東京オリンピック女子MTB代表となった今井美穂。シクロクロス、MTBと全日本選手権を連覇したオフロードバイクの女王とも言える彼女は小学校の教員でもある。小学生のころ心に焼きついたという五輪選手のイメージを、UCIポイントを取り重ねることで現実のものとした彼女に、内定が決まるまでの過程を聞いた。

東京2020オリンピック・MTBクロスカントリー女子代表内定選手となった今井美穂東京2020オリンピック・MTBクロスカントリー女子代表内定選手となった今井美穂 photo:Hisanori.Ueda

五輪MTB女子の選考基準は大きく二つ

2000年シドニー五輪女子マラソンでの高橋尚子選手の金メダルのゴールシーンを、当時小学6年生だった今井美穂はテレビで観た。走るのが大好きだった少女は純粋に感動したという。

「やっぱりオリンピック選手になりたい、というのが夢だったのかな」と今井は言う。陸上の七種競技、シクロクロスを経て、MTB競技を始めた。シクロクロスで勝つために始めたMTBだったが「東京2020の種目だったので、始めればチャンスはあるのではないかというのはありました」。

そしてこう続けた。「それに、まだしたこともない競技だけど、自分以外の誰かがオリンピックに出ることを考えたら、すごく悔しい気持ちになってきて、そんなのは絶対嫌だった」。

2020年6月3日、日本自転車競技連盟(JCF)が、2021年に開催される東京2020オリンピックの自転車マウンテンバイク(MTB)競技女子代表に今井が内定したことを発表した。東京2020のMTB女子では、日本は開催国枠として1枠を持っていた。JCFによる代表候補選手の選考条件には、大きく二つあった。

1)2018/5/28〜2020/5/27のUCI世界選手権大会、ワールドカップ、大陸選手権、オークラス大会において、各優勝者と同一周回で完走してUCIポイントを獲得していること。

2)2020/5/28付 UCI個人ランキング最上位の者から枠数に応じて順番に選考する。

このルールのもと、選考されるのに一番現実的だったのは、『 1)のアジア大陸選手権で勝者と同一周回で完走』し、『 2)の5/28付でUCIポイントの最上位の日本選手になる』こと。日付から1年間を遡って数えるUCIポイント、1年間でどれだけUCIポイントを稼げるようスケジュールを組んで戦うかがカギとなった。

本職は小学校の教師である今井は、学校に協力してもらい、2019年5月から国内外のレースを走り、UCIポイントを取り重ねていった。いくつも勝利し、絶対に負けられないという気概を実現していた。レースの合間に数日だけ帰国するという強行スケジュールもこなした。生徒はそんな先生を誇りにも思ったことだろう。

選考最後の大きなチャンスだった今年2月のアジア選手権を、今井は日本選手トップとしてゴールした。5月28日を、UCIランキングの日本選手トップとして迎えた。結果、次点選手には倍以上ものUCIポイント差があった。多くの協力があり、今井の東京2020出場が内定した。今井に内定が決まるまでの詳しい話を聞いた。ページ末に今井の2019~2020の戦績を掲載したので、そちらも参照いただきたい。

教壇に立つ今井。担任を持たない今年だが、このコロナ渦で小学校も変則的に、練習時間の確保も大変だそう教壇に立つ今井。担任を持たない今年だが、このコロナ渦で小学校も変則的に、練習時間の確保も大変だそう

まずどの条件もクリアできていないところから

ーーいつごろから五輪出場を意識し始めました?

本格的に目標立てて覚悟を決めたのは2019年3月か4月ぐらい。トレーニングパートナー兼コーチと「どうしようか」っていう話をして、出場するレースの目安を決めて始めました。

ーーまずクラス1のレースは愛媛県八幡浜で3位に

5月の八幡浜はレースを闘う準備ができてなくて、3位でした。これから始まるオリンピック選考レースの初戦としてスタートし、海外選手と走り、リアルを知りました。これじゃだめだというのと、準備をしっかりして行かなければダメだというのを痛感し、スイッチが入りました。実際、それまであまりマウンテンバイクレースに出ていなかったので、海外選手と走る経験も少なく、自分がどれぐらいの位置ににいるんだろうっていうのも分からなかったので、それも確認できましたし、今後のシリーズを回るのにどんな感じで走ればいいのかという様子を見られました。

