2024/11/07(木) - 17:59
日本縦断最速記録を叩き出した「ジャック・ウルトラサイクリスト」へのインタビューを紹介。ライドの顛末や、2503kmという1週間世界最長距離や1年間獲得標高100万mなど、異次元の挑戦を成功させてきた彼の意欲の源、開発にも携わるスペシャライズドRoubaix、そして「僕の挑戦が誰かの勇気になれば嬉しい」という彼からのメッセージを聞いた。
彼の名はジャック・トンプソン。またの名を「ジャック・ウルトラサイクリスト」。それまで落合佑介さんが保有していた日本縦断最速記録136時間30分(5日16時間30分)を半日以上も上回る、120時間17分(5日0時間17分)を達成した人物と言えば、もっと通りが良いかもしれない。
スペシャライズドのグローバルアンバサダーを務める彼は、2020年に7日間で3,505kmを走りきって世界1週間最長ライド記録を樹立し、さらに2022年は1年間で獲得標高100万mを達成するなど、エンデュランスライダーとして壮大な挑戦を成し遂げてきた人物。2023年には「キャノンボール」として知られる大阪~東京520kmを、歴代最速タイムとなる18時間28分で走ったことで日本でも知られる存在になった。
そんなジャックは、2024年10月4日(金)に鹿児島県の佐多岬をスタート。信じられないほどのペースを保ったまま2600kmを走りきり、10月9日(水)に北海道の宗谷岬に到達。FKT(Fastest Known Time)の獲得に至ったのだった。
シクロワイアードは記録樹立した2日後のジャックにインタビューを行う機会に恵まれた。異常とも呼べる厳しいチャレンジに身を置く理由や、その先に見えるもの、過酷な挑戦を達成するための機材選び、スペシャライズドの開発ライダーとして携わるRoubaix、そして全てのサイクリストへのメッセージ。ロングインタビューで、彼の心に燃える熱いものを聞いた。
すごくキツかったし、すごく楽しかった。日本縦断を振り返る
ジャック:すごくキツかったし、すごく楽しかった。5日少しという短い期間の中で予想以上にいろんなことを経験できたんだ。わざわざ応援してくれた人もいたし、極限と言えるほど疲れている自分にとって、何よりもありがたかったよ。
日本の隅々まで見て体感することができたこともも幸せだった。暖かい南国から、凍えるほど寒い北国までを5日間で走ったのはすごい経験だったと思う。前半はずっと雨続きで精神的にも応えたし、コンピューターのマウントが折れるトラブルもあった。北に行くほど増える野生動物、北陸のトンネル区間と、その合間にある漁村風景。食事や休憩、写真撮影などフル体制で動いてくれたスペシャライズド・ジャパンと僕の父、叔父が組んでくれたサポートチームにも感謝したい。
何よりキツかったのは睡眠がとれないことだね。一番たっぷり寝れたのは北海道に渡るフェリーだった。3時間くらいだね。できるだけ快適に寝て、スッキリとメンタルを回復させるためにキャンピングカーではなくホテルに泊まったけれど、夢の中でも「もう行かなくちゃ!」と焦ってしまう。フェリーだと外には出れないから(笑)精神的にもぐっすり寝れた。記録を狙うときはいつも同じだけど、身体はもちろんメンタル的な疲れが身体を蝕むんだ。
睡眠不足はもちろんだけど、信号も悪影響を及ぼす要素なんだ。特に初日は街中の信号が多くて予定よりもペースダウンしてしまった。一つの信号に引っかかるだけで大体30秒ほどのロスと体力消費が生まれてしまうから、流れを予想して、なるべく止まらないように工夫していたよ。毎日1時間半から2時間くらい寝て、シャワーを浴びて、3時にスタート。はっきり言って過酷な毎日だったけれど、とても楽しむことができた。
本当は5日以内(120時間以内)でフィニッシュするという目標を胸に走っていたんだ。200km以上残した段階で兄と電話した時に「なんとか120時間切りできそうだぞ!」と言われてペースを上げたけど、疲れでペースを維持できず、結局達成できないことが分かったんだ。結果は120時間17分。正直がっかりしたという気持ちが強かったけど、少し経ってからそれでも記録達成できた喜びが湧き出てきた。疲れ切っていたし、とても寒かったし、もう時間に追われなくていいという安堵感も強かった。今この時点でも疲れは抜けていないし、それでも素晴らしい経験だったと言える。
