2010/07/22(木) - 06:18
最後のツールで最後に狙ったステージ。ランスの走りにツールが沸くが、「美しい物語の終章」は待ってはいなかった。勝利に結びつきはしなかったが、ランスはただ歳をとって弱っていたわけじゃなかった。終わらない闘志にフランスじゅうが応援した。
ウォーミングアップ in 難関山岳ステージ
ペイルスルード、スロール、アスパン、トゥールマレー、オービスクと、名だたる峠が名を連ねる厳しい山岳ステージ。スタート直後からペイルスルード峠の上りが始まる。スタートの街ルションからアクチュアルスタートの0km地点までのニュートラル区間から、すでに勾配の厳しい上り坂になっている!
この日、早めに峠に向かうためにスタート20分前に先行して出発。そこで0km地点までの上りを利用してウォームアップするたくさんの選手たちの姿を見た。上りでスプリントを掛けるように追い込んでいたのはカルロス・バレード(クイックステップ)。そしてレディオシャックの選手と走るアームストロングの姿もあった。この日スタートから動いた選手は例外なくウォームアップして臨んだようだ。
日本人観客がたくさん!
ペイルスルード峠に向かう途中で多くの日本人観客を沿道に見つけた。先行するために急ぐ車列にいたので逐一停まることは出来なかったが、何組かの応援団をカメラに収めさせていただいた。ポー・ピレネー空港からのアクセスがいいだけに、日本からの観戦ツアー一行が到着したのだろう。
またオービスク峠の頂上付近では麓の街からランニングで登ってきたという日本人にもお会いした。小さなデイパックに必要な水と補給食だけを持つトレイルランスタイルでコースを走る。現地の人に多いスタイルとはいえ、たくましい!
LIVESTRONGのメッセージの道を走るアームストロング
そして今日多かったのがLIVESTRONGの路面のペイントだ。路面に延々と、数キロに渡って続くメッセージは、ランスが繰り広げるUNITYキャンペーンのものだ。
「がん患者と共に闘う」という主旨のUNITYキャンペーンは、レディオシャックの選手がフレームにがんと闘う人の名前のステッカーを貼るなどして応援するもの。アームストロングもUNITYカラーのバイクに乗り、毎日誰かの名前と一緒に走ってきた。
路面のメッセージには「LIVING IS WORTH, FIGHTING FOR TOGETHER(生きることは価値有ること。共に闘おう」「LIVE FOR TOMORROW,DO YOUR BEST TODAY(明日のために生きろ。今日のためにベストを尽くせ」といったメッセージが、英語だけでなく様々な言葉で書かれている。これは誰でもリブストロングのスタッフに申し込めば、そのメッセージを路面に書いてくれるというサービスとのこと。書くのはチョークロボット。しかしまるで「ランスが今日動くことを知ってたのか?」と思わせるほどに黄色いペイントが目立った。
かくして、スタート直後にアームストロングがアタックしたという一報。「このメッセージが書かれた道をどんな思いで走るのだろう?」「もしかして、ランスが自分で演出している?」そんなことを思った。
アームストロングはこの日にアタックすることを決めていた
第8ステージで転倒して総合争いから脱落してからというもの、アームストロングは狙いをステージ優勝に変更していた。
ピレネーに入っての2日間のステージではグルペットでゴールし、脚を溜めてきた。総合では40分以上の遅れ。事情の分からないファンは「歳をとったアームストロングはもう終わった」と思ったことだろう。しかしファンの失望と同時に、ライバルたちがもはや自分を追いかける必要がないほどのタイム差も蓄えた。「アームストロングは総合圏外」。それがステージ勝利には必要なものだった。
他の選手たちにとってアームストロングは、確かにもっとも尊敬される選手ではあるが、もはや最も恐れられている選手ではない。どちらかと言えば「一緒に逃げたい選手」。そして「負かせばいい記念になる選手」としてマークされる存在だ。問題はどのステージを狙うのかということ。アームストロングは「誰もが自分がステージ優勝を狙っていることを知っている。とても難しい」と話していた。しかし今日がそのタイミングだった。この日に決めていたようだ。
アームストロングはレース後にこう言った。「この日は、本(レースブック)のページの端を折って印をつけていた)」。
「まだファイターのスピリットはある」
