2019/07/27(土) - 15:18
路面を覆い尽くした雹や地すべりのためにレースが通過することができず、レースはその場で中止に。驚きの事態になった第19ステージを、レースのコンボイに帯同していたフォトグラファーの視点で、時々刻々にレポートします。
この日のステージは迂回して先回りする脇道ルートがほぼないため、無線でレース状況を聞きながら関係車両のコンボイの車列の先の位置をキープしながら、プロトンの2、30km程度先を走っていた。朝から天気は快晴で、マドレーヌ峠からイズラン峠にかけてグライアン・アルプスの素晴らしい山岳の景観を堪能しながらの走行だった。
じつは昨日のステージでもフィニッシュ直後に雨が激しく降り出し、大粒の雹が叩きつけるように降った。ガリビエ峠やフィニッシュ付近の山間部に詰めかけた、自転車や徒歩でアクセスした数万人単位の観客がその悪天候にさらされた。その日も日中は夏日で高気温だったが、この日パリは42度6分という観測史上最高気温を記録。その異常な暑さが夕方に急変する悪天候の要因になっているのだろう。
標高2770mとアルプス地方で最も標高が高い舗装された峠であるイズラン峠の急勾配のダウンヒルを経て、ヴァルディーゼルを通過するあたりで天候が急変しだした。降り出した雨は見る間に本降りになった。
問題箇所となったヴァルディーゼルのトンネルを出た区間を過ぎ、ティニュへと登り始める。最後の登り区間であるフィニッシュ地点までラスト3kmの最後のコーナーにクルマを停め、撮影の準備をしているときに無線が入った。集団がちょうどイズラン峠の下りに差し掛かっているときだ。ティニュは雨も止み、落ち着いていた。
「これは緊急で重要なメッセージです。たくさんの雹のため走行は不可能、ステージは中止せざるを得ない」「選手たちにも伝えてください。ストップしなければならないと」そうラジオツール無線は繰り返した。「選手たちは悪天候を凌ぐためトンネルにガイドします。レースは終わりです」。
トンネル出口がその状態と聞いて、つい3、40分前に通過した地点。その地点から、イズラン峠のダウンヒル道路は山の斜面についたつづら折れの全貌が見渡せるが、山は白くなり、黒い空とのコントラストが奇妙なほど。その白さが雪や雹によるものと気づくまでに少し時間がかかった。なにしろつい30分前まで暑さに汗をかき、太陽光の眩しさを感じていたから。問題のトンネル出口付近もその地点からすぐ数キロ対岸に見渡せる範囲。そのとき居た場所では、雨は降ったが雹にはならなかった。
そしてイズラン峠からのダウンヒルに入っていたプロトンの選手たちも、その先数キロがまさかそんな状態にあることが理解できない状況だったようだ。つまり、そのスポットを前後に数キロ離れればそれほどの悪天候とは感じないほど、雪や雹は局所的に降ったようだ。
ほどなく「地すべりが起こり、土砂で路面が覆われて通行できない」という続報。UCIの定める「エクストリームウェザープロトコル」の発動を待たずして、道路は実際的にレースが通れないという状況になった。レース中止のためティニュへの登りに詰めかけた観客も徒歩や自転車で下山を始める。ティニュ側からは大型の除雪車やブルドーザーが現場に急行。それら車両とチーム関係車両のみコース逆走が許され、取材車両も自粛せざるを得ない状態。
断続的に入るラジオツールによる決定。「超級山岳イズラン峠の通過タイムを総合成績に反映する」。「表彰式はオーガナイズする。ステージ勝者は無し、マイヨジョーヌとブランはベルナル。マイヨヴェールはサガン。敢闘賞は無し。表彰式に出る選手を乗せたチームカーのコンボイはティニュに向かい始めた。スムーズな通行のため協力をお願いしたい」。
チームのバスはすでにティニュのフィニッシュ地点の駐車場で待機していたが、ドゥクーニンク・クイックステップのバスはもはやマイヨジョーヌの表彰式に関係がないため、素早くホテルに向かう帰路につく。
制止を振り切って行き交うクルマで道路が混乱・渋滞するなか、表彰式に出る選手たちはチームカーでフィニッシュラインに到着した。コースでフィニッシュラインを通過したのはポディウムの入り口に向かうためで、その通過自体にとくに意味は無い。それでもその珍しいシーンはツールの歴史に残るもの。フォトグラファーたちはいつものように並び、シャッターを切った。ちょうど2013年の100周年のツール・ド・フランス、コルシカ島での第1ステージで、オリカ・グリーンエッジ(元ミッチェルトンスコット)のチームバスがフィニッシュラインを通過しようとして屋根をフィニッシュゲートに詰まらせ、立ち往生したときのように(当時の現地レポートへ)。
