2019/07/05(金) - 20:01
ツール・ド・フランスのグランデパールで開幕5日間をホストするのはベルギーの首都ブリュッセル。エディ・メルクスが初めてツールに勝利してから50年の節目に、再びメルクス氏がグランプラスの大観衆の前でステージに立った。黄色に染まるブリュッセルの模様とともに現地からレポートする。
ブリュッセル中心地のグランプラスで開催されたチームプレゼンテーション photo:Luca Bettini
ツール・ド・フランスの開幕となるグランデパールをホストするベルギーの首都ブリュッセル。自転車競技が国技ともなっているこの国は、フランスを凌ぐ自転車愛に溢れた国だ。かつてカニバル(人食い鬼)というあだ名がつけられた史上最強の自転車選手、エディ・メルクス氏の故郷、今も住む街である。
メルクス氏が初めてツール・ド・フランスを制したのが1969年。今年はそれから50周年にあたる。今年のツール・ド・フランスはマイヨ・ジョーヌがツールのリーダージャージに制定されてから100周年であるとともに、メルクス氏の初優勝から50周年というのが今年。
4日のチームプレゼンテーションの舞台となったグランプラス(La Grand-Place)は、ユネスコ世界遺産にもなっている旧市街の中心にある広場(Grote Markt)。世界で最も美しい広場のひとつ。大広場という意味のとおり、美しい建築物に囲まれたベルギー観光に来た人はかならず訪れる名所だ。日差しが強い夏日の続くベルギーだが、夕方5時からのプレゼン開催時には傾いた陽を広場を取り囲む周囲の建築物が遮り、集まった大観衆は快適な日陰からそのプレゼンを楽しめた。
グレッグ・ファンアーフェルマート(ベルギー、CCCチーム)登場 photo:Makoto.AYANO
人気はベルギー選手。前週の日曜のフランス選手権を制して青白赤のトリコローレのマイヨを着て登場したワレン・バルギルへの声援も少なめ。やはりグレッグ・ファンアーフェルマートやワウト・ファンアールトらベルジャンスターに大声援が沸く。ツールとはいえやっぱりここはベルギーなのだ。
ベルギー出身のオリヴァー・ナーセン(アージェードゥーゼール・ラモンディアル) photo:Makoto.AYANO
フランスチャンピオンのワレン・バルギル(フランス)声援は少なめ? photo:Makoto.AYANO
ワウト・ファンアールト(ベルギーユンボ・ヴィズマ) photo:Makoto.AYANO
期待のディラン・トゥーンス(ベルギー、バーレーン・メリダ) photo:Makoto.AYANO
プレゼン登壇の大トリはチームイネオス photo:Makoto.AYANO
これからツールを走る選手たち全員をつぶさに観ることができるこのプレゼンで、もうひとりの主役となったのがエディ・メルクス氏だ。氏の登場はプレゼンの締めとされたが、メルクス氏の登場はこの日最高の盛り上がりを持って迎えられた。
続くエッディ!エッディ!コールに両手を振って応えるエディ・メルクス氏 photo:Makoto.AYANO
会場脇のスクリーンには当時のメルクス氏の走りのアーカイブ映像が流れ、そのなかにはグランプラスの高所階のテラスから、広場いっぱいに集まった大観衆に手を振る氏の映像が流されていた。
エディ・メルクスのツールの初めての勝利はこのグランプラスで市民に祝福された photo:Makoto.AYANO
メルクス氏の登場とともに会場を包んだ EDDY! EDDY!のコールは、当時のレース映像によれば、カニバルの名前のとおりライバルたちを完膚なきまでに叩きのめし、最強の走りをするメルクス氏への掛け声。その強さへの熱狂と称賛を込めて、走るメルクス氏に浴びせかけ続けられた呼び声だ。
MERCI EDDY!グランプラスには大勢の観衆が詰めかけた photo:Makoto.AYANO
EDDY! photo:Makoto.AYANO
「エッディ!、エッディ!」と、撥音を挟んで、リズムよく繰り返すのがコツ。ここグランプラスでも、50年前に同じコールが巻き起こったのだろう。当時をこの場で体験した人は高齢になっているだろうが。
