2018/05/28(月) - 15:09
コロッセオをバックにした最終スプリント。チームメイトと肩を組んでフィニッシュしたマリアローザ。イスラエルで開幕した3週間の戦いがローマでフィナーレを迎えた。ジロ最終ステージの様子を現地からお届けします。
ローマの正真正銘ど真ん中をジロが通過する。カラカラ浴場跡の中で行われる予定だった出走サインは工事の影響で浴場跡の横の何の変哲もない道で行われたが、どこを切り撮ってもローマらしい11.5km観光周回コースが設定された。
カラカラ浴場跡からコロッセオを通過し、フォーリ・インペリアーリ通りからヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂、ヴェネツィア広場、クイリナーレ宮殿、バルベリーニ広場と繋いでいく。スペイン広場の裏側を通ってから、ポポロ広場、目抜通りのコルソ通り、真実の口、チルコマッシモという「地球の歩き方」や「ロンリープラネット」でまず最初にピックアップされていそうな著名な観光名所を巡る。
ローマ市内は気温30度ほどで湿度が高く、今大会最も暑いと思えるほどの熱気。観光名所を巡るコースの両サイドはもちろん観光客でごった返した。「地球の〜」を参考にグーグルマップが指し示す方向に進めない観光客は数少ない横断ポイントを探してさまようことになった。もちろんレースが通る道は朝から晩まで交通規制が敷かれたため、観光バスやタクシーがひしめく周辺道路は大渋滞。テロを警戒して警察や警備員の数は今までジロで経験したことがないほど多く、ツール最終日のパリのような厳戒態勢だった。
そんな厳戒態勢でも、グランツール最終日だけにスタート地点は完全リラックスした雰囲気。家族や配偶者を連れて来る選手、飼い犬を連れて来る選手、前夜の飲酒が原因かは定かではないが、顔が腫れている選手などがちらほら。チャーター機でローマ入りした選手たちが宿泊ホテルに着いたのは日付が変わるギリギリ前だったという。ただでさえ移動が多い3週間の最後の最後に、最終山岳3連戦の後に待っていた長距離移動。最終日のスタート時間が遅めとは言え、関係者や選手の誰もが寝不足と移動疲れに苦しんでいた。
全長3,572.4km、獲得標高差50,258mにおよぶ戦いの終了を待たずして、ステージ成績を総合タイムに反映させないニュートラル措置が発表されたため、レースが3周回を終えた段階でクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)の総合優勝が確定した。
たしかにローマの喧騒の中を走る周回コースは危険度マックスで、総合系の選手がニュートラル措置を求めたのも頷ける。仮にフルームらの要求を無視してニュートラル措置が取られていなければ、山岳ステージ以上にタイムを失ってしまう選手だってでたはず。すり減り、波打った石畳区間を走るプロトンの中からは、賑やかな機材音がけたたましく聞こえてきた。
前日にステージ最下位だった選手がこの日のステージ最高位。サム・ベネット(アイルランド、ボーラ・ハンスグローエ)は第20ステージでグルペットから脱落し、ダントツ最下位の47分20秒遅れでフィニッシュに辿り着いていた。逆に、グルペットから脱落して脚を溜めていたことが勝利につながったのかもしれない。以下は、この日フィニッシュ手前でスプリントをやめてしまったエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、クイックステップフロアーズ)とのデータ比較。
ベネット 最高速70.7km/h、平均ケイデンス103rpm、14秒間出力980W、最大出力1,410W
ヴィヴィアーニ 最高速68.8km/h、平均ケイデンス109rpm、14秒間出力700W、最大出力1,160W
最下位といえば、ジュゼッペ・フォンツィ(イタリア、ウィリエール・トリエスティーナ)は2年連続で総合最下位(ジロで言うところのマリアネーラ)になった。そしてなんと昨年はデュムランから5時間48分40秒遅れで、今年はフルームから5時間48分37秒遅れ。驚きの3秒差。この日あわよくば3秒差を調整してぴったり合わせようと思っていたかもしれないが、あいにく総合タイムがニュートラル扱いになったのでその野望は砕かれた。
計算上、3週間でフルームは450,000回ペダルを回したことになる。マリアローザを獲得したフルームのためにピナレロは真っピンクなドグマを用意。ハンドルからガーミンのマウントまでピンクで、いつも通り無駄を削ぎ落としたDi2のサテライトスイッチがハンドル前方に付く。スポンサー撮影用に最初はピンクのフィジークが装着されていたが、レースを走る前に黒塗りのスペシャライズドに交換されていた。第19ステージで大逃げを成功させるまでマリアローザ候補とは言えない精彩の欠き方だったため、どのタイミングでフレームを塗装したのかをピナレロのスタッフに聞いたが「それは企業秘密」として教えてもらえなかった。
総合優勝したフルームの3週間全体の平均スピード 40.096km/hという数字は、2009年に総合優勝したデニス・メンショフ(ロシア)が記録した40.057km/hを塗り替える史上最速記録。もちろんコース設定によって条件が変動するが、今年はとにかく速かった。初めてジロで総合優勝を狙い、初めてジロで総合優勝を果たしたフルームは「毎日がクラシックレースのようなグランツール」とジロを表現している。