スタートから逃げに乗り、アタックを繰り返し、トゥールマレーでは最強時代のように独走した。それが最後に脚を残せないことにつながったのかもしれない。
「もし今日アームストロングが勝ったら、ストーリーとしては美しく完結する。ぜひ勝ってこのツールの失望をひっくり返して欲しい」とも思った。しかし誰もかつての英雄に勝利を譲ってくれはしなかった。
8人の逃げグループで臨んだゴールスプリントはピエリック・フェドリゴが制し、アームストロングは6位に沈んだ。
アームストロングは言う。「このステージに狙いを定めてモノにしようとしたけど、うまくは行かなかった。
最後に勝てるほど十分は速くなかったということ。フェドリゴはとても速くて勝利をモノにした。彼にシャッポを脱ぐよ。
ハードな一日だった。レース前にはウォームアップして、ゼロkmから行ったんだ。200km先頭で走って、最後にそれが効いた。最後はスプリントする脚がなかった。でもトライした」。
アームストロングにはスプリント力が無いわけじゃない。2004年ツールではウルリヒとクレーデンのTモバイルコンビの攻撃を圧倒的なゴールスプリントで沈め、「ノーギフト」と言い放った。そのスプリントはまるで一級のスプリンターのようだった。しかしあれから6年。アームストロングは言う。
「前にスプリントしてからずいぶん長いこと経つ。僕らはフェドリゴが一番速いことは知っていたし、クネゴもいた。彼の後輪に着こうとしたけど、ただ僕は勝てるほど速くなかった。
僕はレースで一番強い男じゃなかった。でもまだファイターのスピリットはある」。
一日中レースを楽しんだアームストロングは、観客たちの応援がかつてないほどに暖かかったことに感動していた。フランス人の敵として君臨した7連覇時代とは比べものにならないほど心のこもった応援。そしてアメリカからも多くの観客が自分の応援に来ている。
「このツールで観客たちの自分への応援は本当に素晴らしく、サポートに溢れている。小グループの逃げに乗ったとき、観客たちは話ができるぐらいすぐそこにいて、話しかけることも、返事を返すこともできる。彼らの応援が嬉しかった。僕はツールに勝てないから、彼らはツールに来る必要なんかなかった。世界中から飛行機でやってきて路肩に立つ必要なんか無かった。でもそうしてくれたことが本当に嬉しい」。
コンタドールもアームストロングが勝利することを期待したようだ。コンタドールは言う「かつてのアームストロングを思い出した。もし彼が勝ったら嬉しかったと思う」。
アームストロングのラストダンスは終わった。もしかして第20ステージの個人タイムトライアルがある? それは期待のし過ぎだろう。
ランスは言う「ランス・アームストロングはあと4、5日で終わるよ」。
優しくも激しい「マルマンドの鼻」
2年連続のツールでのステージ優勝、ツール通算3勝目となるフェドリゴの勝利。Bboxブイグテレコムにとっては2日連日のステージ優勝。しかもヴォクレールとは揃って2年連続のステージ優勝だ。しかもフェドリゴの昨年のステージ優勝もトゥールマレーとアスパン峠を通るステージでのものだった。なんというデジャヴ! そしてこの勝利が今ツールでのフランス人の5勝目だ。そして「アームストロングが最後のツールで最後の逃げを見せたステージで勝った選手」ということで記憶に残る勝利だ。
「マルマンドの鼻」のニックネームを持つフェドリゴ(マルマンドは出身地)。がっちりした体型に特徴的な鼻、優しい表情。ツールでステージ3勝を挙げたフランス人として、今プロトンにいるシルヴァン・シャヴァネル(クイックステップ)とサンディ・カザール(フランセーズデジュー)と並んだ。
「今日勝てたのは本当に凄い。最初のペイルスルード峠から困難だった。アスパン、トゥールマレー、スロール、そしてオービスク。そして家族が観に来てくれていた。
昨夜はもうこのツールでは勝負を決める逃げに乗れないんじゃないかとヤケになりかけていた。第11ステージでフレチャとシャヴァネルと一緒に逃げたときも、僕にとって大事なのはステージ優勝を決める逃げかどうかということだった。たとえ2位や3位になってもいい。勝利を争う逃げに加わりたいんだ」。
ステージ優勝を狙う逃げと同時に、Bboxブイグテレコムにとってはアントニー・シャルトーのマイヨアポアを守る動きでもあった。フェドリゴがステージ優勝を意識したのは、オービスクを上り、残り60kmになってからだった。