「このエッディ・コールはベルギー人なら身体の芯まで染み込んでいるんだ。何しろテレビでも沿道でも、ずっとエンドレスで繰り返し流されるコールだから、当時のレースの光景とともにずっと刷り込まれてきたんだ」と、筆者がベルギーでのクラシックを取材する際に運転の仕事を依頼する、西フランドル州コルトレイク在住のモトパイロット、フランク・ヴェルシェルデ氏は言う。フランクももちろんエディファン。運転するときはMOLTENIのサイクルグローブを欠かさない。
歓声に照れながらも嬉しそうなエディメルクス氏 photo:Makoto.AYANO
メルクス氏がツールに初優勝した1969年は、52歳の小生はまだ2歳だった。ツールの映像が初めて日本に入ってきたのが1986年のベルナール・イノーの勝利からだから、当然自分もメルクス氏の走りはリアルタイムでは知らない。しかし映像が白黒からカラーへの変遷期、動画として残る氏の走りは鮮明に記録されていて、メルクス氏自身もこうしてまだまだ元気な姿で晴れ舞台へと登場できる、まさに生きる伝説的存在だ。
少しは予想はしていたけれど、登壇した出場選手の誰よりも熱いコールを浴びている姿を見ると、メルクス氏がベルギーにおいて本当に誰もが愛している国民的英雄であることが驚きとともに実感できる。氏はレースの場や裏舞台にもよく現れ、「日本のフカヤ(自転車のエディ・メルクスの代理店)は知ってるか」と、プレスである自分にも声をかけてくれる気さくさもある人物。でも今日の様子で氏の経歴がベルギーで受け入れられ、世界一自転車レースを愛する国ベルギーの、その基礎となった人なのだと改めて感じた。
かつてエディ・メルクスがツール勝利を報告したグランプラスの由緒ある建物のテラス photo:Makoto.AYANO
「エディこそ世界で一番、このジャージを象徴する人物だ」とプリュドム氏 photo:Makoto.AYANO
ツール・ド・フランス5勝のうち、1969年の最初の1勝目についてメルクス氏は言う。「間違いなく、私のツール制覇の中で、あれこそが最も素晴らしい優勝だ。この機会に、世界最大の自転車レースのブリュッセルスタートを見届けられるなんて、なんたる幸せだろう。1958年の万国博覧会と....同じ年にブリュッセルでツールのグランデパールが行われて以来、ベルギーの首都が世界規模の自転車イベントを受け入れることはなかった。だからこそ確信する。とてつもない熱狂が引き起こされるだろう。私の一番の願いは、このベルギー開幕がブリュッセルはもちろん、国内のいたるところで、市民を巻き込んだ巨大なお祭りになること」
ツールの総合ディレクター、クリスティアン・プリュドム氏は言う。「2019年大会をブリュッセルから走り出すのは、マイヨ・ジョーヌ誕生100周年と、エディ・メルクスの初優勝から50年を祝うためである。エディこそ世界で一番、このジャージを象徴する人物だ。これ以上の祝宴は望めないほどだよ。ベルギーは自転車競技の中心地であり、この国にしばしば立ち返るのは、至極当然のことなんだ。それに私は、いまだにしょっちゅう驚かされるものだ。ブリュッセルの街中で、エディはよく15歳ぐらいの若者に声をかけられる。おそらくジネディーヌ・ジダンがパリやマルセイユを歩いた場合と同じぐらい、彼は今でも根強い人気を誇っている」(公式ガイドブックの声明文より)
ブリュッセル市庁舎正面も各賞ジャージの柄にデコレーションされた photo:Makoto.AYANO
ベルギーチョコ屋の小便小僧もマイヨジョーヌ仕様 photo:Makoto.AYANO
マイヨジョーヌ誕生100周年とメルクスの初優勝から50年を同時に祝う今年のツール。プリュドム氏がそう言う割に、実は今年のグランデパールに関しては、当初はヴァンデ県が内定していた。言うまでもなくヴァンデは昨年のグランデパールの地だ。それを後になってヴァンデ県に、2018年ホストへの前倒しを依頼し、交渉の末、ヴァンデ県側が折れて、昨年のグランデパール開催になんとかこぎつけたという。
メルクス氏はASOが主催する中東レースで重要なポストをつとめた時期も最近まであり、ASOとはかなり親密な関係があるにもかかわらず、そんな「うっかり」なエピソードはどうか?と思うが、ともかくブリュッセルはメルクス氏の過去の栄光の日々を振り返る絶好の機会を見出している。
シクロクロスチャンピオンのワウト・ファンアールトの大活躍や、驚異のキッズと呼ばれるレムコ・イヴェネプールの登場などで、ベルギーの自転車競技への熱量は今年新たな沸点を見つけようとしている。
