸也選手の名前を戴き、新城幸也ロードが実現した。多くの皆さんにぜひ石垣まで走りにきてほしい。そして自転車の街としての街づくりに努力していきたい」とコメントした。
スタートからしばらくは島の代表的な観光地である川平湾へのルートと重なっている。200人ほどの参加者の列を観光バスやレンタカーが追い越すシーンも見られたが、地元の自転車チーム、ウインドフレンドのサポートライダーたちがうまくこれをさばいた。八重山自転車競技連盟の選手強化部長であり、このイベントのキーマンの一人酒井靖さんは「せっかくの景勝地を生かしたいという葛藤はあったが、クルマが多く、スムーズに走れない」と、石垣島でのコース設定の難しさを話してくれた。
104kmのロングコースにはほぼ10kmごとに10箇所のエイドステーションが用意された。これは日本中のサイクリングイベントの中でも異例の多さだ。前日のトークショーで幸也は「エイドステーションが充実しています。ジューシーや八重山そば、ゲンキクール、オニササなど、これを食べなきゃ石垣から出ちゃだめなものばかり(笑)。タイムリミットはあるけれど、速く走りすぎるとエイドステーションが開いていないです。なるべくゆっくり石垣を楽しんで下さい」と話した。
最初のエイドステーション、15km地点の崎枝小中学校で、先頭と最後尾の差はすでに30分ほども開いていた。これはショートコース46kmを走る人と、隙あらば幸也より速くコースを走り切ろうともくろむ脚自慢のライダーの差だが、幸也はできればこの全員とふれ合おうとした。先頭でスタートし、途中で止まって最後尾の参加者とともに最初のエイドに到着。この先ももちろんすべてのエイドを楽しみ、参加者と会話したり、記念撮影に応じたりした後、スイッチオン!で次のエイドへとすっ飛んでいった。
先頭のグループの走りは快調だったが、エイドはゆっくり楽しんだ様子。その結果として、ロングコースを走る一番ゆっくりな参加者が第7エイドに近づいたあたりで、サポートスタッフの無線には「第8エイドに幸也が着いたので、先頭グループがスタートを思いとどまった」との情報が入ってきた。そう、誰もが幸也に会いたくてこのイベントに来ているのだ。全参加者をおおよそ10kmの範囲内にまとめ上げた幸也は本当にうまい。
第8エイドが設定された大本小学校までの上りが、本コースの最難関、「勝負どころ」(幸也談)だ。宮良川を渡る橋が直線の上りになり、そのまま勾配がキツくなって小学校に至る。全校生徒3人と聞くこの小学校にはミルクとラテという名前の2頭のヤギがいて、くたびれた参加者を癒やしてくれた。ここからはもう下り基調の20kmちょっと。海まで出れば舟蔵公園は遠くない。
イベント当日は晴天で風も弱く、おかげでフィニッシュ地点の舟蔵公園では半袖姿の人も多く見られた。閉会イベントはヤエヤマ・アッチャーズ・バンドのライブ。BEGINのボーカル比嘉栄昇さんが八重山自転車競技連盟理事長の山田充さんと同級生という縁で実現した。
コースもエイドもライブも、お腹いっぱいの最高なイベント。酒井さんは「ライダーやすべてのスタッフがケガなく帰ってこられたのが本当によかった。運営面では宿題をいっぱいいただいたので、来年はぜひその答え合わせをやりたい」と目を潤ませながら話してくれたが、その横を参加者たちが「大満足!」「来年も絶対来ます!」と言いながらホテルに戻っていった。
photo:Hitoshi Omae
石垣島へは東京・羽田から直行便に乗っても3時間かかる。イベントに参加するためには少なくても1泊か2泊、石垣島に滞在することになるが、この島には魅力的な景勝地や食事、さらに離島へ足を延ばせば1週間だって楽しめる。そして、サイクリング前日にも楽しいイベントが用意された。
