ホビーレース最高峰のツール・ド・おきなわ2023市民200kmレースに優勝した井上亮(Magellan Systems Japan)の自筆レポートをお届け。2013年の市民140kmに優勝してから10年、その魅力に取り憑かれたが「この先勝てると思えない」と諦めかけていた。しかし十分なトレーニングを積み、今年の市民200kmに臨んだという。



今年もこのレースを最大の目標として過ごしてきた。まず昨年を振り返ると、割と直前までコンディションを順調に上げることができ、優勝を狙うレベルに高めれたと感じていたが、レース10日ぐらい前に子供からの感染症に罹患したらしく一気に調子が悪化し、完全に戻り切らないまま当日を迎えた。また長距離を走るとやや腰痛が出やすいという不安もあった。

2022年のツール・ド・おきなわ。チェーントラブルで立ち止まった井上亮 photo:Makoto AYANO

レース自体は中盤の奥の上り後あたりで高岡さんの独走を許してしまい、そのうち集団で追えば大丈夫だろうと容認してしまったことが失敗だった。結局自分は後半の勝負所でチェーントラブルで脱落し、さらに止まったことで腰痛が悪化して追走する力もなくなり、12位という結果に終わった。

万博トライアスロンにて。妻も一緒に出場(年代別1位!)
コンディション不良やトラブルなどもあったが、消極的なレース運びをしてしまったことで自分の中で煮え切らない不完全燃焼感が残り、次は必ず自分らしく積極的なレースをしようと誓った。しかしオフシーズンに入ると体調不良を繰り返すようになり、それによる過食、メンタル的な不調など負の連鎖から抜け出せなくなりコンディションは長い間劣悪な状態であった。

春は10年ぶりにトライアスロンに挑戦すると決めたことで徐々に身体的なコンディション、モチベーションも回復してレースでも優勝することもできた。しばらく調子は上向きだったものの、7月のひわさうみがめトライアスロン後にコロナに罹患したことで再びコンディションは大きく低下。症状から回復した後もしばらく心肺能力は大きく低下したままで一から軽めのベースライドからやり直す状態となった。

この時8月初旬。この時点ではもう1レース、10月にトライアスロンのミドルディスタンスのレースに出場予定であったものの、それより頭にあったのはツールドおきなわの存在である。もうこんな状態で厳しいかな。年々徐々に低下する身体的能力。勝利を狙うのはもう諦めようかなどと考えたりもした。しかしこの10年毎年ここにかけてきて、このまま勝てないまま諦めるのか?

答えは割とすぐに出た。Noだ。まだ諦めるのは早い。やれることはまだたくさんあるはずだ。予定していた10月のトライアスロンはキャンセルし、完全にツールドおきなわ1本に絞ってトレーニングを再開した。

夏休みに家族旅行で信州に行き、3日連続で涼しい環境の高地を走ったことで調子が上向いた
夏休みに家族旅行で清里に行った際に3日連続で涼しい環境の高地を走り、調子が上向いてくるきっかけとなった。

トレーニングを見直し、地味なベースライドを継続した。トライアスロンを再開したお陰で見直せたエアロフォームの探求も続けた。それを維持するために再開したコアトレーニングは腰痛も改善して力強い体幹を取り戻す、いやさらに強化するのにも役だった。

推定FTPは大きく低下し、最初は暑さもあり峠での20分走は全く出力もタイムも出なかったがそれでもレベルを低く設定し、毎週続けて行った。見かけ上の数値は低いが、暑熱負荷によりトレーニング効果はあるはずだと信じた。

コロナのダメージと暑さもあり、なかなか回復してこなかったが、秋になり走りやすい気候に変わってきた頃から予想通り急激にコンディションが上向いてきた感があった。体重も少しずつだがレースコンディションに近づきつつあり、これなら何とか戦えるのではないかという手応えを感じつつあった。

泳ぎ続ける「マグロ」が井上亮の愛称だ photo:Makoto AYANO
MAGURO Racing photo:Makoto AYANO



また機材に関しては言い訳にできない状態にすべく、というより単純にこのバイクに乗ってみたいと思い、スペシャライズドの新型Tarmac SL8に乗り換えた。マグロステッカーチューンが施され、勝手に「Project black Maguro LTD」と名付けた新しい相棒は想像以上に乗りやすく、最初のライドでこれは今まで乗った中で最高のバイクであると確信した。

上り調子の中で、調整レースとして、また新しい相棒のデビュー戦として10月初旬にあった伊豆CSCでのエンデューロレースに昨年に続き出場。序盤早々に抜け出して独走となり淡々と走っていたところ、降り始めた雨でスリッピーな路面に変わった秀峰亭からの下りコーナーで落車。しばらく走り続けていたものの、今後のことを考え(真実は妻に諭され)結局リタイアした。