フルームはジャック・アンクティル、フェリーチェ・ジモンディ、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、アルベルト・コンタドール、ヴィンチェンツォ・ニバリに続く史上7人目の全グランツール達成者となった。その中で3連続グランツール制覇はメルクスとイノーに続く史上3人目。なお、ブエルタが開催されなかった1952〜1953年にファウスト・コッピはジロ、ツール、ジロという変則的な3連続制覇を達成しているので、厳密に言うと史上4人目。
1987年にロバート・ミラー(イギリス)が総合表彰台に上っているが、ジロでイギリス人選手が総合優勝に輝くのはこれが初めて。フルームは7月のツールでダブルツールを狙うとともに、メルクスが持つ4連続グランツール制覇(1972年のジロ&ツール、1973年のブエルタ&ジロ)の記録に挑むことになる。
未だに結論に達していないサルブタモール問題がフルームの悩みの種。7月のツール開幕までに解決しないかもしれないと、ジロを訪れたダヴィ・ラパルティアンUCI会長は語っている。仮にドーピング違反が確定した場合は、昨年のブエルタの総合優勝も、ロードレースの歴史に刻まれた第19ステージの独走勝利も、そしてこのジロの総合優勝も剥奪される可能性もある。
そんな状況下でもフルームはツールで5度目の総合優勝を狙う。今年はサッカーワールドカップの影響でツールの開幕が例年よりも1週間遅いため、ダブルツール(ジロとツールの同年制覇)のハードルが低いと言われる今年、フルームがマリアローザからマイヨジョーヌへの衣替えを目指す。もしかしたらもうピナレロは黄色いフレームをペイントしているかもしれない。
今年のジロの登録プレスは2,054名(合計911媒体)で、内訳はジャーナリストが1,534名でフォトグラファーが520名。その中で3週間フルで取材したのはおそらく5%ぐらいしかいない。
自分にとって節目となる10回目のジロが終了。フォトグラファーとして動く関係上どうしても執筆時間が十分に確保できず、殴り書きで、読み返すと誤字脱字変な日本語もあるはずの現地レポートを3週間お読みいただきありがとうございました。
text&photo:Kei Tsuji in Rome, Italy
ローマの正真正銘ど真ん中をジロが通過する。カラカラ浴場跡の中で行われる予定だった出走サインは工事の影響で浴場跡の横の何の変哲もない道で行われたが、どこを切り撮ってもローマらしい11.5km観光周回コースが設定された。
カラカラ浴場跡からコロッセオを通過し、フォーリ・インペリアーリ通りからヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂、ヴェネツィア広場、クイリナーレ宮殿、バルベリーニ広場と繋いでいく。スペイン広場の裏側を通ってから、ポポロ広場、目抜通りのコルソ通り、真実の口、チルコマッシモという「地球の歩き方」や「ロンリープラネット」でまず最初にピックアップされていそうな著名な観光名所を巡る。
ローマ市内は気温30度ほどで湿度が高く、今大会最も暑いと思えるほどの熱気。観光名所を巡るコースの両サイドはもちろん観光客でごった返した。「地球の〜」を参考にグーグルマップが指し示す方向に進めない観光客は数少ない横断ポイントを探してさまようことになった。もちろんレースが通る道は朝から晩まで交通規制が敷かれたため、観光バスやタクシーがひしめく周辺道路は大渋滞。テロを警戒して警察や警備員の数は今までジロで経験したことがないほど多く、ツール最終日のパリのような厳戒態勢だった。
そんな厳戒態勢でも、グランツール最終日だけにスタート地点は完全リラックスした雰囲気。家族や配偶者を連れて来る選手、飼い犬を連れて来る選手、前夜の飲酒が原因かは定かではないが、顔が腫れている選手などがちらほら。チャーター機でローマ入りした選手たちが宿泊ホテルに着いたのは日付が変わるギリギリ前だったという。ただでさえ移動が多い3週間の最後の最後に、最終山岳3連戦の後に待っていた長距離移動。最終日のスタート時間が遅めとは言え、関係者や選手の誰もが寝不足と移動疲れに苦しんでいた。
全長3,572.4km、獲得標高差50,258mにおよぶ戦いの終了を待たずして、ステージ成績を総合タイムに反映させないニュートラル措置が発表されたため、レースが3周回を終えた段階でクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)の総合優勝が確定した。
たしかにローマの喧騒の中を走る周回コースは危険度マックスで、総合系の選手がニュートラル措置を求めたのも頷ける。仮にフルームらの要求を無視してニュートラル措置が取られていなければ、山岳ステージ以上にタイムを失ってしまう選手だってでたはず。すり減り、波打った石畳区間を走るプロトンの中からは、賑やかな機材音がけたたましく聞こえてきた。
