2010/04/12(月) - 10:13
2010年4月11日、フランス北部で第108回パリ〜ルーベ(UCIヒストリカル)が開催された。27セクター・総延長52.9kmものパヴェ(石畳)を含むこの難コースを攻略し、ラスト50kmを独走で駆け抜けたファビアン・カンチェラーラ(スイス、サクソバンク)が優勝。2週連続のモニュメント制覇を達成した。
再び繰り広げられたカンチェラーラvsボーネンの攻防
パリ北部のコンピエーニュから、ベルギー国境に近いルーベまで、259kmに及ぶ闘い。「北の地獄」と称される由縁は、全27セクター・総延長52.9kmのパヴェが詰め込まれたコースにある。数あるクラシックレースの中でも異色の存在だ。
レース前には2月7日に亡くなったフランコ・バッレリーニ元イタリア代表監督に捧げる1分間の黙祷が行なわれた。故バッレリーニ氏は1995年と1998年にパリ〜ルーベで優勝した元クラシックレーサー。この日、レース主催者は、トップゴールしたイタリア人選手に与える特別賞「フランコ・バッレリーニ・パヴェ」を設定した。
コンピエーニュのスタート後、選手たちを待ち構えていたのは、北から吹き付けた強い向かい風だ。序盤からのアタック合戦は1時間以上も続き、45km地点で19名が飛び出すとようやく沈静化。
逃げグループを形成したのはミハイル・イグナチエフ(ロシア、カチューシャ)やマシュー・ゴス(オーストラリア、チームHTC・コロンビア)、マールテン・ワイナンツ(ベルギークイックステップ)ら。タイム差は111km地点で最大4分05秒をマークした。
パヴェ区間が連続するレース中盤からはサクソバンクがメイン集団をコントロールし、この日最初の難所であるセクター17「アランベール(難易度5)」へ。
この難関パヴェに向けてスピードが上がったメイン集団では、ヨハン・ファンスーメレン(ベルギー)やタイラー・ファラー(アメリカ)が落車。ガーミン・トランジションズはこの落車のダメージが最後まで尾を引き、終盤の闘いに選手を送り込むことが出来なかった。
集団先頭でアランベールに突っ込んだのはカンチェラーラ。負けじとトム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)も対抗し、ペースの上がって一列棒状に伸びた集団は20名ほどに縮小してアランベールをクリア。2年連続出場の別府史之(レディオシャック)はこのアランベールで後退したが、多くの選手とともに集団に復帰した。
アランベール通過後は逃げグループとメイン集団のタイム差は縮小の一途を辿り、結局ゴール65km手前のセクター13(難易度3)のパヴェ通過後に逃げは全て吸収。ここから有力選手たちによるアタック合戦が始まった。
カンチェラーラがアタックすれば、ボーネンが対抗してアタック。ボーネンはカンチェラーラ以外の選手も徹底的にマークする積極的な走りを見せ、アタックを全て封じ込めながらレースを進めて行く。
そんなボーネンの目をかいくぐって集団からセバスティアン・イノー(フランス、アージェードゥーゼル)とビョルン・ルークマンス(ベルギー、ヴァカンソレイユ)、レイフ・ホステ(ベルギー、オメガファーマ・ロット)の3名がエスケープ。
これで一旦攻撃ストップかと思われた矢先、ゴールまで50kmを残して、カンチェラーラが集団から勢いよく発進した。「まだゴールまで距離があるから」と考えていたであろうライバルたちの不意を突く早めのアタック。自らの独走力だけを信じて、カンチェラーラは踏み始めた。
すぐさま先頭グループに追いついたカンチェラーラは、セクター10「モンサン・ぺヴェル(難易度5)」で他のメンバーを振り切って独走を開始。アタックとチェックに脚を使っていたボーネンには為す術が無く、ここで勝負は決まった。
ボーネンやホステを始め、フアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)、フィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ)、トル・フースホフト(ノルウェー、サーヴェロ・テストチーム)らが顔を揃えた追走グループ。しかし協調体制は築けず、ローテーションは回らない。当然ペースは上がらない。