ーー世界ということでは、全てが初めてだったと

選考期間がスタートして最初の段階では、選考条件に何も引っかかっていませんでした。ワールドカップにも出たことないですし、国内でのレース経験も少ない。そのなかでやるべきことは、国内レースはもちろんのこと、海外レースでもUCIポイントを1点でも多く取るためのレースを組み立てること。ポイントの入るレースでは絶対に負けないこと。

そして日本選手で1番強いというのを確実に見せるために、全日本は絶対に獲ると決めました。

オリンピックに選ばれるためには結果が全てだし、周りの全ての選手に勝てないと思わせて、誰にでも納得してもらって選ばれないと、というのがあったので。レースレースで必ず仕上げて、必ずピークを持っていけるよう、連戦になってもちゃんと勝つ準備をしていきました。

ーー7月の全日本選手権を獲って、その1週間後にアジア選手権でした

2019年7月のレバノンでのアジア選手権は、自分にとって初めての海外レースでした。準備ができているかどうかはわからない。ただ、ここで戦えるようにしていかなければ選考基準をクリアできない。まずはアジア選手権を完走しようと思いました。

レースでは噂に聞く中国の強さを知るため、喰らいついていこうとガンガン行ったんですが、結局2周目にピットから1番遠いところでパンクしてしまいました。ただ、「完走しなくてはいけない」という最低ラインがあったので、前を追いかけるというか、後ろにいる先頭の中国人からか逃げるというか。最終周回に入るまで、そしてゴールするまでは本当に必死でした。結果は同一周回で7位でした。

タイでのアジア選手権を走る今井美穂タイでのアジア選手権を走る今井美穂 photo:Hisanori.Ueda

1点でも多くポイントを取るための戦略と気概

ーーその後、日本と海外を行き来しながらのレースが続きました

日本選手のUCIランキングでトップで居続けたかったし、先に貯金を作っておけば何があっても焦らない、ポイントに余裕を持ってスケジュールを組み立てていけますし。

このレースはどんなコースか、ポイントは確実に取れるのか。去年のリザルトから出場選手のレベルやUCIランキング、参戦歴、結果等いろいろな情報を調べて、出場するレースを決めていきました。

連戦が続いたのは2019年9月から10月。9月15日にトルコでレースをしてすぐに帰国、翌週の22日にCJ妙高に出場し、その数日後にはトルコに戻ってレースを走る。本業の教員の仕事があっての私です。流石に3週間の休みをもらうことができなくて。かなりの強行突破でしたが、とても充実した遠征でした。

ーーその9月には、合計で100ポイントを取っています

ギリシャやトルコの遠征に行くことは、親しい人以外には誰にも言わずに行ってきました。ある日ランキングを見たら『あれ、今井がポイントを取って、UCIランキングも上がっている。これはマズい。』という状況にしたくて。オリンピックに出るための手段として、そういった心理的なことも重要かなと思って行いました。

ギリシャやトルコではSNSの発信も控え、主催者側があげてくださる写真にもあまり写らないようにしました。そして日本の自転車関係者の方々からの連絡がきても、日本にいるような形で対応しました。

五輪テストイベントの順位より、翌日の渡欧が大事だった

ーー10月のオリンピック・テストイベントを走って感じたのは?

何もできなかったというのを一番感じたところです。経験も少ないうえにあんな激しいコースを走ったことがなかったので。下りも上りも、全体のスピードもそうでした。スキルの部分でも足りてないものがいっぱいあったなというイメージでした。

特に下りが、自分は経験がないからできない。でも逆に経験すればできるようになるので、これから1年がんばろうと特に悲観することもなくプラスに捉えられる。走れないのはわかっていたし、正直「急にこんなコース走れるか!」と思ってしまいました。

今だから言えることですが、あのテストイベントのとき、実は翌日にUCIポイントを取るレースに出るためにギリシャに飛ぶ予定だったんです。コースを知り、海外選手と初めて走る経験をすることも大事でしたが、絶対に怪我をしない、そして機材を壊さないことが実際何よりも大事でした。