親しみのある日本で走りたかった
実は、ずいぶん前から北海道でスキーをするために家族と日本に何度も訪れていたんだ。小さい頃から度々訪れていたから、風景、人々、食べ物も含めて日本人的なメンタルが僕には身についているように思う。2018年には3週間かけて父と一緒に日本を北から南へと縦断したんだ。とにかく安全だし、全国どこでもコンビニがあるからライドする上で補給食に困ることもない。人々もフレンドリーで、それは自転車へのリスペクトも同じだと思う。アメリカよりもずっと安全に自転車を楽しめる環境だと思ったからこそ、2023年のキャノンボール挑戦を決めたんだ。
キャノンボール挑戦は日本での初チャレンジで、やっぱり途中ひどい天候にも遭ったけれど、すごく楽しめた。良い思い出だったからこそ、今回もスペシャライズド・ジャパンに連絡した上で挑戦を決めたんだ。日本縦断のアイディア自体は高岡さんの挑戦にインスパイアされたもの。距離と日数は僕のスタイルに合っているなと感じたんだ。
いかに時間や記録更新のプレッシャーと戦うか/ADHDと付き合うためのバイクライド
プレッシャーと戦うための秘訣は、自分自身とよく対話すること、だと思う。チャレンジの時は、毎朝洗面所で、鏡に映った自分と目を合わせて「できるのか?やるんだ、やってやる」と言い聞かせる。自分の中で気持ちを団結させて自転車に向かうんだ。
僕みたいなクレイジーなものでなくとも、200kmだろうと、100kmだろうと、50kmだろうと、人それぞれチャレンジすることは大切だと思うんだ。小さなハードルを一つずつ設定して越え、大きな目標を目指したり、さらなる高みを目指すという流れは、自転車でも、どんなスポーツでも、仕事でも、どんなことでも大切なことだし、僕はやり切った達成感が何よりも好きなので、こうして使命を持って日本を走ることができたんだと思う。
一番キツかったチャレンジ?そうだね。2022年の1年獲得標高100万m記録に挑戦したときかな。1年ほぼ毎日乗る必要のあるチャレンジだったので、年間を通して体調を崩してはいけなかったし、コンディションを整えなきゃいけなかった。肉体的はもちろんだけど、メンタルはとにかく厳しかったよ。今回の5日間チャレンジもキツいけど、1年にもなるとさまざまな物事を犠牲にしなければならなかったね。
目標に向けて準備することが好きだし、トレーニングすることも好き。人生の中で目標を設定して、そこに向かっていくプロセスが大好きなんだ。僕はADHDの症状とともに育ったこともあって、毎日自転車に乗ってトレーニングを積むことは、心を整える意味で、人生において強い軸になってきたんだ。そういう意味の中で、スペシャライズドのアンバサダーとなったここ2年は、製品開発に携わることもできている。たくさんの人が協力して一つの製品を完成に持っていくプロセスの歯車の一つになることができていて、とても幸せなんだ。
ライドを支える相棒について。多くの社会人ライダーはRoubaixに乗るべき
「エンデュランスモデル=セカンドグレード」という印象はあるけれど、Roubaixはそんなイメージに当てはまらない、極めて速いバイクだよ。16時間も早めて記録達成したこともそうだし、実験データではSL6世代のTarmacよりエアロ性能に優れているし、乗り心地は言わずもがな。世界的にも売れ線はTarmacだけど、90%以上のライダーはRoubaixに乗るべきだと思うんだ。
その理由の最たる部分はジオメトリーだ。Roubaixのジオメトリーは、Tarmacよりもリラックスしているから、あらゆる人にマッチする。週末ライダーのほとんどは、日中はデスクに座って仕事をしているだろう?そうすると柔軟性は無くなるし、Tarmacのジオメトリーはアグレッシブすぎることがほとんど。僕も以前はTarmacこそ最高だと思っていたけれど、乗り込むうちにその考えは変わっていった。