スズカエンデューロアタック240を走って負けたけど、7万円もゲット
いつも練習してもらったフジタさん、マツケンさんと。いつも感謝しています



幸い身体のダメージは擦過傷がメインで軽度であったが、シェイクダウンしたばかりの新車が傷付いてしまい、一体伊豆まで何をしに行ったんやとちょっと凹んだ。しかしこういう時は好きな諺である「人間万事塞翁が馬」と考えることにしていた。これを期にコーナリングでの荷重、バイクの倒し具合を見直すことになったのだが、まさか本当に「塞翁が馬」となるとは…。

ここでDNFとなり乗れなかった分を、と翌週末から距離を乗り込み始めたところ、何か自分の中のスイッチが押されて代謝が切り替わったような感覚があり、さらに調子は上向きとなった。昨年はやや低下していた感のあった長距離全体での持久力が大きく改善され、その中でも高い出力を出せるようになりつつあった。地道に続けていた峠での20分走の値は7年ぐらい前のPBとほぼ同じぐらいまでになっており、手応えを感じた。

調整レースとして、3週間前にAACAを、10日ほど前にスズカエンデューロ(アタック240)を走った。結果としてはどちらも2位ではあったが、大して調整もしない中でしっかり力は出せて内容は悪くなく、本番に向けては手応えを感じた。

AACAを走って手応えを掴んだ
Lifebloodの谷本先生にスポーツコンディショニングの施術を行ってもらった



唯一、体重だけはトライアスロンでかつての上半身のマッスルメモリーを呼び起こしてしまったのかなかなか絞りきれず、直前までこれまでのレースウェイト+3kgに留まってしまい懸念事項であった。ただ、直前の峠のタイムトライアルでこれまでのPBを大幅に更新するなどよく走れていた。よく考えればおきなわのコースはパンチャー向きで、そこまで減量は必要ないのかもしれないなと思うようになり、このまま直前に無理に絞らないようにして挑むことにした。

雨のつもりで準備を済ませて明日を待つ
結果的に絞り過ぎなかったことも偶然、当日の過酷なコンディションで大きなアドバンテージとなったと思われる。例年この直前の時期、減量で日常生活すら倦怠感が強くヘロヘロになっていたが、それがなく身体が元気なのは大きなメリットだった。ただ、何故か深夜覚醒の状態が続いてしまい、睡眠の状態が悪いのは懸念であった。私が「先生」と呼んでいるGarminのスマートウォッチの身体コンディションの数値はずっと低値であったが、身体の調子自体は昨年などよりも遥かによく、近年でも最高と感じれる状態でレース週を迎えることができた。

レース週は木曜におきなわ入り。私の師匠でもライバルでもあるマツケンさん(松木選手)が激推ししていた岩盤浴にてリラックスをした。

レース2日前の金曜はやや身体は重かったが、コース試走でも想像以上にいい出力とタイムが出てたので、これならばという気持ちであった。またこの時、沖縄の濡れた路面ではダンシングでトラクションのかけ方を雑にするとリアがスリップすることを確認。基本シッティングにしつつ、ダンシングの際はトラクションコントロールを意識して登ることにした。またタイヤ空気圧は最初4.0barにしていたが、雨の場合少し下げることにした。

金曜からカーボローディングを開始し、糖質をかなり摂取した。自分にとってエビデンスレベルAのフルグラ(なぜか糖質オフのやつ)は今年はやや控えめにし、定番の沖縄そばに加えパンや現地で見つけたデーツ、ハチミツをたっぷり入れたホットミルクなどをメインにローディングし、身体が満たされていくのを感じた。まあローディングとか言えばかっこいいが、要は食い過ぎてるだけであるが。

前日十分乗ってやや疲れもあり、土曜は雨の降る前の早朝に1時間程度軽く乗るのみとした。昼に出張で来られていたLifebloodの谷本先生にスポーツコンディショニングの施術を行ってもらった。2019年もお世話になり当日非常に調子が良かった経験があったのだ。結果これが非常に良くてこの夜は久々にぐっすりと眠ることができ当日の身体の動きも非常に良かった。

さて、おきなわ入りしてからの懸念事項のもう一つは天気であり、毎日何度も数種類の天気予報アプリを確認していた。前日はレインウェア(主にシューズカバー)を着用して確認も行っていたが、夜の段階でレース当日の天気はほぼ雨。しかも予報によってはかなり降りそうな時間帯もありそう。雨のつもりで準備し、就寝した。

久々にぐっすり眠れ身体の状態は良さそうだったが、当日はやはり雨。そして日中も気温が低そう。
当初の予定では普久川ダム頂上の補給ポイントで2回ほど、妻にボトル渡しをお願いする予定だったのだが、この低気温と雨では経験上最初のボトルだけで足りそうである。

予定を変更し、ダムでの補給はなしとし、妻には最後までスタート地点でウェアの受け渡しなどをしてもらい帯同してもらった。本当に感謝である。これも結果的によかった。

雨の準備としてはVelotozeシューズカバー、ワセリン(プロペト)の全身塗布、キャップ、アイウェアは明るいレンズ(oakley prizm low light)にといったところである。アームカバーはつけずに半袖、グローブのみだった。

