2018/05/12(土) - 16:16
毎年のように話題になるジロ・デ・イタリアの移動の多さ。エトナ山から何時間もかけて脱出した選手たちは、平坦コースで、平穏な1日を送った。電動アシストバイクによるジロEの模様を含めて、第7ステージの模様をお届けします。
まず最初に昨日お伝えした「チームスカイがヘリでシチリアを脱出」について訂正。ヘリコプターを用意したのはチームスカイだけではなく、UAEチームエミレーツもファビオ・アル(イタリア)とチームメイト数名のためにヘリをチャーターした。そして、肝心のクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)はアンチドーピング検査の対象となったため、ヘリに乗れずにチームカーで陸路&フェリーでイタリア本土に渡っている。訂正してお詫びいたします。
イスラエルからイタリアに渡った第4ステージ以降、ジロの本戦と並行して毎日ジロEが開催されている。Eは電動を意味するEで、お察しの通り、電動アシストバイクによるレースが開催中。レースとは言っても成績は争われず、毎日違うゲストライダーを迎えて10名がジロの数時間前にスタートし、先導車にエスコートされてジロと同じコースを走るイベントだ。
使用されるのは日本未発売のピナレロのナイトロで、重さ5kgのバッテリーとモーターユニットを搭載したバイクは約13kg。手元のコントローラーでアシスト力を0W、125W、250W、400Wの中から選ぶことができ、最大出力の状態でも獲得標高差1,400mを登ることができるという。なお、電動アシストは25km/hを超えるとカットされる。
初日にはイタリアのダヴィデ・カッサーニ代表監督もメンバー入り。ピナレロ社だけではなく、エネル社やタグホイヤー社など、ジロ本戦と同じ主要スポンサーがサポートしており、ガゼッタ紙も毎日およそ半ページを割いて前日の走りを振り返る力の入れよう。ガゼッタ紙によるエトナ山の登坂タイム比較によると、残り10kmから残り1km地点までの9km区間のエステバン・チャベス(コロンビア、ミッチェルトン・スコット)の登坂タイムは23分40秒。ジロE参加者のトップタイムは23分30秒で、チャベスより10秒早かった。
しかしサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)はチャベスより48秒遅れで残り10kmを通過し、残り1km地点で6秒遅れだったので、その登坂タイムは非公式ながら23分58秒のはず。つまり電動アシストバイクの力を持ってしても、エトナでは、イェーツのほうが速かったことになる。その要因として考えられるのは、イェーツの強さはもちろんのこと、部分的にスピードが25km/hを超えるような緩斜面があたったため。淡々と6〜7%の勾配が続くような登りではジロEに軍配があがるはずだ。
スタート地点では前日の何時にエトナ山から下りて、何時にフェリーに乗って、何時にホテルに着いたかという話題で持ちきりだった。チームバスの中に5時間も缶詰だったという選手や、夜2時にホテルにたどり着いたという取材陣もいて、みな一様に疲れている。
そんな長距離移動を感じさせない笑顔いっぱいのエステバン・チャベス(コロンビア、ミッチェルトン・スコット)とイェーツはマリアアッズーラとマリアローザを着てスタート地点に登場した。それぞれショーツの色をジャージに合わせる徹底ぶり。
平坦なオーシャンロードしかほぼ選択肢がないこの地域を走る時は、残り20kmを切ったあたりに登りを組み込むのがジロの特徴だった。2年前に同じプライア・ア・マーレにフィニッシュした時は、残り9km地点に最大勾配18%のパンチの効いた登りが組み込まれている。しかし今回は、なだらかな登りはあったものの、比較的すんなりとプライア・ア・マーレにフィニッシュする。
1日の獲得標高差は700m足らずで、エトナ山で力を使った選手たちにとっては翌日からの2連続山頂フィニッシュに向けてのリカバリーライドになったはず。レースの展開を常時イタリア語、英語、フランス語で伝えるラジオコルサ(競技無線)もこの日はすごく静かで、無線が壊れてしまったかと思うほど無言の状態が続いた。
レースに影響を与える強い海風も吹かなかった。毎日多くのチームが第3チームカーを先行させてコース状況をチェックし、風向きが変わるタイミングや危険な箇所を選手に逐一伝えるようにしている。チームスカイは先行するスタッフが風力計を使って風を計測するなど、平穏な平坦ステージながらその裏では様々なリスク回避策がとられている。