もともとRoubaixはパリ〜ルーベ用のレーシングマシンとして生まれた車種だけど、今はその意義が変わってきている。僕や、ブルベに出るライダーが快適に、速く走るための味付けになっているし、例え50kmのトレーニングに出かける時でも、僕はTarmacではなくRoubaixを選ぶ。Aethosも素晴らしいバイクだけど、ジオメトリーはTarmacと共通なので、僕にとっては選択肢ではないんだ。
スペシャライズドの開発ライダーとして、今後のRoubaxの可能性
僕に求められているのは、あらゆる気象、気温条件で走った時のフィーリングや耐久性がどうか、ということ。例えば僕のRoubaixは、フューチャーショックを一切メンテナンスせず5〜6万km乗りっぱなし。フレームを乗り換えてもフューチャーショックを移植してテストを続けているんだ。
僕のようなウルトラエンデュランスライダーは真っ暗闇の中を走ることも常だから、そもそも塗装にリフレクティブ素材を混ぜたらいいんじゃないか、というアイディアも湧いたんだ。多分どのブランドもやってないことだし。そういうことはいつも考えているね。
フューチャーショックはスタンダードスプリングで、少し硬さを出すためにプリロードスペーサーを一枚入れているよ。ただしフューチャーショックをオフにしたことは一度も無い。運動性能が削がれることは一切ないほど素晴らしいシステムだと感じているからね。
個人的な意見だけど、これからのRoubaixに求められるのは見た目のカッコ良さだと思う。正直性能的には大満足だから、例えばフューチャーショックをヘッドチューブ内に取り込んでみたり、ケーブルをフル内装したり、Tarmacのようにクリーンなルックスならもっと人気は出ると思うんだ。
応援してくれた日本の方に感謝。自転車は挑戦と成功をもたらしてくれる
まずは、応援してくれた全ての人に感謝を。多分100人くらいの人が応援に来てくれたことはすごく力になったよ。僕のチャレンジが、僕のことを知ってくれた人たちに、何かチャレンジするための勇気になれば嬉しいと思っているよ。
日本縦断のような大それたことじゃなくてもいいけど(笑)、例えばそれぞれの最長距離を目指したり、友達と2日間自転車旅に出たり、新しい場所を走ってみたり、ほんとに小さなことでもいい。その時、きっと新しい感動や出会いがあって、それが明日の活力になってくれるはずだから。それは本当に自転車の素晴らしい部分だと思うんだ。
text:So Isobe
インタビュー場所:スペシャライズド新宿
彼の名はジャック・トンプソン。またの名を「ジャック・ウルトラサイクリスト」。それまで落合佑介さんが保有していた日本縦断最速記録136時間30分(5日16時間30分)を半日以上も上回る、120時間17分(5日0時間17分)を達成した人物と言えば、もっと通りが良いかもしれない。
スペシャライズドのグローバルアンバサダーを務める彼は、2020年に7日間で3,505kmを走りきって世界1週間最長ライド記録を樹立し、さらに2022年は1年間で獲得標高100万mを達成するなど、エンデュランスライダーとして壮大な挑戦を成し遂げてきた人物。2023年には「キャノンボール」として知られる大阪~東京520kmを、歴代最速タイムとなる18時間28分で走ったことで日本でも知られる存在になった。
そんなジャックは、2024年10月4日(金)に鹿児島県の佐多岬をスタート。信じられないほどのペースを保ったまま2600kmを走りきり、10月9日(水)に北海道の宗谷岬に到達。FKT(Fastest Known Time)の獲得に至ったのだった。
シクロワイアードは記録樹立した2日後のジャックにインタビューを行う機会に恵まれた。異常とも呼べる厳しいチャレンジに身を置く理由や、その先に見えるもの、過酷な挑戦を達成するための機材選び、スペシャライズドの開発ライダーとして携わるRoubaix、そして全てのサイクリストへのメッセージ。ロングインタビューで、彼の心に燃える熱いものを聞いた。
すごくキツかったし、すごく楽しかった。日本縦断を振り返る
ジャック:すごくキツかったし、すごく楽しかった。5日少しという短い期間の中で予想以上にいろんなことを経験できたんだ。わざわざ応援してくれた人もいたし、極限と言えるほど疲れている自分にとって、何よりもありがたかったよ。