そんなライバルたちの牽制を尻目に、カンチェラーラは独走でリードを30秒、1分、2分と積み上げて行く。スイッチの入ったカンチェラーラは個人タイムトライアル状態で、セクター4「カルフール・ド・ラルブル(難易度5)」の荒れたパヴェを跳ねながら猛進。タイム差は3分を超えた。
追走グループではフースホフトのアタックにフレチャが反応するカタチで2名が先行。孤軍奮闘していたボーネンは追走グループに埋もれてしまった。
2006年に次ぐ2度目の勝利 史上8人目のロンド=ルーベ連勝
独走のまま、ライバルに付け入る隙を与えずに、スイスチャンピオンジャージがルーベのヴェロドローム(トラック競技場)に入って来た。単独で大きなリードを築いたカンチェラーラは、何度も何度もガッツポーズを見せてフィニッシュ。
力を出し尽くしたカンチェラーラは、自ら達成した偉業の喜びを噛み締めながら、ハンドルに崩れ落ちた。
「これが歴史的な勝利であることを実感している。ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベのダブル優勝は過去に数名しか達成していない。この1週間、ずっとこのタイトルのことだけを考えていた」。2006年に続く大会2勝目を達成したカンチェラーラが、再び表彰台の真ん中で石塊の優勝トロフィーを受け取った。
カンチェラーラは1週間前のロンド・ファン・フラーンデレンに続くモニュメント連勝。いずれも独走による勝利。ロンドは独走距離15km、ルーベは独走距離50kmだった。
カンチェラーラの勝因、それはレース前半からポジション取りに力を尽くしたチームメイトの働き、ライバルたちを黙らせた抜群のアタックポイント、そして圧倒的な独走力だろう。
アタックのタイミングについてカンチェラーラ自身は「アタックで消耗した選手たちが力を温存しようとしていたタイミングでアタックを仕掛けた。誰も反応出来ないことを確認してから、頭を下げ、独走態勢に入ったんだ」と語っている。
サクソバンクは3月〜4月にかけてドワーズ・ドア・フラーンデレン、E3プライス・フラーンデレン、ロンド・ファン・フラーンデレン、ルント・ウム・ケルンで優勝。そしてボルタ・ア・カタルーニャでステージ優勝。勝利数ではリクイガスやチームHTC・コロンビアに届かないが、これほどビッグレースで勝ち続けているチームは他に無い。サクソバンクはこの勢いを「アルデンヌ・クラシック」に挑むシュレク兄弟(ルクセンブルク)に繋ぐことが出来るか。
カンチェラーラから遅れること2分。2位争いのスプリントはフースホフトに軍配が上がった。フースホフトは前年度の3位を上回る好成績。チームメイトのロジャー・ハモンド(イギリス)はスプリントでボーネンを敗って4位に入っている。
2005年大会で3位、2007年大会で2位に入っているフレチャは、自身3度目の表彰台。「200kmを過ぎて、選手たちは少し牽制状態にあった。そのタイミングでファビアン(カンチェラーラ)が飛び出したんだ。自分の走りには充分満足している。終盤にかけてファビアンを引き戻すのはほぼ不可能だったので、現実的な目標(表彰台)にスイッチした」。ゴール後、フレチャは真っ先にファッサボルトロ時代のチームメイトであるカンチェラーラに駆け寄って偉業を讃えた。
イタリア人選手を対象にした「フランコ・バッレリーニ・パヴェ」賞はポッツァートが獲得。体調不良でロンドを欠場したポッツァートは、決して好調とは言えないカラダで7位に入った。
また、この日は39歳のセルファイス・クナーフェン(オランダ、チームミルラム)が43位でフィニッシュ。2001年大会で優勝しているクナーフェンは、史上最多タイとなる16回目のパリ〜ルーベ完走を果たし、レコードブックにその名を刻んだ。
2年連続3度目の出場の別府史之は、94位・30分02秒遅れでフィニッシュ。日本人として初めてヴェロドロームに辿り着いたが、無情にもHD(Outside Time Limit:タイムオーバー)で完走扱いにはならず。フミのコメントや写真は後ほど現地レポートでお伝えします。