昨年はフランコ・ペッリツォッティ(リクイガス)がゴールスプリントの相手だったが、今回は7人が相手だった。2006年の勝利はサルヴァトーレ・コメッソ(イタリア、当時ランプレ)が相手のマッチスプリントだった。フェドリゴは典型的な「パンチャー」と呼ばれるタイプ。さらに少人数でのスプリント力に長ける。
フェドリゴは「アームストロングを警戒したか?」と訊かれるとこう答えた。
「ノン。アームストロングのスプリントは恐れていなかった。僕が警戒したのはサンディ・カザール。彼は他の日に勝っているし、こういったハードな日に少人数の逃げに入り込んで勝つ能力がある」。
マイヨアポア争いにモローが急浮上
この日、逃げに乗った選手の中で最年長はアームストロングでなくクリストフ・モロー(フランス、ケースデパーニュ)だった。アームストロングと同い年、5ヶ月早生まれというモローの狙いはマイヨアポアだったようだ。
ペイルスルードとアスパンでポイントを稼いだシャルトーは、トゥールマレーで遅れてしまう。他の選手にポイントを取らせないためにフェドリゴが対抗するが、モローはツールマレーとオービスクを先頭通過し、それぞれ20,40ポイントを荒稼ぎ。シャルトーに15ポイント差に迫った。
今季いっぱいで選手生活を終える38歳のモロー。アームストロングと同じく、モローにとってもこれが最後のツールだ。
ユキヤはアスパンでVサイン、オービスクは笑顔で通過
新城幸也(Bboxブイグテレコム)は余裕たっぷりだ。アスパン峠通過時はカメラを向けるこちらに気づくやいなやVサインを繰り出す。人垣と山岳ポイントのバリアの影に隠れて撮影していたのに、鋭く見つけ出す動体視力とその余裕に恐れ入りました。
オービスク峠では日本人観客の応援にも気づいてニッコリ。この日もなんの問題もなくピレネー山岳を乗り切った。最難関第19ステージを乗り越えれば2度目のツール完走はほぼ確実。(というより、もはやポイントはそこではない気がする!)
休息日明けの第17ステージは、2度目のトゥールマレーにゴールする今大会最難関ステージ。そこでモローとシャルトーのマイヨアポア争いが決することになる。Bboxブイグテレコムとしては、モロー、クネゴ、カザール、ピノーらポイントを逆転される可能性のある選手らを徹底マークして逃げを許さないか、もしくは彼らを含まない他の選手達による逃げグループを許すか、という闘い方になる。シャルトーのマイヨアポアを守るユキヤとチームメイトの働きは責任重大だ。
コンタドールとアンディは完全に仲直り
論争を呼んだアンディ・シュレクがチェーントラブルを抱えたときにコンタドールがアタックした一件は、昨夜のうちにコンタドールがYOUTUBEに謝罪ビデオを掲載したことで一段落つきつつあった。
コンタドールはホテルの自室で自分で(もしくは兄のフランが)撮影したこのビデオのなかで、アンディに素直に謝り、苦しい気持ちになっていることを正直に告白した。トラブルがあったことは知らなかったこと、レースはすでに始まっていたことなどを説明。自分に誤りがあったことを認めた。
アンディはこのビデオを見ることなくスタートを迎えたが、コンタドールが直接謝りに来てくれたという。アンディはコンタドールの説明に納得し、理解を示した。二人の友情は元のように戻り、さらに良好なものになったようだ。そしてアンディはコンタドールのこの行動を「人格を備えたチャンピオン」として讃えた。
ステージは問題なく終わった。しかし表彰式ではコンタドールに向けてブーイングのホイッスルが鳴らされ、観客の中にはまだしこりを残していたようだ。
そしてステージ終了後にはフランスTVの番組にアンディとコンタドール2人が揃って出演する公開インタビューが行われ、事情が説明された。
この二人揃ってのショーは、喧嘩が終わったことに加え、かつてのツールのライバルたちがそうであったような「口も交わさない関係」でなく、ふたりが友人以上のものであることを視聴者に印象づけたした。
最後にアンディがカメラに向かってブーイングをやめるように呼びかけ、ダメ押しした。
心のわだかまりがすっかりなくなった二人。トゥールマレーでいよいよ勝負が決する。
photo&text:Makoto.AYANO
photo:CorVos
ウォーミングアップ in 難関山岳ステージ
ペイルスルード、スロール、アスパン、トゥールマレー、オービスクと、名だたる峠が名を連ねる厳しい山岳ステージ。スタート直後からペイルスルード峠の上りが始まる。スタートの街ルションからアクチュアルスタートの0km地点までのニュートラル区間から、すでに勾配の厳しい上り坂になっている!