レースが到着しなかったフィニッシュ地点に、クルマでやってきた選手たちが表彰を受ける。登り区間から数キロの平坦の(無観客)区間を経て、ティニュ湖畔のフィニッシュ地点で観客たちは待っていた。その奇妙な感じのなか行われる表彰式。ステージ勝者はスキップし、まずマイヨジョーヌから。その表彰が、初めてマイヨジョーヌを着ることになるエガン・ベルナル(コロンビア、チームイネオス)の登壇。
感極まった表情と慣れない仕草でマイヨジョーヌに袖を通したベルナル。フィアンセのショマラ・ゲレーロさんと父親のヘルマンさんが会場に来ており、花束とライオンが手渡された。ふたりも感激した様子で、喜びを分かち合っていた。国境が近いイタリアのベルナル公式ファンクラブもポディウム正面に陣取っていた。
コロンビア人初のツール制覇者誕生まで、まだ難関山岳ステージを翌日に控えるが、この日のベルナルの登攀の無敵ぶりを見ればその優位は揺らぐことはなさそうだ。ゲラント・トーマスもベルナルをアシストすることを表明した。
しかし心配されるのは翌日も続く悪天候。チームはほとんどがフィニッシュ地点のティニュに泊まり、翌朝に90km離れたアルベールビルに移動する。第20ステージはすでに悪天候により通過予定だった1級山岳ロズラン峠が地すべりのため通過できない状況で、前半の2つの山岳を省略し、スタート地点アルベールヴィルから直接バル・トランスに向かうコースに変更。ステージ距離が130kmから59kmに短縮されることが決まっている。
夜22時に到着したアルベールヴィルは雷が鳴り響き、雨が激しく降っていた。朝を迎えつつある現地時間で小康状態に入っているが、第20ステージは悪天候のなか、たった59kmという極端に短い距離のステージ、かつ難関山岳の山頂フィニッシュというレースは、濃縮されたものになることは必至。ツール・ド・フランスの勝負が決まる最終日一日前の決戦は、展開の読めない勝負になりそうだ。
text&photo:Makoto.AYANO in Albertville France
この日のステージは迂回して先回りする脇道ルートがほぼないため、無線でレース状況を聞きながら関係車両のコンボイの車列の先の位置をキープしながら、プロトンの2、30km程度先を走っていた。朝から天気は快晴で、マドレーヌ峠からイズラン峠にかけてグライアン・アルプスの素晴らしい山岳の景観を堪能しながらの走行だった。
じつは昨日のステージでもフィニッシュ直後に雨が激しく降り出し、大粒の雹が叩きつけるように降った。ガリビエ峠やフィニッシュ付近の山間部に詰めかけた、自転車や徒歩でアクセスした数万人単位の観客がその悪天候にさらされた。その日も日中は夏日で高気温だったが、この日パリは42度6分という観測史上最高気温を記録。その異常な暑さが夕方に急変する悪天候の要因になっているのだろう。
標高2770mとアルプス地方で最も標高が高い舗装された峠であるイズラン峠の急勾配のダウンヒルを経て、ヴァルディーゼルを通過するあたりで天候が急変しだした。降り出した雨は見る間に本降りになった。
問題箇所となったヴァルディーゼルのトンネルを出た区間を過ぎ、ティニュへと登り始める。最後の登り区間であるフィニッシュ地点までラスト3kmの最後のコーナーにクルマを停め、撮影の準備をしているときに無線が入った。集団がちょうどイズラン峠の下りに差し掛かっているときだ。ティニュは雨も止み、落ち着いていた。
「これは緊急で重要なメッセージです。たくさんの雹のため走行は不可能、ステージは中止せざるを得ない」「選手たちにも伝えてください。ストップしなければならないと」そうラジオツール無線は繰り返した。「選手たちは悪天候を凌ぐためトンネルにガイドします。レースは終わりです」。
トンネル出口がその状態と聞いて、つい3、40分前に通過した地点。その地点から、イズラン峠のダウンヒル道路は山の斜面についたつづら折れの全貌が見渡せるが、山は白くなり、黒い空とのコントラストが奇妙なほど。その白さが雪や雹によるものと気づくまでに少し時間がかかった。なにしろつい30分前まで暑さに汗をかき、太陽光の眩しさを感じていたから。問題のトンネル出口付近もその地点からすぐ数キロ対岸に見渡せる範囲。そのとき居た場所では、雨は降ったが雹にはならなかった。