前日にステージ最下位だった選手がこの日のステージ最高位。サム・ベネット(アイルランド、ボーラ・ハンスグローエ)は第20ステージでグルペットから脱落し、ダントツ最下位の47分20秒遅れでフィニッシュに辿り着いていた。逆に、グルペットから脱落して脚を溜めていたことが勝利につながったのかもしれない。以下は、この日フィニッシュ手前でスプリントをやめてしまったエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、クイックステップフロアーズ)とのデータ比較。
ベネット 最高速70.7km/h、平均ケイデンス103rpm、14秒間出力980W、最大出力1,410W
ヴィヴィアーニ 最高速68.8km/h、平均ケイデンス109rpm、14秒間出力700W、最大出力1,160W
最下位といえば、ジュゼッペ・フォンツィ(イタリア、ウィリエール・トリエスティーナ)は2年連続で総合最下位(ジロで言うところのマリアネーラ)になった。そしてなんと昨年はデュムランから5時間48分40秒遅れで、今年はフルームから5時間48分37秒遅れ。驚きの3秒差。この日あわよくば3秒差を調整してぴったり合わせようと思っていたかもしれないが、あいにく総合タイムがニュートラル扱いになったのでその野望は砕かれた。
計算上、3週間でフルームは450,000回ペダルを回したことになる。マリアローザを獲得したフルームのためにピナレロは真っピンクなドグマを用意。ハンドルからガーミンのマウントまでピンクで、いつも通り無駄を削ぎ落としたDi2のサテライトスイッチがハンドル前方に付く。スポンサー撮影用に最初はピンクのフィジークが装着されていたが、レースを走る前に黒塗りのスペシャライズドに交換されていた。第19ステージで大逃げを成功させるまでマリアローザ候補とは言えない精彩の欠き方だったため、どのタイミングでフレームを塗装したのかをピナレロのスタッフに聞いたが「それは企業秘密」として教えてもらえなかった。
総合優勝したフルームの3週間全体の平均スピード 40.096km/hという数字は、2009年に総合優勝したデニス・メンショフ(ロシア)が記録した40.057km/hを塗り替える史上最速記録。もちろんコース設定によって条件が変動するが、今年はとにかく速かった。初めてジロで総合優勝を狙い、初めてジロで総合優勝を果たしたフルームは「毎日がクラシックレースのようなグランツール」とジロを表現している。
フルームはジャック・アンクティル、フェリーチェ・ジモンディ、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、アルベルト・コンタドール、ヴィンチェンツォ・ニバリに続く史上7人目の全グランツール達成者となった。その中で3連続グランツール制覇はメルクスとイノーに続く史上3人目。なお、ブエルタが開催されなかった1952〜1953年にファウスト・コッピはジロ、ツール、ジロという変則的な3連続制覇を達成しているので、厳密に言うと史上4人目。
1987年にロバート・ミラー(イギリス)が総合表彰台に上っているが、ジロでイギリス人選手が総合優勝に輝くのはこれが初めて。フルームは7月のツールでダブルツールを狙うとともに、メルクスが持つ4連続グランツール制覇(1972年のジロ&ツール、1973年のブエルタ&ジロ)の記録に挑むことになる。
未だに結論に達していないサルブタモール問題がフルームの悩みの種。7月のツール開幕までに解決しないかもしれないと、ジロを訪れたダヴィ・ラパルティアンUCI会長は語っている。仮にドーピング違反が確定した場合は、昨年のブエルタの総合優勝も、ロードレースの歴史に刻まれた第19ステージの独走勝利も、そしてこのジロの総合優勝も剥奪される可能性もある。
そんな状況下でもフルームはツールで5度目の総合優勝を狙う。今年はサッカーワールドカップの影響でツールの開幕が例年よりも1週間遅いため、ダブルツール(ジロとツールの同年制覇)のハードルが低いと言われる今年、フルームがマリアローザからマイヨジョーヌへの衣替えを目指す。もしかしたらもうピナレロは黄色いフレームをペイントしているかもしれない。
今年のジロの登録プレスは2,054名(合計911媒体)で、内訳はジャーナリストが1,534名でフォトグラファーが520名。その中で3週間フルで取材したのはおそらく5%ぐらいしかいない。
自分にとって節目となる10回目のジロが終了。フォトグラファーとして動く関係上どうしても執筆時間が十分に確保できず、殴り書きで、読み返すと誤字脱字変な日本語もあるはずの現地レポートを3週間お読みいただきありがとうございました。
text&photo:Kei Tsuji in Rome, Italy
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The Story of the Giro d'Italia: A Year-by-Year History of the Tour of Italy, Volume Two: 1971-2011
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