この日、早めに峠に向かうためにスタート20分前に先行して出発。そこで0km地点までの上りを利用してウォームアップするたくさんの選手たちの姿を見た。上りでスプリントを掛けるように追い込んでいたのはカルロス・バレード(クイックステップ)。そしてレディオシャックの選手と走るアームストロングの姿もあった。この日スタートから動いた選手は例外なくウォームアップして臨んだようだ。
日本人観客がたくさん!
ペイルスルード峠に向かう途中で多くの日本人観客を沿道に見つけた。先行するために急ぐ車列にいたので逐一停まることは出来なかったが、何組かの応援団をカメラに収めさせていただいた。ポー・ピレネー空港からのアクセスがいいだけに、日本からの観戦ツアー一行が到着したのだろう。
またオービスク峠の頂上付近では麓の街からランニングで登ってきたという日本人にもお会いした。小さなデイパックに必要な水と補給食だけを持つトレイルランスタイルでコースを走る。現地の人に多いスタイルとはいえ、たくましい!
LIVESTRONGのメッセージの道を走るアームストロング
そして今日多かったのがLIVESTRONGの路面のペイントだ。路面に延々と、数キロに渡って続くメッセージは、ランスが繰り広げるUNITYキャンペーンのものだ。
「がん患者と共に闘う」という主旨のUNITYキャンペーンは、レディオシャックの選手がフレームにがんと闘う人の名前のステッカーを貼るなどして応援するもの。アームストロングもUNITYカラーのバイクに乗り、毎日誰かの名前と一緒に走ってきた。
路面のメッセージには「LIVING IS WORTH, FIGHTING FOR TOGETHER(生きることは価値有ること。共に闘おう」「LIVE FOR TOMORROW,DO YOUR BEST TODAY(明日のために生きろ。今日のためにベストを尽くせ」といったメッセージが、英語だけでなく様々な言葉で書かれている。これは誰でもリブストロングのスタッフに申し込めば、そのメッセージを路面に書いてくれるというサービスとのこと。書くのはチョークロボット。しかしまるで「ランスが今日動くことを知ってたのか?」と思わせるほどに黄色いペイントが目立った。
かくして、スタート直後にアームストロングがアタックしたという一報。「このメッセージが書かれた道をどんな思いで走るのだろう?」「もしかして、ランスが自分で演出している?」そんなことを思った。
アームストロングはこの日にアタックすることを決めていた
第8ステージで転倒して総合争いから脱落してからというもの、アームストロングは狙いをステージ優勝に変更していた。
ピレネーに入っての2日間のステージではグルペットでゴールし、脚を溜めてきた。総合では40分以上の遅れ。事情の分からないファンは「歳をとったアームストロングはもう終わった」と思ったことだろう。しかしファンの失望と同時に、ライバルたちがもはや自分を追いかける必要がないほどのタイム差も蓄えた。「アームストロングは総合圏外」。それがステージ勝利には必要なものだった。
他の選手たちにとってアームストロングは、確かにもっとも尊敬される選手ではあるが、もはや最も恐れられている選手ではない。どちらかと言えば「一緒に逃げたい選手」。そして「負かせばいい記念になる選手」としてマークされる存在だ。問題はどのステージを狙うのかということ。アームストロングは「誰もが自分がステージ優勝を狙っていることを知っている。とても難しい」と話していた。しかし今日がそのタイミングだった。この日に決めていたようだ。
アームストロングはレース後にこう言った。「この日は、本(レースブック)のページの端を折って印をつけていた)」。
「まだファイターのスピリットはある」
スタートから逃げに乗り、アタックを繰り返し、トゥールマレーでは最強時代のように独走した。それが最後に脚を残せないことにつながったのかもしれない。
「もし今日アームストロングが勝ったら、ストーリーとしては美しく完結する。ぜひ勝ってこのツールの失望をひっくり返して欲しい」とも思った。しかし誰もかつての英雄に勝利を譲ってくれはしなかった。