持っていったボトル、補給食は、950ml×2ボトル(ほぼ全量摂取)に、BCAA(EXTEND)+グランフォンドウォーターとMAURTEN DRINK MIX 320 CAF100。補給食に井村屋のスポーツ羊羹40g×6(うち4つ摂取)、MAURTEN GEL100 CAF100×1だった。

ところでこれだけ準備してきて勝利を狙える状態(と思われる)にまで全てを注いで高めてきたにも関わらず、この天候で「もう今日は怪我なく生きて帰れればそれだけでOK」という気持ちになっており、妻にもそれを伝えていた。安全に無茶せず走ってラストに結果がついていればそれでいいや、たかが自転車レースだ、もっと大事なことがあると感じていた。しかしこれで結果的に変に気負わずリラックスして走れてよい結果となった気もしている。

タイヤ空気圧をF3.8 R3.85にセッティング。スタート15分前、妻とスタート地点へ向かった。

緊張の表情でスタートラインに着く井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO

市民200kmレースの220人によるスタート前の一斉発声「チバリヨー!」 photo:Makoto AYANO

小雨が降る中、ライバル達も集結。ウインドブレーカーを脱いで妻に受け取ってもらい、いざスタート。走り始めたらやはりやや肌寒いがしばらく走っていれば問題なくなった。

雨の降りしきるなか名護市街を走り出していく市民200kmレースの集団 photo:Makoto AYANO

何名か逃げた人もいるようだが有力選手は入っておらず、容易に容認され本部半島を淡々と進む。本部の宿泊地前で子供達と義母が沿道で応援してくれているのに応える。自分の中でリラックスできているのを感じた。

雨の降りしきるなか海岸線を走る市民200kmレースの集団 photo:Makoto AYANO

しばらく走って感じたことは、このコンディションでみんな事故なく無事に帰りたいと思っているようで、安全マージンを多くとるような雰囲気があり、無茶なことをする選手が少なく例年よりむしろ落ち着いていたような気がした。逃げグループの人数も少なくタイム差もあまり開いていないようだった。

ところで今回、事前にマークすべきと考えていた選手について。もちろん筆頭は高岡さん。もう加齢で衰えてくるのを待つしかない(ほど隙がなく強い)と何年も前から思っていたのだが、一向に衰える気配がないどころか、何故か更に強くなっている気がする。直前の200kmTTでもあり得ない平均速度で走り切っていた。雨で寒いのが苦手とか全く考えてなかった。沖縄の高岡さんは必ずベストコンディションで来ると考えて何の損もないことは、これまでの経験から分かっていた。

本部大橋を渡る市民200kmのメイン集団 photo:Makoto AYANO

そして中里選手が不気味である。ヨーロッパでのプロ生活も長く経験しており、もしちゃんと練習していたとしたら私などとは全く異なるレベルの選手である(高岡さんもそうなんだが)。かつての武井さんなどのように、この素人のおっさん達の戦いに割り込まんといて欲しい類の「レベチ」な選手だ。ただし今回のレースに向けてどのぐらいの気持ちで練習を積んできているのかはこの時点では自分に全く情報がなかった。

あとはもちろん我らがマツケン師匠。今シーズンも調子云々とか言いながら、何だかんだで調子を合わせてきており、最後は結局残ってくるに違いない。精神力というか根性が並外れているといつも感じていた。

普久川ダムの登りで。高岡亮寛(Roppongi Express)は身体が重そうに見えた photo:Makoto AYANO

他にもクボタ君やマナベ君など新鋭の強豪クライマーも脅威ではあるが、ロードレースでどのぐらい走れるのかは不明であり、経験上はいきなりロードに出て好結果を残した選手は知らなかったのでおそらく前述の選手達の戦いになる可能性が高いだろうと考えていた。結果的には半分は間違っていた。

西海岸に出てからは風も強く、雨も一向に弱まる気配がなく、少し寒さを感じるようになっていた。ゴローさんから右の車列の風下に入れとアドバイスを頂き、しばらくいい位置で走れた。高岡さんは頻繁に前に出ているので、多分寒いんだろうなと思っていた。

普久川ダムの登りに入っても雨は本降りのまま、体温を奪っていく photo:Makoto AYANO

自分も少し身体を暖めるためにマランゴーニ選手が前にブリッジしたタイミングで自分もブリッジして動いたりしておいた。ちなみにマランゴーニもちゃんと練習していたら脅威であったが、Stravaのログを見る限りはサイクリング程度しかしていなさそうだったので、おそらく問題ないだろうと思っていた。

時折動いていれば、出力低下し始めるほど身体は冷えなさそうだと感じていた。あっという間に1回目の普久川ダムの登りへ。

普久川ダム1回目の登りで前を引く。先頭付近で様子を見ることに photo:Makoto AYANO

とりあえず先頭付近で様子を見ることに。マナベ君とクボタ君のEMUコンビがいいペースで先頭を走る時間が長く、1本目としては速そうなタイムで押していくが、ついていけないほどではない。そこそこ集団削られるんちゃうかな?と思ったけれど、このコンディションで下りがゆっくりになるので奥方面に入った頃にはまだかなりの人数が残ってそうだった。

奥で2度目のトイレタイム。マツケンさんはかなり寒くて震えが止まらんと言ってた。確かに寒かったが、自分は震えを感じるほどではなかった。脂肪を身体に残しといたお陰なのだろうか?