選手コメントは各チーム公式サイトより。
パリ〜ルーベ2010
1位 ファビアン・カンチェラーラ(スイス、サクソバンク) 6h35'10"
2位 トル・フースホフト(ノルウェー、サーヴェロ・テストチーム) +2'00"
3位 フアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)
4位 ロジャー・ハモンド(イギリス、サーヴェロ・テストチーム) +3'14"
5位 トム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)
6位 ビョルン・ルークマンス(ベルギー、ヴァカンソレイユ) +3'20"
7位 フィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ) +3'46"
8位 レイフ・ホステ(ベルギー、オメガファーマ・ロット) +5'16"
9位 セバスティアン・イノー(フランス、アージェードゥーゼル) +6'27"
10位 ヘイデン・ロールストン(ニュージーランド、チームHTC・コロンビア) +6'59"
11位 グレゴリー・ラスト(スイス、レディオシャック) +7'00"
12位 アルノー・コワイオ(フランス、ケースデパーニュ) +7'05"
13位 トム・フィーラース(オランダ、スキル・シマノ)
14位 ドミニク・クレンメ(ドイツ、サクソバンク)
15位 マールテン・ワイナンツ(ベルギー、クイックステップ)
16位 ミカイロ・カリロフ(ウクライナ、カチューシャ)
17位 ロイド・モンドリー(フランス、アージェードゥーゼル)
18位 ジェレミー・ハント(イギリス、サーヴェロ・テストチーム)
19位 フレデリック・ゲドン(フランス、フランセーズデジュー)
20位 マチュー・クロード(フランス、Bboxブイグテレコム)
HD 別府史之(日本、レディオシャック)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos
再び繰り広げられたカンチェラーラvsボーネンの攻防
パリ北部のコンピエーニュから、ベルギー国境に近いルーベまで、259kmに及ぶ闘い。「北の地獄」と称される由縁は、全27セクター・総延長52.9kmのパヴェが詰め込まれたコースにある。数あるクラシックレースの中でも異色の存在だ。
レース前には2月7日に亡くなったフランコ・バッレリーニ元イタリア代表監督に捧げる1分間の黙祷が行なわれた。故バッレリーニ氏は1995年と1998年にパリ〜ルーベで優勝した元クラシックレーサー。この日、レース主催者は、トップゴールしたイタリア人選手に与える特別賞「フランコ・バッレリーニ・パヴェ」を設定した。
コンピエーニュのスタート後、選手たちを待ち構えていたのは、北から吹き付けた強い向かい風だ。序盤からのアタック合戦は1時間以上も続き、45km地点で19名が飛び出すとようやく沈静化。
逃げグループを形成したのはミハイル・イグナチエフ(ロシア、カチューシャ)やマシュー・ゴス(オーストラリア、チームHTC・コロンビア)、マールテン・ワイナンツ(ベルギークイックステップ)ら。タイム差は111km地点で最大4分05秒をマークした。
パヴェ区間が連続するレース中盤からはサクソバンクがメイン集団をコントロールし、この日最初の難所であるセクター17「アランベール(難易度5)」へ。
この難関パヴェに向けてスピードが上がったメイン集団では、ヨハン・ファンスーメレン(ベルギー)やタイラー・ファラー(アメリカ)が落車。ガーミン・トランジションズはこの落車のダメージが最後まで尾を引き、終盤の闘いに選手を送り込むことが出来なかった。