8人の逃げグループで臨んだゴールスプリントはピエリック・フェドリゴが制し、アームストロングは6位に沈んだ。
アームストロングは言う。「このステージに狙いを定めてモノにしようとしたけど、うまくは行かなかった。
最後に勝てるほど十分は速くなかったということ。フェドリゴはとても速くて勝利をモノにした。彼にシャッポを脱ぐよ。
ハードな一日だった。レース前にはウォームアップして、ゼロkmから行ったんだ。200km先頭で走って、最後にそれが効いた。最後はスプリントする脚がなかった。でもトライした」。
アームストロングにはスプリント力が無いわけじゃない。2004年ツールではウルリヒとクレーデンのTモバイルコンビの攻撃を圧倒的なゴールスプリントで沈め、「ノーギフト」と言い放った。そのスプリントはまるで一級のスプリンターのようだった。しかしあれから6年。アームストロングは言う。
「前にスプリントしてからずいぶん長いこと経つ。僕らはフェドリゴが一番速いことは知っていたし、クネゴもいた。彼の後輪に着こうとしたけど、ただ僕は勝てるほど速くなかった。
僕はレースで一番強い男じゃなかった。でもまだファイターのスピリットはある」。
一日中レースを楽しんだアームストロングは、観客たちの応援がかつてないほどに暖かかったことに感動していた。フランス人の敵として君臨した7連覇時代とは比べものにならないほど心のこもった応援。そしてアメリカからも多くの観客が自分の応援に来ている。
「このツールで観客たちの自分への応援は本当に素晴らしく、サポートに溢れている。小グループの逃げに乗ったとき、観客たちは話ができるぐらいすぐそこにいて、話しかけることも、返事を返すこともできる。彼らの応援が嬉しかった。僕はツールに勝てないから、彼らはツールに来る必要なんかなかった。世界中から飛行機でやってきて路肩に立つ必要なんか無かった。でもそうしてくれたことが本当に嬉しい」。
コンタドールもアームストロングが勝利することを期待したようだ。コンタドールは言う「かつてのアームストロングを思い出した。もし彼が勝ったら嬉しかったと思う」。
アームストロングのラストダンスは終わった。もしかして第20ステージの個人タイムトライアルがある? それは期待のし過ぎだろう。
ランスは言う「ランス・アームストロングはあと4、5日で終わるよ」。
優しくも激しい「マルマンドの鼻」
2年連続のツールでのステージ優勝、ツール通算3勝目となるフェドリゴの勝利。Bboxブイグテレコムにとっては2日連日のステージ優勝。しかもヴォクレールとは揃って2年連続のステージ優勝だ。しかもフェドリゴの昨年のステージ優勝もトゥールマレーとアスパン峠を通るステージでのものだった。なんというデジャヴ! そしてこの勝利が今ツールでのフランス人の5勝目だ。そして「アームストロングが最後のツールで最後の逃げを見せたステージで勝った選手」ということで記憶に残る勝利だ。
「マルマンドの鼻」のニックネームを持つフェドリゴ(マルマンドは出身地)。がっちりした体型に特徴的な鼻、優しい表情。ツールでステージ3勝を挙げたフランス人として、今プロトンにいるシルヴァン・シャヴァネル(クイックステップ)とサンディ・カザール(フランセーズデジュー)と並んだ。
「今日勝てたのは本当に凄い。最初のペイルスルード峠から困難だった。アスパン、トゥールマレー、スロール、そしてオービスク。そして家族が観に来てくれていた。
昨夜はもうこのツールでは勝負を決める逃げに乗れないんじゃないかとヤケになりかけていた。第11ステージでフレチャとシャヴァネルと一緒に逃げたときも、僕にとって大事なのはステージ優勝を決める逃げかどうかということだった。たとえ2位や3位になってもいい。勝利を争う逃げに加わりたいんだ」。
ステージ優勝を狙う逃げと同時に、Bboxブイグテレコムにとってはアントニー・シャルトーのマイヨアポアを守る動きでもあった。フェドリゴがステージ優勝を意識したのは、オービスクを上り、残り60kmになってからだった。