中里仁(Rapha Cycling Club)や井上和郎(バルバサイクルレーシングチーム)が控える photo:Makoto AYANO

何人かが逃げたらしいが全くこの時点では知らず、有力選手には特に大きな動きはなかった。奥の登りを経て西海岸に出た時に一度クボタ君と飛び出すタイミングがあった。追い風だし、非常に強いのを知ってるので、ダメ元で行ってみるかと少し踏んで2人で回したもののあっという間に追ってきて捕まった。まあそりゃそうだ。

後は集団の中で淡々と走って2回目の普久川ダムの上りへ。入る前に集団内での位置を下げてしてまっており、ミスったと思ったが、2019年の時の誰かのようなことをする奴はいなかったので助かった。
すぐに先頭付近へ位置を上げることができ、ペースアップに対応できるようにする。

普久川ダム頂上の給水ポイントを通過 photo:Makoto AYANO

乗鞍2位のきょうしろうが上げていき、少し差が空いてここまま行ってしまいかねんと思ったのでそこへブリッジ。このまま上げ続けられたらキツいなと思っていたが、その後緩めてくれたので助かった。後は確かまたEMUコンビがいいペースで牽いてくれる時間が長かった気がするが、特にハードな局面はなく、むしろ1本目より楽に頂上まで。

いつもならここで補給ボトルをもらっているが、予想通り半分ぐらいに減ってるだけなので全体ではちょうどいいぐらいだろう。妻に補給にいてもらわなくてよかった。こんな雨の中長時間いるのはしんどいし、2回目通過してからも交通規制が解除されるのが12時過ぎでゴール直後にも会えなかっただろうしな。

ここからの安波への下りは最も慎重にならなくてはならない。集団前方で下りに入り、前走者とはやや車間をあけて安全マージンは多めにとる。前後の荷重バランスを意識、コーナーはバイクは起こし気味にして滑るリスクは最小限になるようにクリアする。出来るだけ滑りにくい赤い路面を走るようにしたが、無理なライン変更は最小限にして無事に安波の学校坂手前まで。

学校坂の登りからアタックして独走に持ち込んだ井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO

ここからが自分の勝負である。昨年はログを見返してもここをゆっくり走ってしまったことが失敗のひとつであり、消極的なレース運びをしたことが最大の後悔であった。今年はもちろん状況に応じてではあるが、行けそうならここで自分から積極的に攻めに転じようと考えていた。

今年のこのレースに対する目標は(雨で朝には無事帰ることが第一になったけど)、勝敗云々よりも自分らしく積極的に走り、LIVEで観戦してくれている人を楽しませれるようなレースをしようと決めていた(結局ここの部分は中継されてなかったっぽいけど笑)。

まだリスクはないとは言えないけど、ここからしばらくはアップダウンがあるだけで危険なコーナーなどはしばらくない。行ける状態なら攻めるのみだ。

登り手前から前方に移動していき、最初から先頭で上げていく。金曜に試走しており、大体のペース感も把握している。雑なダンシングはリアが滑るので立ち上がった際はトラクションコントロールを意識し、シッティング多めで踏んでいく。少し空気圧を下げたおかげか滑る気配はほとんどなかった。

中盤で後ろを振り返ると数名はまだついてきていたが後はかなりバラけているのが確認できた。

そして必ずいると思っていた高岡さんがいない気がする。気のせいかもしれないが、行くしかない。
ややペースを上げて踏んでいくと、頂上付近ではほとんど後ろはいなくなっていた(気がする)。

記憶が曖昧であるが、ちょうど学校坂頂上付近で逃げてたらしき集団に合流。しかもけっこう強そうなメンツである。正直この逃げグループがいることを全く知らなかったのだが、こりゃちょうどいいや、と私を前待ちしてくれた仲間達と後ろを引き離すしかない。

独走する井上亮を逃がすまじと追う集団 photo:Makoto AYANO

回していこうとするが回らず(そりゃそうだ)、後ろ何名かは合流したようである。しかし高岡さんやマツケンさんはいなさそうで、どうやら学校坂での攻撃は想像以上の戦果を挙げたらしいが、ここで攻撃の手を緩めてはいけない。幸い、今日は身体がよく動いて脚もあるようだ。