ベルギーチョコ屋のディスプレイはツール仕様 photo:Makoto.AYANO
エディ・メルクスのTシャツを着た人を何人見かけただろう。写真はカフェの店員だ photo:Makoto.AYANO
ブリュッセル市街に掲げられたマイヨジョーヌ photo:Makoto.AYANO
イエローの自転車が飾られたフリット(フライドポテト)屋 photo:Makoto.AYANO
1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたモニュメント「アトミウム」にも黄色い装飾が施される photo:Makoto.AYANO
盛り上がったグランプラスだけでなく、ブリュッセルに点在する名所においてもツールの装飾はいたるところに見受けられる。郊外にある1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたモニュメント「アトミウム」にも黄色い装飾がされ、その前の広場にはメルクス氏の地面絵が描かれている。アトミウムに登って撮る時間がなかったため面一からの紹介になるが、第2ステージのタイムトライアルのフィニッシュ会場となるため、そのときは空撮でエディ氏の巨大絵が楽しめることだろう。
アトミウム前のエディ・メルクスの巨大な地上絵。続きは空撮で photo:Makoto.AYANO
そしてチームプレゼンの前日、パリ・シャルル・ド・ゴール空港から移動してくる際に一足先に第1ステージで訪れる「ミュール・ド・グラモント」を訪問してきた。フランスではグラモンと呼ばれる丘は、ロンド・ファン・フラーンデレン(ツール・デ・フランドル)で使われる名所「ミュール・カペルミュール」、あるいは「ミュール・ヘラールツベルヘン」のこと。
第1ステージのハイライトとなるミュール・カペルミュールを訪れた photo:Makoto.AYANO
訪れたカペルミュールは地元サイクリストやツール観戦でベルギー入りした各国サイクリストが自転車で訪れるのみ、まだバリケードの設置が始まったばかりで、まだ特別な用意はされていない様子だった。いつも駆け足で通り過ぎるカペルミュールを日常的な静けさの中で訪問できたのも今回のいい体験となった。レース時は不可能な、教会の中にも入れた。ちなみに自転車に関する展示などは一切無い、ヘラールツベルヘンの町の教会なのであった。
カペルミュール頂上の教会の内部の聖母マリア像 photo:Makoto.AYANO
カペルミュール中腹にもエディ・メルクスの偉業について記したモニュメントがある photo:Makoto.AYANO
ミュールの中腹にあるストーリーボード フランドリアンについて記されている photo:Makoto.AYANO
今日から5日間、第3ステージまでのブリュッセル滞在、そして自転車競技の聖地ベルギー各地でのツールの盛り上がりを想像するだけで、つい気持ちが高ぶってしまう。
text&photo:Makoto.AYANO in Brussels BELGIUM
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ツール・ド・フランスの開幕となるグランデパールをホストするベルギーの首都ブリュッセル。自転車競技が国技ともなっているこの国は、フランスを凌ぐ自転車愛に溢れた国だ。かつてカニバル(人食い鬼)というあだ名がつけられた史上最強の自転車選手、エディ・メルクス氏の故郷、今も住む街である。
メルクス氏が初めてツール・ド・フランスを制したのが1969年。今年はそれから50周年にあたる。今年のツール・ド・フランスはマイヨ・ジョーヌがツールのリーダージャージに制定されてから100周年であるとともに、メルクス氏の初優勝から50周年というのが今年。
4日のチームプレゼンテーションの舞台となったグランプラス(La Grand-Place)は、ユネスコ世界遺産にもなっている旧市街の中心にある広場(Grote Markt)。世界で最も美しい広場のひとつ。大広場という意味のとおり、美しい建築物に囲まれたベルギー観光に来た人はかならず訪れる名所だ。日差しが強い夏日の続くベルギーだが、夕方5時からのプレゼン開催時には傾いた陽を広場を取り囲む周囲の建築物が遮り、集まった大観衆は快適な日陰からそのプレゼンを楽しめた。