昨年はフランコ・ペッリツォッティ(リクイガス)がゴールスプリントの相手だったが、今回は7人が相手だった。2006年の勝利はサルヴァトーレ・コメッソ(イタリア、当時ランプレ)が相手のマッチスプリントだった。フェドリゴは典型的な「パンチャー」と呼ばれるタイプ。さらに少人数でのスプリント力に長ける。
フェドリゴは「アームストロングを警戒したか?」と訊かれるとこう答えた。
「ノン。アームストロングのスプリントは恐れていなかった。僕が警戒したのはサンディ・カザール。彼は他の日に勝っているし、こういったハードな日に少人数の逃げに入り込んで勝つ能力がある」。
マイヨアポア争いにモローが急浮上
この日、逃げに乗った選手の中で最年長はアームストロングでなくクリストフ・モロー(フランス、ケースデパーニュ)だった。アームストロングと同い年、5ヶ月早生まれというモローの狙いはマイヨアポアだったようだ。
ペイルスルードとアスパンでポイントを稼いだシャルトーは、トゥールマレーで遅れてしまう。他の選手にポイントを取らせないためにフェドリゴが対抗するが、モローはツールマレーとオービスクを先頭通過し、それぞれ20,40ポイントを荒稼ぎ。シャルトーに15ポイント差に迫った。
今季いっぱいで選手生活を終える38歳のモロー。アームストロングと同じく、モローにとってもこれが最後のツールだ。
ユキヤはアスパンでVサイン、オービスクは笑顔で通過
新城幸也(Bboxブイグテレコム)は余裕たっぷりだ。アスパン峠通過時はカメラを向けるこちらに気づくやいなやVサインを繰り出す。人垣と山岳ポイントのバリアの影に隠れて撮影していたのに、鋭く見つけ出す動体視力とその余裕に恐れ入りました。
オービスク峠では日本人観客の応援にも気づいてニッコリ。この日もなんの問題もなくピレネー山岳を乗り切った。最難関第19ステージを乗り越えれば2度目のツール完走はほぼ確実。(というより、もはやポイントはそこではない気がする!)
休息日明けの第17ステージは、2度目のトゥールマレーにゴールする今大会最難関ステージ。そこでモローとシャルトーのマイヨアポア争いが決することになる。Bboxブイグテレコムとしては、モロー、クネゴ、カザール、ピノーらポイントを逆転される可能性のある選手らを徹底マークして逃げを許さないか、もしくは彼らを含まない他の選手達による逃げグループを許すか、という闘い方になる。シャルトーのマイヨアポアを守るユキヤとチームメイトの働きは責任重大だ。
コンタドールとアンディは完全に仲直り
論争を呼んだアンディ・シュレクがチェーントラブルを抱えたときにコンタドールがアタックした一件は、昨夜のうちにコンタドールがYOUTUBEに謝罪ビデオを掲載したことで一段落つきつつあった。
コンタドールはホテルの自室で自分で(もしくは兄のフランが)撮影したこのビデオのなかで、アンディに素直に謝り、苦しい気持ちになっていることを正直に告白した。トラブルがあったことは知らなかったこと、レースはすでに始まっていたことなどを説明。自分に誤りがあったことを認めた。
アンディはこのビデオを見ることなくスタートを迎えたが、コンタドールが直接謝りに来てくれたという。アンディはコンタドールの説明に納得し、理解を示した。二人の友情は元のように戻り、さらに良好なものになったようだ。そしてアンディはコンタドールのこの行動を「人格を備えたチャンピオン」として讃えた。
ステージは問題なく終わった。しかし表彰式ではコンタドールに向けてブーイングのホイッスルが鳴らされ、観客の中にはまだしこりを残していたようだ。
そしてステージ終了後にはフランスTVの番組にアンディとコンタドール2人が揃って出演する公開インタビューが行われ、事情が説明された。
この二人揃ってのショーは、喧嘩が終わったことに加え、かつてのツールのライバルたちがそうであったような「口も交わさない関係」でなく、ふたりが友人以上のものであることを視聴者に印象づけたした。
最後にアンディがカメラに向かってブーイングをやめるように呼びかけ、ダメ押しした。
心のわだかまりがすっかりなくなった二人。トゥールマレーでいよいよ勝負が決する。
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