周りはあまり気にせず積極的に先頭に立ち、ペースを保とうとすると後ろが千切れて差が空いたようである。とりあえず行くしかない。すると後はお見合いになったらしくみるみる差が開いていく。これはきた、とシーズンを通して取り組んできたエアロフォームで独走を開始。

肘を折り畳み、ブラケットをリラックスして握り頭を下げて高めのケイデンスで、スムーズに回していくことを意識。ただ下りやコーナーは要注意だ。引き続き滑らないように慎重に。コーナーではバイクは立て気味にしつつ、エアロフォームは意識して下っていく。「身体は熱く、心は冷静に」を心がけた。ちなみに薄々感じていたが、レース後に独走している映像を見返したらイマイチなエアロフォームだった(笑)。

雨天のためチキってしまい、どうしても身体が起き気味になってしまっていたようだ。まあ安全を優先させたので仕方ないが。

昨年も高岡さんが独走したように、今回も自分を逃してはいけないのはわかっていても後続は上手く回らずにペースは上がらないはずだ。そしてこの雨であり、さらに高岡さんは集団にはたぶんいない。

自分には十分脚が残っているという手応えもあり、これなら今のお前ならいけるはずだ。正直「もらった」と思った。ゴールで待っててくれる妻、子供達の顔が浮かんで涙が出そうになった。いや待て、まだ早い。まだ残り1時間以上はある。

今に集中しろと言い聞かせ、平坦や登りではダンシングを交えつつスムーズに回し、下りは脚を休め気味にして安全に下った。比較的余裕を持って走ってはいるが、悪くはないスピードだと思っていた。後続とのタイム差を一度モトバイクに聞いてみようと思っていたが、もう少し後でもいいかと思って自分の走りに集中していた。

もうすぐ慶佐次の登りに差し掛かかろうとしていた。ここから続く登りでどのぐらい落とさずに高い出力で維持できるかが重要やなと考えていたところ、自分の後ろに何人かついてきた気配があった。

他カテゴリーか?まあ別にええけど、と思って見てみると同じ紫色のゼッケンである。ん?周回遅れなんてないよな。他カテゴリーでも紫ゼッケンのことなんてあるのか?まだ逃げてたグループあったっけ?でも自分に先導車がずっとついてたよな…。とか混乱してたら、すぐに見知った森本さんや他の強豪達の姿を確認。

東村で集団に捕まったときは信じられない気持ちだった photo:Makoto AYANO

どうやら追いつかれたようだ。まじかよ、あの走りをしてて追いつかれたのか?どうやって?
高岡さんは去年一体どうやって逃げ切ったんや…。
一瞬これは終わったかもしれんと思ったが、まだ勝負は全く終わってはいないと思い直した。幸い自分はまだ脚は残っていそうだ。

とりあえず慶佐次の登りは集団の中で淡々と走り様子をみてみる。やはり自分はまだ脚はありそうだが、そんなに上げてなくても何人かは遅れているようである。みんな苦しいようだ。ここは様子をみて集団の中で次の有銘の登りに備える。

平良湾で抜け出た岩島啓太(MIVRO)と西谷亮(ACTIVIKE) photo:Makoto AYANO

cyclowiredや他の選手のレースレポートを見ると、ここで西谷君と岩島さんが抜け出したらしいのだが、実は全く覚えていない。レース中は認識したのかもしれないが、自分のすべきことに集中していたのかもしれない。

有銘の坂で再びペースアップする井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO

有銘の三段坂に入りじわっと上げていく。安波の学校坂のようにもう少しガツンといきたいところであったが、流石にそこまでの脚はなさそうである。しかしこの程度でもこれまで自分を追走してきた集団には厳しいようで人数は減っているようであり、自分も勾配がキツくなったところでプッシュしていくと3人になった。

抜け出た井上亮と真鍋晃に追従しようとする中里仁(Rapha Cycling Club)ら photo:Makoto AYANO

残ったメンツは真鍋君、中里さん、私。真鍋君は普久川ダムの登りでも強かったし、というか富士ヒルチャンプなので単体のヒルクライムならば私が敵うべくもない選手なのは知っているが、正直ロードレースでここまで残ってくるとは思っていなかった。そしてまだ動きも良さそうでかなり脅威だ。

中里さんはこの時点でほぼツキイチになり、全く前に出てこない。これが戦略的なものか、単に脚がなくなっているのか分からなかったが、絶対に最後まで連れていってはいけない。真鍋君には何となくだが私の雑魚スプリントでも勝てるような気がするが(失礼)、中里さんにはいくら脚が消耗していても勝てる気がしない(一緒に走ったことないけど)。

この3人、実質私と真鍋君で回しながら淡々と進む。カヌチャリゾート前の2回の登りで少し様子見で上げてみると、真鍋君はまだ余裕がありそうな雰囲気だったが、中里さんは苦しそうである。脚がなくなっていることを期待したいと思った。