テストイベントの翌日は半日学校に勤務して、夕方成田に向かい、夜の便でギリシャへ飛ぶ。そんな強行スケジュールだったので、もうレースが終わったその日のうちに自転車を梱包しなきゃいけなかったんですね。レースが終わった直後にそのままギリシャに行って、10月10日からステージレースを走るのに機材を壊したらどうにもできないじゃないですか。

テストイベントはUCIクラス3なので、優勝してもポイントは10点しか入らない。いろいろな事実の受け取り方があると思いますが、あの時はレースの順位よりも経験値。そしてその後のレースとポイントを優先しようと考えていました。そのあとの2週末に獲れた30点と35点の計65点は大きかったなと思っています。

「アジア選手権は正直、勝つつもりだった」と言う今井美穂「アジア選手権は正直、勝つつもりだった」と言う今井美穂 photo:Hisanori.Ueda
ーーそして選考の条件であるアジア選手権が2月にタイでありました。

上りも長いし、かなりタフなコースでした。体力も暑さへの対応も、いろんな要素が必要だったかなと思います。

ゴール後は、めちゃくちゃ悔しくて。あんなに悔しい気持ちになったのも初めてくらい。正直、勝つつもりだったんですよね。去年のレバノンでは負けたのでやっぱり勝ちたいっていうのと、オリンピックを確実にしたい、誰が見ても認めてもらえる走りをしたいというのがあって。でも結局、5位で表彰台に乗れず。ずっと最低でも表彰台だと思っていたので、本当に悔しかったです。

「後ろから末政実緒さんが追い上げてきていた」「後ろから末政実緒さんが追い上げてきていた」 photo:Hisanori.Ueda
それに末政実緒さんが追い上げてきたというのもあって、気がついたら実緒さんがいて。やっぱり実緒さんは下りがうまいので、登りで逃げても下りで追いつかれるという、どうしようもない状況。けど、こんなところで負けていられない。と自分に何度も言い聞かせて走っていました。

ゴール直後は本当にすっからかんになってて、あんなに出し切ったレースはなくて。雷太さん(日本代表監督・鈴木雷太氏)が水をかけてくれている写真があるのですが、あのときは悔しすぎて号泣していて...。

本当は号泣していたという2020アジア選手権ゴール後の瞬間。右が鈴木雷太監督本当は号泣していたという2020アジア選手権ゴール後の瞬間。右が鈴木雷太監督 photo:Hisanori.Ueda

学校からの協力、生徒の声

ーー精神的なプレッシャーはありましたか?

そこまで深くプレッシャーを考えたことはありません。本当にやるしかないと集中していたし、それに絶対負けないという気持ちで、やることを明確にして勝ちに行くことだけに集中していたので。また、時間も沢山かけたし、遠征費や機材を揃えるお金も犠牲にしているものがあるので、何一つ無駄にはできない。1ポイントでも多く、と常に思っていました。順調は順調でした。

ーー小学校の教師をされています。学校からはどう協力を?

2019年の新年度(4月)の時に「オリンピックを目指したいんです」っていう話を学校にして、周りの先生がたにもレースのために抜けるかもしれないという話をしました。そこから協力をいただいていますが、実際に五輪を走るまでには、まだまだ様々な借りを作ってしまうと思います。

授業中の今井美穂。「五輪代表に選ばれたことは生徒たちにも喜んでもらえた」授業中の今井美穂。「五輪代表に選ばれたことは生徒たちにも喜んでもらえた」
今年度は配慮をしていただき、担任から外してもらい、今は5、6年の算数と、他学年の音楽や書写を持っています。昨年度は担任を持っていたので、私が遠征に行く間は、事前に不在中のスケジュールを組んでいき、何人もの先生が代わりに授業に入ってくださいました。校長先生が理科をやってくれたり、教頭先生が社会をやってくれたり、いろんな先生にフォローいただきました。

ーー生徒たちはどのように反応を?