初出場した昨年のジロで第5ステージ3位、第7ステージ3位、第12ステージ3位、第13ステージ2位とことごとく勝利を逃し、今年も第2ステージ3位、第3ステージ3位と、表彰台コレクターになっていたサム・ベネット(アイルランド、ボーラ・ハンスグローエ)がようやく勝った。
ベルギーのフランドル地方で生まれ、4歳の時に両親の出身地アイルランドに移ったベネット。1982年からパリ〜ニース7連覇という記録を打ち立て、ツール・ド・フランスでステージ5勝、ブエルタ・ア・エスパーニャでステージ16勝を飾ったショーン・ケリーの地元であるキャリック=オン=サイアで幼少期を過ごしている。
ジュニア時代に別府史之(トレック・セガフレード)やアレクサンドル・ジェニエス(フランス、アージェードゥーゼール)、ダリル・インピー(南アフリカ、オリカ・スコット)らを輩出しているフランスのVCラポム・マルセイユに加わり、FDJの研修生を経て2011年にアンポスト・ショーンケリー、2014年にネットアップ・エンデューラ(現ボーラ・ハンスグローエ)に籍を置いている。なお、VCラポム・マルセイユで修行を積んだアイルランド人選手は他にもニコラス・ロッシュ(BMCレーシング)やダニエル・マーティン(UAEチームエミレーツ)、フィリップ・ダイグナン(チームスカイ)らがいる。
アイルランド人選手による31年ぶりのステージ優勝を飾ったベネット。フィニッシュ後は何度も拳を握りながら表彰台に向かい、まだ勝利をうまく飲み込めない表情で表彰台に上がる。「自分で自分にプレッシャーをかけ続けていた。プレッシャーから解き放たれた今日は赤ん坊のように眠ることができると思う。忍耐こそが勝利の肝だった」。
ラスト280mの平均出力は1,090Wで最大出力は1,480W。身長と体重がほぼ同じエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、クイックステップフロアーズ)は平均出力1,075Wで最大出力1,343Wだったので、今回はベネットのタイミングとパワーが噛み合ったことになる。クイックステップフロアーズのリードアウトトレインがどこか機能していない今回のジロで、スプリンターに残されたチャンスはあと4回(第10、第12、第13、第21ステージ)。ベネットがヴィヴィアーニのマリアチクラミーノを脅かす存在になるのは間違いないだろう。
text&photo:Kei Tsuji in Praia a Mare, Italy
まず最初に昨日お伝えした「チームスカイがヘリでシチリアを脱出」について訂正。ヘリコプターを用意したのはチームスカイだけではなく、UAEチームエミレーツもファビオ・アル(イタリア)とチームメイト数名のためにヘリをチャーターした。そして、肝心のクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)はアンチドーピング検査の対象となったため、ヘリに乗れずにチームカーで陸路&フェリーでイタリア本土に渡っている。訂正してお詫びいたします。
イスラエルからイタリアに渡った第4ステージ以降、ジロの本戦と並行して毎日ジロEが開催されている。Eは電動を意味するEで、お察しの通り、電動アシストバイクによるレースが開催中。レースとは言っても成績は争われず、毎日違うゲストライダーを迎えて10名がジロの数時間前にスタートし、先導車にエスコートされてジロと同じコースを走るイベントだ。
使用されるのは日本未発売のピナレロのナイトロで、重さ5kgのバッテリーとモーターユニットを搭載したバイクは約13kg。手元のコントローラーでアシスト力を0W、125W、250W、400Wの中から選ぶことができ、最大出力の状態でも獲得標高差1,400mを登ることができるという。なお、電動アシストは25km/hを超えるとカットされる。
初日にはイタリアのダヴィデ・カッサーニ代表監督もメンバー入り。ピナレロ社だけではなく、エネル社やタグホイヤー社など、ジロ本戦と同じ主要スポンサーがサポートしており、ガゼッタ紙も毎日およそ半ページを割いて前日の走りを振り返る力の入れよう。ガゼッタ紙によるエトナ山の登坂タイム比較によると、残り10kmから残り1km地点までの9km区間のエステバン・チャベス(コロンビア、ミッチェルトン・スコット)の登坂タイムは23分40秒。ジロE参加者のトップタイムは23分30秒で、チャベスより10秒早かった。
しかしサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)はチャベスより48秒遅れで残り10kmを通過し、残り1km地点で6秒遅れだったので、その登坂タイムは非公式ながら23分58秒のはず。つまり電動アシストバイクの力を持ってしても、エトナでは、イェーツのほうが速かったことになる。その要因として考えられるのは、イェーツの強さはもちろんのこと、部分的にスピードが25km/hを超えるような緩斜面があたったため。淡々と6〜7%の勾配が続くような登りではジロEに軍配があがるはずだ。
スタート地点では前日の何時にエトナ山から下りて、何時にフェリーに乗って、何時にホテルに着いたかという話題で持ちきりだった。チームバスの中に5時間も缶詰だったという選手や、夜2時にホテルにたどり着いたという取材陣もいて、みな一様に疲れている。
そんな長距離移動を感じさせない笑顔いっぱいのエステバン・チャベス(コロンビア、ミッチェルトン・スコット)とイェーツはマリアアッズーラとマリアローザを着てスタート地点に登場した。それぞれショーツの色をジャージに合わせる徹底ぶり。
平坦なオーシャンロードしかほぼ選択肢がないこの地域を走る時は、残り20kmを切ったあたりに登りを組み込むのがジロの特徴だった。2年前に同じプライア・ア・マーレにフィニッシュした時は、残り9km地点に最大勾配18%のパンチの効いた登りが組み込まれている。しかし今回は、なだらかな登りはあったものの、比較的すんなりとプライア・ア・マーレにフィニッシュする。
1日の獲得標高差は700m足らずで、エトナ山で力を使った選手たちにとっては翌日からの2連続山頂フィニッシュに向けてのリカバリーライドになったはず。レースの展開を常時イタリア語、英語、フランス語で伝えるラジオコルサ(競技無線)もこの日はすごく静かで、無線が壊れてしまったかと思うほど無言の状態が続いた。
レースに影響を与える強い海風も吹かなかった。毎日多くのチームが第3チームカーを先行させてコース状況をチェックし、風向きが変わるタイミングや危険な箇所を選手に逐一伝えるようにしている。チームスカイは先行するスタッフが風力計を使って風を計測するなど、平穏な平坦ステージながらその裏では様々なリスク回避策がとられている。
初出場した昨年のジロで第5ステージ3位、第7ステージ3位、第12ステージ3位、第13ステージ2位とことごとく勝利を逃し、今年も第2ステージ3位、第3ステージ3位と、表彰台コレクターになっていたサム・ベネット(アイルランド、ボーラ・ハンスグローエ)がようやく勝った。
ベルギーのフランドル地方で生まれ、4歳の時に両親の出身地アイルランドに移ったベネット。1982年からパリ〜ニース7連覇という記録を打ち立て、ツール・ド・フランスでステージ5勝、ブエルタ・ア・エスパーニャでステージ16勝を飾ったショーン・ケリーの地元であるキャリック=オン=サイアで幼少期を過ごしている。
ジュニア時代に別府史之(トレック・セガフレード)やアレクサンドル・ジェニエス(フランス、アージェードゥーゼール)、ダリル・インピー(南アフリカ、オリカ・スコット)らを輩出しているフランスのVCラポム・マルセイユに加わり、FDJの研修生を経て2011年にアンポスト・ショーンケリー、2014年にネットアップ・エンデューラ(現ボーラ・ハンスグローエ)に籍を置いている。なお、VCラポム・マルセイユで修行を積んだアイルランド人選手は他にもニコラス・ロッシュ(BMCレーシング)やダニエル・マーティン(UAEチームエミレーツ)、フィリップ・ダイグナン(チームスカイ)らがいる。
アイルランド人選手による31年ぶりのステージ優勝を飾ったベネット。フィニッシュ後は何度も拳を握りながら表彰台に向かい、まだ勝利をうまく飲み込めない表情で表彰台に上がる。「自分で自分にプレッシャーをかけ続けていた。プレッシャーから解き放たれた今日は赤ん坊のように眠ることができると思う。忍耐こそが勝利の肝だった」。
ラスト280mの平均出力は1,090Wで最大出力は1,480W。身長と体重がほぼ同じエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、クイックステップフロアーズ)は平均出力1,075Wで最大出力1,343Wだったので、今回はベネットのタイミングとパワーが噛み合ったことになる。クイックステップフロアーズのリードアウトトレインがどこか機能していない今回のジロで、スプリンターに残されたチャンスはあと4回(第10、第12、第13、第21ステージ)。ベネットがヴィヴィアーニのマリアチクラミーノを脅かす存在になるのは間違いないだろう。
text&photo:Kei Tsuji in Praia a Mare, Italy
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