カヌチャ前で今回は無念のDNSとなった練習仲間の糸井さんからの声援を受け力をもらう。ここからの下りは2019年に工事区間があり、そこに突っ込みかけた経験もあったので慎重に下る。

後は羽地までは平坦のみ。中里さんは全く前に出てこず、ツキイチに徹しており、流石元プロだなと思っていた。この勝負に徹した割り切り方は自分のような素人にはできない。もし脚がなくなっていたり、スプリント勝負だとわかっていてもある程度回さないと悪いなと思って先頭に出てしまう。たぶん真鍋君も同じだろう。一度スピードを緩めて前に出てもらい様子をみると、やはり動きは重そうな印象を受ける。次の羽地で勝負を決めるしかない。

ややペースが落ちてたようで、後ろから1人合流してきた。バルバのジャージだ。最初、うわ、寺崎君か、と思ったがすぐに井上和郎さんと分かった。流石過ぎる。説明不要で自転車界で井上と言ったらもちろんマグロではなく和郎さんである。

中里さんと同じく、まともに練習していたらやや年齢は重ねたとはいえ私など足元にも及ばない実力の持ち主だ。ただ、この前に千切れており、この合流時点でも相当キツそうだったので、この先に羽地の登りがあるから大丈夫だろうと思っていた。

登りで肩を並べあって攻撃する井上亮と真鍋晃。中里仁が少し遅れだす photo:Makoto AYANO

いよいよ羽地の登りへ。入りから真鍋君がじわっと上げていってくれたのでそれについていき、様子をみてみる。よく脚が回っており、強い。自分もキツい。真鍋君にここからさらにペースアップする脚があったとしたら厳しいかもしれないが、番越トンネルまでの中腹まででややペースは落ちた感があったので、これなら行けるかもしれないと感じた。

登り始めて早々に和郎さんは脱落したようであり、中里さんもキツそうでトンネル手前あたりから遅れ始めた。

これは攻めるしかない、と自分もバイクから立ち上がり前に出てペースアップした。差は開いていき、最大の懸念は消え去った。

中里仁を振り切った真鍋晃(EMU SPEED CLUB)と井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO

番越トンネルを超えた。このままいってスプリントという選択肢も少し考えたが、そうじゃないだろう。攻撃すべきだ。

再びバイクから立ち上がり、ラインを変えてペースを上げた。少し差が開いた。今、この時だ。勝つなら攻めるしかない。

富士ヒルチャンプの真鍋晃(EMU SPEED CLUB)の様子を伺う井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Makoto AYANO

「勝つのは俺だ!」と自分に言い聞かせるように叫んだ。よく覚えていないが何回か叫んだ気がする。今思えば、疲労は感じず、ゾーンに入りかけたような感覚があった。いや知らんけど。プッシュし続けた。何度か後ろを振り返り、差がじわじわと広がっていくのを確認。

もう一度踏み直し、真鍋晃(EMU SPEED CLUB)を引き離した photo:Makoto AYANO

2つトンネルを越え、頂上を通過する時点では見えなくなった。また雨は強くなっており、集中し続けていた。平坦や緩い下りはリラックスして脚を回すことを意識。下りコーナーはスピードを緩めて慎重に下った。

勝てるのか?またゴールで待っているだろう家族の顔が思い浮かんだが、すぐに「目の前に集中しろ」と言い聞かせた。「身体は熱く心は冷静に」と言い聞かせ、何度か冷静にと声に出していた気がする。緑の橋の手前にある、この下りで最もRのキツいコーナーを慎重に下り、この後は再びスピードに乗せる。

下りきり、最後の直線へと向かう東江4丁目の交差点を慎重に回った。残り1.3km。エアロフォームを意識し、頭を下げて脚を回し続けた。何度か後ろを確認したが来てはいない。

フラムルージュを通過。もう少しだと脚を緩めず回し続けた。あと500、400…

ゴールゲートが近づき、後ろを確認。誰も来ていない。勝利を確信したら涙が溢れてきた。
どうやら勝つらしい。

市民レース200km優勝 井上亮(Magellan Systems Japan) photo:Satoru Kato

これまで何度も優勝のゴールシーンをイメージしていたが、それを超えたよくわからない感動が押し寄せてきて涙や謎な嗚咽が止まらない。自然とガッツポーズが出てゴールラインを超えた。
勝ったようである。

少し走って、すぐに家族の姿を探した。
妻が子供達を連れてこちらへ走ってきて、また涙が止まらなくなり、妻と抱き合った。
子供は「何で勝ったのに泣いてるの?」と言っていた気がする。

続々とゴールし最後まで戦った真鍋君、中里さんらと握手を交わした。僕を一番最初に自転車へと誘った、ボート部の先輩の中尾さんが100kmレースでゴールして駆け寄ってきてくれたらまた涙が止まらなくなった。