子供たちによるプッシュバイクの競走で、スタートの笛を吹くのは新城幸也だ。「位置について、ヨーイ、」ここで飛び出す子供たち。幸也の「まだだよ〜!」が微笑ましい。表彰状を読み上げるのも幸也の役だ。地元の人も、身近なスターのことがさらに好きになったことだろう。
サイクリングイベント当日、スタートは8時。朝7時の受付開始はまだ薄暗く、東京と石垣の緯度の差を実感した。記念碑の除幕式で中山義隆石垣市長は「世界的に活躍する新城幸也選手の名前を戴き、新城幸也ロードが実現した。多くの皆さんにぜひ石垣まで走りにきてほしい。そして自転車の街としての街づくりに努力していきたい」とコメントした。
スタートからしばらくは島の代表的な観光地である川平湾へのルートと重なっている。200人ほどの参加者の列を観光バスやレンタカーが追い越すシーンも見られたが、地元の自転車チーム、ウインドフレンドのサポートライダーたちがうまくこれをさばいた。八重山自転車競技連盟の選手強化部長であり、このイベントのキーマンの一人酒井靖さんは「せっかくの景勝地を生かしたいという葛藤はあったが、クルマが多く、スムーズに走れない」と、石垣島でのコース設定の難しさを話してくれた。
104kmのロングコースにはほぼ10kmごとに10箇所のエイドステーションが用意された。これは日本中のサイクリングイベントの中でも異例の多さだ。前日のトークショーで幸也は「エイドステーションが充実しています。ジューシーや八重山そば、ゲンキクール、オニササなど、これを食べなきゃ石垣から出ちゃだめなものばかり(笑)。タイムリミットはあるけれど、速く走りすぎるとエイドステーションが開いていないです。なるべくゆっくり石垣を楽しんで下さい」と話した。
最初のエイドステーション、15km地点の崎枝小中学校で、先頭と最後尾の差はすでに30分ほども開いていた。これはショートコース46kmを走る人と、隙あらば幸也より速くコースを走り切ろうともくろむ脚自慢のライダーの差だが、幸也はできればこの全員とふれ合おうとした。先頭でスタートし、途中で止まって最後尾の参加者とともに最初のエイドに到着。この先ももちろんすべてのエイドを楽しみ、参加者と会話したり、記念撮影に応じたりした後、スイッチオン!で次のエイドへとすっ飛んでいった。
先頭のグループの走りは快調だったが、エイドはゆっくり楽しんだ様子。その結果として、ロングコースを走る一番ゆっくりな参加者が第7エイドに近づいたあたりで、サポートスタッフの無線には「第8エイドに幸也が着いたので、先頭グループがスタートを思いとどまった」との情報が入ってきた。そう、誰もが幸也に会いたくてこのイベントに来ているのだ。全参加者をおおよそ10kmの範囲内にまとめ上げた幸也は本当にうまい。
第8エイドが設定された大本小学校までの上りが、本コースの最難関、「勝負どころ」(幸也談)だ。宮良川を渡る橋が直線の上りになり、そのまま勾配がキツくなって小学校に至る。全校生徒3人と聞くこの小学校にはミルクとラテという名前の2頭のヤギがいて、くたびれた参加者を癒やしてくれた。ここからはもう下り基調の20kmちょっと。海まで出れば舟蔵公園は遠くない。
イベント当日は晴天で風も弱く、おかげでフィニッシュ地点の舟蔵公園では半袖姿の人も多く見られた。閉会イベントはヤエヤマ・アッチャーズ・バンドのライブ。BEGINのボーカル比嘉栄昇さんが八重山自転車競技連盟理事長の山田充さんと同級生という縁で実現した。
コースもエイドもライブも、お腹いっぱいの最高なイベント。酒井さんは「ライダーやすべてのスタッフがケガなく帰ってこられたのが本当によかった。運営面では宿題をいっぱいいただいたので、来年はぜひその答え合わせをやりたい」と目を潤ませながら話してくれたが、その横を参加者たちが「大満足!」「来年も絶対来ます!」と言いながらホテルに戻っていった。
photo:Hitoshi Omae
Amazon.co.jp