日本の隅々まで見て体感することができたこともも幸せだった。暖かい南国から、凍えるほど寒い北国までを5日間で走ったのはすごい経験だったと思う。前半はずっと雨続きで精神的にも応えたし、コンピューターのマウントが折れるトラブルもあった。北に行くほど増える野生動物、北陸のトンネル区間と、その合間にある漁村風景。食事や休憩、写真撮影などフル体制で動いてくれたスペシャライズド・ジャパンと僕の父、叔父が組んでくれたサポートチームにも感謝したい。
何よりキツかったのは睡眠がとれないことだね。一番たっぷり寝れたのは北海道に渡るフェリーだった。3時間くらいだね。できるだけ快適に寝て、スッキリとメンタルを回復させるためにキャンピングカーではなくホテルに泊まったけれど、夢の中でも「もう行かなくちゃ!」と焦ってしまう。フェリーだと外には出れないから(笑)精神的にもぐっすり寝れた。記録を狙うときはいつも同じだけど、身体はもちろんメンタル的な疲れが身体を蝕むんだ。
睡眠不足はもちろんだけど、信号も悪影響を及ぼす要素なんだ。特に初日は街中の信号が多くて予定よりもペースダウンしてしまった。一つの信号に引っかかるだけで大体30秒ほどのロスと体力消費が生まれてしまうから、流れを予想して、なるべく止まらないように工夫していたよ。毎日1時間半から2時間くらい寝て、シャワーを浴びて、3時にスタート。はっきり言って過酷な毎日だったけれど、とても楽しむことができた。
本当は5日以内(120時間以内)でフィニッシュするという目標を胸に走っていたんだ。200km以上残した段階で兄と電話した時に「なんとか120時間切りできそうだぞ!」と言われてペースを上げたけど、疲れでペースを維持できず、結局達成できないことが分かったんだ。結果は120時間17分。正直がっかりしたという気持ちが強かったけど、少し経ってからそれでも記録達成できた喜びが湧き出てきた。疲れ切っていたし、とても寒かったし、もう時間に追われなくていいという安堵感も強かった。今この時点でも疲れは抜けていないし、それでも素晴らしい経験だったと言える。
親しみのある日本で走りたかった
実は、ずいぶん前から北海道でスキーをするために家族と日本に何度も訪れていたんだ。小さい頃から度々訪れていたから、風景、人々、食べ物も含めて日本人的なメンタルが僕には身についているように思う。2018年には3週間かけて父と一緒に日本を北から南へと縦断したんだ。とにかく安全だし、全国どこでもコンビニがあるからライドする上で補給食に困ることもない。人々もフレンドリーで、それは自転車へのリスペクトも同じだと思う。アメリカよりもずっと安全に自転車を楽しめる環境だと思ったからこそ、2023年のキャノンボール挑戦を決めたんだ。
キャノンボール挑戦は日本での初チャレンジで、やっぱり途中ひどい天候にも遭ったけれど、すごく楽しめた。良い思い出だったからこそ、今回もスペシャライズド・ジャパンに連絡した上で挑戦を決めたんだ。日本縦断のアイディア自体は高岡さんの挑戦にインスパイアされたもの。距離と日数は僕のスタイルに合っているなと感じたんだ。
いかに時間や記録更新のプレッシャーと戦うか/ADHDと付き合うためのバイクライド
プレッシャーと戦うための秘訣は、自分自身とよく対話すること、だと思う。チャレンジの時は、毎朝洗面所で、鏡に映った自分と目を合わせて「できるのか?やるんだ、やってやる」と言い聞かせる。自分の中で気持ちを団結させて自転車に向かうんだ。
僕みたいなクレイジーなものでなくとも、200kmだろうと、100kmだろうと、50kmだろうと、人それぞれチャレンジすることは大切だと思うんだ。小さなハードルを一つずつ設定して越え、大きな目標を目指したり、さらなる高みを目指すという流れは、自転車でも、どんなスポーツでも、仕事でも、どんなことでも大切なことだし、僕はやり切った達成感が何よりも好きなので、こうして使命を持って日本を走ることができたんだと思う。
一番キツかったチャレンジ?そうだね。2022年の1年獲得標高100万m記録に挑戦したときかな。1年ほぼ毎日乗る必要のあるチャレンジだったので、年間を通して体調を崩してはいけなかったし、コンディションを整えなきゃいけなかった。肉体的はもちろんだけど、メンタルはとにかく厳しかったよ。今回の5日間チャレンジもキツいけど、1年にもなるとさまざまな物事を犠牲にしなければならなかったね。