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人気はベルギー選手。前週の日曜のフランス選手権を制して青白赤のトリコローレのマイヨを着て登場したワレン・バルギルへの声援も少なめ。やはりグレッグ・ファンアーフェルマートやワウト・ファンアールトらベルジャンスターに大声援が沸く。ツールとはいえやっぱりここはベルギーなのだ。
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「このエッディ・コールはベルギー人なら身体の芯まで染み込んでいるんだ。何しろテレビでも沿道でも、ずっとエンドレスで繰り返し流されるコールだから、当時のレースの光景とともにずっと刷り込まれてきたんだ」と、筆者がベルギーでのクラシックを取材する際に運転の仕事を依頼する、西フランドル州コルトレイク在住のモトパイロット、フランク・ヴェルシェルデ氏は言う。フランクももちろんエディファン。運転するときはMOLTENIのサイクルグローブを欠かさない。
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少しは予想はしていたけれど、登壇した出場選手の誰よりも熱いコールを浴びている姿を見ると、メルクス氏がベルギーにおいて本当に誰もが愛している国民的英雄であることが驚きとともに実感できる。氏はレースの場や裏舞台にもよく現れ、「日本のフカヤ(自転車のエディ・メルクスの代理店)は知ってるか」と、プレスである自分にも声をかけてくれる気さくさもある人物。でも今日の様子で氏の経歴がベルギーで受け入れられ、世界一自転車レースを愛する国ベルギーの、その基礎となった人なのだと改めて感じた。
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ツールの総合ディレクター、クリスティアン・プリュドム氏は言う。「2019年大会をブリュッセルから走り出すのは、マイヨ・ジョーヌ誕生100周年と、エディ・メルクスの初優勝から50年を祝うためである。エディこそ世界で一番、このジャージを象徴する人物だ。これ以上の祝宴は望めないほどだよ。ベルギーは自転車競技の中心地であり、この国にしばしば立ち返るのは、至極当然のことなんだ。それに私は、いまだにしょっちゅう驚かされるものだ。ブリュッセルの街中で、エディはよく15歳ぐらいの若者に声をかけられる。おそらくジネディーヌ・ジダンがパリやマルセイユを歩いた場合と同じぐらい、彼は今でも根強い人気を誇っている」(公式ガイドブックの声明文より)
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メルクス氏はASOが主催する中東レースで重要なポストをつとめた時期も最近まであり、ASOとはかなり親密な関係があるにもかかわらず、そんな「うっかり」なエピソードはどうか?と思うが、ともかくブリュッセルはメルクス氏の過去の栄光の日々を振り返る絶好の機会を見出している。
シクロクロスチャンピオンのワウト・ファンアールトの大活躍や、驚異のキッズと呼ばれるレムコ・イヴェネプールの登場などで、ベルギーの自転車競技への熱量は今年新たな沸点を見つけようとしている。
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盛り上がったグランプラスだけでなく、ブリュッセルに点在する名所においてもツールの装飾はいたるところに見受けられる。郊外にある1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたモニュメント「アトミウム」にも黄色い装飾がされ、その前の広場にはメルクス氏の地面絵が描かれている。アトミウムに登って撮る時間がなかったため面一からの紹介になるが、第2ステージのタイムトライアルのフィニッシュ会場となるため、そのときは空撮でエディ氏の巨大絵が楽しめることだろう。
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text&photo:Makoto.AYANO in Brussels BELGIUM
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