集団先頭でアランベールに突っ込んだのはカンチェラーラ。負けじとトム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)も対抗し、ペースの上がって一列棒状に伸びた集団は20名ほどに縮小してアランベールをクリア。2年連続出場の別府史之(レディオシャック)はこのアランベールで後退したが、多くの選手とともに集団に復帰した。
アランベール通過後は逃げグループとメイン集団のタイム差は縮小の一途を辿り、結局ゴール65km手前のセクター13(難易度3)のパヴェ通過後に逃げは全て吸収。ここから有力選手たちによるアタック合戦が始まった。
カンチェラーラがアタックすれば、ボーネンが対抗してアタック。ボーネンはカンチェラーラ以外の選手も徹底的にマークする積極的な走りを見せ、アタックを全て封じ込めながらレースを進めて行く。
そんなボーネンの目をかいくぐって集団からセバスティアン・イノー(フランス、アージェードゥーゼル)とビョルン・ルークマンス(ベルギー、ヴァカンソレイユ)、レイフ・ホステ(ベルギー、オメガファーマ・ロット)の3名がエスケープ。
これで一旦攻撃ストップかと思われた矢先、ゴールまで50kmを残して、カンチェラーラが集団から勢いよく発進した。「まだゴールまで距離があるから」と考えていたであろうライバルたちの不意を突く早めのアタック。自らの独走力だけを信じて、カンチェラーラは踏み始めた。
すぐさま先頭グループに追いついたカンチェラーラは、セクター10「モンサン・ぺヴェル(難易度5)」で他のメンバーを振り切って独走を開始。アタックとチェックに脚を使っていたボーネンには為す術が無く、ここで勝負は決まった。
ボーネンやホステを始め、フアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)、フィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ)、トル・フースホフト(ノルウェー、サーヴェロ・テストチーム)らが顔を揃えた追走グループ。しかし協調体制は築けず、ローテーションは回らない。当然ペースは上がらない。
そんなライバルたちの牽制を尻目に、カンチェラーラは独走でリードを30秒、1分、2分と積み上げて行く。スイッチの入ったカンチェラーラは個人タイムトライアル状態で、セクター4「カルフール・ド・ラルブル(難易度5)」の荒れたパヴェを跳ねながら猛進。タイム差は3分を超えた。
追走グループではフースホフトのアタックにフレチャが反応するカタチで2名が先行。孤軍奮闘していたボーネンは追走グループに埋もれてしまった。
2006年に次ぐ2度目の勝利 史上8人目のロンド=ルーベ連勝
独走のまま、ライバルに付け入る隙を与えずに、スイスチャンピオンジャージがルーベのヴェロドローム(トラック競技場)に入って来た。単独で大きなリードを築いたカンチェラーラは、何度も何度もガッツポーズを見せてフィニッシュ。
力を出し尽くしたカンチェラーラは、自ら達成した偉業の喜びを噛み締めながら、ハンドルに崩れ落ちた。
「これが歴史的な勝利であることを実感している。ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベのダブル優勝は過去に数名しか達成していない。この1週間、ずっとこのタイトルのことだけを考えていた」。2006年に続く大会2勝目を達成したカンチェラーラが、再び表彰台の真ん中で石塊の優勝トロフィーを受け取った。
カンチェラーラは1週間前のロンド・ファン・フラーンデレンに続くモニュメント連勝。いずれも独走による勝利。ロンドは独走距離15km、ルーベは独走距離50kmだった。
カンチェラーラの勝因、それはレース前半からポジション取りに力を尽くしたチームメイトの働き、ライバルたちを黙らせた抜群のアタックポイント、そして圧倒的な独走力だろう。
アタックのタイミングについてカンチェラーラ自身は「アタックで消耗した選手たちが力を温存しようとしていたタイミングでアタックを仕掛けた。誰も反応出来ないことを確認してから、頭を下げ、独走態勢に入ったんだ」と語っている。