目標に向けて準備することが好きだし、トレーニングすることも好き。人生の中で目標を設定して、そこに向かっていくプロセスが大好きなんだ。僕はADHDの症状とともに育ったこともあって、毎日自転車に乗ってトレーニングを積むことは、心を整える意味で、人生において強い軸になってきたんだ。そういう意味の中で、スペシャライズドのアンバサダーとなったここ2年は、製品開発に携わることもできている。たくさんの人が協力して一つの製品を完成に持っていくプロセスの歯車の一つになることができていて、とても幸せなんだ。
ライドを支える相棒について。多くの社会人ライダーはRoubaixに乗るべき
「エンデュランスモデル=セカンドグレード」という印象はあるけれど、Roubaixはそんなイメージに当てはまらない、極めて速いバイクだよ。16時間も早めて記録達成したこともそうだし、実験データではSL6世代のTarmacよりエアロ性能に優れているし、乗り心地は言わずもがな。世界的にも売れ線はTarmacだけど、90%以上のライダーはRoubaixに乗るべきだと思うんだ。
その理由の最たる部分はジオメトリーだ。Roubaixのジオメトリーは、Tarmacよりもリラックスしているから、あらゆる人にマッチする。週末ライダーのほとんどは、日中はデスクに座って仕事をしているだろう?そうすると柔軟性は無くなるし、Tarmacのジオメトリーはアグレッシブすぎることがほとんど。僕も以前はTarmacこそ最高だと思っていたけれど、乗り込むうちにその考えは変わっていった。
もともとRoubaixはパリ〜ルーベ用のレーシングマシンとして生まれた車種だけど、今はその意義が変わってきている。僕や、ブルベに出るライダーが快適に、速く走るための味付けになっているし、例え50kmのトレーニングに出かける時でも、僕はTarmacではなくRoubaixを選ぶ。Aethosも素晴らしいバイクだけど、ジオメトリーはTarmacと共通なので、僕にとっては選択肢ではないんだ。
スペシャライズドの開発ライダーとして、今後のRoubaxの可能性
僕に求められているのは、あらゆる気象、気温条件で走った時のフィーリングや耐久性がどうか、ということ。例えば僕のRoubaixは、フューチャーショックを一切メンテナンスせず5〜6万km乗りっぱなし。フレームを乗り換えてもフューチャーショックを移植してテストを続けているんだ。
僕のようなウルトラエンデュランスライダーは真っ暗闇の中を走ることも常だから、そもそも塗装にリフレクティブ素材を混ぜたらいいんじゃないか、というアイディアも湧いたんだ。多分どのブランドもやってないことだし。そういうことはいつも考えているね。
フューチャーショックはスタンダードスプリングで、少し硬さを出すためにプリロードスペーサーを一枚入れているよ。ただしフューチャーショックをオフにしたことは一度も無い。運動性能が削がれることは一切ないほど素晴らしいシステムだと感じているからね。
個人的な意見だけど、これからのRoubaixに求められるのは見た目のカッコ良さだと思う。正直性能的には大満足だから、例えばフューチャーショックをヘッドチューブ内に取り込んでみたり、ケーブルをフル内装したり、Tarmacのようにクリーンなルックスならもっと人気は出ると思うんだ。
応援してくれた日本の方に感謝。自転車は挑戦と成功をもたらしてくれる
まずは、応援してくれた全ての人に感謝を。多分100人くらいの人が応援に来てくれたことはすごく力になったよ。僕のチャレンジが、僕のことを知ってくれた人たちに、何かチャレンジするための勇気になれば嬉しいと思っているよ。
日本縦断のような大それたことじゃなくてもいいけど(笑)、例えばそれぞれの最長距離を目指したり、友達と2日間自転車旅に出たり、新しい場所を走ってみたり、ほんとに小さなことでもいい。その時、きっと新しい感動や出会いがあって、それが明日の活力になってくれるはずだから。それは本当に自転車の素晴らしい部分だと思うんだ。
text:So Isobe
インタビュー場所:スペシャライズド新宿
Amazon.co.jp