表彰会場にて家族と。サポートしてくれてありがとう

その後も森本さん、そして苦楽を共にしてきたマツケンさんも喜んでくれて涙が止まらなかった。未だ勝ったことが信じられなかったが、自分がレースで勝ってこんなに感動するとは思わなかった。苦しい時も何も言わずサポートを続けてくれたサンボルトの橋本社長とも抱き合えた。他のレースを共に戦い祝福してくれた仲間達も本当にありがとう。

たかが趣味のアマチュアの自転車レースで勝っただけで涙するなど馬鹿げているかもしれない。今日の朝思ったようにたかが自転車レースだ。されど、自分にとっては何年もほぼ全てをかけて打ち込んできたものだ。それだけ自分にとっての大きな夢だったものが叶ったのだ。

市民レース200km 表彰式 photo:Satoru Kato

これまで何年もスポーツを続けてきたが、自分が本当に勝ちたいと思った大きなレースで勝ったことはなかった。

小学生の頃、足は速かったが、スポーツは得意とは言えず、野球やサッカーで活躍できるような友達は憧れだった。中学高校は一番得意だと思っていた水泳を続けたが、本当に平凡な選手で県大会すら予選で敗退して本戦に出場できないような選手だった。弱いのは惨めで、強くなりたいと思った。

ロードレースに出ない真鍋晃(EMU SPEED CLUB)とはこのレースが初対面だった photo:Makoto AYANO
大学に入ったら当時まだ強かったアメフト部に入って鍛えるんやと思っていたが、入学したら同じように強いと言われてこっちの方が向いてそうだと感じてボート部に入った。同じように強いというのは言い過ぎであったと入部後に判明したが、それでもこの競技に熱中し、先述の中尾先輩達と共にまさに青春の全てをかけてボートに打ち込み、全国レベルでも戦えるようになった。

インカレや全日本で本当に勝ちたいとやってきて、卒業後や大学再入学後も合わせて8年続けたが、結局インカレと全日本では4位が最高だった。それでもボートを通して、このタイプのマイナー持久系競技なら努力次第で上のレベルで戦えるようになる才能があると自信を得れた。

再入学した大学で3回生の時に以前からやってみたいと思っていたトライアスロンに転向した。クラブチームに入れてもらい、ジュニアのトップ選手達とトレーニングさせてもらい日本選手権でも上位に入れるようになった。大学世界選手権も日本代表で出れたが、1番勝ちたかったインカレでは2位が最高で結局勝ちきれなかった。

国家試験前に最後に、と出た2013年のツール・ド・おきなわ140kmで優勝でき、沖縄という土地も含めたこのレースに魅了され、また働きはじめても出たいな、と思った。

2013年ツール・ド・おきなわ 市民レース140kmで羽地ダムを独走する井上亮(京都府立医科大学)  photo:Hideaki.takagi

翌2014年、自転車だけはトレーニングを継続し、初めて市民210kmに出場した。それまで憧れでしかなかったイナーメのグリーンのジャージに身を包んだ高岡さん、森本さんと終盤まで4〜5人の小集団に残り、本当に興奮した。確か慶佐次か有銘で千切れて5位だった気がするが、本当に楽しくてこのレースに更にハマり、いつかこの市民210kmで勝ちたいと思うようになった。

表彰式で長女と次男と
翌年3位、次は落車もあったが2位と成績を伸ばし、次こそはと思った2017年。自信もあったがスプリントになり6位。結局はまだ勝ち切る実力がなかった。

2018年は全日本で8位と信じ難い結果を残すことができ前半は調子は良かったが、沖縄では落車して高岡さんも巻き込んでしまい、辞めようかと思うぐらいかなり凹んだ。

2019年はいい走りはできたが、やはり高岡さんが強くてスプリントで負けマツケンさんに続く3位。
そしてコロナ禍へ。レースが尽く中止となる中、練習中に下りコーナーで落車。高速で吹っ飛ぶ最中に「ヤバいこれは死ぬかも」と思ったが、ガードレールに激突し地面に打ち付けられて何とか生きていてホッとした。しかし動こうとした瞬間右股関節がゴリっとなり激痛で動けなかった。頚部骨折か、競技生活終わったかもな、しかし子供の頃から考えたら想像以上に色々競技で活躍できるようになって悪くない競技生活やったなと思った。結局骨盤骨折で、信頼できる先輩医師の元に転院させてもらい、保存的治療(手術なし)としたお陰で順調に回復することができた。

しばらく真っ直ぐは歩けなかったが自転車にはそこまで影響はなかったと感じていた(おそらく影響はあったんだろう)。しかしワクチン接種の影響なのか、この頃から体調不良を繰り返すようになり、心身のコンディションを保つのが困難になっていた。

勝てることがないだろうと思っていた高岡亮寛さんが祝福してくれた photo:Makoto AYANO
一方、加齢で衰えてくるのを待つしかないかと思われた高岡さんは一向に衰える気配のないどころかさらに精強になっているような気がした。さらにコロナ禍でZwiftが流行ったのもあり、若くて強いアマチュア選手が多く出てきた。