サクソバンクは3月〜4月にかけてドワーズ・ドア・フラーンデレン、E3プライス・フラーンデレン、ロンド・ファン・フラーンデレン、ルント・ウム・ケルンで優勝。そしてボルタ・ア・カタルーニャでステージ優勝。勝利数ではリクイガスやチームHTC・コロンビアに届かないが、これほどビッグレースで勝ち続けているチームは他に無い。サクソバンクはこの勢いを「アルデンヌ・クラシック」に挑むシュレク兄弟(ルクセンブルク)に繋ぐことが出来るか。
カンチェラーラから遅れること2分。2位争いのスプリントはフースホフトに軍配が上がった。フースホフトは前年度の3位を上回る好成績。チームメイトのロジャー・ハモンド(イギリス)はスプリントでボーネンを敗って4位に入っている。
2005年大会で3位、2007年大会で2位に入っているフレチャは、自身3度目の表彰台。「200kmを過ぎて、選手たちは少し牽制状態にあった。そのタイミングでファビアン(カンチェラーラ)が飛び出したんだ。自分の走りには充分満足している。終盤にかけてファビアンを引き戻すのはほぼ不可能だったので、現実的な目標(表彰台)にスイッチした」。ゴール後、フレチャは真っ先にファッサボルトロ時代のチームメイトであるカンチェラーラに駆け寄って偉業を讃えた。
イタリア人選手を対象にした「フランコ・バッレリーニ・パヴェ」賞はポッツァートが獲得。体調不良でロンドを欠場したポッツァートは、決して好調とは言えないカラダで7位に入った。
また、この日は39歳のセルファイス・クナーフェン(オランダ、チームミルラム)が43位でフィニッシュ。2001年大会で優勝しているクナーフェンは、史上最多タイとなる16回目のパリ〜ルーベ完走を果たし、レコードブックにその名を刻んだ。
2年連続3度目の出場の別府史之は、94位・30分02秒遅れでフィニッシュ。日本人として初めてヴェロドロームに辿り着いたが、無情にもHD(Outside Time Limit:タイムオーバー)で完走扱いにはならず。フミのコメントや写真は後ほど現地レポートでお伝えします。
選手コメントは各チーム公式サイトより。
パリ〜ルーベ2010
1位 ファビアン・カンチェラーラ(スイス、サクソバンク) 6h35'10"
2位 トル・フースホフト(ノルウェー、サーヴェロ・テストチーム) +2'00"
3位 フアンアントニオ・フレチャ(スペイン、チームスカイ)
4位 ロジャー・ハモンド(イギリス、サーヴェロ・テストチーム) +3'14"
5位 トム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)
6位 ビョルン・ルークマンス(ベルギー、ヴァカンソレイユ) +3'20"
7位 フィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ) +3'46"
8位 レイフ・ホステ(ベルギー、オメガファーマ・ロット) +5'16"
9位 セバスティアン・イノー(フランス、アージェードゥーゼル) +6'27"
10位 ヘイデン・ロールストン(ニュージーランド、チームHTC・コロンビア) +6'59"
11位 グレゴリー・ラスト(スイス、レディオシャック) +7'00"
12位 アルノー・コワイオ(フランス、ケースデパーニュ) +7'05"
13位 トム・フィーラース(オランダ、スキル・シマノ)
14位 ドミニク・クレンメ(ドイツ、サクソバンク)
15位 マールテン・ワイナンツ(ベルギー、クイックステップ)
16位 ミカイロ・カリロフ(ウクライナ、カチューシャ)
17位 ロイド・モンドリー(フランス、アージェードゥーゼル)
18位 ジェレミー・ハント(イギリス、サーヴェロ・テストチーム)
19位 フレデリック・ゲドン(フランス、フランセーズデジュー)
20位 マチュー・クロード(フランス、Bboxブイグテレコム)
HD 別府史之(日本、レディオシャック)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos
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