担任が不在になることで、子ども達にも保護者の方にも本当に申し訳ないと思っていましたが、聞くと、いろんな先生にいろんな授業を教えてもらって、特別感があって楽しかったという声も。

『先生が頑張っているから、自分たちも頑張る』、と子供が言っていたと親御さんに声をかけてもいただきました。いろいろな考え方がありますが、応援してくださる方が多く本当に力になりました。「先生、気にしないで行ってきなよ」と送り出してくれて、子供もお土産を楽しみにしていて。帰ってきて学校で会った瞬間に『先生お土産は?』と言われ、逆にプレッシャーになりました(笑)。

オリンピック本番に向け

ーーオリンピックに決まった時、周りはどういう反応?

決まった時は新聞やテレビで報道されたので、子どもたちは、先生おめでとうという感じで寄ってきてくれましたね。算数の授業で教室に行った時に、掲載された新聞が飾ってあって祝ってくれたり。子供たちの方から『先生、新聞出てたよ、テレビ見たよ』とか、『オリンピックすごいね』って。今も廊下ですれ違うたびにみんなが声をかけてくれています。

TVの取材も多く受けたTVの取材も多く受けた 「小学校教員が五輪へ」というニュース番組での紹介「小学校教員が五輪へ」というニュース番組での紹介

ーー五輪本番に向けて

やっぱり早く決まって良かったなというのはあります。今までの1年間は選手選考に向けて、”選ばれるレース”、”勝つレース”を続けてきて、精神的にもキツいものがあったのかなと。レースの最中はわからなかったけれど、こうやって一旦ストップするとわかりますね。

また、本来ならば選考を終えて2ヶ月後にオリンピック当日を迎えるわけでしたが、フィジカル面、スキル面共に足りていないまま走ることになってしまうことに若干不安はありました。それに、このまま気持ち的にも体力的にも休憩がないままオリンピックを迎えるとなれば、ベストな状態ではなかったと思います。その分、1年伸びたことで、オリンピックを走るための準備をしていける。この1年間をプラスに捉えて、足りてないところを補う期間があって良かったなと。いろいろ試しながら時間を有意義に使っていきたいと思います。

応援よろしくお願いします。



今井 美穂(いまい みほ)プロフィール
CO2bicycle所属。1987年生、小学校教師。東京2020オリンピック・MTBクロスカントリー女子競技代表内定選手。小学生から陸上をはじめ、高校からは七種競技を行い、大学時代にはインカレに出場。卒業後は教職に付き通勤のために始めた自転車からシクロクロスへ出場するように。2017年シクロクロス全日本選手権優勝、2018、2019年のMTB・XCO全日本選手権を連覇。2020年アジア選手権5位。

UCI XCO (クロスカントリー・オリンピック)ランキング
82位 463.00ポイント(2020年6月1日付) 

最近の主な戦歴
2019/5/26 クラス1 3位 30 pts 愛媛県 CJ 八幡浜国際
2019/6/29 クラス3 優勝 10 pts 長野県 CJ 富士見パノラマ
2019/7/20 各国選手権 優勝 100 pts 秋田県 全日本選手権
2019/7/27 大陸選手権 7位 60 pts レバノン アジア選手権 レバノン
2019/8/11 クラス3 優勝 10 pts 長野県 CJ 白馬国際
2019/8/24 クラス2 優勝 30 pts マレーシア アジアMTBシリーズ Siol
2019/9/15 クラス1 3位 30 pts トルコ Sakarya MTBカップ
2019/9/22 クラス3 優勝 10 pts 新潟県 CJ 妙高杉ノ原国際
2019/9/29 クラス1 優勝 60 pts トルコ Yalova MTBカップ
2019/10/6 クラス3 35位 静岡県 READY STEADY TOKYO (MTB)
2019/10/10 クラス1 9位 30 pts ギリシャ Salamina島 MTBステージレース
2019/10/17 クラス1 12位 35 pts ギリシャ Kos島 MTBステージレース
2019/12/14 クラス2 優勝 30 pts マレーシア アジアMTBシリーズ Sabah
2020/2/1 大陸選手権 5位 80 pts タイ アジア選手権
2020/3/14 クラス2 6位 8 pts トルコ Justinian Hotel MTB Cup

インタビューと文:中村浩一郎(BB Works)

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