そしてイズラン峠からのダウンヒルに入っていたプロトンの選手たちも、その先数キロがまさかそんな状態にあることが理解できない状況だったようだ。つまり、そのスポットを前後に数キロ離れればそれほどの悪天候とは感じないほど、雪や雹は局所的に降ったようだ。
ほどなく「地すべりが起こり、土砂で路面が覆われて通行できない」という続報。UCIの定める「エクストリームウェザープロトコル」の発動を待たずして、道路は実際的にレースが通れないという状況になった。レース中止のためティニュへの登りに詰めかけた観客も徒歩や自転車で下山を始める。ティニュ側からは大型の除雪車やブルドーザーが現場に急行。それら車両とチーム関係車両のみコース逆走が許され、取材車両も自粛せざるを得ない状態。
断続的に入るラジオツールによる決定。「超級山岳イズラン峠の通過タイムを総合成績に反映する」。「表彰式はオーガナイズする。ステージ勝者は無し、マイヨジョーヌとブランはベルナル。マイヨヴェールはサガン。敢闘賞は無し。表彰式に出る選手を乗せたチームカーのコンボイはティニュに向かい始めた。スムーズな通行のため協力をお願いしたい」。
チームのバスはすでにティニュのフィニッシュ地点の駐車場で待機していたが、ドゥクーニンク・クイックステップのバスはもはやマイヨジョーヌの表彰式に関係がないため、素早くホテルに向かう帰路につく。
制止を振り切って行き交うクルマで道路が混乱・渋滞するなか、表彰式に出る選手たちはチームカーでフィニッシュラインに到着した。コースでフィニッシュラインを通過したのはポディウムの入り口に向かうためで、その通過自体にとくに意味は無い。それでもその珍しいシーンはツールの歴史に残るもの。フォトグラファーたちはいつものように並び、シャッターを切った。ちょうど2013年の100周年のツール・ド・フランス、コルシカ島での第1ステージで、オリカ・グリーンエッジ(元ミッチェルトンスコット)のチームバスがフィニッシュラインを通過しようとして屋根をフィニッシュゲートに詰まらせ、立ち往生したときのように(当時の現地レポートへ)。
レースが到着しなかったフィニッシュ地点に、クルマでやってきた選手たちが表彰を受ける。登り区間から数キロの平坦の(無観客)区間を経て、ティニュ湖畔のフィニッシュ地点で観客たちは待っていた。その奇妙な感じのなか行われる表彰式。ステージ勝者はスキップし、まずマイヨジョーヌから。その表彰が、初めてマイヨジョーヌを着ることになるエガン・ベルナル(コロンビア、チームイネオス)の登壇。
感極まった表情と慣れない仕草でマイヨジョーヌに袖を通したベルナル。フィアンセのショマラ・ゲレーロさんと父親のヘルマンさんが会場に来ており、花束とライオンが手渡された。ふたりも感激した様子で、喜びを分かち合っていた。国境が近いイタリアのベルナル公式ファンクラブもポディウム正面に陣取っていた。
コロンビア人初のツール制覇者誕生まで、まだ難関山岳ステージを翌日に控えるが、この日のベルナルの登攀の無敵ぶりを見ればその優位は揺らぐことはなさそうだ。ゲラント・トーマスもベルナルをアシストすることを表明した。
しかし心配されるのは翌日も続く悪天候。チームはほとんどがフィニッシュ地点のティニュに泊まり、翌朝に90km離れたアルベールビルに移動する。第20ステージはすでに悪天候により通過予定だった1級山岳ロズラン峠が地すべりのため通過できない状況で、前半の2つの山岳を省略し、スタート地点アルベールヴィルから直接バル・トランスに向かうコースに変更。ステージ距離が130kmから59kmに短縮されることが決まっている。
夜22時に到着したアルベールヴィルは雷が鳴り響き、雨が激しく降っていた。朝を迎えつつある現地時間で小康状態に入っているが、第20ステージは悪天候のなか、たった59kmという極端に短い距離のステージ、かつ難関山岳の山頂フィニッシュというレースは、濃縮されたものになることは必至。ツール・ド・フランスの勝負が決まる最終日一日前の決戦は、展開の読めない勝負になりそうだ。
text&photo:Makoto.AYANO in Albertville France
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