自分はフィジカル的にも下降線を辿っており、もうおきなわで勝つのは厳しいかもな、今年までにして後は日々の健康目的にサイクリングを楽しむ生活にしようかなと何度も思った。しかし同じように落車事故で大腿骨骨折し、そこから不屈の精神で這いあがろうとするマツケンさんに勇気をもらった。マツケンさんがやれるのに、それよりも若い自分が諦めるわけにはいかないと。

コロナ禍が明けつつあった昨年2022年もほぼ1年不調に苦しんでいたが、秋頃涼しくなってきた頃から調子が上向いてくるのを感じ、ここ数年感じたことのなかったと力強さが戻りつつあったのを感じていた。結果は前編に記載した通りで直前とレース自体が残念な内容だったが、もう無理かと思われた状態からまた再びトップを争えるところまで戻ってこれたのには手応えを感じていたし、これならば来年もと期待させるものだった。

そして今年は記載した通り。他にも強い選手はたくさんいたが、全てが結果的にいい方向にうまくはまっての結果なんだろう。運も味方につけた感があった。これを何回も繰り返してきた高岡さんは流石としか言いようがない。

振り返れば数週間前に今回同様雨のレースで落車したことも結果論でしかないが今回安全に無事走り切れた結果に繋がった気がする。絞り切れなかったと悩んだのも結果的には、おきなわで前例のないぐらい低気温で雨となった過酷なコンディションで大きなアドバンテージとなったに違いない。私からみてカリカリに絞れていた選手は皆、この寒さにやられて本来の力を失っていたように思われた。

決して寒いのが得意という訳じゃないが(寧ろ苦手だと思っていたが)、今回はいつもと異なる環境で運が味方した面も多々あった気がしている。

来年、コンディションをまた持って来れるかわからないが、願わくばいつもと同じスタンダードな暑いおきなわでライバル達と闘ってみたい。一度でいいから勝ちたいと思っていたが、前年勝った者にしか連覇にはチャレンジできない。今回不本意な結果となった高岡さんやマツケンさん、また若くてまだ伸び代の大きい真鍋君、中里さん(来年の優勝候補筆頭だろう)も脅威である。まだ王者というには程遠い。来年も挑戦者として積極的な走りをし、あわよくば連覇にチャレンジしてみたいと思う。

家族が優勝記念のケーキをつくってお祝いしてくれた
レースが終わってもまだ余韻が残っているが、終わった直後も今も感じているのはX(Twitter)にも書いたが、終わったらもうただのダメなおっさんであるということだ。自分で言うのも恐縮だが、私のことをよく知らない人が私の肩書きや戦歴のみを見たら「おいおい、コイツ一体どんなスペックの奴やねん」と思われるかもしれないが、実際にはかなりダメな人間である。何度遅刻せんとこうとしても毎回遅れる。やらねばならないことを後回しにする。コミュ障。これだけ好き放題練習させてもらって妻に迷惑をかけて負担をかけているにも関わらずロクに子供の面倒も見れない。他にも色々とダメ過ぎてここに書くのも躊躇われるほどだ。

当たり前であるのだが、ただのアマチュアの自転車レースで勝っただけで何も偉くなったわけでもなく、ここにいるのはタダのダメなおっさんであるということを意識して謙虚に生きていかねばならない。

こんな自分をずっと応援してくれて、支え続けてくれる妻には本当に感謝している。今年も、特におきなわが近づいてきたら思う存分練習したかろうと何も言わず、休日は子供達を朝から遊びに連れていってくれた。妻も今年から仕事を再開し、本当はもっと休みたいだろうにである。

この結果は半分以上は妻のお陰と言っても差し支えない。多くの家庭ならば秒で離縁されるであろう。本当にありがとう。子供達もダメ親父が自転車だけは真剣に頑張っていることだけは分かってくれているようで、事あるごとに応援してくれるのが力になっている。ありがとう。

愛車のスペシャライズドTarmac SL8と photo:Makoto AYANO

今年も帯同してくれて、妻が私のサポートしてくれた間に子供の面倒を見てくれたりしてもらった義母、年中応援してくれ支えてくれているMagellan Systems Japan代表の義父。名古屋から何も言わず応援してくれていた両親にも本当に感謝です。

そしてこんな自分の活動を応援してくれる今の職場の院長を始めとしたみなさん。2019年から縁あって勤めさせてもらってから、どれだけ毎日が気持ちよく職場に行けるようになっただろうか。
いつもお世話になっている京都・長岡京のチクロイプシロンの山脇店長。今回のTarmac SL8も組み上げてもらい、直前にも最終メンテをしてもらだだお陰で全くトラブルなく走り切ることができました。

いつも練習に付き合ってくれるフジタさん、糸井さんら北摂の練習仲間達。最後になりましたがダメな自分を支えてくれる皆さまに本当に感謝です。たぶん今後もご迷惑をかけると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

text:井上亮(Magellan Systems Japan)

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